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マラソントレーニングと情報場

January 21, 2018

 

 1.マラソントレーニングはゲシュタルト

2.ゲシュタルトの存在場所

3.指導者の役割

 過去記事の『マラソントレーニングのアンチノミー』及び『スピード1,2,3』の中で、マラソントレーニングは記述することも、記号化することも、数式化することもできないということは述べました。軽く復習しておきますが、勿論、物理的な速度と距離を記述することは可能です。但し、マラソントレーニングにおいて大切なことは生体に与える刺激であり、そこからの回復であり、適応です。そして、その生体に対する刺激はアナログであり、しかも異なる次元の刺激の組み合わせによって決まるので、言語化、記号化、数量化は不可能であるということを述べました。

 ここで一つの疑問が生じます。ではコーチの仕事って何?コーチが作っているプログラムって何の意味があるの?コーチが作るプログラムって紙に書いてあるやん?もしくは口(言葉で)で伝えるやん?という疑問、もしくは反論です。私自身は言語で語れないからこそ、コーチが必要になると考えています。今回はもう少し、そこを掘り下げて書いてみたいと思います。

 

1.マラソントレーニングはゲシュタルト

 マラソントレーニングを言語化、記号化、数量化できない本質的な理由は、マラソントレーニングは部分の総和ではなく、全体として一つの意味のまとまりを持つゲシュタルトだからです。心理学を勉強している人でない限りゲシュタルトという言葉は聞きなれないと思いますが、ゲシュタルトというのはドイツ語で像、姿、形などを意味する言葉です。何故、日本語でもゲシュタルトという言葉を使うか分かりませんが、英語でもゲシュタルトはゲシュタルトです。このゲシュタルトは全体像くらいに思ってもらえばいいと思いますが、この全体像は部分の集合体ではありません。部分を集めて足しても、元の全体にならないことを、合成の誤謬(ごびゅう)と言います。

 合成の誤謬の代表例は小さな子供です。一人一人を見ると皆良い子でとても可愛いのですが、6歳の子が3人集まると手が付けられなくなります。一人ではやらない悪戯も、5人くらい集まると勘弁してくれと言いたくなるような悪戯をしてきます。この場合には一人一人の悪戯の総和が5人集まった時の悪戯ではなくて、5人で一つの悪戯と考えなければいけません。このようなものがゲシュタルトです。

 マラソントレーニングも部分の総和ではなく、全体で一つの意味の塊です。マラソン前3か月の練習の個々の練習の足し算が完全に同じでも、順番を入れ替えれば、それは完全に異なる練習です。また、マラソントレーニングを組むにあたって、核となるプログラムはありますが、その核となるプログラムだけを比べても答えは出ません。よく核となるトレーニングのみを抜き出して、あの時は(あの選手は)40㎞走を2時間4分台でやったとかいう人がいますが、そういった部分のみを足しても全体像は見えてきません。これはよく思うことですが、初マラソンとその後のマラソンを比較した時に、練習のタイムは大幅に改善されているのに、レースのタイムはそれほど改善されていないケースが散見されます。

 具体例で言えば、瀬古さんの著書『マラソンの真髄』の大学生の頃の練習と全盛期の練習を比べると、全然違うのですが、速くなったタイムは2分ほどです。藤田敦史さんの初マラソンの前に初めてやった40㎞走では最後の10㎞はフラフラになってゴールしたそうですが、その2か月後くらいに走った琵琶湖では2時間10分、一方で全盛期には40㎞走を2時間4分、30㎞走を1時間29分50秒でやっても、2時間9分でしか走れなかったレースがあります。こういうところに焦点を当てて、「ほらマラソンは甘くないんだ」という人が多いのですが、私自身はゲシュタルトで捉えていないから、そういう見方になるのであって、ゲシュタルトで見れば、彼らの練習は何かが間違っていたと言わざるを得ないと思います。これは非難しているわけではなくて、偉大なマラソン界の先輩方のポテンシャルは数字以上のものがあったのではないかということであり、あれ以上にハードな練習をしなくてもやり方を変えれば、もっと良いタイムを出せるのではないかということです。

 

2.ゲシュタルトの存在場所

 さて、このように言語で伝えられないゲシュタルトはどのように存在するかということですが、これは情報場にあると思います。意識の中にあると言っても構いません。『マラソントレーニングのアンチノミー』の中で、人工知能には理解できないけれど、人間にはそこがレストランであるということがわかるという話をしました。これに関して、認知科学者の苫米地英人博士は、物理空間を超えたところに情報場という別の次元があって、人間はその情報場にある情報を読み取ることが出来るという説を持っています。つまり、レストランにはそこがレストランであるという情報が組み込まれていて、理屈では説明できないけれどその情報を読み取ることが出来るという訳です。どうやって、読み取るのかと言われるとなかなか難しいのですが、人間仲が良くなると何となく相手の気持ちが分かってきますよね?100%分かるかと言われると無理ですし、私はかなり懐疑的で家族でもせいぜい10%くらいしか分かり合えないと思っていますが、それでも付き合いが長くなるとかなり言いたいことがわかるようになるのも事実ですし、何も言われなくても機嫌が悪いなとか、今日は良いことあったのかなとか思うようになります。

