最近学生スポーツの在り方に少しずつ変化を感じる時代になってきました。高校球児の投球数に上限を設けることから始まって、小学生の柔道の全国大会の禁止、大文字駅伝の禁止などなどです。
他にも、時代が変わったなと感じたのはある高校野球チームのパワハラ指導です。パワハラというのもどこからがパワハラなのかということを明確に線引きするのは非常に難しいのですが、パワハラまがいの指導というのは昔からあります。必ずしも非難をしている訳ではなく、それが良いか悪いかはさておき、昔からそういうことはあったということです。
ただ、変わったなと感じたのはそのパワハラを受けた球児のお父様が元プロ野球選手だったのですが、息子の擁護に周り、ご子息を転校させるとともに、学校側に事情の説明を強く求めておられるのです。プロ野球選手になられたくらいですから、数々の厳しい指導を乗り越えてこられたことと思います。そういう方に限って、「厳しい指導も必要。それに耐えられないのはお前が弱い」と言いがちなのですが、そうではなく、学校側の対応を問題視するという行動に出られてそれがニュースにも大きく取り上げられました。
また、高校野球の地方大会で82対0というゲームがあったのですが、そんな展開になること自体を問題視する記事も見られ、全体的に選手側の保護の空気が蔓延しつつあるアマチュアスポーツ界となってきました。
今回このテーマを取り上げさせて頂くのは、現在の陸上のアマチュア界の現状と今後進んでいくべき方向性を考えるとともに、そこに我々市民ランナーのヒントがあるように思うからです。
先ずは現在陸上のアマチュア界はどうなっているのかということですが、先ずは先述の通り、大文字駅伝が数年以内になくなります。大文字駅伝とは京都市内で行われる小学生の駅伝大会で、テレビ中継もあることからかなり加熱する大会となっていました。
そんな大文字駅伝が中止になった理由は、あまりにも小学生への練習が過熱したからということでした。実は大文字駅伝は私が中学生くらいの頃から一部問題視されていました。私もあまり実情は知らないのですが、子供も親も先生も過熱し、中には痛み止めを飲んで練習する子も出てきたり、子供に過度なプレッシャーを与えて走ることが楽しくなくなってしまったり、といった事情があったようです。
これに共通して言えることは、中学でも高校でもあり、あまりにも加熱した指導が若い選手の芽を摘み取っているという指摘です。このあたりどうなっているのかということですが、先ず一番大きく変わるのは中学校から高校に上がる段階です。ここから一気にスポーツがビジネスになります。
中学校までは熱心な先生方もたくさんいらっしゃいますが、ほとんどが公立中学校です。地元の子が集まっている学校です。それでも毎年のように強い学校がある理由は、単純に中学生のレベルであれば、指導者が7割だからです。中学校の指導者の方は良くも悪くもそれがビジネスではありません。あくまでも学校の教員が放課後も面倒を見ているという建前です。そうすると、指導能力には非常に大きな隔たりがあるのです。
そして、指導能力あるいは専門性の高い指導者の方も少ないので、専門的な指導が出来るごく一部の指導者の赴任する学校が強くなります。可哀そうですが、本人にやる気があっても進学する中学校で結構大きな差があるのは事実です。やる気があるだけでは強くなりません。
私自身も身を以てそれを体験しました。私のいた亀岡中学校は陸上競技の強い学校でした。ところが、私が入学した時には長距離の専門と言える先生がいませんでした。誤解の無いように書いておきますと、それでも非常に熱心でやる気のある先生に恵まれたと思います。ただ、熱心で生徒想いということと専門性を有することはまた別の話です。伝統だけが残り、練習は今から考えるとかなり多かったです。
当時は知識がないので、それが普通だと思っていましたが、今から思うと負荷が高すぎて頑張っている割にはあまり強くなりませんでした。頑張っているのに強くならないと面白くありません。結果、私の学年は私を含めて全員一度は陸上部を辞めますと言っています。
そんな訳で、基本的に専門的な指導が受けられることは年齢を問わず大きなアドバンテージになると考えています。
話を高校以降に戻すと、高校からは私立の強豪高校というのが多く出現します。中学までは公立高校がほとんどなのに、全国高校駅伝の出場校になると私立の高校が中心になります。そこで指導者は成績で評価されるようになります。あまりにも結果が出ないと更迭される可能性も大いにあります。
また、陸上界というのは基本的にはエスカレーター式です。中学で結果を残した人が強豪高校に入り、高校で結果を残した人が強豪大学に入り、そこで結果を残した人が実業団に入ります。そうやって、人生全てかけて陸上だけをやってきた人が生き残っていくような世界です。
そうなると、仮に実業団で長くやれなかったとしても、そうやって身につけた経験を活かした仕事がしたいと思うのは当然のことです。また、それ以外の世界のことはよく分からないという事情もあります。そうなると、手っ取り早いのは学校の先生になることです。そんな訳で、結構教員になる人は多いです。
そして、どうせやるなら強いチーム、良い環境のチームでやりたいと考えるのが普通のことです。そんな訳で、強豪私立校の先生というのは喉から手が出るほど欲しいポジションなのです。そんな訳で、先生の方も一度手にしたそのポジションを失いたくないので加熱していくという事情があります。
それに更に拍車がかかるのが大学です。大学と高校では動く金額がけた違いです。学費免除に寮費免除にお小遣いまでもらっている選手もいますし、メーカーからの用具提供や実業団からもお小遣いをもらう選手もいます。当然、それに付随して指導者にもお金は動きます。
高校の指導者も選手の紹介料など大学からお金をもらうケースはありますが、大学だと更にその金額も上がっていきます。だから、結局選手も指導者も過熱していきます。
で、結局何が問題?
