私のピーキング発見記
更新日:3月20日
あなたはもう昨日のブログ記事「結果を出す人と結果を出せない人のたった一つの違い」をお読みになられましたか?
まだお読みになられていない方は今すぐこちらをクリックして、お読みください。長距離走、マラソンが速くなる上で必須の学びが得られるとともに、それを読まないと本日の話が理解出来ません。
さて、本日は私がピーキングというものを重視するようになったきっかけをお話させて頂きます。少々私の昔話にお付き合い頂けますと幸いです。
先ず、私は元々洛南高校という名実ともに日本一の陸上競技部で陸上競技をしておりました。
その時はもちろん、先輩、同輩、後輩に恵まれ、良き恩師にも恵まれ、合宿にいけば、佐久長聖、大牟田、鹿児島実業、九州学院、美馬商業、出雲工業、鳥取中央育英高校などの全国高校駅伝の常連校さんたちと一緒に合宿をし、練習相手にも指導者にも困ることはありませんでした。
ところがです。
大学は京都教育大学で帰宅部として走ることにしたのです。一時期陸上競技部にも所属しましたが、京都教育大学では練習計画は自分で立案し、また練習相手もおりませんでしたから、結局一人でやっていたのです。
そんな訳で、大学入学と同時に市民ランナーになったと言って過言ではありません。状況は今の皆様と同じです。
あるいは現在の私と同じです。ただ、現在は仕事をしながらなので、当時ほどは勉学に励めないという違いがあるだけです。
さて、そんな環境の変化があって、私は一つの問題に直面しました。
それは「練習で追い込めない」ということです。これは頑張れないという意味ではありません。頑張っているのだけれど、体がレースやライバルたちと競り合っている時と同じように体が動かないのです。
やっぱり良きライバルに恵まれ、良き恩師に恵まれ、といった環境とは異なり、どれだけ追い込んでいるつもりでもなかなか追い込めませんでした。
試合で走れるならそれで良いじゃないかと思われるかもしれませんが、やはり日々の練習の積み重ねでレース結果は決まる訳ですから、それではなかなか記録が伸びない訳です。
初めは私も精神面からアプローチしました。この頃にだいぶスポーツ心理学、仏教、ヨガなどの研究をして、精神面からのアプローチで乗り越えようとしました。
これによって、だいぶ人間の限界に近づいたのではないかとは思っています。今でも苦痛にはだいぶ強い方ですから、体調が悪かったり、脚が痛かったりしても周囲にはなかなか信じてもらえないという欠点があるくらいです。
ただ、二点の問題点がありました。
先ず第一に、だいぶ精神の方が強くなったとは言え、やはり火事も起きていないのに火事場の馬鹿力を発揮するのには無理があります。ある程度は想像力を働かせて、つまり瞑想の力でもってして力を発揮することは可能です。
でも、やっぱり瞑想状態で火事が起きていると思うのと、実際に火事が起きているのとでは違いがある訳です。
これは元傭兵の高部正樹さんという方の本を読んでいて書いてあったことなのですが、日本人で傭兵になるような人は自らのことを義勇兵と呼び、大義の為に戦う人が多いそうです。
一方で、白人の傭兵は「ファン」とか「エキサイティング」の為に戦う人が多いそうです。戦場で味わう高揚感、アドレナリンというのは決して日常生活では味わえず、一種の中毒になるそうです。
ある人は一度は引退し、事業で大成功し、美人の妻を娶り、プール付きの大豪邸に住み、高級車を乗り回し、そして最後は汗と泥と弾丸にまみれて、ろくに給料も出ない傭兵生活に戻ったそうです。
いくら物質的に満たされたとしても戦地で味わう高揚感、アドレナリンの分泌には勝てないそうです。
この感覚は私にもわかるというか、皆さんにも分かるのではないでしょうか?
