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執筆者の写真池上秀志

疲労回復の特効薬

 私が高校三年間お世話になった担任の先生は常々「人間の最大の煩悩は睡眠欲だ」とおっしゃっていました。食欲も性欲も金銭欲もどれも度が過ぎれば人を狂わせてしまいます。しかしながら、最も現実的で日々の生活に関連しているのは睡眠欲だということでした。その理由は、一日8時間も寝ていたら起きている時間が3分の2しかなくなってしまうからです。


 確かに、一時間でも勉強すれば、そしてそれが一週間積み重なれば7時間の勉強になることを考えれば、それで京大に合格できるか出来ないかが決まると言っても過言ではないでしょう。もしも、この言葉をそのまま受け取るのであれば、走りながら会社経営をしている私にとっての最大の敵は睡眠ということになるでしょう。


 競技生活を充実させ、更に事業を発展させるためにはそれぞれに割く時間を増やすのが良いでしょう。そして、その為には睡眠時間を削るのが最も良いやり方でしょう。そうですよね?


 一見、合理的に思えるこのやり方ですが、実は睡眠時間を削るとランニングにも仕事にも悪影響が生じます。何故なら、炎症反応が増加し、故障のリスクが増加し、オーバートレーニングのリスクが増加し、トレーニング刺激に対しての適応度が低下し、集中力が低下し、認知能力が低下し、やる気が低下するという散々な目に会うからです。


 中には、何百万人に1人の割合でショートスリーパーもいるそうですが、私は他の大多数の人間と同じくショートスリーパーではありませんし、どちらかと言えばロングスリーパーだと思います。


 いずれにしても、人間の生産性を考えるにあたって物凄く大きな観点となるのが、疲労であり、睡眠です。疲れることさえなければ、いくらでもやりたいことが出来るのです。これは個人レベルでも、組織レベルでもそうです。先述の高校の先生が「人間の最大の煩悩は睡眠欲」とおっしゃっている根拠は単純で、起きていたらやりたいことが出来るからです。


 そして、組織レベルで言えば、疲労を抱え込まないのであれば、休む必要も寝る必要もないので、働かせ続けることや戦わせ続けることが出来る訳です。ちなみにですが、疲労と睡眠という二つの大きな関係性を如実に表している言葉があり、それがドイツ語のmüdeという言葉です。


 この言葉は疲れているという意味と眠たいという意味の両方を持っています。眠たいという単語はschläfrigという言葉が別にあるので、私はこの言葉をはじめよく使っていたのですが、周りのドイツ人からschläfrigという言葉は一般的ではなく、ほとんど使わないからmüdeという言葉を使いなさいと教えてもらいました。


 しかし、納得の出来ない私は「それでは眠たいと疲れているはどうやって区別するのか」と聞いてみたのですが、「それは文脈で分かる」とか「それを区別する必要はない」と言われてしまいました。それでも、私は疲れていると眠たいは違うように思います。しかしながら、同時にそれも一理あると思いました。確かに疲れていると眠たいです。人間は疲れていると眠たくなるし、眠たくなるほど疲れている時には生産性が落ちます。よく考えると疲れていると眠たいはたいそう似ている現象かもしれません。


 そんな訳で、個人レベルで見ても、組織レベルで考えても、この疲労や眠気という現象にいかにして、対処するかというのは人類共通のテーマであると言えるかもしれません。


 眠気に対処する、疲れに対処すると考えるとおそらく多くの方が思い浮かぶのがコーヒーだと思います。コーヒーの起源がいつなのかということはどうもはっきりしません。常連のブログ読者さんはご存知だと思いますが、現在私はケニアから茶葉やコーヒーを仕入れて販売し、そのお金を以てしてケニアの浮浪孤児たちに最低限の衣食住と教育を与える資金、そして貧困家庭からのし上がろうとしているランナーの資金にあてようと画策しております。


 そんな訳でコーヒーの歴史を調べているのですが、どうもはっきりしません。カルディが好きな方は、山羊飼いのカルディが新しい牧草地に山羊を連れていくと山羊が興奮し、一気に山の上まで駆け上がったという伝説をご存知だと思います。その山羊飼いのカルディが改めて調べてみると、ある灌木の実を挽いて煎じて飲むと夜になっても眠くならないことが分かったとのことです。これがコーヒーの起源だとされています。


