生きて持久に徹せよ
1944年3月28日
「烈々の士気~ 見~よ~歩武を
野をゆき、山行き、土に伏し~
寒熱何ぞ死を越えて~
挺身血沸く真男児~」
「いよいよですね~」
ご機嫌に歌う池上中尉に深澤少尉が話しかける。二人の間に階級の差はあったが、陸軍士官学校時代からの10年以上の付き合いで、随分親しい間柄である。
「まさか、世界最強の陸軍と呼ばれた我々照師団の部隊が南洋の小島で米国と一線まじゆることになるとはな」
「元々我々の任務って対ソ防衛じゃなかったでしたっけ?」
「最低限が対ソ防衛、更にドイツがバルバロッサ策戦(モスクワを目指して進撃したドイツ軍の軍事策戦行動)の時に西と東からドイツを挟撃する案もあったらしいけど、何故かそうならんかったんよな」
「なんでやらんかったんですかね?」
「さあ、一説によると外相の松岡さんが日独伊三国同盟にソ連を加えた四国同盟を結ぼうとしてたらしい」
「それはまた壮大な。それが実現してれば独ソ戦もなかったってことですね」
「いや、実現することはあり得んよ。お前デア・フューラーの書いた『我が闘争』は読んだか?」
「何ですか?デア・フューラー?」
「ヒトラーのことやな。『我が闘争』はヒトラーが口述筆記で出した書籍のこと」
「いや~、読んでないですね。何が書いてあったんですか?」
「いやまあ、色々書いてあるから一言では言えんが、とにかくあれを読めば、ヒトラーの嫌いなもの3つはユダヤ人を筆頭とする劣等人種、共産主義者、ヴェルサイユ条約を結ばせたドイツ革命政府と連合国であることは誰でも分かる。つまり、共産主義の親玉であるソ連とドイツが軍事同盟を結ぶことは先ずあり得ないってことが松岡さんには分からんかったんかな?」
「なんかあれらしいですよ。僕が聴いた話では、松岡さんはヒトラーとかリッペントロップ外相からもうすぐソ連を攻撃するって聞いてたし、山下中将もドイツのソ連攻撃を見抜いてて松岡さんに言ってたのに、全然本気にしなかったらしいですよ」
「真剣に他人の話聞かないパターンか。ところで、なんで山下中将はドイツのソ連侵攻を見抜いておられたん?」
「なんでも、ドイツ軍が訓練を終えて、武器を倉庫にしまう時に、その砲口が全て東を向いてたそうです。人間は無意識のうちに、敵の方角に砲口や銃口を敵の方向に向けるものだとのことだそうです」
「なるほどなぁ~。逆もそうやもんな。たとえ、弾が入ってなくてもなんとなく銃口を味方に向けないように気を付けるもんな」
「そうなんですよ。味方に向けないように収納すると、あと残りは三方角、どうせなら敵の方向に向けておこうってなるんでしょうね」
「なるな~、確かになるわ。それで考えると、松岡さん妄想ばっかりで頭の中だけで構想練ってた説出てくるな。コカイン中毒説もあるしなぁ」
「いや、あれかもしれないですよ。股間にコカインかもしれないですよ」
「股間にコカインはお前あれやんけ、勝新太郎さんやんけ」
「それかもしくは股間に降圧剤かもしれないです」
「股間に降圧剤はお前あれやんけ、サンドウィッチマンやんけ」
日を過ぎるごとに太陽は暑さを増していった。明らかに船は赤道へと近づいて行った。真冬は零下30度に達することもある満州国境の外蒙(外モンゴル)警備に当たっていた二人にとっては、体に堪える暑さである。
1944年4月24日
「あ~、やっと着いた。やっぱり俺は陸の方が良いな~。はい、これ後で皆に口頭で伝えるから、お前先に目通しとけよ」
「なんなんですか、これは?」
「井上師団長からのお達しや。俺たちの新しい主君からの「照作命三十六号」、作命は作戦命令の省略形やな」
「まあ、一言で言えば、敵はこのパラオ群島を狙って攻め寄せてくるから、そのうちの一つであるペリリュー島の守備が我々に命ぜられてるってことですよね?」
「まあ、そういうことやな。おそらく、グアム、サイパン、テニアンから硫黄島へとさらに北西に進み、そこから東京湾、あるいは千葉の九十九里浜あたりから侵攻を狙う組とパラオ群島から比島、そこから台湾や沖縄へと北東へと進み、九州から大八州へと上陸する組の二手に分かれて攻撃してくるんやろ」
