馬鹿だから入賞できなかった長野マラソン
- 池上秀志

- 2 日前
- 読了時間: 11分
本日は今季のマラソンの締め(と言ってもニ本しか走らないけれど)を走ってきました。
結果を先にお伝えさせて頂きますと、2時間22分34秒、入賞まであと36秒足らずの10位でした。

レース展開は30㎞くらいまで淡々と進んでいきました。一人にならないに越したことはないので、誰かついていける人がいるのであれば、ついていこうと良い人を探したのですが、私にとってはペースが速すぎたので基本はずっと単独走で走りました。
そこから、25km過ぎから少しずつ苦しくなり、苦しいなと思いつつも後ろからちょうど良い人が追い抜いてきてくれたので、そこについていこうと思ったのですが、2,3㎞しかついていけないだけではなく、その2,3㎞のペースアップ(といっても落ちる前のペースに戻しただけなのですが)で一気にダメージが来て、体が完全に動かなくなりました。
ただ、自分の体の感覚的には脚が売り切れたわけでもなく、グリコーゲンが枯渇したわけでもなく、酸素負債に苦しんでいる感覚でした。要するに、前半から無気的代謝を使い過ぎたツケが今来ている感じでした。
そんな訳で、ペースを落とせばもう一度回復すると信じてペースを落とすも、思うように回復せずに肺のあたりも痛いし、足の甲も痛くなりだし、入賞も遠のき始め、私の頭の中では色々な思いが浮かんでは消えていきました。
「やめようか、いや、やめてどうするのか。走れているだけでもありがたい」
「こんなペースで走りつづけて意味があるのか、いや、まだ走れている間は大丈夫」
「もう、入賞は無理じゃないか、いや無理かどうかはまだわからん。それにやってダメなら恥ずかしくはないが、途中で投げ出したら情けないだけじゃなくて恥ずかしい」
「入賞する前提で考えたら、今やるべきことは何か?どうせなら、1㎞くらい完全にペースを落として、呼吸を整えた方が良くはないか?」
色々な考えが頭に浮かびながら、なんとか気持ちを積極的な方向性に持っていくように心がけました。
一度は歩いて水も飲んでみました。人生でレース中に立ち止まって水を飲んだのは初めてのことです。そこで一度心も呼吸も落ち着きました。
まだ、いけるんじゃないか。
ふと、そう思い、体を動かすと動き始めました。
30㎞までずっと1㎞3分20秒から15秒のあたりを刻んでいたペースが最大で1㎞3分49秒ペースまで落ちており、ここはもう本当にゴール出来ないんじゃないかという気持ちになりました。
また、ペースが落ちるとアドレナリンも出にくくなるので、足の痛みが増してきてもう走り切れないかと思いましたが、動き始めるともう一度アドレナリンが効いてきて、苦痛を感じにくくなりました。
しかし、残りはあと3㎞しかありません。
残りの3㎞をどのくらいでカバーできるのか、とにかく前を追いかけ、一つでも順位を上げるべく前を追いました。
沿道から11番と教えてもらっていましたが、8番は見えません。見えないけれど、マラソンは何があるか分かりません。途中棄権もあるから、最後まで分からない、9番だと思っていてもあとから8番になる可能性もあると思い、もう一度前を追いました。
なんとか一人抜き、もう一人にも追いつき、最後はトラック勝負ならぬ野球場勝負、ラスト200mまで勝負がもつれました。こうなれば、追う方が強いのが通常で、ラスト1㎞地点で7、8秒あった差を追いついたそのままの余勢を駆って一度は前に出ましたが、ラスト80mくらいで逆転を許し、ラスト20,30mでもう一度猛追をして、逆転を狙いましたが、敵もなかなかやるもので同タイム着差ありで10着となりました。
目標遂げられず地面を見つめた先に、何やら白いものが。即席の天然塩がもう地面に落ちていました。今日は気温に加えて風があり、汗をかいたらすぐに風で水分が蒸発したので、これまで走ったレースの中で一番自家製の塩が取れたレースでもあります。
ところどころ白くなるくらいのことは普通ですが、一食まかなえるくらいの塩が取れたのは初めてですね。まさか、そんなに塩が出来ているとはと思うくらい出来ていました。
レースが終わってから分析するに悔やむことが4つあります。