ある程度は瞑想の力でもってして、戦場やレースをイメージすることで、緊張状態を人工的に作り上げて、力を発揮することが出来ても、やはり現実に戦場やレースの場に立つのとは違います。
ですから、練習で追い込むことの限度があるのです。
これが第一点目の問題点です。
第二の問題点は、第一の問題点と相反する問題なのですが、じゃあ追い込めたら良いのかという問題が第二の問題として挙がってきたのです。
先述の通り、だいぶ火事場の力的なものをたった一人で行う長閑な河川敷の練習でも発揮出来るようにはなりました。
しかし、それでかえって結果に繋がらなかったり、走力が低下したり、故障したりということを繰り返すようになったのです。トレーニング刺激が大きすぎると、走ることすらできなくなったり、走れたとしても頑張れば頑張るほど走力が低下するというような事態になってしまったのです。
つまり、追い込めないから速くなれない訳ではないのです。追い込めたら追い込めたでそこでまた問題が生ずる訳です。
これも多くの人が勘違いしているところです。頑張れば頑張るほど、きつい練習をすればするほど速くなると思っている人が多いですが、長距離走、マラソンはそんな甘いスポーツではありません。
そこで、私の頭の中にパッと閃いたのが「組み合わせの妙」という言葉です。それと同時に「合成の誤謬」という言葉も頭を過りました。
「組み合わせの妙」という言葉は誰から言われるともなく、私の頭にパッと閃いたのです。純粋直観の世界です。
そして、おそらくこの「組み合わせの妙」という言葉は経済学の用語である「合成の誤謬」から生まれた言葉でしょう。
「合成の誤謬」とはどういうことかと言いますと、普通に考えたら全体は部分の総和になるけれど、実際にはそうならないことがあるという概念です。
分かりやすく説明しましょう。
5歳児は可愛いですね?
可愛くない方はまだ人としての心が芽生えてませんから、修行を積んでくださいね(笑)
5歳児を見て可愛いなと思わない人はまともな人の心を持ってませんよ。
では、5歳児、特に男の子を5人、10人集めたらどうなりますか?
手の付けられない悪ガキ集団になりませんか?
これが合成の誤謬です。
一人なら可愛い、そして単純に全体は部分の総和であると考えるならば、1人の5歳児よりも10人の5歳児は10倍可愛いはずです。
しかし、実際には手の付けられない悪ガキ集団になる、これが合成の誤謬です。
トレーニングにおいても往々にして、こういうことが起こるんです。あの練習も上手くいった、この練習も上手くいった、でも全体的に見れば調和が取れていないから、結果に繋がらなかった、これが合成の誤謬です。
合成というのかどうかは分かりませんが、サブ3.5を目指している人が1㎞5本を4分20秒切ってやれたらサブ3.5出来るとか、サブ3を目指している人が10㎞40分を切れたらサブ3出来るとか、30㎞走を1㎞4分15秒ペースでやれたらサブ3が出来るとか、信じている人多いですけど、必ずしもそうではありませんね?
これが部分だけを見て全体を見ていないと起こる現象なんです。
まあまあ、上手くいかない方に目を向けても仕方がないので、この話はもうこれで終わりで良いのですが、私がふと思ったのはここなんです。
合成の誤謬があるなら、その逆もあるのではないのか?
つまり、一個一個の練習ではそこまで追い込まなくても、様々な練習を巧妙に組み合わせることで結果は出せるのではないか。
この組み合わせ方を考えることの方が、一回一回の練習で限界まで追い込むことよりも重要なのではないか。
私は自然とそう悟ったのです。この時に浮かんだ言葉が「組み合わせの妙」なのです。
元から私こういう考え方好きなんですよ。
昔読売ジャイアンツ、西鉄ライオンズ、大洋ホエールズの三球団を率いて、日本一に導かれた三原脩という人がいました。
この人がおっしゃるには「一流の選手は普通に試合に出し続ければ良い。しかし、普段は二流ではあるが、状況次第では一流の働きをする超二流とも言うべき選手がいる。また、一流の選手でも調子が下降すると二流の働きになることもある。こういった全体を見ながら、常時一流の力を発揮する選手を試合に出し続けることが選手起用の要である」ということを著書に書いておられるのです。
ここで鍵を握るのが超二流の存在になる訳です。守備だけは上手い、チャンスの時だけ強い、左投手にだけ強い、左打者にだけ強い、走るのだけは速い、代打で力を発揮する、1イニングだけなら一流の働きをする、こういう選手を巧妙に組み合わせることで、チームの力は個々の選手の力を単純に足し合わせたものよりも大きくなる、これが組み合わせの妙です。
では、どのように組み合わせれば良いのか?
