池上秀志

2018年2月12日37 分

電子書籍『これから結果を出す人の為の確信の作り方』無料お試し版

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これから結果を出す人のための確信の作り方

初めに

多くの人は確かな客観的世界というものが存在して、我々は誰もが同じ客観的世界の中で生きていると考えています。そして、同じ客観的世界に生きているがゆえに、他者から見る自分と自己評価が異なると不安になり、無意識のうちに他者に合わせようとします。あなたは他者が作る客観的評価に重きを置いて、それよりも自己評価が高かったり、他者評価とは全然違う自己イメージを持っていたりすると、慌てて他者評価の方に合わせようとしていませんか。

そんなの当り前じゃないかと思うかもしれません。しかし完全に中立な客観的世界というものを認識できる人間などいません。これは異なる種の間で比べてみればよく分かります。ある種の蝶は紫外線を知覚できます。サメは50メートルプールに血を一滴落としただけでもそれを認識します。犬を飼っている人なら、犬の鼻が我々よりも優れていて、我々には到底知覚できないにおいを嗅いでいるということを認めるでしょう。しかも、これらの場合でも蝶やサメや犬と私たちの世界が違うことが理解できるのは、人間が何らかの方法でそれを知覚することが出来るからです。例えば、紫外線は機械を使えば計測できますし、50メートルプールに血を一滴落とすシーン視覚で知覚することはできます。飼い犬が突然何かに向かって走り出し、それについていくとそこにはお肉があるかもしれません。しかし、我々が如何なる方法でも知覚出来ないものがこの世の中にはあるかもしれません。その場合には、物質としてはそこに存在するにもかかわらず、我々には存在しないのと同じになってしまいます。このように考えると、物質そのものの世界と人間が知覚する世界、犬、蝶、サメの知覚する世界がそれぞれ違うことはお分かりいただけると思います。

では同じ人間同士ではどうでしょうか。同じ人間という種においても、それぞれに異なる主観的世界を持っています。そして、その世界でしか生きることができません。客観的世界と主観的世界という二世界がこの世にあるのではなく、我々はその主体(個人)が持つ主観的世界でしか生きることが出来ません。そして、何故かこの主観的世界のことをみんな客観的世界だと信じて生きています。そして、この主観的世界は通常、他者の評価や世間一般の価値観というもので構成されています。人は上司や先輩、もしくは複数の同僚から「お前は常識がない」などと言われると、よほど図太い神経の持ち主でない限り自分を常識に合わせようとします。或いはいちいち人に言われなくても、自分で自分は他人とずれていると感じると、他人に合わせようとします。どこの国の人間でも多かれ少なかれこういった傾向がありますが、日本人は特に顕著です。

実はこの普通であろうとする、他者と同じであろうとする、客観的価値観が正しいとする考え方が、あなたの夢や目標の実現を妨げています。何故なら、あなた自身の可能性を他者や常識によって規定してしまうことになるからです。そして、他者や常識=客観的世界=正しい、主観的世界=幻想=独りよがり、という構図の中でどんどん自分の可能性を狭めてしまい、新しい情報や知識、ノウハウといったものが入ってこなくなります。

人類全員が共通して認識できるような客観的世界というものは存在しません。例えば、有名人というものを考えてみてください。誰にとっても有名人というのはその国の国家元首くらいのものです。テレビに出ていれば、有名人だと思うかもしれませんが、テレビ業界の中で有名というだけで、私のように全くテレビを見ない人間からすれば、存在しないのと同じです。逆に私がかなり有名人だと考え、実際多くの人に知られているようなスポーツ選手でも一般的には知られていなかったりします。例えば、ブラザー・コルム・オコーネル、レナト・カノーヴァといった長距離走のコーチは長距離走業界ではかなり有名で世界中から多くの人が彼らのもとを訪ねていきます。しかし、一般人では誰も知らないでしょうし、同じ長距離走業界の人間でも日本人はあまり彼らのことを知りません。有名人といえども、アメリカ合衆国の大統領でもない限り、ほとんどの人は知らないものなのです。しかしながら、一方ではその人のことを知っている人たちの中ではその人の人生を丸ごと変えるほどの影響力を持っているのです。ドイツ人の双子ランナーリザ・ハーナーとアンナ・ハーナーはレナト・カノーヴァ氏の下でリオデジャネイロ五輪ドイツマラソン代表になりました。アルネ・ガビウス選手は同コーチの下でドイツ男子マラソン記録保持者になりましたし、ノルウェーのソンドレ・ノルドスタッド・モエン選手はマラソン男子ヨーロッパ記録保持者になりました。そのくらい影響力のある人でも、誰かの人生を変えるほどの影響力がある一方で、多くの人にとっては存在しないに等しいのです。

では、何があなたの世界を規定しているのでしょうか。何故、国籍も母語も違うコーチの指導を受けて、目覚ましい記録を出す人もいれば、同じマラソン選手なのにそのコーチのことを知りもしないという人がいるのでしょうか。それは文字通り人によって主観的世界が違うからです。物質そのものとして存在したとしても、それを認識する感覚器官や機械がなければ、存在しないのと同じであるのと同じように、あなたの思い込みの中に存在しないものはあなたの主観的世界には存在しません。そして、あなたの主観的世界を規定するのはあなたの確信=強い思い込みです。言ってみれば、あなた自身を規定しているのもあなた自身の強い確信=思い込みです。何故、同じように練習・勉強・仕事をしていても差が出るかというと確信の強さが違うからです。