先ず第一に、大阪マラソンが終わってからのトレーニングです。大阪マラソンで、ある程度自分の練習とレースの結果に満足していました。
別の言い方をすると、練習の消化具合とレース結果を照らし合わせた時に、まあ練習で得られたものは全て出し切れたかなと、もう練習のレベルを上げないとどうしようもないかなという感じでした。
5000mとフルマラソンのレースペースを比較してもわずかに5㎞あたり1分23秒、こうなると3000mや5000mを速くしないとフルマラソンでもそれ以上記録を伸ばしようがありません。
そんなこともあって、長野マラソンもあるけど、次に向けても少し動き出そうかなと思い、大阪マラソン前にはやっていなかった1000m3本という練習を組み入れました。
しかし、これはやっぱりやってはいけないことです。
大阪マラソンから長野マラソンまで8週間しかありません。8週間しかない中で本来は新しい練習を取り入れるべきではありませんでした。
新しい負荷をかけたことによって、トレーニング刺激に対する適応の度合いは下がってしまったかなと今になっては思います。
また、単純に疲労が抜けきらないままにスタートラインに立ったというのもありました。そういう意味では、どこからきつく感じ始めたかと聞かれたら、10日前くらいかな~という感じです。
正直、レースで何キロ地点からきつくなり始めたかとかはあまり分析しても意味がないことです。きつくなったところに問題がある訳ではなくて、その前に問題があるからです。
それを考えた時に、もうなんとなく10日前刺激でも5日前刺激でも3日前刺激でも体が重く感じていました。
練習でマラソンレースペースは体に覚えさせていたので、何も考えなくてもそのペースでは走れましたが、それでも前半からなんとなく重いな、きついなという感じではありました。
1000m3本はやるべきではなかったかなと思っています。ただ、これに関しては先を見据えてのことではあるので、中途半端になってしまったことは否定しませんが、これを無駄にするか、有益にするかはこれからの自分次第だとも思っています。
ただ、第二、第三、第四の点については弁護のしようがありません。
先ず第一に、だいたい1㎞あたり3分20秒から3分15秒くらいで刻んでいければと思っていたのですが、誰かついていける人がいればついていこうと思っていたこともあり、初めの3分10秒でいってしまいました。
スーッといって気づいたらそのペースになっていたとかであれば良いのですが、自分でも速いなと思いながらついていったので、これは余計でした。
30㎞手前で後続に追い付かれたところも同様です。ここも無理についていかずに、自分のペースでいけば良かったのに、何を思ったのかついていってしまいました。
一時的にはペースを上げることが出来たものの、その後のダメージはかなり大きくなってしまいました。
そして、結局両方に共通して言えることですが、何故自分のレースにもっと集中しなかったのか、42.195㎞くらい一人で走れない訳がありません。スタートからゴールまで他人は気にせずに自分の力を出し切るレースをすれば良かったのに、何を血迷って今更に他人の力を借りようとしたのだろう?
無念無想とはかけ離れたレースであったと思います。最初から最後まで落ち着いて自分の力を出し切るレースが出来れば入賞は出来ると信じて走れば良かったのに、順位を数えながら頭の中で計算したり、ちょうど良いペースの人がいたらペースメーカーに使おうとしてリズムが崩れてしまったのは否めません。
これはもう対照実験が出来ない以上は肌感覚の話にはなりますが、1000m3本の話は無視してもレース当日に自分の力を出し切るレースが出来ていれば入賞は出来たのではないかと思います。
肌感覚で1,2分は速くなったように思います。
具体的に言えば、前半が69分35秒に対して、後半は71分半くらいではまとめられていたかなと。ラスト2.195㎞はもう一度1㎞3分17秒ベースまでペースを上げていることからも、このことは決して非現実的ではないと思っています。
自分でリズムを変えたことによる自滅の部分は大きかったかなと。
じゃあ、なんで私が自分のことを馬鹿だと思うのか?
