世の中には○○メソッド、○○方式、○○のトレーニングシステムのように色々なトレーニングの仕方が乱立しています。最終的にはやり方は個々によって異なるし、やり方は色々あって良いというのも分かるのですが、その一方で、正直何が正しいのか分からない、どれを選べば良いのか分からないというのも事実ではないでしょうか?
やり方は色々あるというのと、何をやっても正しいということの間には雲泥の差があります。やはり、上手くいくやり方と上手くいかないやり方があるのは事実です。
では、そういった上手くいくやり方を全て包括するような世界共通のトレーニング理論=純粋なトレーニング理論というのは存在するのでしょうか?
今回はそんな国籍も人種も学閥もイデオロギーも超越した純粋なトレーニング理論について考えてみたいと思います。
まず一番初めに考えてみたいのは、純粋トレーニングの全体像です。そもそもトレーニングというのは何のために行うものでしょうか?
トレーニングの目的は何でしょうか?これについては明確な答えを私は持っています。それは特定の日にある距離を出来るだけ速く走るために行うものということです。これがただ単に楽しいから走るというのとは違うところです。もちろん、競技者でも走ることを楽しんでいる人はたくさんいます。私もそのうちの一人です。
ただし、ただ走るのが楽しいから走るというのと、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るのとは違うということです。どちらが良いというのはありませんし、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るということに関しても、お金を稼ぐために走る人、実業団に行きたいから走る人、良い大学に入りたいから走る人、サブ3を達成するために走る人、それぞれ目的は細分化されると思います。
それでも大きく分けると特定の日にある距離を出来るだけ速く走るためにトレーニングをするということは、痩せたいから走るとか、ただ走りたいから走るというのとは完全に分けて考えられるべきです。ですから、ここで扱う純粋トレーニング理論というのは、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るための手段であるという大前提を抑えておいてください。実際には、市民ランナーの方はトレーニングと趣味がかなりミックスされることになると思います。
例えばですが、もし私が今ほどタイムや勝負を意識して走らないのであれば、もっとレースに出るかもしれません。インターバルはもっと減らして距離走が増えるでしょう。そして、今はほとんどジョギングをしませんが、もっとジョギングを楽しむと思います。
そして、レース前のテーパリングもしないと思います。たとえ次のレースにとってマイナスになると思っていても自分が走りたいと思えばもっと走るし、レースにたくさん出ることで多少タイムが落ちると理解していても、出たいだけレースに出ると思います。
でもそれを理解してやるのと理解してやらないのとでは全く違ってくると思います。実際には、二時間十分を切りたいという訳でもないけれど、でもやっぱりタイムを縮めていくからこそ面白いという人がほとんどだと思います。特に男性はこのタイプの人が多いです。それがサブ3なのか、サブ4なのかは人それぞれですが、男性は記録に挑戦したり、ある程度の勝負があったりした方が、楽しいという人がほとんどです。
むしろ、普段は組織の歯車としての働きに徹したり、ストイックに生産性を追求する仕事ができる人ほど、趣味ではなんの生産性もなく、家族からも理解されないかもしれないけれど、がむしゃらに挑戦してみるというところに男のロマンを感じる人が多い気がします。
「何のために走ってるんだ?」と言われることも多いかもしれませんが、やっぱり「何のためでもないけど、夢中になれる」というところに男のロマンがあるでしょう。
話が少しそれてしまいましたが、純粋トレーニングの理論を考えるにあたっては純粋にある特定の日に特定の距離を出来るだけ速く走るにはどうしたら良いのかということに絞って話を進めていきます。ではある特定の日に特定の距離を出来るだけ速く走るにはどうすれば良いのでしょうか?
それを考える前にある特定の日にある特定の距離を出来るだけ速く走るというのはどういう状態でしょうか?
