荒獅子公式Tシャツ100着限定で販売です。
本日より100着限定で荒獅子公式Tシャツを販売させて頂きますので、ご連絡差し上げます。












肌触りが良く、乳首ずれや脇ずれがしずらく、速乾性で通気性の良いランニングの為のTシャツを作りました。
私自身も16㎞走(1㎞3分15秒ペース)、40㎞走(1㎞3分半ペース)で実施しましたが、抵抗感なく、軽く、汗を吸って重くなったりせず、肌との擦れもなく快適に走れました。
レースで使える一着であると断定致します。
デザインに関してはこの上なく単純にしたところ、かえってカッコいい仕上がりになりました。
改めて、黒と白に荒獅子がわが社の象徴になった経緯をお話させて頂きます。
先ず第一に黒と白という色が何を表しているのかということですが、これは生と死を表しています。
これは一つの所(土地)に命を懸けて鎌倉武士の一所懸命に通ずるというのが一つの意味としてあります。
しかし、それよりも多くの方に改めて再認識していただきたいのが日本人の死生観です。
もう今となっては、日本人がずっと持ってきた伝統的な死生観を理解する人もすっかりといなくなってきましたが、これを知れば人生が充実すること間違いなしですから、是非この機会に知っていただきたいです。
先ず、最近は死をも恐れぬ突撃と言えば、この前の大東亜戦争、大東亜戦争と言って分からない方は第二次世界大戦のことと思っていただきたいのですが、その戦争を思い浮かべる人が多いと思います。
曰はく特別攻撃隊を始めとして、若者の尊い命が軍部(特に陸軍)の暴走によって失われたと。
しかし、それは日本史をよく知る者からすれば、非常に一面的な見方に過ぎません。
寧ろ、日本人が長い悠久の歴史の中で培ってきて死生観があの先の大戦において発露されたと考える方が自然なのです。
死生観というのは非常に日本に固有の考え方です。
死生観を英語に訳するとThanatologyとなりますが、Thanatologyは終末医療の一つとして、末期の患者に対して、その患者の行動や心理状態がどのように動くのかとか、その末期の患者に対してどのような接し方、心のケアをすれば良いのかというようなことを研究する一つの学問になります。
日常から死を見つめて生を充実させるというのとは考え方が丸きり異なるのです。
日本人の死生観というのは何かといえば、生を充実させるために死を見つめることと言ってしまって過言ではありません。
親鸞の名前くらいは誰しも聞いたことがあると思いますが、親鸞聖人が次のような歌を詠まれました。
明日ありと 思う心の 仇桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは
明日も桜の花は咲いているように思っているけれども、夜中に強風が吹いて散ってしまうかもしれないよ。人の命も同じで、なんとなく明日も生きていられるように思っているけれども、そうとは限らないよという意味です。
江戸時代には平野國臣という武士が次のような歌を詠みました。
見よや人 嵐の庭の 紅葉葉は 一葉も散らぬ もののあるかは
人間たちよ、嵐の日の庭の紅葉の葉っぱを見て見なさい、たとえ一枚の葉っぱたりとも残らずに散ってしまうと言う意味であり、人の命も最後には一つも残らずに死んでしまうのだという意味です。
また、誰が詠んだか知りませんが昔から
散る桜 残る桜も 散る桜
という歌があります。説明の必要はないでしょう。私は父方の祖父をすでに亡くしていますが、祖父が散る桜、しかし残る桜である私もいずれは散る桜なのです。
現代の感覚から言えば、昔の人はえらく後ろ向きで暗くて真面目くさった歌を詠んでいたんだろう、さぞ生きていても楽しくなかっただろうなと思われるかもしれませんが、豈(あに)図らんや、事実は逆なんです。
皆様もご存知の通り、ポツダム宣言受諾後もフィリピンのルソン島にこもって30年くらいずっと戦争を継続していた小野田寛朗さんという方がいらっしゃいました。
この小野田さんが1970年代に、大日本帝国陸軍人の価値観を持ったまま日本にご帰還なさって次のようにおっしゃっているんです。
