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世界共通の純粋なトレーニング理論とは?

更新日:5月24日

 世の中には○○メソッド、○○方式、○○のトレーニングシステムのように色々なトレーニングの仕方が乱立しています。最終的にはやり方は個々によって異なるし、やり方は色々あって良いというのも分かるのですが、その一方で、正直何が正しいのか分からない、どれを選べば良いのか分からないというのも事実ではないでしょうか?


 やり方は色々あるというのと、何をやっても正しいということの間には雲泥の差があります。やはり、上手くいくやり方と上手くいかないやり方があるのは事実です。


 では、そういった上手くいくやり方を全て包括するような世界共通のトレーニング理論=純粋なトレーニング理論というのは存在するのでしょうか?


 今回はそんな国籍も人種も学閥もイデオロギーも超越した純粋なトレーニング理論について考えてみたいと思います。


 まず一番初めに考えてみたいのは、純粋トレーニングの全体像です。そもそもトレーニングというのは何のために行うものでしょうか?


 トレーニングの目的は何でしょうか?これについては明確な答えを私は持っています。それは特定の日にある距離を出来るだけ速く走るために行うものということです。これがただ単に楽しいから走るというのとは違うところです。もちろん、競技者でも走ることを楽しんでいる人はたくさんいます。私もそのうちの一人です。


 ただし、ただ走るのが楽しいから走るというのと、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るのとは違うということです。どちらが良いというのはありませんし、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るということに関しても、お金を稼ぐために走る人、実業団に行きたいから走る人、良い大学に入りたいから走る人、サブ3を達成するために走る人、それぞれ目的は細分化されると思います。


 それでも大きく分けると特定の日にある距離を出来るだけ速く走るためにトレーニングをするということは、痩せたいから走るとか、ただ走りたいから走るというのとは完全に分けて考えられるべきです。ですから、ここで扱う純粋トレーニング理論というのは、特定の日にある距離を出来るだけ速く走るための手段であるという大前提を抑えておいてください。実際には、市民ランナーの方はトレーニングと趣味がかなりミックスされることになると思います。


 例えばですが、もし私が今ほどタイムや勝負を意識して走らないのであれば、もっとレースに出るかもしれません。インターバルはもっと減らして距離走が増えるでしょう。そして、今はほとんどジョギングをしませんが、もっとジョギングを楽しむと思います。


 そして、レース前のテーパリングもしないと思います。たとえ次のレースにとってマイナスになると思っていても自分が走りたいと思えばもっと走るし、レースにたくさん出ることで多少タイムが落ちると理解していても、出たいだけレースに出ると思います。


 でもそれを理解してやるのと理解してやらないのとでは全く違ってくると思います。実際には、二時間十分を切りたいという訳でもないけれど、でもやっぱりタイムを縮めていくからこそ面白いという人がほとんどだと思います。特に男性はこのタイプの人が多いです。それがサブ3なのか、サブ4なのかは人それぞれですが、男性は記録に挑戦したり、ある程度の勝負があったりした方が、楽しいという人がほとんどです。


 むしろ、普段は組織の歯車としての働きに徹したり、ストイックに生産性を追求する仕事ができる人ほど、趣味ではなんの生産性もなく、家族からも理解されないかもしれないけれど、がむしゃらに挑戦してみるというところに男のロマンを感じる人が多い気がします。


 「何のために走ってるんだ?」と言われることも多いかもしれませんが、やっぱり「何のためでもないけど、夢中になれる」というところに男のロマンがあるでしょう。


 話が少しそれてしまいましたが、純粋トレーニングの理論を考えるにあたっては純粋にある特定の日に特定の距離を出来るだけ速く走るにはどうしたら良いのかということに絞って話を進めていきます。ではある特定の日に特定の距離を出来るだけ速く走るにはどうすれば良いのでしょうか?


 それを考える前にある特定の日にある特定の距離を出来るだけ速く走るというのはどういう状態でしょうか?