「我々はそのうちのパラオ群島、比島、台湾、沖縄へと至る道を封鎖してしまうってことですね」
「せやな。完封勝利が我らが任務やな」
1944年5月1日
「It’s a long way to Tipperary~, It’s a long way to go~」
兵九郎は額に汗を流しながらも、太陽と青空、白い砂という桃源郷のような美しい世界に酔いしれていた。
「戦雲の只中に~男児の心意気~
わ~れ~に正義あり~ 大和魂~」
その気持ち良く歌っている兵九郎の歌のリズムにのせながら、中隊一の大声で知られる池上中尉が兵九郎の歌声をかき消す。
「おい、貴様。洋楽には貴様らの脳を腐らせる電波が入ってるのを知らんのか?」
つかつかとあゆみ寄ってきた深澤少尉が兵九郎の顔を覗き込みながら言った。
「それ、男塾やん」
池上中尉がすかさず、合いの手を入れる。
「おい、兵九郎、上にばれたら面倒くさいから敵性言語はやめろ」
「すみません、つい、高学歴なもんで」
「何を貴様、小癪な」
池上中尉は笑いながら、兵九郎を小突いた。兵九郎は京都帝国大学生でありながら、志願して、戦場にやってきた。苦学生でポケットの中にはいつも五銭銅貨が数枚入っているだけである。
「しかし、今や栄えある大日本帝国陸軍の兵士として、勉学は忘れ、能うる限りの武勲を立て、池上中尉よりも先に陸軍大将になるのが目標であります」
「貧乏人が何を言うとんねん」
「戦に金の多寡は関係ありません。見よ、ポケットの中には~」
兵九郎がおもむろにポケットの中から五銭銅貨を取り出した。
「四銭(死線)を超えたこの五銭」
池上中尉も深澤少尉も思わず噴き出した。
「上手いこと言いますね~」
「上手いこと言わんでええねん」
「私は故郷(くに)に帰っても、私の帰りを待つ親兄弟はおりません。天涯孤独の身でありますから、他の人よりも死ぬのは怖くないのであります」
「恋人は?許嫁はおらんのか?」
「恋人はおります」
「だったら、一応帰りを待つ人はおるやないか」
「いえ、自分が惚れているだけで、向こうはこちらのことは何とも思っておりません」
「そんなこと、神様でもないのに分かるもんか。まあいずれにしても、俺たちがここを守備しなければ、お前が想いを寄せてるその子もヤンキー共におもちゃにされて集団強姦されるやろうな。それが嫌なら、とにかく穴を掘れ」
「それにしてもここの地面は固いですね」
「固くても祖国を守りたければ、掘るしかない。それが嫌なら、先にお前の恋人をヤンキー共にさし上げるんやな」
ペリリュー島の山や地面はまるで岩のように固く、ツルハシを使っても1時間で20㎝しか掘れない箇所もあった、三人とも手にはマメが出来、血マメになり、血が噴き出していた。一日中地面を掘りつづけて、終わりに手を離そうと思っても血が固まってはがれないこともあった。
それをそろりそろりとはがしてゆくのである。
1944年9月15日早朝
その景色は壮大であった。遥か見渡す水平線の彼方に、無数の輸送船団、空母、巡洋艦、駆逐艦、軍艦などが立ち並び、徐々に徐々にこちらに迫ってくる。
「いよいよですね」
「いよいよやな。おいっ兵九郎」
「はい!」
「お前俺よりも武勲をあげて、俺よりも早く大将になるんやろ?しっかりやれよ。頑張れば、俺が上に進言してやるよ」
池上中尉がニヤニヤ笑いながら兵九郎に話しかける。兵九郎は今日はさすがに笑わず、「大変恐縮です」と短く答えた。
ズガガーン、ドーン、ズーン
砲弾の音が殷々(いんいん)とあたりに響きわたる。
敵は上陸に先立って、海と空から島の形が変わるのではないかと思うほどの艦砲射撃と空爆を浴びせてきた。すさまじい爆音で誰も何も話す気も起らないし、話しても何も聞こえない。
兵九郎も穴掘りの意義がちょっとは分かったかな。池上中尉はふと思う。日本軍は穴や洞窟に隠れて、敵の爆弾を消費させるだけで、ほぼ無傷である。
ドーン!!
