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増田明美さんの名解説(迷解説?)とケニア紅茶

皆さん、こんにちは!


 現在花の都のパリではオリンピックが開催されておりますが、楽しまれているでしょうか?


 様々な話題の多い今回のオリンピックですが、今回も増田明美さんの名解説(迷解説?)が飛び出したのは3000m障害のレース中のこと。曰はく「ケニアは紅茶の産地で世界第二位、一位はインド、三位はスリランカ」とのことでした。


 大半の人にとってはどうでも良い情報かもしれませんが、ケニアから紅茶を仕入れ、その利益の全額をケニアの恵まれない子供たちに寄付させて頂いている弊社としましては、なかなか嬉しいというか、増田さん分かってるなーと思った瞬間でした。


 ちなみにですが、紅茶の産地の世界トップ3を見て何か気づくことはないでしょうか?


 インド、ケニア、スリランカの三国に共通することは?


 そう、イギリスの元植民地であるということです。


 そもそも論ですが、植民地とは一体何でしょうか?


 今みたいに旅客機があって、10万円から20万円ほど出せば、世界中どこでも往復出来るような時代の話ではありません。日本で言えば、江戸時代くらいからずっと植民地はあるのです。そんな時代に文化も言語も大きくかけ離れた遠くの地域を武力で制圧して一体何のメリットがあったのでしょうか?


 植民地の正体とは何でしょうか?


 早い話がブラック企業です。ですから、現地人を安くでこき使い、そこから茶葉を取って、加工し、本国であるイギリスに送ってその売り上げ代金はそのままほとんど利益として懐に入れるというのが紅茶ビジネスです。


 最終的に販売するのはイギリス本国ですから、やっぱりイギリス本国で需要のあるものでなければなりません。そうなってくると、やはり紅茶なのです。これも嘘か本当か分かりませんが、日本と違い当時のイギリスの水は不味くそのままではなかなか飲めなかったので紅茶にして飲んでいたそうです。


 弊社では、ケニアで取れる中でも最高級の茶葉を仕入れて販売しているのですが、この最高級の茶葉は現地人にとってはお高いものであって、なかなか手が出ません。そんなこともあって「俺たちはいまだに植民地だ」と愚痴をこぼされてしまいましたが、そこは少しお目こぼしをお願いしたいところです。


 そんな植民地ですが、アジアに目を向ければ、大東亜戦争を境目に一気に植民地が無くなりました。因果関係はやや複雑であり「日本がアジアを白人たちから解放した」と主張すると、必ず反論してくる人がいるので、あくまでも客観的事実の部分を拾っていきますが、地図を見れば一目瞭然で戦前には日本とタイしかなかった独立国が大東亜戦争を境にほとんどが独立国になりました。


 残念ながら、その後も中国でも朝鮮半島でもベトナムでもミャンマーでも内戦や戦争が続きましたが、少なくとも一応は独立国となる国が続出しました。


 その一端を担ったのは間違いなく日本であり、欧米諸国が現地人から共通の言語を奪い、武器を奪い、教育を奪い、なるべく現地人たちを離反しとなるべく歯向かわないようにしたのに対し、日本は教育を与え、武器を与え、軍事教練を施し、インフラを整備し、武器を与え、ポツダム宣言受諾後も自主的に現地に残って白人たちと闘った日本の将兵がかなりの数いました。


 そして、工作活動も様々に行い、例えばインドにおいてはインド独立連盟とインド国民軍という二つの単独行動していた勢力の橋渡しをしたのは日本の工作機関F機関や南機関であり、イギリス軍のインド兵(いわゆる英印軍)に独立側に加わるように呼び掛けたのも日本です。


 先日私と弊社副社長の深澤哲也が京都産業大学記録会に出場してきましたが、京都産業大学を設立したのはビルマ(現在の国名で言えばミャンマー)で諜報活動に精を出した岩畔機関の創設者でもある岩畔さんです。同じようにミャンマーで工作活動を行っていました。残念ながら、一応独立を果たしはするもののミャンマーは今でも内戦が続いており、現在でもたまに日本でニュースになっていたり、ランボー4では舞台にもなっていますが、とりあえずイギリスを追い出すことには成功しました。


 スポーツ界で言えば、巨人軍、西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)を日本一に導いた三原脩さんが自伝の中に「ミャンマーで現地人壮丁二千人に軍事教練を施す教育係に任命された」こと「インパール作戦で敗走する日本兵を追いかけてきた英印軍(英軍ではなく英印軍)を迎え撃った」ことを書き記されています。


 そうやって、有色人種が白人(ムズング)を追い払うのを見たアフリカ人達も各地で武装蜂起を始めました。


 ケニアにもその流れは波及する訳ですが、アジア各地が日本人の力を借りたように、ケニアもケニア人だけで独立を果たした訳ではありません。なんと同じムズング(白人)であるドイツ人の力を借りました。これは現地で私が聞いた話ですが、当時のケニア人達は「ムズングは死なない」と思っていたそうです。


 しかし、ドイツ人達は「ムズングも死ぬんだ。俺についてこい」と言って戦場に赴くとイギリス人を撃ち殺した、それで初めてムズングも死ぬということをケニア人達も知り、そこからの独立戦争を戦い抜くことが出来たそうです。