 話としては出来ていますが、信憑性としては高くなく、また仮に事実だとしてもそれがいつ頃、どこでの話なのか正確なことは分からないようです。否定する根拠もないので、これが起源でも別に構わないと思います。カルディさんの悪口を言っている訳ではないので、念のため。


 その後、記録に残っているものとしてはイスラム教神秘主義者の修行僧達が飲んでいたそうです。彼らのことをスーフィーと呼び、彼らの教義をスーフィズムと言います。どうも8世紀ごろから出てきたそうです。このスーフィーの方々は徹底した現世否定をしていたようです。つまり、この世を否定するのです。この世を否定すると書くと、自暴自棄になっているのかと思われるかもしれませんし、実際にそういう一面もあったかもしれませんが、それよりはこの世の価値観を否定する、その時代のその地域の人たちの大多数が所有している価値観を否定すると書いたほうが分かりやすいと思います。


 当時のイスラム世界の人たちがどのような価値観を持っていたかは分かりませんが、だいたいどの時代の人間も食べ物やお金をたくさん保有し、大きな家に住み、立派な服に身を包み、異性にたくさんモテるのが良い人生だという価値観を持っています。そういった価値観を否定するので、基本的には禁欲的な生き方を良しとします。その一環として、睡眠も否定します。


 とは言え、人間である以上は寝ないと生きていけないのですが、定期的に夜通し祈りをささげる修行があったようです。そして、その時にコーヒーが役立ったそうです。この時代はコーヒーという言葉はなく、ザムザムの聖水やカフワという言葉で呼ばれていたそうです。記録に残っている限りでは、15世紀を生きたアハメッド・ベン・アラヴィ・バー・ジャハタブ(没1565年)という人が晩年はコーヒーだけで生きていたという話です。


 コーヒーはその後ヨーロッパに持ち込まれて、社交の場の飲み物、昼間のバーとして広まりました。いわゆるカフェの誕生です。日本語で言えば、喫茶店の誕生です。


 では、そのコーヒーはどこから来たのか?


 主にヨーロッパから来ました。日本人にとってはアフリカは地球の裏側、遠く離れた異国の地というイメージだと思いますが、ヨーロッパとアフリカはそれほど遠くなく、時差もあまりありません。また、飛行機の無い時代においては地中海を渡ればあとは陸路を通れば良いというのも大きいでしょう。


 とは言え、当時のヨーロッパの人々にとって有色人種は人間ではありません。苛烈な植民地支配が行われました。ある意味では、コーヒーとは多くの人間の悲しみと怒りの上になり立つ飲料でした。そんなこともあって、コーヒーや茶を輸入して、その利益を現地の人間に還元したいと思い立ったわけです。本当に現地の人の役に立とうと思ったら、ボランティアや寄付では不十分です。


 寧ろ、そういった行為は現地の地場産業をつぶすことに繋がりかねません。実際に、医療などの無料支給が現地の衣料産業(アパレル産業)をつぶしてしまった例もあります。現地の人の役に立とうと思ったら、雇用の創出と市場の拡大、これが一番です。


 話がこれ以上それぬ間に疲労回復の特効薬に戻すと、古くはコーヒーが疲労回復の特効薬として用いられていました。そして、時が流れ1800年代の終わりになるとアメリカでは新しい飲料が生まれました。以下精神工学研究所山西茂先生のメルマガから引用させて頂きます。



「1・誕生の歴史から怪しいコカ・コーラ


 1886年にジョージア州アトランタで世界最初のコーラ飲料コカ・コーラは産声をあげました。


 発明したのは、ジョン・ペンバートン博士ですが博士と言っても、医者というか薬剤師というか、そういう人物だったようです。


 アメリカで1865年6月22日に南北戦争が終わった翌年でした。


 じつはこのことがコカ・コーラ誕生と深い関係がありますが、知られていません。


 日本では1868年が明治元年であり、つまりこのころに明治維新がありました。


 明治維新とは日本で起きた産業革命でした。


 産業革命により、農業社会(手工業時代)から工業社会に移行したのです。


 そしてアメリカにおける産業革命が、南北戦争だったのです。


 なぜアメリカにおける産業革命が、南北戦争なのでしょうか?