しばらくすると、海の方から爆音とともに水柱が上がった。糸満兵だ。
「あいつらやりやがったな!」
三人とも心の中で快哉を叫んだ。本当は喜びを分かち合いたいが、この爆音では何を話しても聞こえない。三人は目くばせだけで、その感激を分かち合った。
沖縄の糸満から来た素潜り漁師出身の海の猛者たちが爆雷を上陸用の船の底にしかけ、わが身もろとも爆破させたのである。次々と水柱が上がり、米軍兵士の血が海を赤く染めた。
「俺たちも負けてなるものか」
闘志はめらめらと燃え上がる。
いよいよ、米軍兵士が上陸を始める。池上中尉は自らの流行る気持ちを抑えるように手を横に広げて静止した。
先ずはこれを迎え撃つのは富田大隊と千明(ちぎら)大隊である。大隊二つで敵一個師団を迎え撃つ、戦力差は100対0と言って良い。しかし、誰も怯まない。
「大日本帝国万歳」
「天皇陛下万歳」
叫び声と共に、次々と敵戦車は擱座し、天まで届けと言わんばかりに、炎を空まで燃え上がらせた。
千明大隊の勇壮なる兵士たちがあんパンと呼ばれる丸い爆弾を抱えて戦車の下に潜り込み、わが身もろともに爆破したのである。戦車はその構造上、下が一番弱いのである。
火だるまになって、たまらずに戦車から飛び出してきた米兵たちは次々とわが軍の狙撃手の銃弾に倒れる。余分に苦しませないための情けの弾雨だ。
「うっ」
「あっ」
「助けて。お母さん」
あちらこちらで断末魔の叫び声が聞こえる。敵の艦砲射撃に叫ぶ暇もなく、肉片となって手足がばらばらに吹っ飛んだ者もいる。一方で、敵方を見やると、まるで臆病な亀のように僅か30㎝ばかりの岩陰に首をすくめて隠れている者もいる。
日米両軍共に殺意に慄き、簡単には前に進めない。両軍共に1m進むごとに誰か一人が死ぬと言って過言ではない。
未だどちらが優勢かよく分からないが、一個師団相手にわずか二個大隊で挑み、なおかつ海と空から雨あられと敵の爆弾が飛んでくることを考えれば、実質上はかなりの善戦と言って良い。我々は空を自由に飛び回る敵機を憎らし気に見上げながら、陸の荒鷲があればこんなことにはならかったのに、嘗てないほど、司令部を恨んだが、無いものは言っても仕方がない。
とにかく、他人は他人、自分は自分、自分の任務の遂行に全神経を集中させることである。
「反撃決死斬り込み隊は、戦車隊全力をあげ、これと共同し、飛行場北側よりアヤメ陣地方向に対し反撃し、敵を撃滅すべし」
中川州男大佐より命令が下った。
とうとう、3名にも出番が回ってきたのである。
3名は歩兵第二連隊第一大隊第七中隊に配属され、千明大隊、富田大隊の後から時機を見て、戦車隊として投入される予定であったのである。
3名とも、戦車に紐を固く結びつけ、それを固く握り、戦車に脚をかけて捕まった。戦車隊に配属されると言っても、戦車兵ではない。銃剣を装着した小銃と腰に差した尉官用軍刀で敵を屠るのである。
ブオーン、軽快な音をたてながら、戦車はキロ3ペースでペースを刻んだ。抜けるような青空、青い海、ヤシの木にぶら下がるヤシの実、もしも戦場でなければ、大金持ちでもこれほど楽しい休暇はないと思えるような状況である。
ガガガガガガガガガガ
突如として、敵の対戦車砲が火を噴いた。我々は戦車の下に隠れているから無傷であるが、キャタピラに多くの砲弾が当たっている。戦車が動きを止めるのは時間の問題である。
「深澤、兵九郎、深澤、兵九郎」