例えば、自分は英語が話せるという強い確信がある人は、英語が話せるようになっている側の世界から物事を見ているので自分が英語を話せるようになるために必要な物事を見逃しません。勿論、使わなければ英語が話せるようにはなりませんが、それでも見た目は同じことをやっていても習得の速さは格段に変わります。また、自分が英語を流ちょうに話せるようになるためには何が必要なのかという情報も自然と入ってくるようになります。それは何故かというと、その人の確信が変われば同時に主観的世界も変わるからです。

あなたが今当り前だと思っている世界も、あなたの周囲の人間が当たり前だと思っている世界も、あなたの確信一つでいくらでも変わります。それが意味するところは、あなたはあなたがまだ知らない情報にアクセスすることが出来るようになるということであり、新たな情報、方法論、人脈と共にあなた自身をも変えることが出来るようになるということです。

自分で意図的に自分が人生で望む確信を作らない限り、あなたは誰かが作った世界で生きているだけです。多くの主観的世界というものは、たいていは親か学校の先生によって作られたものだからです。それ以外にもマスメディア、所属する社会の多数派の価値観、所属する社会の一般常識というもので、あなたの主観的世界は構成されています。

そのような世界の中で「自分には何々が出来ない」、「自分はこういう人間だ」、「世界はこうなっている」という思い込みで主観的世界を固めてしまうのはもったいないことだと思いませんか。

本書ではこの思い込みを変えて、比喩ではなく文字通り世界を変える方法について解説していきたいと思います。

第三章 内部表現の書き換え

 ではどのようにして内部表現を書き換えるのかということですが、その方法論としては2つに大別することが出来ます。

 一つ目は、五感プラス言語を使う方法です。これはよくヴィジュアライゼーションやアファメーションという言葉とともに説明されています。ヴィジュアライゼーションとは英語のvisualize(視覚化する)という動詞の名詞形ですが、視覚だけではなく、五感全てをフル動員させます。マラソン選手であれば、ワールドマラソンメジャーズの総合優勝の表彰式に出て、その時スピーチをするのであれば、マイクを手に持った感触、その時の服や靴の肌触り、そして列席者の顔、部屋の照明、カーテン、窓の位置、部屋のにおいなど全て正確に思い描きます。

 余談ですが、マラソン選手のこういった表彰式は、ジャージや、ジーパンにセーターのようなカジュアルな服装の人が多いと思っていました。私のコーチも、ジーパンにスポーツシャツのような恰好が多いです。そういう表彰式の時はどうされるのかは知りませんが、レースの時もそんな感じの格好で来るので、公式インタビューとかもその格好のはずです。契約書にサインしたり、レースディレクターとマネージャーが話し合う時なんかも、スーツを着ている人は見たことがないのですが、この前月間陸上の日本陸連アスレティックアワードというその年の優秀選手を表彰する式では大学生までビシッとスーツできめてきていたのでびっくりした記憶があります。

 思い描く時は何を着ていくのか、どの靴でいくのか、スピーチをするのであれば、何を話すのかなど具体的に思い描きます。この時大切なのは最後にどうなっていたいのかを鮮明に思い描くことです。途中を思い描くのではなくて、いきなり最後を思い描きます。そして、自分の達成したいことが抽象的なものの場合は、象徴的な場面を一つ思い描けばそれで構いません。例えば、世の中から種差別をなくすという目標を持った人がいるとします。種差別というのは異なる種の間に存在する差別です。日本では反種差別主義者に出会ったことがありませんが、海外では一般的になりつつあるベジタリアンやヴィーガンの何割かが反種差別主義者たちで、人間の乳幼児と同程度の知能、感情、痛覚を持つ動物を動物実験に使ったり、食べたりすることに反対する人たちです。

 こういう人達が世界から種差別をなくすという時には、ボストンマラソンで優勝するという目標と比べると、かなりヴィジュアライゼーションが難しくなります。但し、この手法では、別に世界の隅から隅まですべて思い描いて、全ての家庭の冷蔵庫から肉類が消えるところを思い描く必要はなくて、国連で「皆さんのお陰で全ての国連加盟国において、種差別を禁止する法律が制定されました。ありがとうございます」というスピーチをするというような象徴的な場面を一つ思い描くだけで十分です。

 アファメーションはこれを言葉で肯定するやり方です。口に出しても出さなくてもどちらでも構いませんが、先ほど思い描いた世界を言葉にして繰り返せばよいのです。自分が世界一のマラソン選手になりたいのであれば、「私は世界一のマラソン選手だ」と繰り返せばよいですし、世界から種差別をなくしたいのであれば、「世界から種差別はなくなった」と繰り返せばよいのです。そして、普段からこのアファメーションに反するような思考をしてはいけません。思考というのは一般に頭の中での言語の組み立てだと言うことが出来ますが、ある時には「俺は世界一のマラソン選手だ」と思いながら、また別の時には「今日はA さんが出ているから二番に入れればいいかな」では、トップに立てるものもトップに立てなくなります。周りからみれば、二番に入れば上出来だと言われるようなレースでも、それを受け入れてはいけません。あなたが100mの選手なら「なんで、桐生に負けたんだ、おかしい」くらいのことは思わないといけません。言うまでもなく周りからは頭おかしいと思われると思いますが、このくらいでなければ、内部表現は書き換わりません。

 アファメーションは自分の決めた言葉を繰り返すための時間を意識的に作ることも大切ですが、普段の日常会話や自己対話の中でも、自分の会話を検討し、なりたい自分に反するようなことを言った場合には言い直すようにしてください。勿論、必ずしも口に出す必要はありません。ただ、心の中で常に修正する癖をつけてください。