 それはレース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるように体がトレーニング刺激に対して、適応しているということです。


 大切なことなのでもう一度書いておきます。


純粋トレーニングのゴール

「レース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるように体がトレーニング刺激に対して、適応しているということ」


 この基本中の基本の原則が見落とされることが多々ありますし、それが分かっていても出来ないものなので、この一文の重要性は強調しすぎても強調しすぎることはありません。この一文をそれぞれ分解して考えていきましょう。


1. レース当日に

 一つ目のポイントはレース当日にということです。世間一般では、マラソンを二時間十分で走る人はいつでもマラソンを二時間十分で走れるように思われていますが、そんなことは全くありません。競技者がレース当日に絞り出すあのタイムというのは数カ月間綿密に準備をしてやっと一本だけ走れるタイムです。


 換言すれば、レース当日にきちっと体調を合わせていかないといけないということです。これは良い面と悪い面があります。良い面としては、ある意味ではレースだけ頑張れば良いということです。マラソンというのは練習でできないことがレースでできるのは当たり前のスポーツです。


 そして、練習ができる人とレースで結果が出せる人が違うというのも面白いです。私自身もあまり練習はできなかったけど、自分の思い描いたことが百%レースでできたなということもあれば、「あれだけ練習したのに最悪の結果だ、もう走ることから足を洗ってやる」と思ったこともあります。


 私自身は長距離走やマラソンでは一回一回の練習では大した練習ができていないのに、継続的に賢明に練習を続けてレースで結果を出したり、勝負に勝ったりということに醍醐味を感じます。長距離走やマラソンでは練習でできないことがレースで出来るということは当たり前なのです。


 ということは、賢く練習を組み合わせて、レース当日に心身ともに最高の状態を作ることが出来れば肉体的な能力が自分よりも上の選手にも勝てるということです。そこに知的スポーツとしての陸上競技の魅力を感じます。


 上手くいった時は知的スポーツとしての陸上競技の楽しさがこれ以上ないほど味わえるでしょうし、逆に上手くいかなかった時もやはり、知的スポーツとしての陸上競技の楽しさを味わえます。自分自身の馬鹿さ加減に気が狂いそうになりながらも、ただただ努力するだけでは結果が出ないという実体験は、長距離走やマラソンの知的な面白さを思い出させてくれます。


2. レースの距離を目標とするペースで

 レースの距離を目標とするペースでということもよく見落とされるポイントです。これはどちらか片方ではないということです。これは距離が短くても同じです。ある年のインターハイで洛南高校のマイルリレーのチームが優勝した時のことです。


 その年の洛南高校のマイルリレーのチームは練習では200mまでしかやりませんでした。何故かというとその年のインターハイの日程では、間がそこまで詰まっておらず、予選、準決勝、決勝と充分に回復する時間があったからです。


 勿論、どの選手も近畿インターハイまでの予選を突破して、インターハイに臨む選手ですから400mを速く走るのが初めてという訳ではありません。400mをインターハイで優勝するということを考えた時に、最高の舞台で他の選手と競り合えば、何としても400mは走りきる、でも速く走れないと勝てない、そこまで考えた上で練習では200mまでしか走らせなかったそうです。


 結果として、インターハイでは洛南の選手はバトンを渡した後にバタバタ倒れたそうです。でも、予選と準決勝、準決勝と決勝の間にしっかりと回復して、決勝でもしっかりと走りきりました。


 たとえ距離が400mであったとしても、レースの距離を目標とするペースで走りきるということを考えてトレーニングを組むことが重要です。勘違いして欲しくないのは、私はとにかくスピードが重要だと言っている訳ではないということです。400mの選手でも300mで失速したら勝てませんから、ゴールまでもたせる必要があります。


 でもゴールした後の余裕度とは全く関係がありません。バトンを渡したらもう倒れても良いんです。5000mだって抜かれるのが5001mなら大丈夫ですが、4999mで抜かれたらスタミナ切れということになります。


 レースの距離を目標とするペースでという両方が大切になります。何故、わざわざこんなことを書くかというと陸上の経験を積めば積むほど、この大原則を忘れてしまいがちになるからです。知識がつくとインターバルをやったり、持久走をやったり、流しをやったり、動きづくりをやったりと色々なことに取り組みます。


 次第にそれが当たり前になっていきます。そうすると、練習でのレベルを上げることに夢中になりすぎてレース当日に目標とする距離を目標とするペースでやるということが忘れられていきます。