池上中尉は大声で名前だけ呼ぶと戦車から飛び降りて、右前方にある岩陰に身を寄せた。初めから、ちょうど良い遮蔽物を見つけて敵を狙撃するつもりであったのだ。
二人とも5秒遅れで合流すると、次々と敵を狙い撃ちにした。弾数は多くはない上に、銃火が多くなると敵に見つかる可能性が高くなる。確実に狙いを定めてまた一人、また一人と仕留めやすい者からあの世に送っていった。
一番あの世に送りやすいのは薄っぺらい人道主義者である。被弾した味方兵に駆け寄る未熟な兵士が必ずいるので、一人打ち倒したら、周囲に照準を合わせ、思わず駆け寄ってくる兵士を狙い撃ちした。
斬り込みはいつでも出来るが、弾は手元にある分しか打てないので、先ずは慎重に弾を使うというのが池上中尉の考えである。
一方で、皇軍兵士らしく勇猛果敢なる斬り込みを決行するものも多数いた。伊東軍曹は剣道二段である。伊東軍曹は刀を抜くと音もたてずに相手にすり寄り、サッと胴を払った。しぶきのように血が噴き出して、巨体の米兵がもんどりうつ。それを見たもうひとりの米兵はもう逃げ腰なっているのをサッと間合いを詰めて右肩から袈裟懸けに切り下し、返す刀は敵の下あごから右上へと切り上げた。
ハンサムな米兵の顔は真っ二つに割れ、鉄帽を払いあげる時に、刀がカチンと音を立てる。白い砂浜は瞬く間にどす黒い血に染まった。
先祖伝来の一文字行広を振りかざした高野少尉は、あと二、三歩で敵の戦車にとびかかろうとした寸前、重機に狙われた。全身数十発の重機の弾丸は、少尉の腹部を引き裂き、内臓は半分はみ出していた。
高野少尉は軍刀を杖によろめきながら、傍らに倒れた兵が持っていた棒地雷を拾い上げ、敵戦車をにらんだ。敵戦車に向かって一歩踏み出そうとした瞬間、内臓が足元にぶら下がる。
そのとき先頭の敵戦車が味方の火炎瓶で黒煙を上げて燃え出した。たまらずに敵兵が砲塔を開けて火だるまになって転げ落ちてくる。高野少尉は渾身の力を込めて軍刀をこの敵兵に向かって投げた。見事に軍刀は敵兵の胸部を貫き、同時に高野少尉も絶命した。
戦車の陰に隠れている米兵に照準を合わせ、引き金を引こうとしたまさにその瞬間、日本の戦車が敵のM4戦車に体当たりするのを見る。まるで、小さな体でヘラクレスオオカブトに立ち向かう日本のカブトムシのようである。両戦車火を噴いて擱座する。
日本の戦車の天蓋が開いて驚いた。まだうら若き、10代後半くらいの少年兵である。さぞ、中学に通っていればモテたであろう、その少年兵は左手にピストル、右手に軍刀を振りかざして、まさに敵に向かって突撃しようとした瞬間、敵の銃口から一斉に弾が放たれ、蜂の巣になった。
「この野郎。やりやがったな」
池上中尉と深澤少尉、兵九郎の3人は彼を屠った米兵共に弾を放った。米兵に次々と照準を合わせて、引き金を引いた。その日本の少年兵は「天皇陛下万歳」と叫びながら、戦車から転げ落ちて動かなくなった。3人はそれを見ながら、また一人、また一人と照準を合わせて引き金を引く。
「うっ」
「兵九郎」
池上中尉は兵九郎に駆け寄る。
「これなら、大丈夫だ。傷は浅いぞ」
さすがにそれは無理があるか。池上中尉は言ってから思った。兵九郎は胸を撃ち抜かれていた。
「水、水を飲ませてください」
水を飲ませると出血がひどくなって助からない。しかし、これはどう見ても助からない。私は水筒の水を口に含ませてやる。兵九郎の焦点はもうすでに合わず、はるか彼方を見つめていた。
「恋人よ、俺の為に悲しんでくれるか。そうかそうか。泣くな、泣くな。泣かないでくれ。俺は良い気持ちだ」