 内部表現の書き換えは満たされない現状を空想で埋めるためのものではありません。現状を望むものに変えたければ、先に内部表現を書き換えたほうが早いし有効であるから、書き換えるのです。ということは、先に内部表現が書き換わって現状はそれに遅れてついてくるわけですから、これはおかしい、こんなはずじゃないという感覚にならなければ嘘です。とは言え、それでやる気や自信を無くす必要はありませんし、それはこんな自分は駄目だという感覚ではなく、自分はもっとできるはずなのに現状は何かが間違ってるじゃないかというある意味自信のある感覚です。第一章で説明したようにこういう状態になると、主観的世界が変わり、今まで見えなかったことが見えるようになり、今まで思いつかなかったことが思いつくようになるのです。

ヴィジュアライゼーションもアファメーションも胡散臭い?

 このように書いていてもヴィジュアライゼーションにしろ、アファメーションにしろ胡散臭いというか、効果を信じない人が大半ではないでしょうか?その理由の第一位は、暗示や催眠と勘違いしている人が多いのではないでしょか?或いは暗示までいかなくても、コップに水が半分しか入ってないと考えるか、コップに水が半分も入っていると考えるかのような、気持ちの問題だと思っている人が多いのではないでしょうか。

 先ず暗示や催眠ではないということから話したいと思いますが、暗示や催眠というのは、本当はそうではないものをそうだと思い込むことです。或いは一時的にそういった意識状態に持っていきます。優れた催眠術師になれば、レモンを甘く感じさせたり、名前を忘れさせたり、口を開かなくさせたりさせることが出来ます。そのメカニズムに関してはここでは触れませんが、そういったことが可能になることは事実です。但し、レモンが甘くなるのも自分の名前が思い出せなくなるのも一時的で、たいていは遅くても一晩寝れば元の自分に戻っています。ヴィジュアライゼーションやアファメーションによる効果はもっと永続的なものです。それがスポーツ選手であれば、引退するその瞬間まで続くようなものです。時には、スポーツにも催眠術師が手助けすることがあるらしく、本来実力はあるけれど、その実力が何らかの原因で一時的に出せなくなっている選手に暗示をかけると好成績を残すことが多いらしいのですが、アファメーションやヴィジュアライゼーションによる効果は、もっと長期的であり、一時的な調子を上げる訳ではなく、本当の実力をつけていくことを目的としています。

 ここでは、暗示や催眠が胡散臭いと言っているわけではなく、勘違いする人が出てくると思ったので、違いを説明しただけです。暗示や催眠に関して否定的なイメージを持っている人が多いのも事実ですが、私はそれはそれで時に有効な方法になり得るとは思います。但し、ヴィジュアライゼーションやアファメーションは、暗示や催眠ではないということは理解しておいてください。

 さて、二つ目のよくある誤解ですが、ヴィジュアライゼーションやアファメーションは単に気持ちの問題ではありません。コップに水が半分しか入ってないではなくて、コップに水が半分も入ってると考えましょうといったところで、コップに水が半分しか入っていないという事実に変わりはありません。これをマラソンに当てはめると、二位にしかなれなかったではなく、二位になれてうれしいと考えましょうと言っているのに等しいです。でも二番になれてうれしいではなく、一番になりたいわけです。

 アファメーションやヴィジュアライゼーションによって内部表現が書き換われば、本当に現実がそこに近づいていきます。主観的世界がそれを達成した世界になるからです。どの業界でも、通常先輩は新米が見えていないことでも見えています。勿論、視覚的に見えているというだけではありません。通常は誰でも他の人と同じようにやっていれば、そのうちその業界の中のことが分かってきて、新入社員が入ってくると、新入社員を教育する側に回ったりするわけです。アファメーションやヴィジュアライゼーションは言ってみれば、初めから先輩の目を持つ方法です。

 これがただ単にどこにでもいるような先輩ではなくて、野球のイチロー選手とか男子100mの桐生選手になると、彼らにしか見えていないものもあるはずです。アファメーションやヴィジュアライゼーションテクニックによって、本当に自分がイチロー選手や桐生選手を超える選手というものに現実性を感じることが出来るようになれば、主観的世界が変わるのでその世界が見えてきます。但し、イチロー選手や桐生選手が見ている世界そのものではありません。一人一人が持っている主観的世界は異なるのでそれは当然です。但し、私であれば、私池上秀志がマラソン界のイチロー選手になった時に見えるであろう世界は見えているはずです。そして、それは今まで存在しなかったものが、急に自分の下に現れるわけではありません。今既に、自分の身の回りに自分の目標を達成する方法や情報はあるはずです。但し、それが見えていない人には見えていないのです。私も含めて誰でも、偏った世界に生きています。

 そして、通常我々はその自分にしか認識できない世界をそのまま世界と呼んでいます。自分にしか認識できないのでそれが主観的であることに気付かないのです。ということは、内部表現が書き換われば、事実そのものも変わります。誤解のないように書いておきますが、事実を捻じ曲げるわけではありません。

先ほどのコップに水が半分も入っていると考える人の例に戻ると、この人はコップに水が半分入っている世界しか知らないので、モノの見方を変えて、コップに水が半分も入っていると考えて喜んでいるわけです。しかし、内部表現が書き換われば、どこかから水がいっぱい入ったコップを見つけてきます。若しくはどこかから湧水を見つけてきて、水筒に水を一杯入れて持って帰ります。この水がいっぱい入ったコップも湧水も元からどこかにあったのですが、コップに水が半分入っているという世界が自分の主観的世界になっている人にはそれが見えないのです。たいていの場合は、見えないどころか、世界には水がいっぱい入ったコップがあるとは考えもしないで、コップに水が半分も入っていると考えて満足する方を選びます。ヴィジュアライゼーションやアファメーションはこのような単なる楽観主義ではありません。