実は結果が望むものではなかったからではなかったからではないんです。
結果はもうね、仕方のない部分はあります。最善を尽くした以上はそれ以上はどうにもなりません。
ただね、何が正しくて何が間違っているかは確率論的には出せるんですよ。
例えばですが、間が8週間しかない場合(今回大阪マラソンと長野マラソンの間が8週間)、上を目指して新しい練習を取り入れず、休養と調整期を除いてあとは同じ練習を同じような流れで繰り返す、これが確率論的に正しいことはもう分かっていることなんです。
レース戦術も同じです。
どんな時でも、落ち着いて自分の力を出し切るレースをする、なるべく無念無想の境地に至り、身体感覚に集中し、頭で考えない時に一番良いレースが出来る、これも確率論的に正しいことはもう確定しています。
なのにやらなかった、だから馬鹿なんです。
つくづく知っているのとやるのは違うなと思います。
結局ね、長距離走、マラソンはどこまで行けるかはやってみないと分からないし、勝てるか負けるか、入賞できるかできないかもやってみないと分かりません。
だから、事前に確率を出しておくんです。どのやり方が一番確率が高いのか。
これは、私が他人を指導している時に最も重視することです。
何故ならば、この簡単なことが理解出来ない、実践できない人が非常に多いからです。
せっかくこちらで一番確率論的に正しいやり方を指し示しているのに、「自分は持久型だから他の人と違う」「自分はスピード型だから他の人と違う」「自分は素質がないから他の人と違う」「自分は大人になってから走り始めたから池上さんが指導している人たちとは違う(実際には、指導している人のほぼ全員が大人になってから走り始めた人たちであるが)」などなどと理由をつけて、一番確率論的に正しい練習をやろうとしないものなのであるが、実際のところ、私も出来ていなかった訳です。
だから、私は馬鹿だと書くし、自分でもそう思うのですが、では何故自分は馬鹿なのか、これをもう少し分析してみましょう。
だいたい、馬鹿なことをする人間には感情が働いており、恐怖や不安に駆られて正常な判断が出来なかったのか、あるいは欲望に負けたのかのどちらかであることが大半です。
では、私の場合はどうだったのか?
やっぱり、私の場合も欲望に負けたと言えるでしょう。
先ず第一に、本来であれば大阪マラソンから長野マラソンまでに改善を目指すべきではありませんでした。改善したいのであれば、長野マラソンに出なければ良かったのです。
第二に、やはり入賞したいという気持ちが強すぎました。途中のレース展開がどうなろうと、自分の力を出し切るレースをすれば入賞できると信じて、あとは無心に自分の力を出し切るレースをすれば良かったのに、それが出来なかった、「入賞したい」「負けたくない」という気持ちに負けてしまったと言えます。
欲望を統御するにはどうすれば良いのでしょうか?
一つは確率論的に考えること、確率を事前に出しておくことでしょう。
私が正しいやり方、間違ったやり方、あるいは何も書かなくても原理原則とか理論と書く場合には確率論的に正しいやり方と理解してもらえると良いでしょう。
しかし、それを出した上で感情の問題となると別問題になることもある訳です。
1000m3本を導入したのはある程度の考えはあっての上の話なので、まあ良いかなとは思います。
これが活きるか否かは今後次第でしょう。
では、入賞したいという気持ちを統御するにはどうすれば良かったのか?
これに対しては信念を強くするの一言に尽きるでしょう。信念が強ければ、途中がどんなレース展開になろうと自分の力を出し切るレースが出来れば入賞できると自分を信じ、最初から最後まで自分のやるべきことに集中できたはずです。
これが考え方の違いと信念の違いです。
考えは頭でやるものです。論理でやるものです。
一方で、信念は肚(はら)で練るものです。
あるいは生き方や日々の考えや日々の思考や日々の姿勢、まあ結局生き方そのもので作るものであると言えるでしょう。
まだまだ私も未熟であったと反省しきりです。
ただ、私が有難いなと思うのは、マラソンはこうやってはっきりと結果で教えてくれるからです。
一般社会はこのようにはっきりと順位と記録という数字で表れないことも多いため、自分が正しいか間違っているかが分かりにくい部分も大きいように思います。
だからこそ、マラソンでその感覚、つまり自分の未熟さをいち早く見つけ出し、それを改善し、一般生活、実社会、人生そのものに活かしていくことが重要だと思っています。
お互いに、走道の精神を忘れずにこれからも精進してまいりましょう。
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私も長野マラソンを走りました。レース前のトラックでのアップ中、もしかしたら池上さんもアップされているのではないか、と探したところ建物内にいらっしゃいました。また、スタート間際までジョグされているのも、遠くからよく見えました。
ブログを読んで、あらためて走ることを追究することが、日々の生活をよりよくすることに繋がると感じました。ありがとうございました。