「覚悟を決めずに生きられるのは良いことだ。しかし、死を見つめないことで生まで薄くなってはいないか」と。
この辺りのことを私がもう少し解説させて頂きますと、皆さん死を見つめて生きると断然人生が暗くなるかのように思われているかもしれませんが、私の考えは逆なんです。
生に重点を置いて人生を考えるから死ぬのが怖くなる、そして人間のたいていの恐れや不安や悩みや恐怖というのはこの死にまとわりつくものなんです。
お金、仕事、進路、学業成績、失恋、健康、全て全て回りまわって死に結びついていることに気づかなければなりません。
走って苦しいのも死に近づいているからです。
我々がそれを意識するとしないとに関わらず、人間の本能は死に少しでも近づくと恐怖を感ずるように出来ているんです。
失業の不安や金銭の不安だってそうです。お金がないと生きていかれない、つまり死んでしまう、これが本能的な恐怖なんです。
失恋の恐怖は自分が死ぬまでに自分の子孫をこの世に残せなかったらどうしようという恐怖なんです。
しかし一方で、死ぬ方に重点を置くと生きているだけで丸儲け、明石家さんまさんと同じ境地に至ることが出来る訳です。さんまさんのご令嬢のいまるさんはこの生きているだけで丸儲けの頭文字を取っているのは有名な話ですが、死に重点を置いた方が喜びの多い人生になるんです。
今日も走れる、食べ物がある、お湯が出る、あまつゆしのげる家がある、どれもこれも有難いことです。ここに喜びを感ずるようになる訳です。
また、どうせいずれは死んでしまうことを考えたら今やりたいことをやってしまわないと損すると思いませんか?
結構人間って今目の前にある義務を果たしてから老後に思う存分楽しんでやろうと思ったりするものですが、しかし、「明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」なんです。
陸上界で言えば、山下佐知子さんだったと思いますが、一度は学校教員になられますが、そこで同僚の方が急死されるんです。それを見て、人生は一度限りだということを悟って、思い切って教員をやめてオリンピックに挑戦されたんです。
人生というのはそういうものです。
死を見つめるから性格が暗くなるかというとそうではなく、寧ろ死を見つめて生きるからこそ、生きているということが如何に有難く、尊く、喜びの多いものであるかが分かるものなのです。
逆に生の方から出発してしまうと、生きているのが当たり前になってしまって、今度は死ぬのが怖くなってしまいます。
直接的に死ぬのが怖くはならないでしょうけれども、お金の不安も健康の不安も仕事の不安も漠然とした将来の不安も全て回りまわって死と結びついていることを忘れてはいけません。
ある人が高級車もブランド品も高級ホテルも高級レストランも遊園地も住宅も服装も、回りまわって全て性欲に結びついているから性欲から逆算すると売れる商品が作れると言っていましたが、私は半分賛成で半分反対です。
この世の一切合切は生に結びついており、性は生の一部分なのです。
で、くり返しになりますが、生に執着すればするほど大きくなるのが不安や恐怖、死から出発してしまって生きているだけで丸儲けと思えると大きくなるのが喜び、こういう関係性になっているんです。
生きている以上は人生を真剣に生きた方が良いですが、そのために必要なのが死の方から出発することなんです。
極論すれば、今日一日悔いがなく、喜びの多い一日だったというのが死ぬまで続けば、幸せな人生だったということになる訳です。死から出発してしまって明日死ぬなら今日何をしたいかと考えると、今日一日が充実します。
人生を損得勘定で生きる人、賢く生きる人、打算で生きる人というのは生から出発してしまって、常に不安や恐怖を感じながら、今我慢してなんとか未来のリスクを減らし、未来の利益を大きくしようとしますが、どれだけリスクを減らして、未来の利益を大きくしたところでいきつくところは死なのです。
日本語には小賢しいという言葉がありますが、小賢しいというのは少しだけ賢いのとは本質的な意味合いが異なるように私は感じます。小賢しい人間というのはただ単に賢いだけの人間のことを言うのではないでしょうか?
