市民ランナーの方が最も犯しがちな過ち
- 池上秀志

- 3月9日
- 読了時間: 14分
更新日:3月10日
突然ですが、市民ランナーが最も犯しがちな過ちとは何かと言われて、あなたはなんと答えますか?
そもそもですが、ここで言う過ちとはどういう意味でしょうか?
過ちと言っても長距離走、マラソンには文字通りのエラーというものがありません。跳躍競技や投擲種目ではファウルと呼ばれるものはありますが、長距離走、マラソンにはファウルもありません。
ではここでいう過ちとは何でしょうか?
これはいくつかの点において定義することが可能です。
先ず第一に、頑張っている割には結果に繋がらないという費用対効果の問題があります。
費用対効果が良いというとなんとなく楽して速くなるみたいな印象が強いですが、必ずしもそういう意味ではありません。頑張っているのに結果に繋がらなかったら、それは費用対効果が悪いと言うことになりますし、逆に、費用対効果が良いのであれば目いっぱい頑張れば物凄く結果に繋がる訳です。
結局のところ、人間の体力や集中力は限界です。本気でやったからと言って限りがある訳で、そんな簡単に結果に繋がる訳ではないのです。
「俺はまだ本気出してないだけ」
みたいな格好のつけ方は中学生くらいで卒業すべきで、そのあとは本気でやったからと言って簡単には結果に繋がる訳ではないことをもっと直視すべきです。
そんな話はどうでも良いのですが、第一の費用対効果が悪いという観点から一つは過ちということが出来ます。
第二に、成功確率の低さという問題があります。この過ちをやっている人とやっていない人を比べると、明らかにこの過ちをやっていない人の方が結果が出ているのです。それならば、同じ轍を踏まない方が良いですよね?
第三に、自分で悪いと思ってやる分には良いのですが、これが一番良いやり方だと思っているのにそうではないという点で誤っています。
例えば、酒は体に悪いというのが分かった上でお酒を飲んでも別になんら悪いことではないんです。まあ、悪いことではないというのもちょっと語弊がありますが、本人が酒は体に悪いと言うことを理解した上で飲んでいるのであれば、仕方がないと言いますか、それを本人が望んでいるんですから別に良いですよね。
ただ、これから私が申し上げる過ちは本人はそれが一番正しいやり方であると信じた上でやってしまっているというパターンです。
では、市民ランナーの方が最も犯しがちな過ち、これは一体何でしょうか?
これは練習が低強度か高強度の二択になっているということです。要するに、ゆるランとインターバル、ジョギングとLT走(閾値走)、休養とタイムトライアルみたいになっているということです。
一見、正しいように見えます。思いっきり追い込んで体に負荷をかけ、そこから体が回復することによって超回復が現象が起きて速くなる、一見理に適っているように見えます。
ですが、これは実際には誤りなのです。
実際には、きつくもなければ、楽でもない中くらいの強度の練習、あるいは低強度な練習の量を増やすことによって走力というのは伸びていくものなのです。
では、一体これは何故でしょうか?