兵九郎は蚊の鳴くような小さな声で鼻歌を歌っていた。池上中尉と深澤少尉の耳にははっきりとそれが聞こえた。
「It’s a long long way to Tipperary~. But my heart’s right there~」
2人とも兵九郎の為に英語で歌ってやった。
1944年10月19日
米軍がペリリュー島に上陸してから、すでに1か月以上が経過していた。圧倒的に物量に劣る我々は当初の策戦通り、洞窟陣地に引きこもり、敵の海と空からの憎らしいほどの砲弾と爆弾を凌いでいた。
「水、頼む、誰か末期の水をくれ~」
「衛生兵、殺してくれ。頼む、殺してくれ~」
洞窟陣地の奥に作った野戦病院では断末魔の叫び声が鳴り響き、傷口にウジ虫がわき、すさまじい腐臭を放ってまさに生き地獄であった。そこには手足をもがれたもの、やけどで誰かもわからないほどの顔のもの、腹を撃ち抜かれて虫の息のものがいた。
「おいっ、深澤見てみろよ!」
池上中尉の声が弾む。
「どうされましたか?」
「あれっ、もしかして、巨大な給水車ちゃうか?」
「本当ですね!」
「あれを分捕ってきたら、俺たちは英雄になれるぞ」
島内のわずかな水源は米軍に完全に占拠され、我が方は水不足にあえいでいた。それでも、5ガロンの水の缶を米軍が持っているのを発見し、夜間斬り込みの際に、敵からちょくちょく分捕ってきていたのである。
しかし、今目の前に見えるのは5ガロンなんてものではない。皆で少しずつ分けて飲めば1週間くらいは持ちそうな分量である。
「あれっ、いっちょ狙ってみるか?」
「良いですね。行ってみますか」
「とりあえず、敵さんが何人くらいいて、どんな装備を持ってるか見てみよう」
「あれっ、なんかでもホースから洞窟の中に水まいてますよ」
「ホンマやな、なんかおかしいぞ。まさか、戦争終わった?」
「まさか、そんな訳ないでしょ」
「せやんな。いくらヤンキー共が臆病者とは言え、いくらなんでも降伏が早すぎるよな」
「あっ!!」
米軍はあっという間に、火を放つと洞窟内は激しく燃え上がった。まかれたのはガソリンであった。米兵はたまらず飛び出してきた日本兵をハチの巣にしようと外で待ち構えているが、誰も出てこない。当たり前である、我々は数日前に場所を移動していたのだ。
「そっちがその気なら、こっちもその気になってやろう」
池上中尉はガソリンタンクを撃ち抜いた。バーベキューなら1000人分の肉は焼けそうなくらい激しく燃え上がった。今までも火炎放射器による攻撃はたびたび受けていたが、それでは火力が足りないことに敵方も気づいたのであろう。洞窟を丸ごと焼き払う作戦に出てきたのだ。
それをやられたら、我々もたまらない。生き残るのは不可能だ。先手を打たねばどうしようもない。
「伏せろ」
「もっと頭を低く」
なるべく敵から死角になるように身をひそめながら洞窟から射撃を続けた。
ズガガガーン
池上中尉も深澤少尉も思わず吹き飛んだ。洞窟の入り口のすぐ横に戦車砲が撃ち込まれたのである。見ると、M4シャーマン戦車が少しずつ近づいてくる。ガソリンからの火炎放射器も怖いが、戦車砲の直撃弾を食らえば、洞窟内の戦友は全滅間違いなしである。
しかし、誰が猫のクビに鈴をつけるのか。
重い沈黙が流れる。3秒ほどではあるが、3分ほどに感じられた。
「小寺一等兵参ります」
声のする方を全員が見やる。全員が驚きの表情をしている。それに構うことなく小寺一等兵は続けた。
