ブラッド・ハドソンから学ぶ長距離走トレーニング

最終更新: 2020年12月21日


スポーツでもビジネスでも勉強でも何かを学びたいと思ったら主に以下の3つの選択肢があります。

1. 実績を残した人

2. 指導実績のある人

3. 原理原則を教えてくれる人

一番目は瀬古利彦さんや中山竹通さん、高岡寿成さんに直接マラソンを教えてもらうというのがそうです。現役選手でも良いのであれば大迫さんや設楽さんに聞けば良いと思います。これは多くの人が問題点を指摘していますが、再現性の高さが圧倒的にネックになります。いくら瀬古さんや中山さんに現役時代俺はこうだったと言われてもそれは瀬古さん、中山さんだからできただけの可能性もあるということです。

二番目の指導実績のある人に教わるのが良さそうですが、これも少し曖昧な部分があります。例えば、旭化成、日清食品、コニカミノルタのようなチームの指導者であれば毎年良い選手が入ってくるので特に指導者は何もしなくてもそこそこ指導実績は上がります。特に男子の実業団は指導者も選手に任せる部分が多く、また選手の方も指導者には出来るだけ放っておいてほしいと思っている選手も少なくありません。実際、私はある強豪チームの監督さんから「才能のある選手だけではなくて、お前みたいに泥臭い奴を一から育ててみたい」と勧誘していただいたこともあります。有力選手を欲しがるのはどのチームも同じですが、反面それだけでは自分の指導能力が評価されないことを指導者自身感じているわけです。指導能力がなくても強いチームを作ることは可能で極端な話、読売が実業団やマラソンに参入すれば、簡単に強い選手を集めて強くできるでしょう。それでもかかる費用は巨人軍と比べれば雀の涙みたいなものです。

3番目は原理原則を教えてくれる人です。原理原則は万人に当てはまります。ですから、外れはあり得ません。逆に万人に当てはまらないのであればそれは原理原則とは言えません。私達が学ぶべきは原理原則を教えてくれる人です。私達はその指導者の指導実績を問うべきではありません。問うべきはその指導者が原理原則を如何に深く多段階の抽象度において理解し、応用できる能力があるかです。

アメリカのコーチブラッド・ハドソンは体系的にトレーニングの原理原則を教えてくれる名指導者でDathan Ritzenhein、Shane Culpepper、Alan Culpepper、Tera Moodyなどを育て上げました。私の知り合いではベネズエラのルイス選手(5000m13:42 10000m28:32)がコーチハドソンの下でトレーニングしています。

ブラッド・ハドソンは大学時代既にアメリカのトップ選手で将来を約束された選手でした。ところが、大学卒業後マラソンに転身した彼の成績は思わしくなく現役時代は2時間13分を二回走っただけの平凡な記録しか出せませんでした。彼は次のように述懐しています。

「私は常に同じ過ちを繰り返していた。故障とオーバートレーニングだ」

その彼が後にコーチになって生み出したトレーニングの原則は「アダプティブランニング」と名付けられました。アダプティブ(adaptive)とはアダプト(adapt)という適応するという意味の動詞の形容詞形です。適応するとは何に適応するかというとトレーニング刺激に体が適応するということです。プロ転身後の彼はトレーニングをやらなくなったわけでも節制しなくなったわけでもありません。寧ろフルタイムで取り組めるようになり以前よりもハードに練習するようになりました。しかしパフォーマンスはトレーニングによって決まるわけではありません。パフォーマンスはトレーニング刺激への適応によって決まります。

「トレーニングへの体の反応に十分に気を配ってトレーニングを修正してこなかった。これが私が犯した過ちだ」

と彼は振り返っています。そこから生まれたルールはスケジュールは鉛筆(ボールペンではなく)で書くというものです。これは例え話ではなく、本当に鉛筆で書きます。「スケジュールは絶えず修正を図らなければいけない。最終的にその日の練習を決めるのはその前の練習が終わった後だ」と彼は言います。火曜日の朝にインターバルを予定しているのであれば、月曜日の午後練習が終わった後にインターバルを予定通りするのかどうか決めます。時にはインターバルの前のアップが終わった後に疲れているように感じているのであれば、プログラムを変更することもあるといいます。

プログラムの変更の仕方

予定していたスケジュールを変更する際の彼の一番のお勧めは、予定していたプログラムを若干減らすというやり方です。10x1000mを予定していたのであれば6-8x1000mに減らすというやり方です。もう一日楽な練習を挟んで遅らせてやるという方法もありますが、これではその後のプログラムを全て変更する必要に迫られます。それよりは一日だけプログラムを変更してスケジュールに戻る方が望ましいと彼は言います。

もし6x1000mすら出来ないほど疲れを感じたらどうするか?この場合はハードな練習をまるまる削ります。そうすれば、同様に一日スケジュールを変更するだけで元通りのスケジュールに戻れます。

「これは皆さんが考えているほど簡単なことではない」と彼は言います。

「選手は常に予定通りの練習をこなしたいという意欲に駆られており、練習を削らせることは、例えそれが有益なことだと頭で思っていたとしても、予定通りの練習をこなすことよりも難しい。これをやめさせて選手を正しい方向に導くのが指導者の役割である」

選手個々に合わせたスケジュールの作成

彼が現役時代に犯したもう一つの過ちは他人のスケジュールをコピーし過ぎたということです。彼は学生時代からあらゆるトレーニングに関する本を読みこみトレーニングを学び自分のトレーニングに落とし込んだといいます。多くの長距離ランナーがそうであったようにニュージーランドの名コーチアーサー・リディアードの影響を大きく受け、ハイマイレージのトレーニングに慣れ親しんでいたといいます。