これは実は人体の仕組みを理解すると、謎が解けていきます。
先ず第一に、トレーニングによって体が速くなる仕組みはどのようなものかということですが、実は我々は生まれながらに全員優れた持久系競技者としての能力を秘めています。
もう少し正確に言いますと、人間は誰しも持久力に関する遺伝子を持っているのですが、それが休眠している状態、逆の言い方をすると発現していない状態なのです。遺伝子にあるからといって、それが全て表に現れている訳ではありません。
私が小学生か中学生くらいの頃に潜在能力という言葉がはやりましたが、この潜在能力こそが遺伝子としては持っているけれど、発現していない能力のことなのです。最近の言葉で言えば、ポテンシャルです。
この眠っている能力を開花させるにはどうすれば良いのかということですが、それは体に刺激をかけることです。つまり、その遺伝子必要なんですという情報を体に与えるのです。
具体的には、古い細胞が死んで新しい細胞へと生まれ変わる時に、情報の引き継ぎが行われ、「おい、あの能力必要だから、次はこの能力をもう少し高めてくれ」という依頼がなされるということです。
そうすると、例えば古い細胞の中の持久系能力に関する遺伝子は50%しか発現されていなかったものが次は51%引き出されたりするのです。これが刺激に対する適応であり、この作用の繰り返しによって走力は向上するのです。
ここで問題となるのは体が刺激に対して適応する条件です。体が刺激に対して適応する条件は大きく分けると3つあります。
先ず第一に、その刺激が強すぎないという条件があります。
例えばですが、夏になったら暑さに強く、冬になったら寒さに強い体になりますよね。京都で言えば、夏は30度から40度の刺激に継続的に体が晒されることになります。冬なら10度からマイナス3度くらいの気温に継続的に体が晒されることになります。
この程度の気温であれば、人間の体は適応可能なので、夏は暑さに強くなるし、冬は寒さに強くなるという風になります。
では、これが気温100度とマイナス100度になったらどうでしょうか?
適応するどころかほぼ例外なく死んでしまいます。刺激が強すぎると適応は出来ないのです。
なんなら、35度程度の熱さでも全然普段外に出て運動しない人がたまに外に出て激しい運動をすると熱中症で倒れたりしますよね?
普段外に出て運動をして、徐々に徐々に暑さ刺激に対して適応している人にとっては大したことがない温度でも、全く熱さ刺激に対して適応していない人が急に強い暑熱刺激をかけられると適応できないのです。
トレーニングにおいても同様のことが起こります。基本的には刺激の強さが強ければ強いほど適応は困難であり、刺激の弱さが弱ければ弱いほど適応は容易なのです。
ただ、もちろん刺激が弱すぎると100%適応したところで、そもそも刺激自体が大したことがないので、潜在能力があまり引き出されないという問題はあるのですが、結局のところ、だからこそ中強度が一番良い負荷なのですが、それはあとで論ずるとして、先ずは第二の条件を見ていきましょう。
第二の条件は適切な回復が設けられるということです。
人間は持久力と瞬発力以外は意外と適応反応を認識していないのですが、その他ありとあらゆる刺激に対して適応しています。
日本語が話せる、お箸が使える、自転車に乗れる、歩ける、走れる、暑さ、寒さ、叱られるなどの精神的負荷、重大な決断を迫られるなどの精神的負荷、ありとあらゆる負荷が我々の心身に対してかかっており、それに対する適応反応が生じているのです。
人間って小さな成功を見逃しがちな傾向にあるのですが、こういった小さな刺激に対して我々は常に適応しているのです。
ただし、それはきちんと回復すればという条件がつくのですが、我々がこういった刺激に対して適応しているのは大抵は寝ている時です。
だからこそ、睡眠時間をあまりにも削って勉強したり、練習したり、仕事をしてもあまり身にならないのはそこなんです。
それが次のプレゼンのスピーチの練習であろうと、今日読んだ本の内容であろうと、マラソントレーニングであろうと、暑熱刺激であろうと、ピアノの練習であろうと、ドイツ語の単語であろうと、上司からの叱責であろうと、かけた刺激に対して適応しているのはだいたいは寝ている時です。
ちなみにですが、精神的負荷に適応してきた人は最近なんでもかんでもパワハラパワハラだと言い過ぎだと全員思っていると思います。
私は別にパワハラを肯定している訳ではないんです。何故ならば、パワハラとは力を用いた嫌がらせのことであり、簡単に言えば弱い者いじめのことだからです。私は弱いものいじめは許せないと思っています。
ただ、ただ単に仕事が出来ないから出来るように指導しているだけなのに、すぐにパワハラって言いますよね?