 その結果として、練習量がどんどん増えるのにタイムは速くならないとか、インターバルのタイムはどんどん速くなるのに、タイムは速くならないということが多々あります。勿論、インターバルのタイムが速くなることも、こなせなかった練習量がこなせるようになることも素晴らしいことです。その進歩が無駄になることは絶対にありません。ただ、その時に最終的な目的は頭に入れておかないといけないということです。


3. トレーニング刺激に対して体が適応していること

 3つ目のポイントはトレーニング刺激に対して体が適応しているということです。陸上競技を初めたばかりの人にとってはこれが一番馴染みがないと思います。またすでに走り始めて何年も経っている人も、この点を見落としやすかったり、分かってはいるけれど、忘れがちなポイントになるので、もう一度よく考えてみてください。


 ランニングにおいては、そして距離が長くなればなるほど、その練習ができるということと、そのトレーニング刺激に対して適応するということは全く違うものです。私は今まで少なく見積もって50人以上のサブテンランナーに話を聞いてきましたが、何度も「一番良い時は四十キロ走を二時間八分でやったけど、結局自分にとっては二時間十三分くらいがちょうど良かった」みたいな話を聞きました。


 これは一例として四十キロ走をあげましたが、インターバルなどのスピード練習でも同じですし、つなぎの練習でも同じことです。


 ある練習ができるということと、継続的に体がトレーニング刺激に対して適応するということは全く違います。適応という言葉が分からない人のために説明しておくと、適応とは体がある刺激に対して慣れていくもしくは対応できるようになるということです。


 例えばですが、普段全然走らない人は五キロ走っただけでも筋肉痛になりますが、同じペースでの五キロを何回かやっていると筋肉痛にならなくなっていきます。仮にこの時五キロを二十五分で走っているとしましょう。そうすると、体が五キロを二十五分で走るということに対して、適応したということが出来ます。


 今までやってこなかったことをやり始めた当初というのは、比較的簡単に刺激に対して適応していきます。このため、初心者の人というのはやればやるほど速くなっていくことがほとんどです。そのため初心者の人ほど「やればやるほど速くなる」ということが実感としてあり、「速くならないのは努力が足りないからだ」という考えに陥りがちです。


 ところが、レベルが上がってくると「やればやるほど速くなる」訳ではないことが実感を伴って理解せざるをえなくなり、実業団レベルになれば、トレーニングに対して体が不適応を起こすということは普通の現象になります。やらないと結果は絶対に出せないということは明らかなのですが、体が不適応を起こして結果が出ないケースがたくさん出るのも明らかな事実です。レベルが上がれば上がるほど、このジレンマに悩まされることになります。


 もう少し簡単に説明を加えると、トレーニング刺激をかけて、まず先に回復します。あるトレーニング刺激をかけると、普通は一時的に能力が落ちます。1000mのインターバルを10本やって、その一時間後にもう一回同じことをやれと言われても普通はできません(出来たとしたら、負荷が低すぎます)。体が疲れてしまっている状態です。


 ですが、1日か2日、ハードではない有酸素ランニングでつなげば、またもう一度同じことができるようになります。ただし、これは回復であって、適応ではありません。元の状態に戻っただけです。そこからさらに時間が経って体が適応します。適応すると、以前にやっていたよりも速いペースで走れるようになります。これが体がトレーニング刺激に対して適応したということです。


 適応という言葉は別の言葉で言い換えると超回復です。超回復というのは何も全身マッサージをして、美味しい食べ物を食べて、酸素カプセルに入ってマルチミネラルを摂って、すごい速さで回復することが超回復ではありません。超回復というのは、単に回復したという状態を超えて、さらに体がトレーニング刺激に対して適応することを超回復と言います。ですから、順番としてはトレーニング→回復→適応(超回復)という順番になります。


 このトレーニング刺激に対して体が適応していく過程は、高強度なレジスタンストレーニング(日常言語で言えば、きつい筋トレ)のモデルで説明されることが多いです。このモデルでは高強度なレジスタンストレーニングをして傷ついた筋組織は四十八時間から七十二時間かけて修復され、そして修復が完了した後にはそのトレーニングをする前よりも強い筋組織になっているというモデルで説明されます。


