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セルフコーチングの本当の意味とは?

執筆者の写真: 池上秀志池上秀志

こんにちは、池上です!


 だいぶ暑くなってきましたね。今日は朝の4時半に起きて、一人で43㎞走(平均3:39/km)をやってきました。レースと比べるとペースが遅いとは言え、だいぶ疲労感なく終われて体が出来てきたなと感じています。昨日の5キロのテンポ走(3分6秒から2分53秒 15分5秒)の疲労感もなくそういった観点からもだいぶ体が出来てきました。


一人で40キロ走をするとか、30キロ走をするとか言うとかえってびっくりするのが大学、実業団の指導者の方々です。


 確かに、強豪大学とか実業団だと指導者の方とかマネージャーの方が練習見て下さって給水を渡してくださって、だいたい一緒に走る選手もいますもんね。でも、市民ランナーの方々からすると寧ろ一人で走る方が普通ではないかと思います。給水も地面においたり、ちょっとした段差のところに置いたりだと思うんです。


 私も自分で用意した4本の凍らせたボトルをしもやけになりそうになりながら、「つべたっ!」とか言いながら持っていき、朝早くから西京極まで一人でいってもくもくと走り続けました。途中で4本の給水を摂りながら。


 私と同じような境遇の中で走っておられる全てのアマチュアランナーの為に書いた書籍が先日出版させて頂いた『セルフコーチングの極意』です。書籍をすでにご購入くださった方もそうではない方も改めて本日考えて頂きたいのは、「セルフコーチングとはいったい何か?」ということです。


 私は18歳からセルフコーチングだったので、セルフコーチングという概念にはなじみがあるのですが、よくよく考えてみると18歳当時、セルフコーチングという言葉は知りませんでした。使っていなかったように思います。スポーツの世界でも他の世界でもそうだと思うんですけど、セルフコーチングっていう言葉はあまり使わないですよね。


 これは他のスポーツと比較すると分かりやすいと思います。例えば、野球選手が一人で上達を図ろうと自主練習をすることはあると思います。あるいはテニスやゴルフのような個人スポーツでも一人で練習することは多いと思います。でも、この時に自分で自分をコーチしているかというとやっぱりそうではないのではないでしょうか?


 自分で自分をコーチするというよりは、自分で考えながら体を動かしていくということになると思います。セルフコーチングという感じではないでしょう。自分で体を動かして、考えて、そして感覚を掴んでいくというそういう世界です。


 では、何故私がセルフコーチングという言葉を使うのかということですが、それは長距離走・マラソンは練習計画が7割だからです。走り方がどうとか、感覚的なものがとかもあるのですが、基本的には練習計画です。つまり、頭で練習計画を立てて体にそれをやらせるという関係性が成立するので、やっぱり自分で自分をコーチすることになると思います。


 実際に、頭でこうだと思っても体はついてこれないこともあります。そうすると、頭と体が共に協力しながら解決策を見つけ出していくということも必要になります。こういった関係性はコーチと選手の関係性にそのまま当てはまると思います。ゴルフやテニス、野球では練習計画よりも実際の体の動きとかの方が重要ではないかと思います。そういう意味では、長距離走・マラソンのように頭と体をはっきりと分けるという関係性は成立しないでしょう。


 では、頭と体がそろえば、コーチングは成立するのでしょうか?


 これはセルフコーチングではなく、他者コーチングを考えて頂けるとすぐに答えが出ます。セルフコーチングというのは、自分で自分をコーチングするというそれだけのことです。日本語で書いたほうが分かりやすいのであれば、自分で自分を指導するための技術です。


 ですから、基本にはやはり他人を指導出来ないと自分を指導することも出来ない訳です。


 人によって、自分を指導する方が得意な人もいれば、他人を指導する方が得意な人もいるとは思いますが、基本は同じです。


 では、他人を指導するときに、練習計画だけ見ていれば、良いのかということですが、そうではありません。長距離走においては特にそうです。


 先ず今から書くことは、理屈は抜きにしてそういう傾向が明らかに見受けられるということで、いったん受け入れてください。


・強いチームほど挨拶が出来る

・強いチームほど、団体行動がそろっている

・強いチームほど坊主頭(女子は短髪)

・強いチームほど外見に装飾が少ない(髪をそめていなかったり、ピアス率が低かったり)

・合宿にいくと強いチームほど宿舎の使い方が綺麗(トイレのスリッパがそろっていたり、脱衣場が綺麗に使われていたり)

・強いチームほど行動が速い

・強いチームほど言葉遣いがしっかりとしている

・強いチームの選手ほど顔つきがしっかりとしている(闘う顔をしている)


 一体何故こういった結果になるのでしょうか?