ヴィジュアライゼーションやアファメーションを胡散臭いと感じる人は、ヴィジュアライゼーションやアファメーションを楽観主義と感じている人が多いように思います。ヴィジュアライゼーションやアファメーションは楽観主義ではないということを頭に入れておいてください。

ヴィジュアライゼーションやアファメーションが上手くいかない理由

 ヴィジュアライゼーションやアファメーションが胡散臭く感じられるほかの理由は、感じられない人には効果が感じられないからというのもあると思います。しかも、進歩の度合いが非常に分かりにくいです。これがマラソンであれば、初めて走った時はゴールすること自体が大変で、二回目になると一度も歩かずに走り切ることが出来て、三回目になると目標タイムも作ってみようかなということを考え出すかもしれません。進歩したにしろ後退したにしろ数字にはっきりと表れます。一方で、ヴィジュアライゼーションやアファメーションははっきりとその世界を描けた人にしかその世界がわかりません。イチロー選手の世界、桐生選手の世界を見てみようと思っても、その人の世界はその人にしか分からないのと同じことです。人生経験も感受性も違うのですから、いくら言葉で説明されてもその人の世界など分かりっこありません。ですから、なかなか途中の効果というものがわかりにくいのです。出来るようになるとはっきりわかります。何故なら、文字通り自分の認識する世界が変わり、病気を治すことが目標の人は、病気が快方に向かうという物理空間での変化が現れるからです。特に一番効果を実感できるのは、慢性的な病気や故障に悩まされている人でしょう。肉体そのものは物理法則に従っているので、内部表現が書き換わるとその瞬間に病気や故障が治るということはあり得ませんし、逆に打撲による腫れのような急性期のものは、冷やして安静にしておけば、嫌でも目に見えて良くなります。

 一方で、慢性的な病気や故障になると、細胞核のDNA が損傷を受けて、プログラミングそのものが変わってしまい、異常細胞が死んだ後も、異常細胞に生まれ変わるようになっています。厳密に言えば、DNAに含まれる全情報自体は変わりませんが、どの情報が引き出されるかが変わっているわけです。そもそも体の細胞は全て同じです。始めから手になる細胞、脚になる細胞がある訳ではなく、同じDNAを持った細胞でも手の位置に行けば、手になり、肺のところに行けば肺になる、肝臓のところに行けば肝臓になるという仕組みになっています。今のところその仕組みは分かっていませんが、肝心なことはDNAに含まれる情報そのものは同じでも、どの情報が引き出されるかは条件によって変わるということです。そして、内部表現が書き換わると、どの情報が引き出されるかが変わるのです。癌も慢性的な故障も大抵は、内部表現が書き換われば、治ります。肉体は物理法則に従うので、すぐに治るかどうかはわかりませんし、85歳の人のがんが治るかどうかも正直微妙なところではあると思います。でも確実に快方には向かいますし、末期ガンが化学療法なしで治ったケースというのは、医学界では「ほとんど無いが、無視できる割合でもないケース」として認識されています。但し、内部表現の書き換えによって肉体も変化することが実感できるのはすでに内部表現が書き換わった人だけです。ですから、内部表現が書き換わるまでのその間の努力というのは、胡散臭く思われてしまうのです。

 先ず大前提としては、自分の内部表現を書き換えられるということを信じていない人はそれを書き換えるのは難しくなります。物理空間に存在するモノは、信じていなくても信じていなくても、目の前に出されれば認識できますが、情報空間の中にしかないものは信じている人にしかなかなか感じられません。よく自分の親しい人が、悪いことをすると「あの人はそんな人じゃない」という人がいますが(そしてなぜか女性が多いのですが)、本来その人が自分に対して優しいということと、万引きをしないとか薬物を使用しないということとは何の関係もありません。しかし、その人はそんなことをする人じゃないという確信を持っている人は、その人が万引きをした(若しくは覚せい剤を使用した)という情報をなかなか受け入れることが出来ません。内部表現の書き換えを信じられない人もこれと同じで、信じていない人は書き換わるものも書き換わりません。もっと言えば、ヴィジュアライゼーションを行う時でも、信じていない人にはそれが本当に見えているのかどうか、怪しいと思います。見えたつもりとかではなくて、本当にその世界を見てください。子供の頃にお化けを見たとか幽霊を見た、若しくはサンタクロースを見たという人は、その時と同じくらいはっきり見てください。子供だから現実と仮想空間の区別がつかないんだと一笑にふす人もいるかもしれませんが、よく考えれば、大人になっても現実と仮想空間の間にはっきりと線引きすることは難しいのです。