 しかしながら、このモデルは少し単純すぎます。長距離走のトレーニングというのはこのモデルで解説されているよりももっと複雑です。何がこの複雑さを生み出しているかというと、持久力のつきにくく落ちやすいという特性です。さらに言えば、長距離走というのは継続的なトレーニングにより力がついていくということです。


 ですから、高強度なレジスタンストレーニングで説明されるような単純なモデルで負荷をかけて四十八時間から七十二時間何もせずに休んでいれば超回復によって強くなるというモデルにはなっていません。


 実際には短期でも、中期でも、長期でも様々なトレーニング刺激を組み合わせ、トレーニング刺激に波をつけながら、負荷と回復を繰り返しながら、トレーニング刺激に対して適応させていきます。


 ですが、これには忘れてはならない一つの条件があります。それは、レース当日にかけたトレーニング刺激に適応していなければならないということです。これも単純すぎるほど単純な原則なのですが、これを実際にやるのはなかなか難しいです。


 手持ちのお金は少しでも多い方が良いものです。誰もがレースの直前まで出来る限りトレーニング刺激に対して適応したいと思っています。そして、少なくとも落としたくないと思いっています。


 しかしながら、レース当日に落ちておらず、さらに全てのトレーニング刺激に対して適応出来たというパターンはなかなかありません。往々にして起こるのは、レース当日には体がまだトレーニング刺激に対して適応しておらず、十分な結果が得られなかったり、もしくはレース当日よりも早くピークが来てしまい、レース当日にはもう下り坂になっていたというパターンです。


 トレーニング刺激に対して体が適応するということを考えた時に、レース当日に目標とする距離を目標とするペースで走りきれるようにトレーニング刺激に対して体が適応していなければいけません。


 何度も説明しますが、このトレーニング刺激に対して適応するというのはいくつもの波があるのです。例えば、少し休養期間を設けて再びトレーニングを初めた時というのは、体がすぐにトレーニング刺激に対して適応するので、久しぶりにファルトレクをすれば、その四日後にはもう体が適応するということもあり得ると思います。


 ですが、ある程度トレーニングを積んでくると、ここまですぐに体がある刺激に対して適応するということはあり得ません。私の場合は、二週間ハードに練習して、その後一週間楽な週を挟むと、その次の週には前回のハードな二週間では出来なかった練習ができるようになっています。この場合、二週間ハードで、一週間は楽な週、合計三週間のサイクルです。


 私が洛南高校で陸上競技をやっていた時は7月の終わりから8月は合宿で走りこみます。ここで疲労がたまるので9月は皆走れません。その後、9月、10月、11月と疲労を抜いていって走れる状態を作っていきます。この場合は数カ月かけて体がトレーニング刺激に対して適応していっています。


 大雑把に言えば、一週間以内の波、数週間の波、数カ月の波の3つくらいの組み合わせだと思ってください。年単位の波はあるのでしょうか?


 これはあると言えばあるし、ないと言えばないようなものです。厳密に言えば、きっとあるんだと思います。ですが、実際にはあったとしても、実感としては感じられないでしょう。そもそも練習計画を立てる時に今年はレースで結果が出なくても良いからとにかく練習を詰めこんで、体を疲れさせて、来年は練習を軽めにして一気に体をトレーニング刺激に適応させよう、というのは非現実的ですし、上手くいかないと思います。


 私の経験上は、数カ月の波でも少しスパンが長いのではないかと思います。鍛練期とレース期を作ることは良いことだと思うのですが、一夏追い込んで継続的に適応できないような負荷をかけていくと、それに対して適応するのは難しくなってしまいます。今日自分が食べられる限界まで食べても1ヶ月食べないと餓死の危険性が出てくるというのと同じことです。


 ある程度はこまめに負荷と適応のサイクルは回すべきです。ただ、自然と数カ月のサイクルも生まれると思います。自分が意識しないうちにレースが近づいて練習を軽くしていくと、1ヶ月前、2ヶ月前の練習がいきてくるということはよくあります。