言うまでもなく、週間スケジュールの中にも変化を持たせることが大切です。一回一回の練習でレースのように限界まで追い込むのではなく、様々な練習を上手く組み合わせることが大切です。
しかし、一週間は7日しかありません。自ずと限度があります。
そこで必要となるのが年間スケジュールの組み合わせです。年間通して、ある時期にはある能力の獲得に重点を置く、ある時期にはある能力の獲得に重点を置くという風に、それぞれの時期において獲得する能力を分け、それを組み合わせていくのです。
その結果としてどうなったのか?
もうご存知の方も多いでしょう。
ハーフマラソンは63分09秒まで伸びました。
高校時代は高校生の中だけでも271番にしかなれなかったのが、一気に日本ランキングの69番まで来ました。日本のトップまであと少しです。
今の感覚だとあんまり分からないと思いますが、当時はハーフマラソンは63分切ったら、立派に日本のトップ層でした。トップ10には入れなかったと思いますが、62分を切れる選手は日本に5人いるかいないかくらい、そんな時代でした。
もっと言えば、私が大学時代ですらも今と比べるとレベルが低いですが、当時は当時でレベルは上がっていたんです。
私が高校3年生の年の日本ランキングで言えば、63分09秒はトップ10に入るか入らないかくらいの記録だったんです。
高校生の中ですら271番にしかなれなかった私からすると大きな飛躍でした。
その後も基本的には一人で練習をして、30㎞は1時間31分53秒(1㎞3分3秒ペース)、フルマラソンは2時間13分41秒(1㎞3分10秒ペース)まで伸ばすことが出来ました。
これも今の感覚からすると、あんまりピンとこないと思いますが、当時はその年の日本ランキングの42番に入ったんです。
ここで重要なことは、私はあんまりキツイ練習をしなかったということです。
しなかったのと出来なかったのと両方あるのは先述の通りです。どのレースに向けて準備をするにしても、レースペースでレースの半分まで走るような練習はほとんどしておりません。
分かりますか?
レースペースで半分の距離すら走っていないんです。
30㎞までは目標とするレースペースで走らないとフルマラソンは走れないなんて、嘘八百ですよ。
そして、どの時期においても言えることですが、どの時期にだいたいどのくらいのペース帯の練習でどのくらいの分量をこなしておけば良いのか、これを理解しておくことが大切なんです。
結局のところ、決定的な違いはピーキングという考え方、戦略という考え方、組み合わせの妙という考え方を持たない人は、常に全力であり、練習でも速ければ速いほど良いという考え方なんです。
一方で、ピーキング、戦略、組み合わせの妙という考え方を持つ人はこの部分はこのくらい走れていれば良い、この部分はこのくらい走れていれば良い、そしてその最低基準に達すれば、あとは際限なく速く走るのではなく、余裕度を上げていくんです。
こうすると、心身ともに余裕が生まれますから、状態が安定しやすいし、高確率で結果を出せるし、一つの要素をクリアしたら、クリアしている練習の余裕度は上げて、出来ていない練習に重点を置くことが出来るので、出来ていない練習もクリアできていく可能性が高まるんです。
あとは上手くいかない時にどこが上手くいかなかったかが分かるんですよ。
この要素はクリアできたが、この要素はクリアできなかった、それが明確に分かっていれば、次のシーズン何をすれば良いのか、逆に出来ている部分は維持さえすれば良いというのが分かるんです。
これが分からない人は結局、毎回毎回全力なんですよね。全力で走りました、4時間切れませんでした、次も全力で走りました4時間切れませんでした、次も4時間切れませんでした、次もまた全力で頑張ります、この繰り返しになってしまってなかなか進歩が得られない上に、心身ともに疲弊していきます。
この違い、お分かり頂けるでしょうか?
最後に一番重要なことをお話させて頂きましょう。それは、私がこのように体得したことを市民ランナーさんに応用して、非常にうまくいっているということです。それも一人や二人ではありません。数百人の方にお使い頂いて上手くいっております。
劇的に記録が伸びております。著しい場合には1年で30分以上記録が伸びています。まあ、これはちょっと例外ですけれども。
しかし、年間10分ずつ、伸ばすとして、収穫逓減の法則が働きますから1年目15分、2年目10分、3年目7分くらいが適当でしょうけれども、こう考えると3年間で3時間31分の人がサブ3になるんです。
たまたま伸びているのではなくて、計算して伸びているの分かって頂けますか?
だから、成功確率が高いんです。
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