自分軸を強くする方法
今回はある方より自分軸を強くする方法を教えてほしいとのお声を頂きましたので、解説させて頂きます。
その前に、自分軸と相手軸の違いというものをお話させて頂きたいと思います。そもそもどこからこういう話が出てきたのかということですが、人間が生きていく上では自分軸と相手軸の調和が取れていないといけないというお話をさせて頂いたところから始まりました。
では、自分軸とは何か、相手軸とは何かということですが、相手軸からお話させて頂いた方が速いでしょう。相手軸とは相手に嫌われない、相手に好かれる、相手に気に入られる、相手の役に立つという方向性の軸です。
そして、自分軸とは自分が向上する、自分が成長する、自分が強くなる、自分が何かを獲得するという方向性の軸です。
人間社会はこの相手軸と自分軸が上手く調和が取れることによって安定状態となります。
例えばですが、子供と大人で比べると子供の方が相手軸が強く、大人の方が自分軸が強いです。
それは何故かと言いますと、子供は親に嫌われたり、大人に嫌われたら生きていけないからです。そして、好かれることによって守ってもらえるし、養ってもらえるし、あれも買ってもらえるし、これも買ってもらえるし、遊園地にも連れていってもらえるし、映画にも連れていってもらえるからです。
これだけ聞くと、子供だけずるいと思われるかもしれませんが、実は与える方も幸せになるのです。
人間というものは与えたがりの気ともらいたがりの気というものがありまして、与えたがりの気を多く持つ人は与えることによって元気になりますので、与えたがりの気を多く持つ人は人に多くを与えることによって幸せになるのです。
愛情深い人というのはそういうものです。
エーリッヒ・フロムという人が昔いました。この人は『自由からの逃走』というナチズムのメカニズムを解説する書籍で世界的に有名になられた方ですが、他の書籍の中に愛とは性格や人格ではなく、能力だと書いておられます。
これは本当に正しいです。与えたがりの気を持つ人は強い人間です。強い人ほど人に与えることで幸福を感ずるのです。
先ほど大人と子供であれば、子供の方がもらいたがりの気を持つもので従って相手軸で生きることが多い、つまり大人の顔色を窺ったり、機嫌を取ったり、言うことを聴いたりするものなのです。
そして、男女で言えば女性の方がもらいたがりの気を多く持ち、男性の方が与えたがりの気を持ちます。
ですから、デート代は男性が奢るべきか割り勘にすべきかという議論がありますが、本来は○○すべきという話ではなく、自然と男性は奢りたいし、女性は奢ってもらいたいというのが本当のところではないかと思います。
ちなみにですが、社会的に偉い人はだいたい男性が多いのも同様の理屈です。男性の方が生まれつき与えたがりの気を多く持つので、多くの人の役に立ちたいとか、社会に価値を提供したいとか、社会的に意義のある事業をしたいとか、多くの女性や子供に色々買ってあげたり、色々なところに連れていってあげたいと思うものだからです。
女性の場合は生まれつきもっている性質としては与えたがりの気よりももらいたがりの気を強く持つ性質があるので、なかなか社会的な事業や多くの人の役に立とうという気持ちが弱いのです。
但し、家の外ではそうかもしれませんが、家の中では与えたがりに回るのが女性です。
このようにして、大人と子供、女性と男性でそれぞれ異なる気をもち、それぞれがジグソーパズルのピースがぴたりとはまるようにぴたりとはまるようになっており、それで世の中は調和が取れているのです。
男女平等や子供の人権というものを強く推し進めるとこの調和が崩れるからダメなのです。
例外があっても良いですが、男性は与えたがり、女性はもらいたがり、男性は家の外で活躍する、女性は家の中で活躍する、これが基本でこれによって調和が取れるのです。
ですから、女性の相手軸が弱すぎても、つまり亭主のご機嫌を窺うという性質が弱すぎても調和が取れないし、男性の与えたがりの気が弱くても調和が取れないのです。つまり、自ら進んで妻子の為にあれやこれやとやってあげたいという気持ちが弱いと調和が取れないのです。
これは男性同士、女性同士でも同様に調和というものが大切になります。
例えばですが、私とわが社の副社長の深澤哲也で言えば、明らかに深澤の方が相手軸が強いです。つまり、人に好かれたい、人を喜ばせたい、他人のご機嫌を取りたい(正確に言えば笑わせたい)という気持ちが強いのです。