 はっきり言って、上記のようなことは本来は競技結果には関係がないはずですし、実際に実業団になれば、髪を染めたり、ピアスをする人は一定数出てきて、そしてそういった人たちの競技力が低いとは限りません。でも、高校生や中学生には如実にこういった傾向が当てはまります。


 大学生でも佛教大学は明らかにピアス率や髪を染める率が高くなってから坂道を転がるように弱くなりました。


 もちろん、短距離や投擲、跳躍にも上記のような傾向は当てはまります。でも、長距離ほどではないんです。長距離走は本当に上記のような傾向が強く出ます。一体何故でしょうか?


 私なりに考えたのですが、長距離走は他の種目よりもムラの無さが求められるからだと思います。先ず、練習においても一回一回の練習で追い込みきるよりもコンスタントに長期にわたって練習を継続できる選手の方が強くなります。これもとりあえず、そういうものだと受け入れてください。


 きっと反論はあると思います。特に超回復原理をご存知の方は一回に追い込んで、それ以外の日はしっかりと休んだ方が良いと考える方もいらっしゃると思います。でも、実際には教科書に載っているような超回復モデルのようにはなりません。何人もの指導者が何パターンも試した結果、結局は一回一回の練習で追い込み切るよりもある程度継続して長期にわたって良い練習を続けることの方が強くなるのです。


 ただ、すでに10年以上にわたってトレーニングを積み、本当に力のある選手が最後に、しっかりと休むような練習とレースに近い刺激をかけたり、連戦を続けて仕上げていって好結果を出すことはあります。でも、そのレベルに至るまでには10年以上継続的に練習しているケースがほとんどです。そして、そのレベルの選手は休むような練習と言っても一日に20キロから30キロ、場合によってはそれ以上走っていたりする訳です。


 また、継続的に良い練習をするためには、食事や睡眠も大切になります。特に、長距離ランナーは朝練習が割と大切な種目です。朝練習が大切というよりは、一日二回に分けて継続的に良い練習をすることが大切なのです。要するに、練習頻度です。そして、学校があったり、実業団の選手もチームによりますが、出社しないといけないチームも少なくないので、結構朝練習は早いです。


 そうすると、夜更かしすると良い練習が出来ません。そして、継続的に練習するので、完全に休みという日もあまりありません。こういった理由から性格的にムラの無さが求められます。


 とはいえ、生まれつきみんながみんな年間通して規則正しい生活を続けて、練習に励むという性格を身につけている訳ではありません。というよりは、ほとんどの人がそういった性格は身につけていないでしょう。


 だから、初めは形から入っていく訳です。挨拶はきちんとやりましょう。ゴミが落ちてたら拾いましょう。カバンのチャックは締めましょう。脱いだ服はたたみましょう。そういった小さな行動を通して形から入って、心構えを作っていくのです。言葉遣い一つとってもそうです。


 大人になると、学生時代には決して泊まれなかったレストランやホテルに泊まることもちょくちょく出てきました。大人になるとといいますか、私の場合は起業してからですが、ちょくちょく出てきます。そうすると、やっぱり中には立ち振る舞いだけでお客様に好印象を与えることが出来る人というのはいるもので、プロ意識を感じます。


 でも、冷静に考えてみると、これもかなりの自制心を求められると思うんです。自分だって疲れていることもある、態度の悪いお客様もいる、でも、常に相手に好印象を与えることが求められる、良いレストランならなかなか大声で「すみません」と呼べないこともあります。それでも、手が挙がったらすぐに対応できるようにしないといけません。気疲れして仕方ないと思うのですが、それをやるのですから凄いとしか言いようがありません。


 幸いにもそういった方に巡り合えたら、私も必ずお礼を言ってから帰るようにしています。話が横道にそれましたが、そこまでではないけれど、それに近いこと、少なくともそっちの方向性に選手をもっていくことで、形から心構えを作っていく訳です。


 ですから、せめて中学、高校くらいまでは強いチームではそれが徹底されています。


 ただし、弊害もあります。


 私が在籍していたころの洛南高校陸上競技部長距離パートはそこまで強豪校という感じではありませんでした。私が在籍した三年間は全国高校駅伝で19位、11位、18位という成績しか残せず、今の洛南高校とは程遠いです。