賢い、頭が良い、勉強が出来る、これだけでは決して人生は豊かにはなりません。頭が良いとか勉強が出来るというだけでは人生が豊かになる訳ではないのに、本人はそう思い込んでいる、こういうのを小賢しいというのではないでしょうか?
どんな時でも揺るぎない人生観がないと人生は豊かになりませんが、この揺るぎない人生観こそが日本人が伝統的に持つ死生観なのです。死から出発してしまえば、それ以上に揺るぎようがありません。
明日死ぬなら今日は何がしたいか、これが究極の問いなのです。
打算で生きている人は、明日死ぬとなったら急に羽目を外すような結果になるでしょう。すべてが損得勘定で、将来の利益のため、あるいは将来のリスクを下げるために、何かを我慢して生きている、そういう人ほど明日死ぬとなったら犯罪行為にでも走るでしょうね。
これメルマガで良かったですよ、皆さん。もしも、皆様のお顔が見えていたら、「あっこの人は良からぬことを考えているな」と私は分かってしまいますから(笑)
俺は今までやりたいこと我慢してあくせくして働いてきたんだ、明日死ぬなら最後に美女を抱きまくってやるなんて、そういう人は顔にちゃんと書いてあります(笑)
自暴自棄になるというやつです。
しかし、日々明日死ぬなら今日どうするかと常々考えて、その上で走ることを選んだ人間はやっぱり走るでしょうね。
走り、今一緒にいてくれる人と最後のひと時を過ごすでしょう。だって、打算で一緒にいるんじゃなくて、その人と一緒にいたくて一緒にいるんですから。
私もやっぱり最後に1時間くらい部下と最後のひと時過ごしたいです。各々家庭もあるからあんまり長くも引き止められませんけど、せめて30分くらいは。
先の大戦に話を戻しますと、死にたくないけど祖国のために無理やり死なされたのが特別攻撃隊の物語であるというのは、私は日本史という壮大な物語を読み違えているように思います。
どうせ遅かれ早かれ死ぬ、そうなった時に今日一日を悔いなく生きられる為には大義を持たねばならない、その大義が特別攻撃隊員の場合はたまたまその時その場所で訪れ、更には周囲の同調圧力や命令、祖国の危急や米軍による日本本土の爆撃といった外的要因が折り重なって、古今東西唯一の公式な策戦としての自爆攻撃となったのでしょう。
同調圧力、命令、祖国の存亡、米軍による日本本土の爆撃といった外的要因が無ければ特別攻撃というのはなかったと思いますが、しかし、その内部には少なく見積もって数百年、おそらく約2000年にわたって続く日本人の死生観というものがあったことを見逃してはならず、この死生観は我々が豊かな人生を送る上で大きな道標ともなってくれるものなのです。
この道標を形にしたものが荒獅子のTシャツなのです。
では、獅子は何故獅子なのか、こちらは単純で百獣の王だからです。
人間というものは無意識のうちに自分の自己イメージに近づこうとする生き物です。
自分が百獣の王だと思い込めば、それにふさわしい言動を取るようになるし、逆に、自分はものの役に立たないつまらない人間だと思い込めば、そのような言動を取るようになります。
当たり前ですが、王者としての行動を取り続ければ王者に近づきますし、自分は役に立たないつまらない人間だという行動を取り続ければ実際にその通りになります。
人間に生まれた時点で万物の霊長の位置を占めている訳ですが、更にその中でも王者の地位を占めるのが我々なのです。そういった意味合いを込めて獅子がわが社の徴(しるし)であり、動物園の中の獅子ではなく、荒々しく荒野を駆けまわる強き獅子だから荒獅子なのです。
そういう意味合いのTシャツ、我々と一緒に着ませんか?
送料、税込みでたった6600円でお買い求めいただけます。
サイズ感は身長167㎝、体重59kgの私でMサイズがピッタリです。是非こちらよりお買い求め下さい。
今晩もまた幸福なり
ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志
追伸
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