一方で、私の方は自分軸が強く、自分を高めたい、自分が勉強したい、自分を成長させたいという気持ちがより強いです。
こういう関係性にありますから、深澤は深澤で私が研究したり、勉強した内容を共有することで発信する情報に深みが出る、私は私で深澤がいてくれるから、私の研究結果、勉強して得られた真理というものを広く世に広めることが出来る訳です。
このようにして、我々は調和が取れているのです。
しかし、我々はどちらかと言えば、男性の気が強いですから、広い目で見れば似た者同士です。
このようにして、調和というものは全体的に取れるものですから、必ずしも自分軸と相手軸を等しく持っていれば良いというものではありません。ある程度は生まれつき、先天的に自分軸が強いか、相手軸が強いか、つまり相手のご機嫌を取ろうとするか、自分を向上させようとするかは決まっています。
ですから、ある程度は相手と自分を足した時に調和が取れるように付き合う人を選ぶと上手くいくのです。
男同士でもそういう面があります。
しかし、一番手っ取り早いのは男性は良き女性と結ばれること、女性は良き男性と結ばれることです。男性と女性で調和が取れる訳ですから、男らしい男、すなわち益荒男(ますらお)と女らしい女、すなわち手弱女(たおやめ)が結ばれるのが一番なのです。
こういう観点からも男女平等はせいぜい法の下での平等くらいに留めておかないと、教育まで男女平等にしたら上手くいかないのです。
話を元に戻しますが、相手軸とは相手に好かれたい、相手に嫌われたくない、相手の気を引きたい、相手の注意関心を引きたいという心の働きであり、その心はもらいたがりの気なのです。
自分軸とは自分を高めたい、自分を向上させたい、自分を強くしたい、自分を成長させたいという気の働きであり、与えたがりという気です。
では、自分軸を強くするにはどうすれば良いのでしょうか?
単純な話で自分を強くすれば良いのです。
ではここで言う強さとは何でしょうか?
強さとは大きく分ければ6つに分けることが出来ます。
先ず第一に体力。体力とは生命力のことです。生命力とは何か?
それは生き抜こうとする本能の力であると理解してもらえると良いでしょう。
例えばですが、生き抜くためにはまずは五感を鋭くする必要があります。そして、語感以外の身体感覚を鋭敏にする必要があります。
それから、心臓を動かしたり、免疫細胞を動かしたり、呼吸をしたり、体内でエネルギーを生み出したりといった様々な生命現象を活発にする必要があります。
そのためにはどうすれば良いのでしょうか?
一言で言えば、どんなスポーツでも良いし、武道でも良いし、農業や林業や漁業や兵士の訓練でも良いし、体を鍛えれば良いのです。
広義の意味で言えば、職人仕事や音楽や料理も体を鍛えることに分類されます。
何故ならば、手先の感覚、聴覚という感覚、味覚という感覚といった身体感覚を鍛え上げなければならないからです。
しかし、その中でも特に良いものは肉体的に恐怖や苦痛を感ずるものです。体を鍛える最も良い方法は肉体的な苦痛や恐怖を乗り越えるものです。
だからこそ長距離走、マラソンで生命力が強くなるのです。
そういう意味で言えば、やっぱりプロ野球は昔のプロ野球の方が面白かったです。
平気で頭部付近にボールを投げ込んでいましたし、野手の脚を払うスライディングもありましたし、本塁上では走者が捕手に体当たりをしていたあの頃のプロ野球の方が面白かったです。
長距離走、マラソンは安全だけれど必ず肉体的な苦痛を伴うという点において、肉体を鍛えるには非常に良いスポーツです。
二つ目に気力。気力は自分が決めたことをやり抜く力、困難に立ち向かう力、頑張り抜く力と思ってもらえると良いです。
気力も結構体力を養うことで強くなります。言うまでもなく、長距離走、マラソンは気力を鍛えるのに適したスポーツです。
三つ目に、知力。知力というとすぐに学校の試験結果や学歴が言われがちですが、学校の試験結果や学歴というのは知力の一部であって、全部ではありません。
第一に、学歴に関して言えば18歳の時点でほぼ決まってしまいますが、言うまでもなく人間の知能の発達というものは18歳で終わりません。肉体的な衰えが40歳前後から始まるのに対し、知力の発達はほぼ一生にわたって起こると考えてもらって良いでしょう。
では知能とは一体何でしょうか?