 ただ、我々の頃は、まだどこかおおらかなところがありました。顧問の先生は激烈怖かったですし、先輩方はそれ以上に怖かったですが、でも練習中に怒声をあげることはほとんどなく、我々の頃は体罰もほとんどなくなっていました。それでも、たまーに恩師の中島先生が本気でしかるときの迫力は凄まじく、人間の頭を殴っているのに、木魚の音がするんです。あれはいまだに不思議です。どうやったら、人間の頭からあんなに乾いた音がするのでしょうか?


 私なら万が一のことを考えると怖くて殴れないくらいの音がします。まあ、今まで何百人と殴ってきているからそちらも芸術の域に達しているのでしょう。そういった厳しさもありながらも、割と選手の自主性に任せる部分も多く、失敗するまでじっと見守っているのです。見守って、失敗してから声をかけるのです。


 そこには先生なりのお考えがあり、人間としても競技者としても成長するには、失敗もした方が良いというお考えがあったのです。また、洛南高校では「人前で堂々と芸をしたり、話が出来るような大きな人間じゃないと大舞台で結果は出せない」という教えがあり、無茶ぶりで「歌を歌え」とか「なんかやれ」とか言われることもありました。


 ちなみに、そういう場で堂々と芸が出来る一個上の先輩は国体で11番(5000m14分11秒)、私の代の子は二年連続インターハイ、国体で入賞しました。一個下で、一番堂々とやっていたのは、うちの副社長の深澤哲也です。


 私は高校時代はそういうのは一切出来ませんでしたし、今でも出来ません。やるなら、もう本気で台本を作って何度も練習して、修正して、漫才をやることになると思います。ですから、私みたいなのは「視野が狭い」「遊びも覚えなあかん」「お前は彼女出来たら強くなる」といつも言われていました。今でも、「お前の視野はびわ湖程度しかないから、せめて日本海くらいは見えるようにならなあかん」と言われます。


 それでも自慢ではないですが、恩師は私のいないところでは私のこと「あいつは頭がおかしい」とおっしゃっているそうなので、そういう意味では、私も先生の想定外になるようなことをやるだけのエネルギーは持っているのでしょう。悪い意味で言われているのですが、そんなことはいちいち気にしていられません。自分がこうだと思ったら突っ走るだけです。


 さて、そんな洛南高校陸上競技部でしたが、今や高校駅伝のセミプロ化が進みすぎて、もうそれでは通用しないのです。そういったおおらかさは消し去って、指導者が一直線にレールをひいてあげないとなかなか結果が出ない時代になりました。


 高校三年間という限られた時間で到達する必要があるレベルがあまりにも高くなっているのです。その結果として起こっているのが、選手のロボット化です。金太郎あめ現象と言っても良いでしょう。


 実際に佐久長聖高校駅伝部を一から作り上げた両角速先生が著書の中で次のように書いておられます。



「ちょうど定年までの折り返し地点でもある。これまで感じるようになっている。この兆候は優勝の翌年のチームくらいから出ているのではないか。


 優勝の褒美ということではなく、全くの偶然だが、2008年の都大路優勝の翌年4月から、駅伝部は専用の寮に移ることになった。「聖徳館」という。学校の近くに合って空いていた建物を買い取って改築してもらった。当初の予定では、寮の収容人員拡張の為の措置だったのだが、駅伝部専用にすると人数もちょうどいいということで専用になった。


 専用量のメリットは大きい。駅伝部の練習に合わせて食事時間が変更できるので、夕方の練習をもう少し長くしたい時も可能になる。それまでは、寮の運営上の時間に合わせなくてはならないので、7時には食べ終えるのがルールだった。今だと「今日は練習を長めにしたいから夕食は7時半から」というようなリクエストも可能。自分たちのスケジュールに合わせてもらうことが出来る。


 専門の栄養士が、長距離走の選手にふさわしい食事を考える。いかに自分の体を5キロ先、10キロ先まで速くもっていくかが勝負なので、重たい体を運ぶよりは軽い方がいいに決まっている。高たんぱく、低脂肪の食事がランナーの基本である。余計なものは食べるな、お菓子もなるべく控えろと言っている。