それはレース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるように体がトレーニング刺激に対して、適応しているということです。
大切なことなのでもう一度書いておきます。
純粋トレーニングのゴール
「レース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるように体がトレーニング刺激に対して、適応しているということ」
この基本中の基本の原則が見落とされることが多々ありますし、それが分かっていても出来ないものなので、この一文の重要性は強調しすぎても強調しすぎることはありません。この一文をそれぞれ分解して考えていきましょう。
1. レース当日に
一つ目のポイントはレース当日にということです。世間一般では、マラソンを二時間十分で走る人はいつでもマラソンを二時間十分で走れるように思われていますが、そんなことは全くありません。競技者がレース当日に絞り出すあのタイムというのは数カ月間綿密に準備をしてやっと一本だけ走れるタイムです。
換言すれば、レース当日にきちっと体調を合わせていかないといけないということです。これは良い面と悪い面があります。良い面としては、ある意味ではレースだけ頑張れば良いということです。マラソンというのは練習でできないことがレースでできるのは当たり前のスポーツです。
そして、練習ができる人とレースで結果が出せる人が違うというのも面白いです。私自身もあまり練習はできなかったけど、自分の思い描いたことが百%レースでできたなということもあれば、「あれだけ練習したのに最悪の結果だ、もう走ることから足を洗ってやる」と思ったこともあります。
私自身は長距離走やマラソンでは一回一回の練習では大した練習ができていないのに、継続的に賢明に練習を続けてレースで結果を出したり、勝負に勝ったりということに醍醐味を感じます。長距離走やマラソンでは練習でできないことがレースで出来るということは当たり前なのです。
ということは、賢く練習を組み合わせて、レース当日に心身ともに最高の状態を作ることが出来れば肉体的な能力が自分よりも上の選手にも勝てるということです。そこに知的スポーツとしての陸上競技の魅力を感じます。
上手くいった時は知的スポーツとしての陸上競技の楽しさがこれ以上ないほど味わえるでしょうし、逆に上手くいかなかった時もやはり、知的スポーツとしての陸上競技の楽しさを味わえます。自分自身の馬鹿さ加減に気が狂いそうになりながらも、ただただ努力するだけでは結果が出ないという実体験は、長距離走やマラソンの知的な面白さを思い出させてくれます。
2. レースの距離を目標とするペースで
レースの距離を目標とするペースでということもよく見落とされるポイントです。これはどちらか片方ではないということです。これは距離が短くても同じです。ある年のインターハイで洛南高校のマイルリレーのチームが優勝した時のことです。
その年の洛南高校のマイルリレーのチームは練習では200mまでしかやりませんでした。何故かというとその年のインターハイの日程では、間がそこまで詰まっておらず、予選、準決勝、決勝と充分に回復する時間があったからです。
勿論、どの選手も近畿インターハイまでの予選を突破して、インターハイに臨む選手ですから400mを速く走るのが初めてという訳ではありません。400mをインターハイで優勝するということを考えた時に、最高の舞台で他の選手と競り合えば、何としても400mは走りきる、でも速く走れないと勝てない、そこまで考えた上で練習では200mまでしか走らせなかったそうです。
結果として、インターハイでは洛南の選手はバトンを渡した後にバタバタ倒れたそうです。でも、予選と準決勝、準決勝と決勝の間にしっかりと回復して、決勝でもしっかりと走りきりました。
たとえ距離が400mであったとしても、レースの距離を目標とするペースで走りきるということを考えてトレーニングを組むことが重要です。勘違いして欲しくないのは、私はとにかくスピードが重要だと言っている訳ではないということです。400mの選手でも300mで失速したら勝てませんから、ゴールまでもたせる必要があります。
でもゴールした後の余裕度とは全く関係がありません。バトンを渡したらもう倒れても良いんです。5000mだって抜かれるのが5001mなら大丈夫ですが、4999mで抜かれたらスタミナ切れということになります。
レースの距離を目標とするペースでという両方が大切になります。何故、わざわざこんなことを書くかというと陸上の経験を積めば積むほど、この大原則を忘れてしまいがちになるからです。知識がつくとインターバルをやったり、持久走をやったり、流しをやったり、動きづくりをやったりと色々なことに取り組みます。
次第にそれが当たり前になっていきます。そうすると、練習でのレベルを上げることに夢中になりすぎてレース当日に目標とする距離を目標とするペースでやるということが忘れられていきます。
その結果として、練習量がどんどん増えるのにタイムは速くならないとか、インターバルのタイムはどんどん速くなるのに、タイムは速くならないということが多々あります。勿論、インターバルのタイムが速くなることも、こなせなかった練習量がこなせるようになることも素晴らしいことです。その進歩が無駄になることは絶対にありません。ただ、その時に最終的な目的は頭に入れておかないといけないということです。
3. トレーニング刺激に対して体が適応していること
3つ目のポイントはトレーニング刺激に対して体が適応しているということです。陸上競技を初めたばかりの人にとってはこれが一番馴染みがないと思います。またすでに走り始めて何年も経っている人も、この点を見落としやすかったり、分かってはいるけれど、忘れがちなポイントになるので、もう一度よく考えてみてください。
ランニングにおいては、そして距離が長くなればなるほど、その練習ができるということと、そのトレーニング刺激に対して適応するということは全く違うものです。私は今まで少なく見積もって50人以上のサブテンランナーに話を聞いてきましたが、何度も「一番良い時は四十キロ走を二時間八分でやったけど、結局自分にとっては二時間十三分くらいがちょうど良かった」みたいな話を聞きました。