 例えば、お金というものを考えた時に、日銀が発行した諭吉さんとおもちゃ屋さんで買える子供銀行の諭吉さんは違うと思うかもしれません。しかしよく考えれば、日銀発行の諭吉さんも子供銀行発行の諭吉さんも本質的な違いはありません。大きな違いは日銀発行の諭吉さんの価値を共有している人の数がけた違いに多く、日本人が買い物をするにあたっては基本的に諭吉さんで通用するということだけです。ですから、子供銀行の諭吉さんに金銭的価値という情報を感じているコミュニティ(例えば、近所の仲良し5人組)の間では子供銀行発行の諭吉さんも日銀発行の諭吉さんと同様に効力を発揮しますし、逆にケニアに行けば、日銀発行の諭吉さんも子供銀行発行の諭吉さんと同じで紙幣の効力を失います。情報が書き換われば、物理空間の方も変わるということはごく普通の話なのです。気功の世界でも、気功で病気やけがが治るというのはその世界の人達にとってはごく普通の話です。今は日本医療統合学会というのもあり、今までは西洋医学しか認めてこなかった学術的な意味での医学界も、気功の存在を認めています。

 先ず、内部表現が書き換わると、一般に現実世界と言われている物理空間も変わるということが信じられない人は、情報が変われば、現実世界も変わるというのはごく普通のことだということを認識してください。

 情報が変われば、物理空間も変わるということがまだ身近に感じられない人のために、もう一つお金の話をしておきます。あなたは今手元にどのくらい現金で持っていて、どのくらいを銀行口座に入れているでしょうか?仮に日本人全員が現金と銀行口座の残高合わせて1000万円持っていると仮定しましょう。あなたなら現金でいくら持ちますか?人によって異なると思いますが、私なら50万円程度でしょうか。仮に全員が50万円を現金で持っていて、残りの950万円は銀行口座の中にあるとしましょう。そして、三菱東京UFJ銀行伏見支店に100人の顧客がいるとします。そうすると、三菱東京UFJ銀行の伏見支店には9億5000万円のお金があるとことになります。しかし、普通は9億5000万円の現金は三菱東京UFJ銀行の伏見支店には存在しません。9億5000万円どころか、一日に10人の顧客が500万円ずつ、合計で5000万円引き出しに来たら、行員に「せめて前日までに言っていただかないと無理です」と言われるはずです。

 ではこのあるはずの9億5000万円はどこにあるのでしょうか?答えは情報空間です。通帳に950万円という数字だけ書いておいて、別に現金を用意する必要はないのです。ふつう大きな買い物をするときには、通帳の数字を書き換えるだけで、ドラマのようにアタッシュケースに札束を入れて支払うことはまずありません。車を買う時も家を買う時も、情報空間で数字を動かすだけで、この物理空間が変わるのです。そしてこのことに誰も疑問を持たないくらい当り前に皆情報空間を書き換えて、物理空間を書き換えているのです。それは皆がそこにリアリティを見出しているからでもあります。ですから、そこにリアリティを見出していないケニア人の日本円で家を買わせてくれと言っても応じる訳がありません。ヴィジュアライゼーションやアファメーションの効果が信じられない人は、先ず当たり前すぎて気付いていないだけで、ごく普通に情報を操作することで、モノを動かしたり変えたりしているということを認識してください。

ヴィジュアライゼーションやアファメーションに適した意識状態

 ヴィジュアライゼーションやアファメーションの効果を減らしてしまう意識状態について説明してきましたが、逆にその効果を発揮しやすくする意識状態というのも存在します。どのような意識状態でヴィジュアライゼーションやアファメーションを行ってもそれなりの効果は上がると思いますが、より適した意識状態に持っていくというのもテクニックの一つです。

 そもそも内部表現の大部分は意識に上らない領域です。生体の情報も内部表現の一部です。全力で走り終わった後、膝に手をついて、脳に酸素や血液が行き渡りやすくするのもホメオスタシス機能が働く結果ですが、普通は誰も意識的に「膝に手をついて、心臓と脳を水平にし、重力を働きにくくすることによって脳に血液と酸素を行き渡らせよう」などとは思っていないわけです。全ての人間は精神的にも肉体的にも維持しようとする(ホメオスタシスが働く)一定の水準があって、それを無意識のうちに維持しようとします。精神的な領域で言えば、「毎日朝起きたら、会社を辞めようかどうか真剣に考えてます」とか「毎日朝起きたら、真剣に転校しようかどうか考えてます」という人はあまりいなくて、無意識の領域でごく普通に昨日まで勤めていた、通っていた会社や学校に通勤・通学するわけです。

 内部表現を書き換えるというのは、この無意識のうちに維持しようとしているレベルを変えるということです。無意識のうちに維持しているものを書き換えるには意識がはっきりしている状態では難しいのです。意識がはっきりしている状態というのは時間と空間の中に存在するモノにより多くの臨場感を感じている状態です。このように書くと難しく聞こえますが、この逆は誰でも体験したことがあるはずです。楽しい時間はあっという間だったというのは自分の世界=自分の意識の内側により強い臨場感を感じている意識状態に入っていたということです。

 別の例を見てみましょう。今まで最も面白かった映画のことを思い出してみてください。今ここでその映画のお気に入りのワンシーンを頭の中でもう一度見てください。この時に、お尻や背中で感じている椅子の感触や手に持っているポップコーンの感触を思い出した人はどのくらいいますか。思い出すという表現すら正確ではないでしょう。そもそも、あなたはその時、椅子やポップコーンの感触を認識していなかったはずです。しかしながら、物理的な刺激は必ず、あなたの感覚器官から、感覚神経、脊髄、そして脳へと伝わっていたはずです。それにも関わらず、あなたはそれを認識していません。それはあなたが椅子やポップコーンという物理空間に存在するモノよりも映画の世界に臨場感を感じやすくなるからです。