ただ体というのは同じトレーニングプログラムに対して異なる反応を示します。ですので、その体の反応に従って少しずつトレーニングプログラムは修正していく必要があるのですが、彼はトレーニングプログラムに執着し過ぎたと語っています。コーチになった後は同じ距離のレース、同じ目標タイムでもトレーニングプログラムの細部は修正を加えるべきだと考え実際ここに応じたプログラムを作成しています。

要するに、一つの種目の原理原則があるだけで一つの種目の為の一つのトレーニングプログラムがあるだけだということです。あなたの体は世界で他に二つとないもので過去にも先にもあなたは唯一の存在です。ですから、どの本を読んでもどんな名コーチに尋ねてもあなたの為のトレーニングプログラムは分かりません。唯一の方法は原理原則に沿って実際にやってみてあなたの体の反応を見ながら、推論を働かせてスケジュールに修正を加えていく。これがアダプティブランニングという言葉の意味であり、スケジュールは鉛筆で書くべきだという彼の主張になる訳です。

トレーニングの大枠

スケジュールは鉛筆で書くべきで、ここの体の反応に従って修正を加えていくべきだというのが彼の考え方ですが、勿論これはノープランとは違います。彼のトレーニングにはいくつかの原理原則があります。如何に私が重要だと思うものを簡単に抜き出したいと思います。

1. トレーニングの期分けはない

2. 一般性から特異性へ 神経筋と有酸素能力から特異性へ

3. ランニングフィットネスの第一決定因子は練習量

4. ハードな練習は週に二回

一番目から順番に解説していきたいと思います。

1.トレーニングに期分けはない

トレーニングの期分けという言葉はPeriodizationの訳語で時期の応じてトレーニングのシステムを変えることを意味します。先述のアーサー・リディアードのトレーニングシステムではマラソンコンディショニングと呼ぶ中強度の持久走を中心とする時期、ヒルトレーニングと呼ぶ上り坂を用いたトレーニングで脚筋を養う時期、インターバルに主眼を置く時期、そしてレースに向けてマラソンコンディショニングで養った有酸素能力とインターバルで養った無酸素パワーを強調させていく時期というように明確に期分けをします。

一方でブラッド・ハドソンは明確な期分けをせずに連続的に一般性から特異性へと少しずつ移行させていきます。ですので、何か一つの種類のワークアウトに主眼を置く時期というのはありません。全てを組み合わせながら少しずつ連続的に発展させていくのが彼のやり方です。

2.一般性から特異性へ 神経筋と有酸素能力から特異性へ

一般性から特異性へ移行させるということに関しては前回の記事『レナト・カノーヴァから学ぶマラソントレーニング』で詳しく解説しました。なんでもコーチカノーヴァはコーチハドソンが大きく影響を受けた指導者の一人だそうです。

コーチハドソンにとって一般性とは何かというと神経筋システムと有酸素能力によって決定されます。有酸素能力とはどれだけ効率よく酸素を用いてエネルギーを生み出せるかということであり、もう少し掘り下げてみると毛細血管密度、ミトコンドリアのサイズ、数、ミオグロビンの数の増大、血漿の増大などです。

神経筋システムとは筋力のことです。何故筋力が神経筋なのかというと筋肉と脳は常に神経を介してコミュニケーションをとっているからです。筋力を向上させるにはウェイトトレーニングで筋肥大を起こさせるというイメージが強いかもしれませんが、実際には筋力の向上にウェイトトレーニングはそこまで大きな割合を占めません。持久系競技者においてはほとんどゼロだと言ってもいいくらいです。

スプリンターが全力で走っているときのふくらはぎの筋肉を観察するととても引き締まっていてまるで全ての筋肉が使われているように思われます。しかし、実際に収縮している筋繊維の数はトップスプリンターで3分の2程度です。仮に私が全力で走った時の筋繊維の収縮率が50%だとすると筋肥大無しで10%程度今より多くの筋繊維を収縮させることがトレーニングによって可能になります。これが筋力の向上です。

この時には一本の運動神経につながる筋繊維が同時に収縮します。そして一本の運動神経につながる筋繊維の束のことを運動単位と呼びます。どれだけ多くの運動単位を動員できるかということが神経筋の向上です。イチロー選手のように一見華奢に見える選手の打球が速く、肩が強いのも神経筋が野球に特化して優れているからです。

逆にある特定のペース(例えば1㎞3分ペース)で走った時にどれだけ少ない運動単位でそのペースを維持できるのかということも神経筋の向上です。これがランニングエコノミーの改善と呼ばれる現状です。神経筋に関しては『GMO地帯にすむゴッドハンド』の中で詳細述べていますので、そちらを参考にして下さい。

理論的な部分を除けば、神経筋のトレーニングとはショートインターバルと短い距離の登板走(スプリント含む)、有酸素能力の向上とは持久走のことだと思ってください。

そして、これら持久走とショートインターバルからより実戦的なトレーニングへと発展させていきます。そして基本的にはどれだけ高いレベルの特異性が発揮できるかはどれだけ高いレベルの有酸素能力と神経筋システムを有しているかで決まります。但し、ショートインターバルも速く走れる、有酸素的土台も充分に高いレベルにある、それでも試合では良い走りが出来ない選手はいます。これは神経筋システムと有酸素能力を組み合わせて発揮するための実戦的トレーニングが不十分だからです。神経筋システムと有酸素能力と特異性、これら3つをバランスよく組み合わせていくのが彼のトレーニングシステムです。

簡単なチェックの仕方としては目標とするレースにおいて