これは一例として四十キロ走をあげましたが、インターバルなどのスピード練習でも同じですし、つなぎの練習でも同じことです。
ある練習ができるということと、継続的に体がトレーニング刺激に対して適応するということは全く違います。適応という言葉が分からない人のために説明しておくと、適応とは体がある刺激に対して慣れていくもしくは対応できるようになるということです。
例えばですが、普段全然走らない人は五キロ走っただけでも筋肉痛になりますが、同じペースでの五キロを何回かやっていると筋肉痛にならなくなっていきます。仮にこの時五キロを二十五分で走っているとしましょう。そうすると、体が五キロを二十五分で走るということに対して、適応したということが出来ます。
今までやってこなかったことをやり始めた当初というのは、比較的簡単に刺激に対して適応していきます。このため、初心者の人というのはやればやるほど速くなっていくことがほとんどです。そのため初心者の人ほど「やればやるほど速くなる」ということが実感としてあり、「速くならないのは努力が足りないからだ」という考えに陥りがちです。
ところが、レベルが上がってくると「やればやるほど速くなる」訳ではないことが実感を伴って理解せざるをえなくなり、実業団レベルになれば、トレーニングに対して体が不適応を起こすということは普通の現象になります。やらないと結果は絶対に出せないということは明らかなのですが、体が不適応を起こして結果が出ないケースがたくさん出るのも明らかな事実です。レベルが上がれば上がるほど、このジレンマに悩まされることになります。
もう少し簡単に説明を加えると、トレーニング刺激をかけて、まず先に回復します。あるトレーニング刺激をかけると、普通は一時的に能力が落ちます。1000mのインターバルを10本やって、その一時間後にもう一回同じことをやれと言われても普通はできません(出来たとしたら、負荷が低すぎます)。体が疲れてしまっている状態です。
ですが、1日か2日、ハードではない有酸素ランニングでつなげば、またもう一度同じことができるようになります。ただし、これは回復であって、適応ではありません。元の状態に戻っただけです。そこからさらに時間が経って体が適応します。適応すると、以前にやっていたよりも速いペースで走れるようになります。これが体がトレーニング刺激に対して適応したということです。
適応という言葉は別の言葉で言い換えると超回復です。超回復というのは何も全身マッサージをして、美味しい食べ物を食べて、酸素カプセルに入ってマルチミネラルを摂って、すごい速さで回復することが超回復ではありません。超回復というのは、単に回復したという状態を超えて、さらに体がトレーニング刺激に対して適応することを超回復と言います。ですから、順番としてはトレーニング→回復→適応(超回復)という順番になります。
このトレーニング刺激に対して体が適応していく過程は、高強度なレジスタンストレーニング(日常言語で言えば、きつい筋トレ)のモデルで説明されることが多いです。このモデルでは高強度なレジスタンストレーニングをして傷ついた筋組織は四十八時間から七十二時間かけて修復され、そして修復が完了した後にはそのトレーニングをする前よりも強い筋組織になっているというモデルで説明されます。
しかしながら、このモデルは少し単純すぎます。長距離走のトレーニングというのはこのモデルで解説されているよりももっと複雑です。何がこの複雑さを生み出しているかというと、持久力のつきにくく落ちやすいという特性です。さらに言えば、長距離走というのは継続的なトレーニングにより力がついていくということです。
ですから、高強度なレジスタンストレーニングで説明されるような単純なモデルで負荷をかけて四十八時間から七十二時間何もせずに休んでいれば超回復によって強くなるというモデルにはなっていません。
実際には短期でも、中期でも、長期でも様々なトレーニング刺激を組み合わせ、トレーニング刺激に波をつけながら、負荷と回復を繰り返しながら、トレーニング刺激に対して適応させていきます。
ですが、これには忘れてはならない一つの条件があります。それは、レース当日にかけたトレーニング刺激に適応していなければならないということです。これも単純すぎるほど単純な原則なのですが、これを実際にやるのはなかなか難しいです。
手持ちのお金は少しでも多い方が良いものです。誰もがレースの直前まで出来る限りトレーニング刺激に対して適応したいと思っています。そして、少なくとも落としたくないと思いっています。
しかしながら、レース当日に落ちておらず、さらに全てのトレーニング刺激に対して適応出来たというパターンはなかなかありません。往々にして起こるのは、レース当日には体がまだトレーニング刺激に対して適応しておらず、十分な結果が得られなかったり、もしくはレース当日よりも早くピークが来てしまい、レース当日にはもう下り坂になっていたというパターンです。
トレーニング刺激に対して体が適応するということを考えた時に、レース当日に目標とする距離を目標とするペースで走りきれるようにトレーニング刺激に対して体が適応していなければいけません。
何度も説明しますが、このトレーニング刺激に対して適応するというのはいくつもの波があるのです。例えば、少し休養期間を設けて再びトレーニングを初めた時というのは、体がすぐにトレーニング刺激に対して適応するので、久しぶりにファルトレクをすれば、その四日後にはもう体が適応するということもあり得ると思います。
ですが、ある程度トレーニングを積んでくると、ここまですぐに体がある刺激に対して適応するということはあり得ません。私の場合は、二週間ハードに練習して、その後一週間楽な週を挟むと、その次の週には前回のハードな二週間では出来なかった練習ができるようになっています。この場合、二週間ハードで、一週間は楽な週、合計三週間のサイクルです。
私が洛南高校で陸上競技をやっていた時は7月の終わりから8月は合宿で走りこみます。ここで疲労がたまるので9月は皆走れません。その後、9月、10月、11月と疲労を抜いていって走れる状態を作っていきます。この場合は数カ月かけて体がトレーニング刺激に対して適応していっています。
大雑把に言えば、一週間以内の波、数週間の波、数カ月の波の3つくらいの組み合わせだと思ってください。年単位の波はあるのでしょうか?