 南軍はサウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州の農業地帯です。


 これらの地域は黒人奴隷を使った農業が盛んな地域であったために、リンカーン大統領の奴隷解放に反対でした。


 対し北軍は、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州などでありこれらの州では工業が盛んでした。


 つまり南北戦争は表面的には奴隷制の是非を問う形でしたが、じつは農業社会か、工業社会かを争う内戦というのが実態だったのです。


 アメリカの20世紀の社会形態を決する闘争が、南北戦争だったのです。


 歴史の流れに逆らえず、南北戦争は北軍の勝利に終わりアメリカは工業の時代に突入しました。


 工業の時代になると、人々は毎朝工場に行って仕事をするスタイルになります。


 それ以前の農業や手工業のライフスタイルは、かなり自由な仕事時間であり気ままな仕事ぶりだったのです。


 しかし急速に進む工業化により、人々は否応なしに工場に毎朝行って仕事をするスタイルを強制されました。


 これが一部の人にとって強いストレスになったと考えて間違いありません。


 さらにこれに追い打ちをかけたのが、禁酒法です。



2・酒でも飲まないとやってられないのに


 19世紀末から20世紀前半にかけては欧米諸国で社会改善運動や道徳立て直し運動が起こると同時に、禁酒運動も盛り上がりを見せました。


 ヨーロッパでは1829年にアイルランドで禁酒運動団体が発足したのを皮切りに、禁酒運動が活発化しています。


 やがてこれがアメリカにも上陸することは時間の問題でした。


 否応なしに工場に毎朝行って仕事をするスタイルを強制された人々の間で、当時ストレス発散のために飲酒が必要だったと考えて間違いありません。


 しかし、アルコールが禁止される日はすぐそこまで来ています。


 そこでジョン・ペンバートン博士は考えました。


「アルコールのようなストレス解消の飲料が必要とされるだろう」と


 そして当時は麻薬だとわかっていなかったコカの葉と、アフリカ原産のコーラの実から創った飲料を発明しました。


 これをヨーロッパ産の天然スパークリング水で割って飲むのです。


 すなわちこれが「スカッとさわやかコカ・コーラ」なのです。


 コーラの実には4%程度のカフェインを含んでいます。


 対し、コカの葉の主成分はコカインであり、コカインは覚せい剤と似たような作用をもたらします。


 すなわち多幸感と興奮を生じ、いくら働いても苦しくなく眠くもならないというものです。


 ですから最初のコカ・コーラは、働くことが苦にならない「薬品」として販売されたのです。


 それもそのはず、主成分がコカインだったのですから効果は絶大でした。


※コカ・コーラ誕生の時代は、工業化社会のストレスが蔓延する社会だった」



 という訳です。つまり、次の時代の疲労回復、ストレス発散薬として麻薬が用いられたのです。


 更に時代が進み、第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦へと突入します。この時代に各国で様々な開発競争、発明競争が行われ、科学技術が飛躍的に進歩したという正の側面もありました。そんな時代背景もあり、疲労回復の特効薬にも力が入れられ、非常に優れた薬を開発するに至りました。それは疲労がポンッと抜ける薬です。


 疲労がポンッと抜ける、こう書いただけでもう察しの良い方はお分かり頂けたと思います。そうです。ヒロポンです。ヒロポンとは商品名であり、有効成分はメタンフェタミンです。メタンフェタミンという名前から、スポーツに詳しい方は禁止薬物に指定されているアンフェタミンを類推した方も多いと思います。作用は非常に似通っており、中枢神経を興奮させることで疲労を感じにくくするようにしているのです。


 念のために少し解説をさせて頂きますと、人間には交感神経と副交感神経の両方があり、交感神経は頑張る時に必要な神経で、副交感神経は休む時に必要な神経です。このように書くと、交感神経だけが重要なように思えますが、そんなことはなくて人間の体が回復するのは副交感神経が優位になっている時です。


 例えば、花粉症の方は夜寝る時に症状がひどくなり、運動していると症状がなくなるという経験をされた方もいらっしゃると思います。花粉症というのは免疫細胞の過剰反応です。寝るときは副交感神経が活発になるので、免疫細胞が最も活発になります。


 ですから、花粉症の症状もひどくなります。また風邪をひいて寝込んでいる時も、家で安静にしていると苦しいが、仕事に行くと症状がマシになるという経験をされた方もいらっしゃるかもしれませんが、これも同じで安静にして寝ている時は、副交感神経が優位で免疫細胞も活発に働いているので、苦しいんです。