「親から死ぬときは潔く死ねと言われてまいりましたので」
京都から来た小寺亀三郎一等兵は鹿屋の基地で訓練をしていた時には銃の装填すらまともにできず、迫撃砲を打たせれば明後日の方角に飛んでいき、「のろまのカメさん」「お寺さん」と言われて、中隊の笑いものになっていた男である。
しかし今日、その面影は一つもなかった。勇壮なる皇軍兵士の顔がそこにあったのである。
小寺一等兵は水筒の水を全て飲み干した。我々が、水を飲みたい飲みたいと思いながらも、次いつ水を確保できるか分からないので、成るだけ我慢しながら飲んでいるその水を腹いっぱい飲みほしたのである。言うまでもなく、死の覚悟が出来た何よりの証拠だ。
小寺一等兵は棒地雷をもって、黙って洞窟を出た。重い沈黙が流れる。
1分
2分
3分
4分
5分
ズガガガーン
爆音とともに戦車は火を噴いた。
「やったー!!」
「やったぞ!!」
「小寺がやったぞ!!」
「俺たちも後に続かねば」
そんな声があちらこちらから聞こえてきた。この頃のペリリュー島には奇妙な方程式が出来ていた。幸福度一定の法則とでも言えば良いのだろうか。
死ぬのを何とも思っていないような勇壮なる男たちが集まってもやはり、生きるのは一日でも長い方が良い。
しかし、生きるのが一日長引けば長引くほど、苦痛もまた長引く。小寺一等兵が思い残すことなく、たらふく水筒の水を飲んでいるのを見て、誰もがうらやましいと思った。しかし、我々はまだ生きねばならない、水筒の水はペース配分を、それも成るだけ厳しいペース配分をしながら飲まねばならないのは当たり前の話なのである。
斯様にして、先に行っても、後から行っても、幸福度の総和はあまり変わらぬように感じられた。
1944年11月24日
すでに20日間ほど、水とわずかな米と塩と味噌だけで生活する生活が続いていた。食料と水もないが、戦闘の初期から日本軍は空と海からの支援もなければ、充分な数の弾もなく、戦車の台数も少ないという状況で戦っていた上に、緒戦の千明大隊と富田大隊の支援で、すでにその戦車の大半を失い、主たる攻撃は軍刀による夜間斬り込みになっていた。
この夜間斬り込みは非常に有効であったようで、米軍は「艦砲射撃と空爆をやめるから夜間斬り込みをやめてくれ」と空からビラをまいてきた。しかしながら、そんなことでやめる我々ではない、寧ろ、苦り切った敵の顔を想像し、心が湧きたったものである。
ついでに言えば、敵陣地から食料を失敬することが出来たので、隙あらば敵陣地から食料を失敬してきて、食いつないでいた。
しかし、食べ物が少ないのはどうしようもなく、余分なエネルギーを温存するために、昼間は洞窟陣地で身を潜め、夜になると狩りに出かけて敵の寝首と食料と水を獲ってくるという夜行性の動物のような生活を続けていた。
しかし、なかなかに耐えられない者も出てきており、士気旺盛な将兵たちは一気に敵の司令部に決死の斬り込みを決行し、玉砕しようという案もあった。しかし、パラオ本島の井上師団長の命は「生きて持久に徹せよ」であった。
そんな状況であったが、11月24日大山に生き残りが集められたのである。その面々を見て、池上中尉も深澤少尉も驚いた。わずかに50余名しかいないのである。根本大尉からは村井少将、中川大佐、飯田少佐の3名は見事な割腹自殺を遂げられたと聞かされた。
「本日午後六時より最後の斬り込みを行う。最後の最後まで尽忠報国の気持ちを持ち、米奴を一人でも多く屠られたし。以上」