 このような意識状態では簡単に内部表現は書き換わります。ですから、ヒーローものを観た後には自分も強くなったような気がしますし、恋愛ものを観た後には自分も恋愛をしてみたいと思いますし、任侠映画を観た後には肩で風を切って歩き、ロッキーを見た後には自分もボクシングがしたくなります。但し、通常は任侠映画を観た後でも肩で風を切って歩くのはせいぜい家に帰るまでです。一晩寝れば、また普通のサラリーマンに戻って会社に通い、理不尽な上司から嫌味を言われても、河原に呼び出して決闘を挑むということにはなりません。それは睡眠の方がはるかに物理空間の臨場感がなくなった意識状態だからです。

 ただ、時間間隔がなくなるほど何かに没頭している状態や空間的な感覚がなくなるような意識状態の方が内部表現が書き換わりやすくなるのは何となくお分かりいただけたかと思います。

 本当に適した意識状態というのは脳波で言えば、ローアルファからシータ波の状態です。脳波が5ヘルツから10ヘルツくらいだと思いますが、これは開眼状態ではなかなか出すのが難しいくらいのまどろみに近い状態です。まどろみ状態だからと言って、寝てもいけません。当然ですが、寝てしまえば意識的に内部表現を書き換えることはできません。内部表現とは放っておけばその状態を無意識のうちに達成しようとするような情報のことです。ヨガの行者なんかはこれを生体レベルで意識的に書き換えて、ほとんど食べなくても生きていけるようにしたり、心臓の鼓動を1分間に数回まで下げたりするのですが、普通の人は生体のホメオスタシス機能が働くレベルを意識的に書き換えるのはほとんど無理です。但し、生体レベルではなく、情報レベルでは人は多種多様なホメオスタシス機能が働くレベルを持っていて、毎日グランドに出て巨人軍の一員としてプレーするのが当たり前の人もいれば、京都の三条にある京都茶華道具館に出社して働くのが当たり前な人もいる訳です。そして、普通京都茶華道具館で働いている社員の人は朝起きてそこに行くかどうか考えているわけではなくて、無意識のうちにそこに行って仕事をすることを選んでいるわけです。もしかすると、ごくたまに転職しようかなと思うことがあったり、「そもそも俺はこの会社で働きたいのかな」と意識にあげて考えることもあると思いますが、基本的にはほとんど意識に上がらないはずです。

 この無意識の思考状態を意識的に書き換えるのが、内部表現の書き換えだと思ってもらって構いません。ですから、はっきりした意識レベルでもなければ、全く意識が働かない訳でもないという意識状態が理想なわけです。この意識状態を出す一番良い方法は瞑想ですが、瞑想と言うととっつきにくく、仰々しく聞こえるようです。

 瞑想以外でこの意識状態を手っ取り早く出すのは、なんといっても寝る直前です。寝る直前というのは布団に入って、電気を消し、目をつぶっている状態です。この時にアファメーションやヴィジュアライゼーションを行うと自分の内部表現は書き換わりやすくなります。

 実は、プロ野球の長嶋茂雄さんは内部表現の書き換えがものすごく上手かったのではないかと思いますが、長嶋さんが巨人軍の監督に就任した時に寝る前の意識状態を利用していました。ご本人は自分が内部表現の書き換えが上手くできることも、寝る前は無意識に有意識が刷り込まれやすいことも自覚されていなかったと思いますが、経験的に分かっていたのでしょう。

長嶋さんはご自身でもイメージトレーニングを繰り返しされていたとおっしゃっていますが、長嶋さんのおっしゃるイメージトレーニングとは実際にバッターボックスに入って、投げ込まれてくるボールを打つというだけではありませんでした。カウント、点差、イニング、ランナー、マウンド上のピッチャーといったものを思い浮かべて、投げ込まれてきたボールを打ち、自分がその試合のヒーローになるところをヴィジュアライズし、そして買ってきたスポーツ新聞に上からマジックで「長嶋9回逆転サヨナラ打」などと書いていたそうです。

その長嶋さんが監督になった時、開幕前に「これから毎日布団に入って目をつぶったら、リーグ優勝して俺を胴上げしているところを思い浮かべてほしい」と選手に言ったそうです。しかも、それが首位広島に最大11,5ゲーム差をつけられたところから奇跡の逆転優勝を果たした1996年のシーズン前だとか。ヴィジュアライゼーションだけで、リーグ優勝できるほど甘くはありませんが、例え現状が最下位でもリーグ優勝している自分たちというもの臨場感がより強くなれば、無意識のうちにリーグ優勝に向けての打開策を見つけてくるようになるのは事実です。特に野球のようなチームスポーツでは、全員が一つの仮想的現実(もしくは現実的仮想)に臨場感を感じた場合、強烈にホメオスタシスが働くはずです。

ホメオスタシス機能は複数の人間の間にも働きます。よく知られているのは赤ちゃんの心臓の鼓動は成人よりも速いのですが、赤ちゃんを抱いていると大人の方の心臓の鼓動は早くなり、赤ちゃんの方の心臓の鼓動は遅くなります。体の大きさそのものが違うので完全に同じにはなりませんが、近づくのは確かです。私の個人的な体験では小さい頃、父親と一緒に寝ていると、無意識のうちに呼吸の速度が父親の呼吸の速度(当時の私よりもゆっくり)に近づいていき、気が付くとなんか苦しいぞと思ったことがあります。

これは精神空間でも同じで、互いの精神空間も長く一緒にいると近づいてきます。ですから、当時の巨人軍の選手全員が寝る前に同じ光景を思い描いていたとしたら、相乗効果でそのリアリティが強まっていったと思います。なかには金融恐慌やオイルショックも精神空間でのホメオスタシス機能が働いた結果ではないかという人もいるくらいです。