あれは普段外に出て運動していない人がいきなり真夏に外に出て激しい運動をすると熱中症になってしまうのと同じで、今まで精神的負荷いっさいかけてこなかった人がいきなり強い精神的負荷に晒されると壊れてしまうというのと同じ現象なんです。
では、その精神的負荷を回復しないままにかけ続けるとどうなるのか?
だいたい休職するか、退職しますよね?
あれが回復が足りていない状態なんです。きちんと回復さえすれば、徐々に精神的負荷になれていくことが出来ます。
ただし、第一条件を忘れてはいけません。その刺激の強さがあまりにも強いと人間は適応することが出来ません。エプスタイン島で行われていたような残虐な状況に出くわした時に、人間はそもそも適応する能力があるのか、否か、それは私には分かりません。
いずれにしても、第二条件はきちんと回復出来るということです。
そして、第三の条件ですが、頻度です。人間は高頻度、あるいは高反復回数である刺激に対して晒されるとよく適応します。
職人さんの世界なんかは基本的に師匠とか職人とか呼ばれる人は皆おじいちゃんですよね?
あれは何回も何回もやることでどんどんと体が刺激に対して適応するからなんです。
あるいは人生に対して同じ回数それをやっていても、一時期それに没頭すると上達の度合いが高かったりしますよね。
あれは高頻度という条件が入っている訳です。
もう一度整理しますと、第一に刺激の強さが強すぎてはいけない、第二に回復が必要である、第三に高頻度もしくは高反復回数でその刺激をかけるというのが3つの条件です。
シグモイド関数
上記の3つの条件からほとんど導き出されるのがシグモイド関数やシグモイド曲線と呼ばれる曲線です。
人間の体にかける刺激の強さとそれに対する生体の反応をグラフに表すと、どうなるかと言いますと、先ず第一に刺激が弱すぎるとそれはなかったことになります。
分かりやすく言いますと、やらないよりはマシかもしれませんが、1日1キロだけ走ってもなかなかマラソンは速くなりませんよね?
それから、毎日60分散歩だけしてもやっぱりなかなかマラソンは速くなりませんよね?
どっちもやらないよりはマシです。でも、やらないのとあんまり変わりません。
前者は量的に少なすぎるし、後者は質的に低すぎる、どちらも生体に対する刺激はほとんどないんです。
別の例で言えば、ほとんどの日本人は英語が話せませんよね?
日本語を使う分量と比べると、英語を学んでいる時間が少なすぎて刺激としては弱すぎるんです。だから、なかなか話せるようにならないんです。
あるいは夏は体が暑さに強くなる、冬は寒さに強くなる、では秋と冬はどうでしょうか?
なんにも起こりませんよね?
そうなんですよ、刺激の強さが弱すぎて、なんにも起こらないんです。
シグモイド関数の下側はこのようになっております。刺激の強さが弱すぎると、反応が生じないんです。
ただし、これも見逃してはならないのは維持することは出来ているということです。これ意外と忘れがちなことなんです。
宇宙飛行士の方が宇宙から帰ってくると地球上での生活が大変だって言うじゃないですか?
我々は地球から受ける重力に完全に適応してしまっているので、ついつい忘れがちなのですが、一応地球の重力という負荷に我々は耐えて生活しているんです。
ただ、それが当たり前になりすぎて、もはや適応反応を引き起こすだけの刺激の強さではないのですが、身体能力を維持するのには役立っているんです。
次は刺激の強さが強い方を見ていきましょう。
そもそも論ですが、適応反応が生ずるのは細胞が生まれ変わる時です。細胞が生まれ変わらない限りは適応反応は生じません。
では、トレーニングをすると一日に生まれ変わる細胞の量は増えるのでしょうか?