簡単に言えば、抽象的に物事が考えられること、長い時間軸で考えられること、幅広い観点で考えられること、問題に対する解決策や最適解を与えることが出来ること、といった要素があげられます。
そして、学歴とは決定的に異なるのは自分の頭で考えることが出来るということです。自分なりの考えや自分なりの答えを持つことが出来るということです。
学校の試験というものは予めこの問いに対してはこのように解けば良いというようなものを教えてもらって、それをどれだけ暗記出来るかという勝負になる訳ですが、それに対して自分の頭で考えるというのは様々な情報を集めて、整理して、自分で分析して答えを出すということです。
知力を説明するのは正直難しいですが、自分の頭で考えられること、多角的な観点から考えられること、長い時間軸の中で考えることが出来ること、問題が解決できることなどなどであると思ってもらえると良いでしょう。
4つ目に金銭力です。これは説明するまでもないでしょう。どれだけお金を稼げるかです。お金というものも本当に突き詰めて考えるのであれば、実は稼ぐだけではなく使い方も同じくらい大切です。こういう話をすると、すぐに投資であぶく銭を稼ぐという話になるのですが、そういう資産運用的な話ではありません。
自然の理に適った使い方とそうではない使い方があるというお話です。ここではそれだけにとどめておきましょう。ただ、人間には本能がありますから、なんとなく皆さんあの人は金の使い方が汚い、あの人は金の使い方が綺麗だというのは感じられるはずです。
細かい議論を抜きにすれば、そのなんとなく感じているそれが正しい感覚です。
例えば、妻子とキャバ嬢どちらに使うのが正しい金の使い方か、なんとなくは感ずるものがあるでしょう。考えなくても分かるはずです、まともな人間ならば。
このように使い方も実は大切ではあるのですが、しかし、先ずは稼がないことには始まらない訳ですから、稼ぐというのが4つ目の力です。
しかし、この4つ目の力を考えるにあたって一つ重要な観点は、この世界にはもらいたがりの気と与えたがりの気というものがありますが、商取引は等価交換であるということです。
簡単に言えば、男が可愛い女にプレゼントをする、これはもらう方も与える方も幸せになる、元気になる訳です。
一方で、男と男の間ではこれが成立しません。ですから、モノやサービスが欲しい人とお金が欲しい人との間で交換をする訳です。この価値の交換がきちんと生じているのが真っ当な商売、生じていないのが真っ当ではない商売ということになります。
詐欺が何故ダメなのかというと、この価値の交換がきちんと生じていないからです。
逆の観点からも見てみると、他人から見ればぼったくりと思うような商売であったとしても、お金を出す本人がそれに見合った価値を感じていればそれで良いのです。
第五の力は胆力です。これは勇気や度胸です。戦争にせよ、スポーツにせよ、事業にせよ、救助活動にせよ、体力、気力、知力、金銭力だけでは成功するとは限りません。最後に必要になるのは勇気や度胸です。
これは不安や恐怖や臆病心を乗り越える力であると考えると分かりやすいでしょう。いつの時代にも宗教がなくならないのは、結局のところ、この不安や恐怖や臆病心を乗り越える力が必要になるからです。
日本に長らく宗教らしい宗教がないのは、武士道と呼ばれるような武家の教育を中心に、この勇気や度胸をつける教育というものを独自に持っていたからではないかと私は考えています。
そういう意味で言えば、勇気や度胸も現在の学校教育に大きく欠けている要素ではないかと思います。それどころか、学校の先生や親が率先して、常に転ばぬ先の杖を用意して、少しのリスクも取り除こうとします。
その結果として、先ず第一に一番リスクがないのは何もしないことですから、積極的に何もしない子供になります。
第二に、リスクを取ることは馬鹿なことであり、リスクを取らないことが賢いことだと思うような子供になります。
私の世代がすでにそうです。その下は言うに及ばずです。日本経済の停滞の一因は、開拓精神、冒険精神、起業家精神の欠如にあるのではないかと思います。自分は何もせずに、政府が悪い、景気が悪いではどうにもならないでしょう。
第六に精力です。これは生殖能力のことですが、これは1番目の体力と密接にかかわっていますから、いちいち分けなくても良いのかもしれません。
あるいは男らしい心意気と女性らしい心配りの二つが結合したのちに肉体が結合すると考えると、気力に分類しても良いのかもしれませんが、しかし頑張り抜く力とはやや異なります。
あるいは、ある程度の知能の発達がないと他者を思いやる気持ち、配偶者を思いやる気持ち、子供を思いやる気持ちというものが生まれませんから、知力の問題かもしれません。
あるいは金銭力がないと妻子を養えないので金銭力の問題かもしれません。
あるいは胆力がないといざという時に妻子を守れないので胆力の問題かもしれません。
その辺が全て一体になったものが六番目の精力の話です。
自分軸が弱いと何が悪いのか
上記の6つの力を養うことで自分軸は強くなります。では、自分軸が弱いと何が問題なのでしょうか?