これはあると言えばあるし、ないと言えばないようなものです。厳密に言えば、きっとあるんだと思います。ですが、実際にはあったとしても、実感としては感じられないでしょう。そもそも練習計画を立てる時に今年はレースで結果が出なくても良いからとにかく練習を詰めこんで、体を疲れさせて、来年は練習を軽めにして一気に体をトレーニング刺激に適応させよう、というのは非現実的ですし、上手くいかないと思います。
私の経験上は、数カ月の波でも少しスパンが長いのではないかと思います。鍛練期とレース期を作ることは良いことだと思うのですが、一夏追い込んで継続的に適応できないような負荷をかけていくと、それに対して適応するのは難しくなってしまいます。今日自分が食べられる限界まで食べても1ヶ月食べないと餓死の危険性が出てくるというのと同じことです。
ある程度はこまめに負荷と適応のサイクルは回すべきです。ただ、自然と数カ月のサイクルも生まれると思います。自分が意識しないうちにレースが近づいて練習を軽くしていくと、1ヶ月前、2ヶ月前の練習がいきてくるということはよくあります。
もっと言えば、意識的に年単位のサイクルを作るのはあまり良い考えではありませんが、結果的にそうなることもあります。一年間オーバートレーニングでレースで意図したような結果が得られなくても、長期で見れば体が適応していて、次のシーズンで爆発することもあります。こういう時人は「いきなり速くなった」と言いますが、いきなり速くなったのではありません。今まで着実にトレーニング刺激をかけてきたけど、上手くいかなかったのが、ある時を境にトレーニング刺激に対して急に適応し始めたのです。
実はオーバートレーニングというのは、トレーニング刺激という単一の要素で決まるわけではありません。同じ練習をしていても栄養状態や睡眠状態、その選手の心理的なストレスや走力などによって適応するのか、不適応を引き起こすのかは変わります。
私が洛南高校に入った時、恩師の中島道雄先生は60歳を超えており、数十年間のキャリアを持っておられました。数十年間の経験の中で、高校生にはこういう練習をさせれば良いというのは当然分かっておられる訳です。
ところが、毎年同じようにやっていても、調子が上がってくる時期に差がありました。先述したように7月の終わりから8月の合宿で追い込んで9月は疲労抜きの時期、10月はレースもありながら、少しインターバルなどが増えてきます。11月の頭には京都府高校駅伝があり、そこからさらに12月終わりの全国高校駅伝に向けて調子を上げていくというのが毎年のパターンです。10月にある日本海駅伝では洛南高校の選手はまだ調子の上がらない選手が多かったのですが、11月、12月と着実に状態を上げていっていました。
ところが、状態が上がる時期に差がありました。強い選手が揃っている年は、夏合宿の後状態が上がる時期が早かったんです。一方で、力の無い学年は状態の上がってくる年が遅かったんです。やはり、同じ練習をした時に、力のある選手は速く回復するし、力のない選手は回復に時間がかかります。トレーニングだけ見ていても、その刺激に対して体が適応するかどうかはわかりません。
もう一つの例をあげましょう。これは私のコーチであるディーター・ホーゲンから聞いた話です。世界でもトップクラスの選手と世界でもトップとは言えないけど、国際レベルの選手が一緒に練習した場合、トップクラスの選手はハードな練習の後もすぐに回復するから、継続的に練習ができて力をつけていくけど、国際レベルの選手は同じ練習は出来るけど、回復に時間がかかり、次のハードな練習までに回復しない、これを繰り返していくうちに国際レベルの選手とトップクラスの選手が一緒に練習すると国際レベルの選手はどんどん弱くなっていくということです。
ここで見逃してはならないのはとりあえず、国際レベルの選手もトップクラスの選手と同じ練習がこなせているということです。この話から分かることは、出来るということと、それをやるべきかどうかはまた別の話だということです。
純粋トレーニングの原理原則
さて、ここまで詳しくトレーニングの目的とその目指すところについてみてきました。トレーニングのゴールは「レース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるだけ体がトレーニング刺激に対して、適応しているということ」です。ではそのゴールを達成するための唯一無二の理論はあるのでしょうか?