池上中尉と深澤少尉は目くばせして、うなづいた
数日前
池上中尉は地図を深澤少尉に見せた。
「おいっ、お前なら最後どこに逃げる?」
海岸線から米軍は上陸を開始し、そのまま海岸線と重要拠点である飛行場を占拠していった。一方の日本軍は中山、天山、富山、大山、観測山、東山、南征山などの山に掘りめぐらした洞窟にこもり遊撃戦を続け、米軍がそれを包囲するようにじわじわじわじわと距離を詰めてきたというのがそれまでの戦いである。
「単純に標高が高くて、島の中心地にある中山か観測山でしょう」
「その後よ、中山、観測山に移動しました。それでも米軍の包囲網はじわじわと迫ってくる、さあ、どうする?」
「どうするって言われても、もう玉砕覚悟で最後の突撃をするしかないでしょう?」
「まあまあ基本的にはそうやな。でも、井上師団長の命令は生きて持久に徹せよやで。その命令を守るならどうする?」
「捕虜になるとかですかね?」
「いや、捕虜になっても殺されない保証はないし、拷問されたらいくら俺らでも日本軍の情報を話してしまうかもしれん。捕虜になるなら自決した方が良い。逃げるならどこに逃げる?」
「どこに逃げるって言っても逃げるとこないじゃないですか」
「俺な、昔カブトムシ飼っててん。あいつら、昼間はずっと土に潜って身を隠して、夜になったら外に出てきて、木の樹液を探し、魅力的なメスを探して飛び回る。俺らも地面に隠れて、夜に引き続き夜間斬り込みを実施して、米軍の食料と水を確保すれば生きて持久に徹せられるんちゃう?」
「いや、無理でしょ。洞窟から出るだけでも難しいのに、地面に穴なんか掘ってたら敵ににばれますよ」
「俺もそう思ってん。それで思い出したんやけど、チンパンジーかゴリラかどっちか忘れたけど、木の上にベッドを作って、木の上で寝るらしいねん。これならいけるやろ?」
「木の上で寝れますか?」
「交代で寝よう。片方の体を支えながら寝れば大丈夫」
「まあ、池上さんがそう言うならやってみますか」
1944年11月24日午後6時
根本大尉はパラオ本島へ打電を打つ。
「十八時より遊撃戦に移行す。遊撃隊長根本大尉より。
根本大尉以下五十六名以下十七組、二十四日一七00編成完了。遊撃戦闘を続ける准尉以上左の如し。
大尉 根本 坂本 阿部
中尉 中須 村堀 塚田 岡田 関根 池上
少尉 細田 糸部、深澤
軍医准尉 分田 繁田 本山
准尉 佃田 石田 植山 形見
主計准尉 大下
衛生准尉 床井
主として敵幹部及び兵員を随所に奇襲し、以て地区隊長の意志を継承し、持久に徹し、集団司令官閣下の御意図に副わん。
遊撃隊員は一同士気旺盛、闘魂を燃やし、神出鬼没、敵の心胆をさむからしむ。夜鬼となり、これが紛殺を期せんとす。通信断絶の為本日以降聯絡期し難きも御諒解を乞う。最後は何等かの方法を以て報告致度」
遊撃隊はこの電文を最後に、その夜、大山をあとにした。
1975年5月
日本では小野田少尉、横井庄一軍曹の二名が約30年ぶりに祖国の土を踏み、日本中では話題になっていた。これで最後の日本兵が帰還したと思われていた。
「今日も平和やなぁ」
「平和ですね~」
「ってかさ~、俺らの任務っていつ終わるん?」
「だいぶ生きて持久に徹しましたね~。もう基礎的持久力も特異的持久力もこれ以上ないくらい高まってますよ」
「ホンマやで。ってかさ、多分井上師団長もう死んでるよな?」
「死んでますかね?」