自分軸が弱いと相対的に他人軸が強くなります。他人軸は生きていく上で誰しも必要です。さすがの私も人に応接する時には常に礼儀正しく、明るく、朗らかでありたいと思っています。
いくら自分軸が強くても他人軸が0だと困ります。
しかしながら、自分軸が強すぎて相対的に他人軸が強すぎても問題が起こります。
それは他人に対する強い執着を生むからです。
他人と過去は絶対に変えられません。例え、家族であったとしてもです。家族であったとしても所詮は他人、自分が相手のことをどれだけ愛し、大切に思い、誠意を尽くしたとしても、所詮は他人、これは必ず分かっておかなければならないのです。
ところが、自分軸が弱い人間は気持ちが他人に向くしかないのです。だって、自分に気持ちが向かないんですもん。自分と向き合ってないんですもん。
そうするとどうなるか?
他人を管理しようとしたり、コントロールしようとする、そして反発を受ける、他人や社会や世間に対する不平不満ばかりになり、それにエネルギーを取られ、自分は弱いまま、しかし、誰が不平不満ばかり言っている人間を助けようと思うのでしょうか?
感謝されたり、尊敬されたら喜んで助けるという人でも文句ばかり言うやつを助けようとは思いません。
でも、そういう人間に限って自分が弱くて他人の力を借りないと生きていけないのです。だって、自分軸が元々弱いんですから。
この負の循環に陥るのです。
そして、女性はまだ可愛かったら許される部分も非常に大きいですが(とはいえ、いくら美人でもせいぜい40歳までではあるが)、男性の場合はそういう訳にも行きません。
良い奴、人気のあるやつ、お調子者、人気者、こういう生き方だけでは自ずと限界があるのです。
また、世のなか全体の調和で見ると、今の教育や世間の風潮というものは他人軸が強いことばかりを褒めたたえ、自分軸を強めることを良しとしません。
その割にはイチロー選手や大谷翔平選手や藤井聡太さんなど一部の天才はほめそやして、「あの人だから認められること」と言います。
確かに、他人軸がある程度必要であることは言うまでもないことですが、それが自分軸が弱くても良いことの理由にはなりません。
結局一言で言えば、戦後の左翼思想の欠点であると言えるでしょう。皆平等、弱者の人権、男女平等、子供の人権などなどと綺麗ごとだけを言い過ぎたせいで世の中の調和が崩れてしまっていると言えます。
私の肌感覚的には今の日本で一番礼儀正しいのは20代の男性です。元ホテルマンのわが社の副社長の深澤哲也も同意見でした。
自分軸が強くなるにつれて、相手軸が弱くなって礼儀正しさがなくなるなら、まだ百歩譲って良いと思うが、実際には能力もないのに年齢と位だけがあがって偉そうにしているおっちゃんたちが跋扈しているように感じられます。
これに歯止めをかけるには自分軸を強くする、すなわち体力、気力、知力、金銭力、胆力、精力の6つの力を強くする必要がありますが、このうちの体力、気力、知力が鍛えられるのが長距離走、マラソンです。
特に、市民ランナーの場合はそうです。
競技者の場合は良くも悪くも指導者の立てた練習計画に従うだけですが、市民ランナーの場合は自ら学び、研究し、計画を立て、実践し、結果を分析し、修正を加えるということをやっていかなければなりませんから。
今回の記事内容が参考になりましたら幸いです。




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