答えはイエスです。もちろん、正しい唯一無二のトレーニングプログラムはありません。トレーニングプログラムは過去2、3年のトレーニング歴やこれまでのランニング歴、次にピークを合わせるレースの日時やそのレースの距離、自分が生まれ持った特徴(持久型かスピード型か)、現在の走力などなど色々なものに左右されます。
ですが、そのトレーニングプログラムを作成するにあたっての理論は一つしかありません。古今東西のマラソンランナーは本人が意識しているか意識していないかは分かりませんが、全員共通の理論に基づいてトレーニング計画を立てています。逆の言い方をすれば、結果を出している人のトレーニングには全て共通点があるということです。
最終的にはどんなやり方でも良いのですが、そこに至るまでの過程には必ず原理原則があるということです。その大原則となる原理原則とは以下のようなものです。
1. トレーニング刺激と適応の原理(超回復の原理)
2. オーバーロード(過負荷)の原理
3. 維持の原則
4. 特異性の原理
5. 収穫逓減の法則
6. リスク急増の法則
7. 重要性漸増の法則
8. 特異性漸増の法則
では、以下に順番に見ていきましょう。一つ目のトレーニング刺激と適応の原理についてですが、これはここまでで詳細に解説してきたので良いでしょう。
オーバーロード(過負荷)の原理
過負荷の原理はトレーニング刺激を徐々に増やしていくというものです。例えばですが、私がいまだに高校生の時と同じ練習をしていたのでは成長はないでしょう。トレーニング刺激は徐々に増やしていかないとそれ以上はその刺激に対して体が適応しません。
普通はみんな速くなりたい、良い結果を出したいと思って練習しているので、焦らずに取り組むということが重要になるのですが、でもちょっとずつトレーニング刺激を増やしていかないとあるところを境にそれ以上の結果は望めなくなります。これが過負荷の原理です。
維持の原則
維持の原則というのは人間というのは一度到達したところに到達するのは心理的にも肉体的にも一回目に到達するよりも簡単だという原理原則です。これはなんとなく分かってもらえると思います。
初めてハーフマラソンで65分で走れるようになるまでは私もかなり苦労しましたが、今ではハーフマラソン65分とか64分くらいまでなら基礎トレーニングだけで走れます。もっと言えば、中学校の時は調整をきちんとして、最高の走りをしないと三千メートルで八分台は出ませんでしたが、今では三千メートル八分台くらいはいつでも出せます。
これが維持の原則です。これはレースの結果だけではなく、練習についても言えることです。練習を捉える時に、一個一個の練習だけではなく、ある程度まとまった塊として見る必要があるのですが、その塊として考えた時にも同じことが言えます。
例えば、二週間を一つの塊として考えた時に、以前に組んだ二週間のトレーニングの負荷や組み合わせを休養期間を挟んだ後もう一回やるというのは比較的簡単です。ただし、今まで一度もやったことがないくらい練習を詰め込んで二週間の塊をやる場合にはある程度のリスクが伴いますし、こなせないかもしれません。
これは例え一回一回の練習だけ見れば、すでに過去にやったことがある場合でも同じです。例えばですが、私は過去に四十キロ走を二時間十一分でやったことがあります。三十五キロ走を二十キロまでは中強度で走り、残りの十五キロは一キロごとに二分五十五秒と三分二十秒を繰り返しながらの変化走でやったこともあります。二キロを五分五十九秒から五分五十秒、一キロを三分十秒前後という変化走で二十キロ走ったこともあります。四百メートル二十本のインターバルを平均六十五秒でやったこともあります。でも、それらすべての練習を一週間に詰め込んだことは一度もありません。
そうすると、すべて一度やったことのある練習ですが、それを一週間の間に詰め込むと初めて到達するトレーニングの負荷になるので、こなすこと自体が難しいですし、例えできても体が適応するかどうかはかなり微妙です。というより、ほぼ確実に壊れると思います。
ですから、この維持の原則というのはレース結果、一回一回の練習、トレーニング全体の全てにおいて当てはまることです。
またこれに加えてですが、異なるトレーニング刺激に重点を置いていくつかのトレーニングの期間を組み合わせる人もいると思います。一番典型的なパターンはマラソンランナーがトラックシーズンとマラソンシーズンやマラソンシーズンとロードレースシーズンを分ける場合です。
例えば野口みずきさんはトラックやハーフマラソンに重点を置いてやる時は、四十キロ走というのはしないそうです。長くても三十キロまでです。一方でマラソントレーニングに入るとスピード練習の頻度は落ちますし、スピード練習の内容も5000mのレースに照準を絞ってやる時とは違う内容になります。
それでもマラソントレーニングで培った力はトラックシーズンでもある程度(あくまでもある程度)維持されていますし、逆にマラソントレーニングの時期に入ってもトラックシーズンで培った力はある程度維持されます。
ちなみにですが、維持の原則は初めて到達するよりは二回目、三回目、四回目となるにつれて容易になるという原則であって、何もしなくても維持できるという訳ではありません。休むと落ちるのは当然ですし、走り続けていても長い距離をゆっくり走る練習ばかりしていると、短い距離を速く走る能力はどんどん落ちていきます。逆も同様です。
特異性の原理