これはそうだとも言えるし、そうじゃないとも言えます。
土台作りの練習を適切に行い、基礎体力が増せば細胞の生まれ変わる速度は早まります。
とは言え、限度はある訳です。限度はありますから、一日に生まれ変わる細胞の量には限りがあるんです。
ですから、いくら強い負荷をかけても、この細胞が生まれ変わる速度を超えて体が刺激に対して適応することは不可能なんです。
つまり、刺激の強さをどんどんと強めていって、ある点を超えるとその点を超えた分の刺激はなかったことになるんです。
文字通りの骨折り損のくたびれ儲けです。だって、頑張っているのに走力の向上は起きないんですもん。
でも、適応は起こらない代わりにしっかりと組織の損傷は引き起こし、体の回復を遅らせます。
ですから、プラスにならないどころかマイナスになるんです。
これじゃあ骨折り損のくたびれ儲けではなく、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂です。
もうそろそろ、何故低強度と高強度だけの組み合わせになるよりも、中強度の練習を高頻度でやった方が走力が向上するかお分かり頂けたと思いますが、あと一つだけ追加で説明させて頂きますと、実は中強度の練習を高頻度で実施することで、あるいは低強度走の量を増やすことで、あるいは低強度から中強度走の頻度を増やしたり、量を増やすことで、体の中で生み出せるエネルギーの総量が増大し、細胞の生まれ変わる速度が増大するんです。
これによって、より刺激に対して適応しやすい体になっていくんです。
ですから、理屈の上では何も運動せずに勉強だけしたり、仕事だけするよりも、ある中強度走を高頻度で実施し、よく寝て、仕事や勉強に励む方が効率が上がるはずです。
もちろん、トレーニングは言うに及ばずです。
高強度な練習や長い距離の練習もやるのはやるのですが、先ずは中強度の練習を高頻度で実施してから高強度な練習や高頻度の練習を実施した方が走力は向上するのです。
トレーニング効果とは刺激に対する正の反応に他なりません。ですから、同じよう練習をしても、自分の回復力によってその効果は変わってくるんです。
例えば、同じ2㎞7本を2分休息でハーフマラソンレースペースでやるというトレーニングをしたとしても、その時の自分の回復力によって得られる効果は減りもすれば、増えもするということです。
ですから、低強度走と高強度走だけになるのが市民ランナーの方が最も犯しがちな過ちと言っているからと言って、高強度な練習や高量な練習を全否定している訳ではないのです。
それらがダメだと言っている訳ではなくて、それしかないのがダメだと言っているんです。
また、レースから遠い時期には高強度な練習を一切排して、ほとんど中強度走と低強度走のみで基礎体力を作った方が走力は向上するものなのです。
この時期を持たずに、低強度な練習と高強度な練習の二択になっている、もっと言えば、週に数回の高強度な練習とそれ以外は走っていないみたいな、究極の二択になっている人は、走る時は毎回の練習が苦しい訳ですから、走ることの楽しさ、気持ち良さを味わえずに終わってしまうでしょう。
走る快感は初めからその気持ち良さが分かるものではなくて、適切にトレーニングをすれば徐々にその気持ち良さや楽しさが分かっていくものなのです。
そのためにはいきなり激しい練習をするのではなく、先ずはキツイと感じない程度の練習を高頻度で実施するのが良いのです。という訳で、あなたの参考になりますと幸いです。
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追伸
先日名古屋ウィメンズマラソンの応援に行ったら、なんとナゴヤドームの中に出店があって、ナゴヤドームのグランドに降り立つことが出来ました!
元野球少年で、未だにバンテリンドームという呼称がしっくりこないどころか、名古屋球場の頃から知っている私としてはプロ野球選手が観ているであろう目線からグランドを見渡して大興奮。
そうこうしていると、にわかにロックオンされた雰囲気を感じて見やるとケイ素水を販売しているお姉さん。
卓越たる営業トークを聞いているうちに、私の中で一つの確信が。
「関西の方ですよね?」
「関西です」
「大阪の方ですよね?」
「なんでわかるんですか?」
なんで関西人ってこんなに関西人なんやろうな~(笑)
隠しててもなんか分かってしまう、その習性(笑)
大阪人は関西人の性質を最も濃縮させた人種であると思ってもらえると分かりやすいです(笑)



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