 洗濯や掃除は自分たちでする。私が大学の寮で経験したような著しい上下関係はなく、先輩の分を下級生が洗うなどということはない。せいぜい言葉遣いに気をつける程度である。真新しい寮の環境も設備も素晴らしく、勧誘に訪れる大学関係者からは「大学の合宿所よりも立派」と言われる。


 ミーティングもいつでも出来るようになった。当初からミーティングは大事にしてきた。生徒との時間をいかに共有するか、いかに信頼関係を築くかが大切なので、練習時間以外の共有できる時間を作り、私の思いも伝えたかった。練習時間以外の子供たちの様子を知ることも必要だ。

(中略)


 今は入部イコール入寮で、入寮は絶対条件だ。部員としてすべての時間を共に過ごし、チームワークを構築していくためである。そして、入寮せずに練習をこなすのは非常に難しい。これまで寮に入らなかった選手は、学校のすぐ近くに自宅があった清治など数名だが、今は必ず入寮させている。


 専用寮のメリットは非常に大きい。しかし、ここに来て私には迷いが生まれている。あるいは最初の1年は一般寮でお世話になった方がいいのかもしれない、という迷いである。ここにいるとまるで無菌培養のようになるのである。


 全員が駅伝部。目標も似たようなものだ。長距離ランナーというのは、中にははじけたものもいるが、基本的には几帳面で、真面目、弱音を吐かないタイプが向いているので、どうしても似たようなものが集まりやすい。同じ食事をして同じ練習をして同じような生活をすると、金太郎飴のようになっていくのを感じる」

『人間力で闘う』両角速著 



 私の母校洛南高校陸上競技部の長距離パートを見ていてもそれは感じます。中身は高校生というのは知っているんですけど、私たちの頃と比べてだいぶ無駄がとれて洗練されてきました。それが吉と出るか凶と出るかということで言えば、やっぱり私は吉と出ていることの方が多いと思います。


 私は心の底から結果が欲しいと思って得られませんでした。そういう意味では、今の洛南生はうらやましいです。でも、結果が出なかったからこそ、本気で考えるようになったのも事実です。それが今の仕事に生かされていると考えると・・・


 答えは出ません。


 このあたりでもう一度セルフコーチングに話を戻しましょう。長距離走・マラソンにおけるセルフコーチングとは練習計画を立てることだけではないのです。必ず心へのアプローチも必要です。


 では、挨拶とか脱いだものをたたむとか、頭を丸めるとかそういうことから、始めれば良いのでしょうか?


 これも違うでしょう。これはあくまでも一つのやり方に過ぎません。形から入るというそういう教え方もあるというだけの話で、別に挨拶が出来ることと長距離走・マラソンが速く走れることは全然関係ありません。実際に、後輩いじめしていても速い人はいましたしね。


 では、セルフコーチングにおける心の指導はどのようにとらえるのかというと潜在意識を自分の思う方向に調教していくのです。顕在意識というのは自分で考えることなので、コントロールできます。ただ、潜在意識というのは無意識に入っているので、自分でコントロールできないのです。


 確かに、今日朝早く起きて走りに行くかどうかを最終的に決めるのは自分です。でも、そもそも朝起きて走りに行きたいという気持ちになるかどうかは潜在意識の問題です。潜在意識を上手くコントロールすることが出来れば、朝4時半に起きたらもう自然と走りに行きたくなっているのです。


 私自身も潜在意識の働きを上手く使うので、明日は別にいいやと思ったら、わざとやる気を落とします。そうしないと、オーバートレーニングにもつながりかねません。そうすると、本当に気だるい感じで走りに行くことになります。それはそれで気持ち良いんですけど、明らかに朝起きた瞬間から戦闘モードに入っている訳ではありません。


 世の中には、弱い自分を克服するための本とか弱い自分を受け入れてあげる本とか、自分を責めすぎない本とか色々あるんですけど、最終的に結果が欲しいなら物事には前向きに取り組むしかありません。嫌々やってもなかなか能率は上がらないし、ましてや物事から逃げてその自分を慰めるなんてもってのほかです。必要なことはやらないと結果には結び付きません。


 だからこそ、自然とやる気になるように、前向きに取り組めるように潜在意識をコントロールすれば良いのです。


 こういった潜在意識のコントロールの仕方も約18万字の中で徹底解説しているのが、『セルフコーチングの極意』です。在庫が残り50部を切りました。まだご購入されていない方は今すぐこちらをクリックして、詳細をご確認ください。

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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