特異性という言葉は運動生理学でしか聞かない言葉だと思います。他には物理学や数学では一般解では求められない解のことを特異点と言います。要するに特異点とはちょっと特別な点のことであり、特異性というのはちょっと特別な性質ということです。特異性の反対は一般性です。特異性という言葉が分かりにくい人は特別とか特化という言葉だと思って頂いても良いと思います。
特異性の原理というのは、人間はあるトレーニング刺激に対して特化して適応するということです。ランニングをすれば、ランニングに特化するし、自転車を漕げば自転車に特化するし、野球のバットばっかり振ればバットスイングに特化するという原理です。
ただし、この原理はやや強調されすぎている気がします。特異性の原理の時にいつも出てくる例が「極論すれば、5000mの練習は5000mのタイムトライアルが一番良い」というものです。
ですが、洛南高校のマイルのチームが練習では200mまでしか走らなかった例を思い出してください。必ずしも400mのチャンピオンになるためのベストなトレーニングが400mのタイムトライアルとは限りませんし、何れにしてもいろいろなトレーニングの組み合わせが重要であることは強調しておきます。
ですが、特異性の原理も決して忘れてはいけない原理原則です。この原則を頭に入れておかないと、インターバルのタイムはどんどん速くなるのに、レースのタイムが上がらないという結果になります。あるいは練習量がどんどん増えているのに、レースの結果は良くならないという結果になります。
マラソンをたった一回で良いから速く走る能力は月間1000km走る能力とはまた違いますし、5000mを速く走る能力は間に200mのジョギングを挟んで400m15本をできるだけ速く走る能力とも違います。
何れにしてもトータルで考えた時には、5000mのレースに出るなら、5000mに特化した練習をする必要があるし、マラソンに出るなら、マラソンに特化した練習をする必要があります。ダイエーの中山竹通さんがマラソンのチームとして立ち上げたのに駅伝をやるようになったダイエーに対して、「マラソンに必要なのは持久力、駅伝に必要なのはスピード。全く違うものをミソクソ一緒にして上手くいく訳がない」とおっしゃっていたのは有名な話です。
収穫逓減の法則
収穫逓減(しゅうかくていげん)の法則というのも日常生活ではあまり聞かない言葉ですね。収穫逓減の法則というのは元々は経済学の用語で、かけるコストを上げれば上げるほどリターンは増えるが、単位コスト当たりのリターンは徐々に減っていくというものです。例えばですが、私の会社の広告費をかければかけるほど、私の会社の売り上げは増えていきます。どこかに潜在顧客は必ずいる訳ですから、広く認知されれば収益が増えるのは当然です。
ですが、私の会社の商品は少しコアなニーズで、ランナーの人でも買わない人は絶対に買いません。ランナー以外でも栄養や心理系のコンテンツなら興味のある人はいると思いますが、買う人の割合は減るでしょう。さらに多くの人に認知されようと宣伝広告費をかけても日本語がわかる人でなければ、日本語のコンテンツは売れません。ということは、広告宣伝費をかければかけるほど、売上は上がるけれど、一円当たりの広告宣伝費が生み出す売上は減っていきます。これが収穫逓減の法則です。
もう少し分かりやすいように具体的に数字を出してみましょう。例えばですが、100万円の広告宣伝費に対して100万円の売り上げが上がったとしましょう。そこで私は「よし儲かった」と思って、調子にのり200万円の宣伝広告費をかけました。そうすると、380万円の売り上げが上がりました。売上は上がってはいますが、一円当たりの広告宣伝費に対する売上高は落ちています。2倍の宣伝広告費に対して、売上は1.9倍です。
ここでさらに調子にのって400万円の宣伝広告費をかけました。そうすると、600万円の売り上げが上がりました。やはり売上は上がっていますが、4倍の宣伝広告費に対して、売上は3倍です。宣伝広告費一円あたりの売り上げはさらに落ちました。
しかしながら、さらに調子にのった私は一億円の宣伝広告費をかけました。そうすると、1億円の宣伝広告費に対して、800万円の売り上げが上がりました。100倍の宣伝広告費に対して、売り上げは8倍です。
これが収穫逓減の法則です。初めはちょっとやると大きなリターンが得られますが、徐々に単位当たりのコストに対するリターンは減っていき、最終的にはそれ以上のコストをかけてもリターンはほとんど変わらなくなります。もしくは全く変わらなくなります。そして、かけたコストとのプラスマイナスで考えるとマイナスになる瞬間が来ます。
これをトレーニングに置き換えてもそのまま当てはまります。トレーニングの負荷とリターンはお金のように分かりやすい数字では表せませんが、関係性としてはそのようになっています。
これを多くの世界選手権、オリンピックのメダリストやメジャーマラソンのトップ3を輩出して来たイタリア人コーチのレナト・カノーヴァに言わせると「トレーニングは今までやって来たことをさらにやるよりも、やってこなかったことをやることで大きな向上を得ることができる」ということになります。
この話からも分かるように、収穫逓減の法則も多面的に働きます。トレーニングの負荷全体に対しても収穫逓減の法則が働きますし、持久系、スピード系のように細分化していっても同じ原理が働きます。
インターバルをガンガンやってる人がさらにインターバルを加えても、向上はあまりみられませんが、全くインターバルをやっていない人がインターバルをやると大きな向上がみられます。私が市民ランナーの方でスピードトレーニングを入れていない人に一週間に一回で良いから入れた方が良いとアドバイスするのは、この原理が最も大きな理由です。