複数の人間の間での精神空間のホメオスタシス機能の同調は、寧ろマイナスに働く時の方が理解しやすいと思います。皆さんも経験があると思いますが、一人だけ当り前のレベルが違う人間がいると何となく空気が悪くなるものです。スポーツで言えば、普通の国立大学に一人だけ毎年インターハイチャンピオンを輩出するような強豪校からひとりだけ入ってくる選手がいて「俺なんてインターハイで予選落ち程度の駄目な選手だった」と言ったりすると、都道府県予選でも上位に入れない選手ばかりの集団では「何あいつ、嫌な奴」という空気になります。

サラリーマンで言えば、自分の行きつけの飲み屋が決まってきて、そこに行くとだいたい同じくらいの年収でスーツにネクタイ、会社ではだいたい同じくらいの役職についている人たちが集まります。ここでは仮に日本人の平均年収前後のサラリーマンがたくさん集まる飲み屋があると仮定しましょう。そのようなところに、一人だけジーパンに革ジャンで長髪、サングラスをかけてハーレーダビッドソンに乗った男が現れて、高級葉巻をふかしながら、一本10万円するボトルを注文すると、やっぱり周りからは「嫌な奴」と思われると思います。

これは自分のホメオスタシス機能の外側の人間がいると、相手も自分も無意識のうちに同調しようとするからです。これは身体で言えば、暑いから汗をかくというのと同じです。発汗というのは無意識のうちに行われます。意識に上ろうが上るまいが、体はこれを不快だと感じるので、ホメオスタシス機能を働かせて調整しようとします。これと同じで無意識のうちに、なんかあいつは「嫌な奴」だと思ってしまいます。しかし、会社勤めをしている人なんかは、初めは「なんであの部長はあんな朝から晩まで会社に奉仕してるんだ。残業代も出ないのに」などと思っていても、気付けば自分も新入社員に同じことを思われるようになります。これはホメオスタシス機能が働いて、部長の当り前が自分の当り前になってしまうからです。部長だけではなく、その部全員がサービス残業は当たり前という気持ちで働いていると、初めは「勘弁してくれよ」と思っていた新入社員も一年もしないうちにそれが当たり前になります。

話を元に戻しますが、無意識の世界に介入的操作を行う場合には、無意識の世界へのアクセス権が必要になります。これに適した意識状態が寝る直前のまどろみなのです。ですから、アファメーションやヴィジュアライゼーションを行うには寝る直前が一番良いのです。若しくは映画や小説などの仮想空間に引き込まれているときですが、この場合は意識状態としては適していますが、意識的に介入的操作を行うことが出来ません。その世界に引き込まれているときに、意識をこちらの世界に戻してしまうと仮想空間に臨場感を感じなくなりますし、映画や小説の世界に意識を置いたままでは、自分の書き換えたいように内部表現を書き換えることはできません。

しかし、意識的に映画や小説の世界に没頭しているような意識状態に入りなおかつ、自分の書き換えたい内部表現の世界を描き出すことは可能です。スポーツ選手は結構知らず知らずのうちにこのテクニックを使っています。最後の4割打者のテッドウィリアムズ選手は小さい頃家の前で素振りをしていると、そこがエベッツフィールドやヤンキースタジアムになったと自伝の『My turn at bat』に記していますが、時間や空間の感覚がなくなるくらいその世界に入り込んで素振りをしていれば、やがてそれが潜在意識の中に入り込んでいき、内部表現は書き換わります。勿論、この時テッドウィリアムズ選手は三振している自分ではなく、インコースの真っすぐをジャストミートすると白球がライトスタンドに吸い込まれていくところを思い描いていたはずです。

アトランタブレーブスなどで活躍し、本塁打王、打点王、MVPにも輝いたことのあるデールマーフィー選手はヴィジュアライゼーションテクニックに関して、細かいところを思い描くよりも、センターにきれいなライナーが飛んでいくところを思い描くことが大切だと『野球のメンタルトレーニング』の中で語っていますが、本来ヴィジュアライゼーションテクニックが技術練習としてのみとらえるなら、打球の軌道よりも体の使い方こそが重要なはずです。しかしながら、デールマーフィー選手も経験的に結果を思い描くことの大切さを知っていたのでしょう。

マラソンで言えば、ペースメイキングがそうでしょう。何年も練習を続けているランナーなら、1㎞あたりプラスマイナス2秒の間を維持して走り続けることはそう難しいことではありません。私はこれも精神世界のホメオスタシス機能の働きによるものだと考えています。要するに、その時1㎞何分何秒ペースで走っていようが、精神世界で3分30秒で走っている自分というものの臨場感が強くなると、後は勝手にそのペースになります。時計も見ていますが、1㎞3分30秒と3分40秒のペースの違いなら時計を見て調整できるかもしれませんが、1㎞あたり2秒の差を時計を見ながら調整することはできません。時計はあくまでも、物理世界の現状と精神世界の自分が臨場感を感じているペースとの間のずれを認識するためのものです。1㎞3分30秒ペースでホメオスタシス機能が働くように設定している人は時計を見て、3分32秒だと、現状と精神世界の設定タイムの間に2秒のずれがあります。もし、この選手が精神世界の3分30秒ペースに強い臨場感を感じていれば、無意識のうちにこの2秒のずれを解消するはずです。というよりも正確に言えば、1㎞あたり2秒の調整は無意識の力を使わなければ無理です。意識的に調整できるものではありません。