 もっと言えば、意識的に年単位のサイクルを作るのはあまり良い考えではありませんが、結果的にそうなることもあります。一年間オーバートレーニングでレースで意図したような結果が得られなくても、長期で見れば体が適応していて、次のシーズンで爆発することもあります。こういう時人は「いきなり速くなった」と言いますが、いきなり速くなったのではありません。今まで着実にトレーニング刺激をかけてきたけど、上手くいかなかったのが、ある時を境にトレーニング刺激に対して急に適応し始めたのです。


 実はオーバートレーニングというのは、トレーニング刺激という単一の要素で決まるわけではありません。同じ練習をしていても栄養状態や睡眠状態、その選手の心理的なストレスや走力などによって適応するのか、不適応を引き起こすのかは変わります。


 私が洛南高校に入った時、恩師の中島道雄先生は60歳を超えており、数十年間のキャリアを持っておられました。数十年間の経験の中で、高校生にはこういう練習をさせれば良いというのは当然分かっておられる訳です。


 ところが、毎年同じようにやっていても、調子が上がってくる時期に差がありました。先述したように7月の終わりから8月の合宿で追い込んで9月は疲労抜きの時期、10月はレースもありながら、少しインターバルなどが増えてきます。11月の頭には京都府高校駅伝があり、そこからさらに12月終わりの全国高校駅伝に向けて調子を上げていくというのが毎年のパターンです。10月にある日本海駅伝では洛南高校の選手はまだ調子の上がらない選手が多かったのですが、11月、12月と着実に状態を上げていっていました。


 ところが、状態が上がる時期に差がありました。強い選手が揃っている年は、夏合宿の後状態が上がる時期が早かったんです。一方で、力の無い学年は状態の上がってくる年が遅かったんです。やはり、同じ練習をした時に、力のある選手は速く回復するし、力のない選手は回復に時間がかかります。トレーニングだけ見ていても、その刺激に対して体が適応するかどうかはわかりません。


 もう一つの例をあげましょう。これは私のコーチであるディーター・ホーゲンから聞いた話です。世界でもトップクラスの選手と世界でもトップとは言えないけど、国際レベルの選手が一緒に練習した場合、トップクラスの選手はハードな練習の後もすぐに回復するから、継続的に練習ができて力をつけていくけど、国際レベルの選手は同じ練習は出来るけど、回復に時間がかかり、次のハードな練習までに回復しない、これを繰り返していくうちに国際レベルの選手とトップクラスの選手が一緒に練習すると国際レベルの選手はどんどん弱くなっていくということです。


 ここで見逃してはならないのはとりあえず、国際レベルの選手もトップクラスの選手と同じ練習がこなせているということです。この話から分かることは、出来るということと、それをやるべきかどうかはまた別の話だということです。


純粋トレーニングの原理原則

 さて、ここまで詳しくトレーニングの目的とその目指すところについてみてきました。トレーニングのゴールは「レース当日にそのレースの距離を目標とするペースで走りきれるだけ体がトレーニング刺激に対して、適応しているということ」です。ではそのゴールを達成するための唯一無二の理論はあるのでしょうか?


 答えはイエスです。もちろん、正しい唯一無二のトレーニングプログラムはありません。トレーニングプログラムは過去2、3年のトレーニング歴やこれまでのランニング歴、次にピークを合わせるレースの日時やそのレースの距離、自分が生まれ持った特徴(持久型かスピード型か)、現在の走力などなど色々なものに左右されます。


 ですが、そのトレーニングプログラムを作成するにあたっての理論は一つしかありません。古今東西のマラソンランナーは本人が意識しているか意識していないかは分かりませんが、全員共通の理論に基づいてトレーニング計画を立てています。逆の言い方をすれば、結果を出している人のトレーニングには全て共通点があるということです。


 最終的にはどんなやり方でも良いのですが、そこに至るまでの過程には必ず原理原則があるということです。その大原則となる原理原則とは以下のようなものです。


1. トレーニング刺激と適応の原理(超回復の原理)

2. オーバーロード(過負荷)の原理

3. 維持の原則

4. 特異性の原理

5. 収穫逓減の法則

6. リスク急増の法則

7. 重要性漸増の法則

8. 特異性漸増の法則