リスク急増の法則
リスク急増の法則は、収穫逓減の法則を完全に反対にしたものです。トレーニングの負荷を徐々に増やしていったときに、故障やオーバートレーニング、感染症のリスクは、ある地点を境に急増します。実は極限までトレーニングを積んでいる競技者よりも適度に運動している人の方が健康です。極限まで練習すると故障やオーバートレーニングだけではなく、免疫力の低下による感染症の罹患率まで上がります。
これは先ほどの私の会社の広告宣伝費と売り上げの関係性について例えると分かりやすいと思います。広告宣伝費を100万円から200万円、200万円から400万円とかけていくお金の量を増やしても、会社に残っているお金の範囲内であれば、大したリスクはありません。
それがかける額を増やしてき、会社に残っている額をさらに超えて借金をするということになると、リスクは一気に多くなります。これも銀行から借りられる範囲の額なら大したリスクではありません。ただ、ちょっとややこしい人からお金を借りてくると、リスクは一気に跳ね上がります。徐々にリスクが増えていくのではなく、ある地点を境に急増するのです。
これもお金なら数字で表せますが、トレーニングの負荷というのは数字で表せないので少々厄介ですが、ただ原理原則としては同じです。そして、会社に残っているお金(貯金)は過去のトレーニング歴や現在有している体の余裕度だと思ってください。
維持の原則に戻ると、過去にすでに経験したことのある範囲内であれば、それほどリスクはありません。過去に練習していればしているほど、クッションは多いのです。私自身で言えば、中学生の時の練習くらいはほとんどリスクがないでしょう。高校の時の練習もきついけど、リスクはほとんどないでしょう。
大学に入ってくると練習が増えて来て、大学時代の一番良い練習をしていた時期の練習となると、かなり集中しないと出来ません。ただ、初めてやる時よりはかなりリスクは低いです。そして、去年のニュージーランドでやっていた練習となると、リスクがバーンと跳ね上がります。むしろ、スポンサーがついていて練習と休養だけに集中していた当時と、仕事をしながら走っている今の自分を比べるとなると、ちょっときついかなという感じです。
中学、高校、大学、去年のニュージーランドと比較して練習の負荷が増えるにつれて徐々にリスクが上がる訳ではありません。やはりある点を境に急激に増えていきます。そして、ニュージーランドでやっていた練習をさらに超えて負荷をかけると壊れる確率がほとんどでしょう。
では私は中学、高校では常にサボっていたのでしょうか?
そんなことはありません。当時は当時で、私なりに真剣に取り組んでいました。ではなぜ、今の私なら中学高校時代の練習に対して、非常にリスクが低いのに、当時は壊れるか壊れないかのギリギリのところでやっていたのでしょうか?
それは今の私は過去にトレーニングを積んで来たのに対して、中学、高校時代の私は今の私ほど過去にトレーニングを積んでいないからです。
資本額が多ければ多いほど、投資額を大きくしてもリスクが低いのと同じです。
重要性漸増の法則
重要性漸増の法則というのは、私が考案した法則なので、他の本を見ても書いていないと思います。ただ、言っていることはもの凄く当たり前のことなのでご安心してください。この法則はレースが近づけば近づくほど、全てにおいて重要性が増していくという法則です。
例えばですが、レースの1ヶ月前に風邪をひいて3日ほど休んでも影響はあまりないでしょう。3ヶ月前なら無いと言って良いでしょう。ですが、レースの3日前に風邪をひくと問題は深刻です。
故障についても同じことが言えます。3ヶ月前に一週間走れない時期があっても、修正は容易です。1ヶ月前から三週間前まで走れなくてもなんとかなるでしょう。これが10日前から3日前まで故障で走れないとなると状況は絶望的です。
故障や風邪とまではいかなくてもすべての練習において同じことが言えます。3ヶ月前や半年前の練習というのはレースには直結しません。思うように走れない時期があっても、修正は容易です。ただ、レースが近づけば近づくほど、疲労感などで思うようなタイムや感覚で走れないとレースへの影響は大きくなります。
これは逆も同じです。本来は練習の負荷は少しずつ上げていくのが望ましいのですが、レースから遠い時期に思うような練習ができなくても、レース前に思うような練習ができてなおかつ疲労感が残らなければ、レースでは良い結果が望めます。
体調面、練習面、全てにおいてレースが近づけば近づくほど、重要性が増します。もしも、中学生、高校生で駅伝や長距離走をやっているお子さんをお持ちの方は、この原則を必ず理解してあげてください。人によってルールは違うと思いますが、レースから遠い時期には比較的体重管理ものんびりしていて、時にはお菓子を買い込んだり、友達とご飯を食べに行って夜更かしするような子でも、レースが近づくとガラッと変わることも多々あります。
特異性漸増の原理
この特異性漸増の原理というのも、言葉としては聞いたことがありません。私の造語になるかもしれません。ですが、それが意味するところは成功している長距離ランナーや指導者の方達が経験的に知っていることです。これはレースが近づけば近づくほど、練習を一般性から特異性へと移行させていくということです。
トレーニングのゴールはレース当日にある距離を目標とするペースで走りきれるようにトレーニング刺激に対して適応することです。陸上競技の本質はある日にある距離を出来るだけ速く走ることです。では、それを達成するためにはどうすれば良いのでしょうか?