傍から見るとただ走ってるだけの陸上選手ですが、この精神状態に入っているときはいつもと違う精神状態に入っています。本人にはあまりその自覚がないと思いますが、こういう集中状態の後は精神的に疲れ切っていたり、走る前は自分の世界に入りたいから話しかけないでほしいという人は多いです。

私は大学時代から一人で練習することがほとんどであったため、割と簡単にこの意識状態に入れますが、一人ではなかなかこの意識状態に入れないという人も多いです。日本人もケニア人もエチオピア人もほとんどのトップランナーは集団で練習していますが、一人で練習するのはそのくらい意識のコントロールが難しいのです。苦しいところで一人だとつらいと思う人もいるかもしれませんし、実際そういう人もいることにはいるのですが、実業団やプロのレベルで、今更練習がきついも何もないだろうと思います。それよりも一人だと、仮想空間の臨場感を維持できなくなるという要素の方が大きいように私は思います。色んな人が趣味や健康や通勤・通学のために自転車に乗ったり、歩いたりしている河川敷で一人でインターバルトレーニングをしていると、なかなか自分が練習している世界に入り込めるものではありません。因みに私の場合は一人でも自分の世界に容易に入り込めるようになった代償として、自分の世界に入っているときは誰かがそこにいても存在しないのと同じになってしまいました。しかもこの意識状態をかなり頻繁に出せるようになり、本を読んでいてもドイツ語を勉強していても目の前の人が存在しなくなってしまいました。これはそこにいる人がからすると、ちょっと不快に感じるらしいです。一時的とはいえ、自分が存在しないことにされたら、まあ不快に感じるとは思いますが。

変性意識状態とは?

ここまで日常言語を使いながら説明してきましたが、この無意識の領域にアクセスしやすい意識状態のことを変性意識状態と言います。ただこの変性意識状態という言葉は、使う人によって若干意味が異なります。厳密な定義では、この物理空間に100%の臨場感を感じていない状態なのですが、第一章で述べたように、人間は自分が見ているものに様々な情報を付加してみています。試しに自分の家族をありのままの物質状態としてのみ認識しようとしてみてください。この人が自分の父親・母親、若しくは娘・息子でなければどのように見えるのだろうかと考えてみたところで、想像しがたいでしょう。

先日、最近子供が生まれた知り合いのランナーの人と話していて、次のような会話がありました。

「うちの子本当にかわいいんだよ。他の子よりもかわいいよ」

「いや、親は全員そういいますよ」

「いや、うちの子は客観的に見ても可愛いんだよ」

「いやそれも、全ての親がそう言います」

子供さんを持ったことのなる人なら同意していただけるでしょうが、100%五感で感じられる世界のみを感じることの方が無理です。そうすると、変性意識という言葉が意味を失ってしまうので、それぞれに若干異なる意味を持たせているのだと思いますが、本書では一種のトランス状態であり、仮想空間や情報空間に強い臨場感を感じている状態だと定義しておきます。そして、この変性意識状態に入っているときが、自分の内部表現を書き換えるのに適した状態です。但し、睡眠中や酩酊状態、覚せい剤による幻覚などで、完全に自分の意識がコントロールできなくなる状態ではありません。あくまでも、自分が意識を支配しているけれど、時間的・空間的な感覚がなくなっている状態です。

内部表現の書き換えは現状の臨場感との闘い

 変性意識状態とは一種のトランス状態であり、仮想空間や情報空間に強い臨場感を感じている状態であるということは先述しましたが、逆に言えば、現状や物理空間の臨場感とはそれだけ強いということです。そして人間は二つの異なるレベルにホメオスタシス機能を働かせることはできません。体温で言えば、ある程度の幅を持たせながらも常に一定に保っているわけです。これは精神世界でも同じことで、マラソンが2時間10分の自分とマラソンが2時間3分の自分という異なる自己イメージを維持することはできません。ということは普通にしていれば、それが何であれ、現状の自分の臨場感が勝つわけですから、意識の世界で現状を変えたいと思っていても、ホメオスタシス機能はちゃんと現状を維持するように働きますし、自分の主観的世界は昨日までの自分が認識してきたものによって構成されます。

 そして、他人もあなたのことを昨日までのあなたとして認識します。これまで、全国大会にすら出たことのない人間がプロの世界でやっていけるとは普通思わないわけです。そうすると普通に話していても、「まあ若いうちにしかできないこともあるから。でも早く落ち着かないといけないよ」みたいなことを言う訳です。これは悪気があっていっているわけではなくて、寧ろ親身になって言ってくれているわけです。現状の臨場感というのは自分の内側からのフィードバックのみならず、他人からの反応によっても強化されているので通常は強烈なホメオスタシス機能を働かせ、それに応じた主観的世界を構成します。結果として、明日も昨日までの続きになってしまい、いくら意識的に新しい自分になろうとしても、気付けばちゃんと現状維持になっています。その結果としてさらに現状の臨場感が強まり、基本的には死ぬまで現状の延長線上を生きていくわけです。

 但し、このように書くと平均的日本人は「生半可な覚悟では出来ないんだ」みたいなことを思いがちなのですが、やる気とか根性の問題ではなくて、自分の思い描く未来の臨場感を現状の臨場感よりも強くして、内部表現を書き換えるにはそれに適した意識状態があるということなのです。その意識状態はここまででも述べてきましたが、実はもっと良い方法があります。

それは通常とは異なる呼吸法と瞑想です。この手法によって、より深い変性意識状態に意識的に入ることが簡単にできるのですが、詳細は改めて第5章で述べたいと思います。

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