「まあ、死んでるとも言い切れんか。まあでも、生きててもだいぶおじいちゃんにはなられてるはずやな」
「まあそうですね~。これで死んでたら命令を解除する人がいないので、我々も一生帰れないですね」
「マジか~、業務の引継ぎしといてくれよ~」
「っていうか、多分我々もう死んでると思われてますよね」
「まあ、普通に考えてそうよな。敵さん1万名以上に対して、我々2名で身をひそめながら敵を1人ずつ殺し続けたとはまさか思わんやろ」
「でしょうね。まあでも、もう日本に帰らなくても良いですけどね」
「せやな、こっちで奥さんもらって子供も授かったしな。まあけど、次ペリリュー島が戦場になったら、俺らの情報は非常に役立つで」
「どこに何があって、どこにどんな洞窟があって、どの洞窟がどこに繋がってて、米を作るならどこが良くて、簡易の武器弾薬工廠を作るならどこが良くて、海岸線がどうなっていて、どこが遠浅でって全部分かってますもんね」
「伊能忠敬並みに歩き回ったからな」
「伊能忠敬はもっと歩き回ったんじゃないですか」
「さすがにそこまでは歩き回ってないか。ってか次いつ戦争するんやろ。それか戦争してるけど、もうペリリュー島は戦略上必要ないのかな」
「いやでも、もう一度米国と戦争するなら、やっぱりマリアナ諸島から関東方面にあがるか、ラバウル、パラオ、フィリピン、沖縄ルートしかないんじゃないですかね?」
「北から行って、アラスカ、アリューシャン列島、北海道経路もあるで」
「あ~、そうですね~。まあでも、その三経路くらいですか」
「それか、船の巡航速度がとんでもなく速くなってて、太平洋上で海軍が戦って、勝った方がそのまま敵の本土に上陸してたりして」
「だいたい日本と米国の距離が9000㎞として、時速300㎞で進めば30時間、水の抵抗を受けてそんなに速く動けるもんですかね?」
「さすがに無理か」
「さすがに無理じゃないですかね~。陸の上ならいけるでしょうけど。まあでも空ならいけますね」
「確かに、輸送船じゃなくて輸送飛行機みたいな数十人、数百人が乗れる巨大な飛行機を何機も飛ばせたら、制空権を握った方がそのまま敵本土に上陸はありえそうやな」
「なくはなさそうです」
二人は虫の大群のように、無数の戦闘機が空中戦を繰り広げる様子を思い浮かべた。思えば、ペリリュー島で米軍と戦う30年前には戦車はなかったのである。それを思うと、米軍とこの島で干戈(かんか)交えて30年経った現在では歩兵のように縦横無尽に無数の戦闘機が飛び交っていることは充分あり得る。
「いずれにしても、俺らが祖国の土を再び踏むことはないかもね。まあそれでも良いけど。晴れ渡った青空、青い海、白い砂浜にヤシの実、新鮮な魚は獲れるし、山には野牛もいるし、鹿もいるし、ある意味永遠のバケーションみたいなもんやな」
「パーマネントバケーションですね」
「永遠の休暇ってとこか」
二人は砂浜でココナッツジュースを飲みながら沈みゆく夕陽を見ていた。あの日、海の水が真っ赤に染まったそのままの色である。
It’s a long way~ to Tipperary~ It’s a long way to go~
どちらともなく二人は歌い出した。長く戦闘から離れて地上の楽園で暮らしていると脳が腐ってしまいそうである。いや、もう腐ってしまったかもしれない。




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