 しかしながら、体が回復しているのはこの休んでいる時です。仕事をしている時ではありません。ですから、家で休んでいる方が治りは早いのです。


 メタンフェタミンやアンフェタミンは中枢神経に働きかけ、交感神経優位な状態を作って、疲れや眠気、痛みを感じにくくする作用を持ちます。従って、疲れも感じず、眠気も感じず、死の恐怖も感じず、痛みも感じず闘うことが出来るのです。ゼロ戦乗りのエースパイロット坂井三郎さんの回想です。



「いつの頃からか、激戦からラバウルに帰ってくると指揮所の横に長方形の台机が置かれ、そこには軍医官が待っていて、馬の注射器のような大きな筒に液を満たして静脈注射を打ってくれた。葡萄糖注射である。同じところによく撃たれるのでいつの間にかそのあたりが黒ずんでしまったが、何となく元気が出る気がした。戦後、その当時の軍医官に久しぶりに会い、思い出話の中でその注射の話が出た。私はそこで思いもかけない事実を聞かされた。「坂井さん、あの注射は栄養剤として葡萄糖をうったが、もう一種類入れていたんですよ。それはヒロポンでした。あなた方は葡萄糖で元気をつけ、ヒロポンで興奮して、また飛び立っていたんですよ!」そう言われると、手首はだんだん細くなって、やせてきたようだが、いやに元気だけはあったなあと思う」

出典:『ゼロ戦の真実』



 更に当時の海軍軍医少佐、竹村多一と海軍軍医大尉横沢弥一郎は、様々な疲労状態にある46人の海軍兵のヒロポンを投与し、その効果を観察しています。


 その実験の結論は、「主観的には30分ないし1時間にして疲労を忘れ、心身の爽快を感じ、〔中略〕これを第一線将兵に用うれば、大いにその士気を鼓舞するもの」と考えられ、「副作用はほとんど問題にする程度ではない」と結論付けられ、「長期連用による影響は今後の研究にまつ」ともされています。


 ここから、この段階では、メタンフェタミンの長期投与が人体にどのような影響を及ぼすかが知られぬままに使用されていたことが伺えます。


 皆様ご存知の通り、ヒロポンはその副作用の強さから現在は製造も販売も中止されています。しかしながら、アンフェタミンは今でも入手可能です。ある種の薬にも含まれているので、その症状を病院で訴えれば入手できる可能性は極めて高いです。また、海外から輸入しようと思えば、輸入できるはずです。


 ただ、それでも使用はおススメしません。何故ならば、人間の体は交感神経と副交感神経が表裏一体となって働いているからです。確かに、交感神経を活発にさせれば(中枢神経を興奮させれば)その時は頑張れるのですが、それで疲労が消えているのではなく蓄積されていくばかりなのです。


 ですから、よくその筋の人たちが覚せい剤を用いて、三日三晩博打をした後に、死んだように三日ほど眠るという話を聴いたことがあります。そうすると、初めから普通に昼間に博打をして、夜は早く家に帰って寝れば良いじゃないかという話になります。それでも、確かに短期間におけるパフォーマンスの向上は否定できないかもしれません。


 実際に、裏麻雀の世界で20年間生き延びて雀鬼と呼ばれた桜井さんという方がいらっしゃるのですが、桜井さんは覚せい剤を打った相手と対戦したことが何度もあるそうです。普通の人間なら、へばってしまうような局面でも決してへばらずサイボーグと対戦しているような印象を受けたそうです。


 しかしながら、繰り返しになりますが、長期服用はマイナスになりますし、依存性が極めて強いので、廃人になる確率が非常に高いです。余談ですが、現在では覚せい剤と呼ばれますが、開発当時は徐倦覚せい剤と呼ばれていました。今こうやってパソコンでうっていても変換に出てこない言葉ですが、倦は倦怠感の倦です。それを取り除くための薬として開発されたのです。


 また短期でのパフォーマンス向上も懐疑的であることは述べておきたいと思います。というのは、プロのスポーツ選手がたまにドーピングとしてアンフェタミンを使用していますが、それでもパフォーマンスが劇的に向上したり、他の選手よりも優れた成績を残すわけではないからです。


 結局、コンディションの良い選手が極限の集中力を発揮した時、内因性のホルモンで(もともと体内に備わっているホルモンで)、覚せい剤を打つのと同じくらいの集中力が発揮されるのではないでしょうか。