 それに加えて、最近思うのですが、日本語のレストランやホテルは英語のそれとは意味が異なります。たまに英語の頭で考えて、日本語に翻訳しながら話しているときに、レストランとかホテルとか言って、あとからそれが食堂とか旅館であることが判明すると「おしゃれに言うな」と言われることがありますが、よく考えれば、食堂とレストラン、旅館とホテルを区別できることも凄いことです。人工知能には絶対に無理なことではないでしょうか?これも人間は経験を積んでいくうちに、情報場にある情報を読み取れるようになるからでしょう。

 但し、赤ちゃんにはその情報が読み取れませんし、外国人に大衆食堂とレストランの違いを説明するのも困難でしょう。やはり、言語では説明しきれない部分が残り、それは情報場にあると考えるとスッキリ説明できると思います。

 

3.指導者の役割

 各指導者はこのゲシュタルトを持っています。トレーニングプログラムとはすなわち、コーチが持っているマラソントレーニングに関するゲシュタルトだと言って良いと思います。因みに、私自身が苦労しているのはこの情報場に存在するゲシュタルトを読み取ることです。このゲシュタルトは言葉で伝えられることもあれば、言葉以外でしか伝えられないこともあります。いずれにしても、頻繁に長くコミュニケーションをとっていくことでしか伝わらない何かがあると思っています。私とコーチホーゲンは一緒にやるようになってから、3年目になりましたが、正直言って、日々新しい発見があります。ということはこれまでは分かっていなかったということです。これまで、教えてもらわなかったからわからなかったのではなく、言葉では理解しても、イマイチ理解できなかった部分です。これからもそういったことがどんどん出てくるでしょう。

 そもそも言葉とは頼りないものです。言葉の意味というのは全体の意味の中にしか存在しません。織姫さまと彦星さまが会う時の「久しぶり!」は、私が1か月に一回くらい会う友人に向かって言う「久しぶり!」とは意味が異なるはずです。但し、それを説明しなさいと言われても、言語を用いている限りその意味をあらわすことはできません。但し、当事者である織姫さまと彦星さまはその「久しぶり!」に込められている意味が分かるはずです。

 中山竹通さんが著書『挑戦』の中で、「いくら言葉で言ってもわからない。僕の言っていることを分かってもらうためには、生まれ育ったあの長野に行かないと無理だよ」というようなことをおっしゃっていますが、勿論、生まれ育った長野に行かないと分からないというのは、そういう表現であって中山さんの故郷に行っても、中山さんの言っていることはわかりません。中山さんのおっしゃっていることを100%理解しようとすると、中山さんになるしかありません。高校時代全国大会に出たこともない高卒の若者が国鉄のアルバイト職員として、不規則な勤務をこなしながら、極寒の長野で走っていた人の気持ちなど、いくら言葉で説明されてもわからないでしょう。

 コーチと選手も他人に言葉で伝えることはできないけれど、当事者である織姫さまと彦星さまには分かるというような形で、言語的・非言語的コミュニケーションをすり合わせていく中でしか、ゲシュタルトを伝えることが出来ないのではないかと思います。ですから、トレーニングプログラムを書き表すことはできないから、コーチは意味がないどころか、言語化出来ないからこそ、その指導者に師事しないと学ぶことは不可能だと思っています。更に言えば、そのコーチもすべての選手に同じアプローチをしても上手くいかなくて、それぞれの選手にそれぞれのアプローチをしなければうまくいきません。それは私には私のゲシュタルトがあるからです。そして、当然コーチの方も私のゲシュタルトを理解するのに時間が必要です。ですから、コーチと選手二人で一つのゲシュタルトがあり、それを構築する作業がマラソントレーニングのプログラムを考えるということではないかと思います。

 因みにマラソンに関しては、まだまだコーチホーゲンのゲシュタルトが理解できていない私ですが、自分はこの人に師事すべきだというのはすぐにピンときました。当時はドイツ語どころか英語も半分くらいしか聞き取れなかったのに、「絶対間違いない、この人だ!」と思いました。基本的に他人を信用しない私が何故そう思ったのか、ずっと謎だったのですが、今から思えば、私には「この人が私のコーチだ」という情報場に書かれている情報を読み取ることが出来たのだと思います。心の底から求めるものに巡り合った時には、物理空間にはそれが示されていなくても、情報場に書かれている情報を読み取ることが出来るのだと思います。他の人にはそれが読み取れなかったはずです。でも私には読み取れました。

 この手の話をオカルトとして受け取る人も多いと思いますが、実は量子力学が発達するにしたがって、物質と非物質である意識や情報の間に線引きするのが困難になりました。かつては、肉体(もしくは物質)と心(意識)を完全に異なる二つの領域に存在すると考える二元論者と、心も所詮脳内での神経伝達にすぎない、若しくは物質も含めて、全ては心が生み出した虚構物であるという一元論者の間での対立が中心でした。

ところが近年では、物質とは二本のヒモ(超弦)の情報状態に過ぎず、またペアとなる素粒子は光速を超えて、つまり物理空間を超えたところで、情報のやり取りをし、この物理空間の現象に影響を与えていることが分かっています。どうも互いに連関しているようですが、しかしながら、物質は時間と空間の中のみに存在し、意識は時間と空間を超えたところのみに存在します。説明できそうでできないのが現状のようですが、物理空間に存在しない情報や意識が何らかの形で、物理空間の現象に影響を及ぼしていることは間違いありません。この辺りのことを理解することはマラソンを理解するにあたっても重要になってくると思いますが、それはまたおいおい書いていきたいと思います。

 

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