 そうやって、独立したケニアですが、いまだに自前の産業と呼べるようなものは農業とランニングと自然を売り物にした観光産業(ホテル含む)くらいでしょうか。


 ケニアの首都ナイロビ近辺は実はサファリパークなどを中心とした非常に大きな観光産業があります。ケニアに行くというと地の果てに行くかのように思われがちですが、ナイロビはかなり発展しており、外国人向けの大きなホテルもたくさんあります。


 最近はケニアも発展しており、物価が上昇しているので昔ほどのうまみはありませんが、それでもまだまだ日本と比べると安くで高級ホテルに宿泊できるので、観光にはかなり良いです。日本からだと結構遠いので選択肢としては微妙ですが、ヨーロッパからの観光客は非常に多いです。


 日本人がバリやプーケット、クアラルンプールなどの観光地にいって比較的安い金額で高級ホテルに泊まるのと同じです。


 ところが、私が滞在したイテンという町になると本当に農業とランニングくらいしかなくて、あとは学校の先生、町に一つの警察署、町に二つの銀行、町に一つの郵便局など限られた仕事があるだけです。


 ケニア全体でみても輸出できるような代物となると紅茶とコーヒーとランナー、そして意外にも切り花くらいしかないのが現状です。


 日本に輸入するとすれば、紅茶かコーヒーかランナーか、この3つしかないでしょう。


 そんな訳で、ケニアから紅茶を仕入れて販売し、その利益の全額をケニアの恵まれない子供たちに寄付するという活動を行っているのですが、ケニアから日本に輸送する途中でどうしても、箱が傷んでしまいます。比較的ましなものをお送りさせて頂いていたのですが、比較的マシなものからお送りさせて頂いていたので、残りの箱は結構傷んでおります。


 そこでですが、弊社の方で別の入れ物に詰め替えてお送りさせて頂いております。中は個包装のティーパックであり、品質には全く問題がありません。


 そのお詫びではありませんが、少しでも皆様にアフリカの香りを感じて頂こうと弊社のマスコットキャラクターレオのフィギュアと弊社の門番であるミーアキャットのエーレのフィギュアを先着10名様限定で入れさせて頂いております。


 レオと私はイテンからエルドレットというちょっとした都市に向かう途中の道にあるモイベンというコースで出会いました。モイベンは世界選手権のチャンピオンや世界記録保持者やメジャーマラソンのチャンピオン、トップ3、トップ6の選手たちがトレーニングをする有名なコースです。


 そこでのそのそ歩いていたライオンがレオです。気の合う男女が目と目が合うだけで惹かれあうように、私とレオも目と目が合ったその日から意気投合し、ケニアから日本に帰ってくる際に「俺も連れて行ってくれ」と駄々をこねるレオをキャリーバッグに入れて日本に連れて帰ってきました。



 今は事務所で買っているのですが、牛乳と餌の肉代だけで月10万円ほどになり、維持費が馬鹿にならず、弊社の経費をだいぶん圧迫しております。世間が電気代の高騰で頭を抱える昨冬も弊社は膨れるレオに比例して、膨れ上がる餌代に頭を抱えておりました。


 そんなレオですが、どうにも憎めず、ずっと弊社の成長を見守ってくれています。見守ってくれていると言えば、そんなレオにくっつき虫のようについてきたのが、ミーアキャットのエーレです。


 エーレは頼んでもないのに門番を引き受けてくれ、一日中弊社の前に突っ立っては敵が来ないかを見張ってくれています。今日もウェルビーイング株式会社の安全が保たれているのはエーレのおかげです。



 エーレはⅡ型池上機の赤い光が大好きで、疲れるといつも赤い光を浴びては任務に戻ります(頼んでないけど)。そんなエーレの大好物は鴨川と桂川の草地で獲れる様々な昆虫たちです。この季節は蝉をつかまえてはバリバリと音を立てながら食べています。ケニアでは蝉は取れないはずですが、日本に来てからすっかりと好物になりました。雨の日や狩りの調子が悪い日は私がリンゴやバナナを買い与えていますが、こちらはレオのようには食費がかさまずに助かっています。


 ケニアでは今日も様々な生き物が渇いた大地に土ぼこりを立て、高地特有のギラギラと輝く太陽に光をいっぱい浴びて様々な動植物たちが豊かに生息しています。そんな大自然の中で太陽の光をいっぱい浴びて育った茶葉がケリチョゴールドです。


 ケリチョゴールドが育った地域は大地溝帯(グレートリフトバレー)と呼ばれる大きな地割れのある所で、人類誕生の地とも言われています。様々な人種のDNAを解析した結果、人類誕生の地はアフリカ東部ではないかと言われており、ちょうどグレートリフトバレーのあたりなのです。


 そんな母なる大地から地球を半周してきたケリチョゴールド、地球からの恵みをたっぷりと受け取って頂ければと思います。皆様から頂いた恵みはそのまま地球の反対側の恵まれない子供たちに寄付をさせて頂きます。


 是非こちらをクリックして、ケニアの高級紅茶一度飲んでみて下さい。


 現在輸送費が高騰しており、次回から若干値上げさせて頂きます。予めご了承ください。

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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