それは基礎的な力をつけることです。では基礎的な力とは何でしょうか?
基本的にはレースの距離よりも短い距離を速く走ること、レースよりも長い距離をゆっくり走ること、そして、全体の練習の負荷を増やすことです。これは多段階で考えられるべきものです。例えばですが、マラソンに出ると考えてレースの距離よりも短い距離を速く走ることが基本の一つになります。
しかし、マラソンよりも短い距離を走るというのはかなり幅が広いです。基本的には三十キロを速く走る必要があり、そのためにはハーフマラソンを速く走る必要があり、さらにそのためには10000mを速く走る必要があり、5000mを速く走る必要があり、5000mと10000mを速く走るためには、1000mや400mのインターバルを速く走る必要があり、さらにそのためには100m以内のダッシュをすることもトレーニングの一つかもしれません。このすべてが基礎となります。
これは持久面で考えても同じです。5000mのための練習でも、ゆっくり長くと言っても二十キロを一キロ四分ペースで走るのか、一キロ三分三十秒で走るのか、10000mを三十一分四十秒で走るのか、色々なパターンが考えられます。さらには全体の練習量も関係してきます。
何れにしても土台がしっかりしていればしているほど頂点は高くなります。ですから、この土台を高くすることが物凄く大切です。最近はマラソンのタイムが上がってきていますが、これはトラックや駅伝のレベルが上がっているからでもあります。
でもやっぱり特異性の原理を無視することはできません。ですから、土台は高ければ高いほど良いのですが、レースが近づいてきたら、レースで結果を出すためのトレーニングが求められます。
そして、レースで結果を出すためのトレーニングがレースに近い練習を取り入れていくことです。トラックであれば、重要なレースに出る前にいくつかテストレースを取り入れるのも普通のことです。
経験のある人も多いと思いますが、しっかりと基礎練習ができている状態で、何本かレースを走ると調子が急に上がります。ただし、通常それは長続きしません。私の経験や他の選手を観察してきた結果、だいたい六週間くらいが普通です。特に学生時代は4月からトラックシーズンが始まっても、レースが7月くらいまであるので、4月から絶好調という選手はたいてい6月、7月にはもう調子を落としていました。
レースに出ることが悪いということではなく、毎回毎回のレースでしっかりと調整をして、基礎練習をおろそかにしていると、6週間あたりで頭打ちになるということです。レースに出るとしても、その辺りを頭に入れて自分がピークを持っていきたいレースに向けて仕上げていく必要があります。
特異性、一般性というとこの二つのタイプのトレーニングに真っ二つに別れるように思われるかもしれませんが、二つにスパッと別れるわけではありません。最も基礎的なトレーニングから特異的なトレーニングまで連続的に連なっています。
例えばですが、同じ1000m5本という練習でも、400mつなぎよりも200mつなぎの方が、特異的です。
何故なら、レースでは休息を取らないからです。従って、休息の距離が短ければ短いほど、特異的ということになります。これらは比較の概念であって、絶対的にこれは基礎的な練習、これは特異的な練習と分類できる訳ではないのです。ですが、5000mのレースに出るのであれば、5000mのタイムトライアルは特異的な練習で、200m20本という練習は基礎的な練習でしょう。でも、その境目はどこかと考えたときに、はっきりと線を引ける訳ではないのです。
練習は必ず基礎から始めてレースに近い刺激へと近づけていくというのがこの原則です。
実はここまでは『池上秀志全集1』に収録されている『純粋トレーニング批判』という電子書籍の一部です。
『池上秀志全集1』は10冊合わせて15000円分の電子書籍を一冊の紙の書籍にまとめてたった1万円の自己投資でお読みいただけるお得な書籍です。
長距離走・マラソンが速くなりたい方には絶対にピッタリな1冊です。是非こちらをクリックして詳細をご確認いただきたいのですが、いかがですか?
Comments