疲労回復の特効薬の行き詰まり

 コーヒーの次、コカ・コーラの次くらいに覚せい剤が使われてしまったので、実質これ以上強い薬の開発は不可能です。というか、コカ・コーラは麻薬だったので、実質現在の基準において違法薬物に該当しないのは、コーヒーだけです。日本や中国においては緑茶や抹茶が飲まれていましたが、その中でも玉露という銘柄はエスプレッソに匹敵するカフェインを含んでいます。それでも、第二次世界大戦に徐倦薬として玉露が使われることはなく、メタンフェタミンが使用されました。


つまり、実はこの手の研究開発は実質第二次世界大戦の時点で終わっているのです。ただ、日本人はまだそのことには気づかなかったようです。ここから高度経済成長期へと突入していき、バブル経済もあり、日本人は海外からエコノミックアニマルと呼ばれるくらい働いていました。


 この時も様々な疲労回復薬が開発されましたが、結局覚せい剤よりも強いものは作れないので、様々なカフェイン入り飲料の開発がされたというだけのことです。昨今様々なエナジードリンクが出ていますが、これもそれと変わりません。


 カフェインに葡萄糖を入れれば、エナジードリンクになりますし、カフェインに生薬を入れれば栄養ドリンクになります。確かに、カフェイン抜きで生薬のみのものもたくさんありますが、基本はカフェインと生薬の組み合わせです。


 カフェインも一時的に交感神経を活発にして、疲労感を先送りにしているだけで、実際に疲労が回復している訳ではないのです。では、どのようなものが疲労回復に役立つのでしょうか?


 実は特効薬はない代わりに非常に単純な発想が用いられることになります。


 一つ目は、人間は副交感神経が活発になる時に、最も体が回復します。つまり、人間が元々持っている自然治癒力が活発になります。実は外から何かを足すという発想が行き詰っているので、結局人間が元々持っている自然治癒力を活性化するという発想に戻らざるを得ないのです。このように考えると按摩(マッサージ)や鍼灸治療が何故数千年の歴史があるのかお分かりいただけると思います。


 昔は超音波治療器や電気治療器などがなかったから、あんまや鍼灸をやっていたというのが真実ならば、あんまや鍼灸はとっくに淘汰されてなくなっているはずです。現代でもそういった仕事があるのは、現代でも有効な方法だからです。


 二つ目は、単純に疲労とは何かが不足している状態だから、それを満たせば良いということです。第二次世界大戦中の日本兵を例にとると、彼らには食べ物が不足していました。睡眠が不足していました。筋損傷からの回復が不足していました。衛生が不足していました。更に、精神的ストレスからの回復が不足していました。これらが不足している以上は、それを満たすしかありません。


 補給も滞り(食べ物や水)、新しい軍服や軍靴の支給もなく、体重の半分以上の装備を備えて休みもなく、更に昼夜逆転させ過度の睡眠不足の中、異国の地で日本アルプスを越えるような山道を400キロも行軍させてその先で戦えというのはどだい無理な話だということです(インパール作戦)。


 当時こういったことを書いたら、このブログも発禁処分を受けたと思いますが、「それならお前がやってみろ」というのがまっとうな返しでしょう。やってみれば、人間に何が出来て何が出来ないかだいたい分かるものです。


 ランナーならば、炎症反応が上がっているのであれば、炎症反応を低下させる、グリコーゲンが不足しているのなら、グリコーゲンを再合成させる、電解質を失ったら電解質を補給する、水分が不足しているなら水分を不足させる、筋損傷しているなら筋修復させる、血液が滞っているなら、血液循環を良くする、こういったことの全てが疲労の回復に役立ちます。


 つまり、これさえ注射しておけば大丈夫という疲労回復の特効薬はなく、総合的なアプローチが必要であるということです。こういった考え方が嫌われることは重々承知しております。何故ならば、分かりにくいからです。


 そんなあなたに質問です。ヒロポンをうつか、総合的なアプローチで疲労に対処をするかどちらを選びますか?


 選択はあなたにお任せしますが、後者を選ぶ方に更にご案内です。


 疲労回復は睡眠と栄養を二本柱としつつも他にも鍼灸やLLLT、超音波、マッサージなど様々な手法があります。これらに関するガイドライン(要綱)を作成致しました。栄養は『長距離走、マラソンの為の栄養学』、それ以外については『ランナーのリカバリー全集』にまとめてありますので、興味のある方は下記のリンクより詳細をご確認ください。





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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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