お金の話をすると汚いという人もいますが、お金が動くことは良いことです。お金が動くから良い環境でやれるのです。良い環境があるから選手も集まります。お金がもらえるから選手は頑張ります。またそのお金を体の手入れやシューズ代にも回せます。お金を使えば日本経済まで活発になります。良いことしかないではないですか。
ところが、これでも3つの問題点が出てきます。
1つ目は、指導者が絶対的な権力を持ちすぎて、パワハラが生まれやすいということです。ある意味では、その先生が神格化されてしまって、周囲もおかしいなと思っていてもなかなかそれが言い出せない雰囲気になってしまうのです。
ただ、これもケースバイケースです。本当にその指導者に徳があって、周りがあの先生なら大丈夫だと信じてついていくケースもあります。ただ、一方で、ただの暴君だけど権力があるからまかり通ってしまうというケースもあります。問題は後者です。
では、何故指導者は時にパワハラとかモラハラともとられかねないことをするのでしょうか?
多くの場合はチームを鼓舞する為であり、規律を守らせるためです。人間というのは快を求めるよりも、不快を避ける気持ちが二倍強いと言われています。特に、子供にとっては大人が怒ると怖いです。だから、指導者からすると、自分の思い通りにコントローするには怒ったり、殴ったりする方が即効性が強いのです。
また、長距離走のように、自分を追い込む必要がある種目では、自分で自分を追い込むことに加えて、指導者からの怒声があった方が頑張れるケースもあります。これは選手の性格にもよりますが、そういう性格の選手からすると練習中の怒声は有難くもあります。
ですから、一言でパワハラとかモラハラとか言っても線引きは難しいです。ちなみに、私は中学でも高校でも怒鳴るし、殴る先生に教わっていましたが、パワハラとかモラハラとか思ったことはないです。今でも思っていないです。
寧ろ、感謝の気持ちしかないです。洗脳されていたという見方もあると思いますが、大人になった今振り返っても感謝の気持ちしかないので、やっぱり怒鳴るからダメ、殴るからダメと杓子定規に決めるのも良くないと思います。
また、バランスの問題もあると思います。昔は生徒の方もどうもやんちゃだったようです。先輩方の話を聴いていても私が在籍していた洛南高校陸上競技部とは全くレベルが違いました。合宿中にカップラーメンを食べていたら、そこに恩師が入ってきて熱々のカップラーメンを頭からかけられたという笑い話も聞いていますが、それは先生も凄いですけど、やる方もやる方です。私たちの頃は風紀がしっかりとしていたので、合宿中にカップラーメンを食べるとかそんなことはなかったです。
もっとすごい話になると長距離選手が煙草を吸っていて、見つかって往復げんこつを食らったという話も聞きますが、それも殴る方も殴る方ですが、たばこを吸う方も吸う方です。今なら間違いなく退学処分で、試合にも出られないでしょう。殴られて済むならそれで良いような気がします。
もっと時代が遡ると、冬になるとグランドで机やいすを燃やして暖をとっていたそうです。ここまでくると立派な犯罪です。これも本来なら警察に電話して、あとは補導してもらって退学にして、関わらないという選択肢もある中で、体罰使ってでも面倒見るのは立派だと言えなくもないです。だいたい、学校の先生と言っても、言ってしまえば、ただのおっちゃんですから、男子高校生が束になってかかってきたら勝てないのではないでしょうか?
柔道で日本一になったような先生もいましたが、それは例外で長距離の先生は先ず無理だと思います。やんちゃな生徒が何十人もいてそれを束ねるとなるとある程度怒鳴るとか体罰とかは必要だったのかもしれません。
ただ、現代は時代に即していないと思います。何故なら、今の子は総じて真面目で引きこもりや不登校の子はいてもそういう暴力系の子はあまりいないからです。
確かに、暴力系は陰でやる分質が悪くなった分はあると思いますが、学校に来る子は総じておとなしくて真面目な子がほとんどです。怒鳴ったり、殴ったりすることは必要ではなくなってきているでしょう。
2つ目の問題は選手の伸び悩みです。これは若い時期から練習をやらせ過ぎるからということですが、私は違うと思います。練習なら昔の選手の方が多かったです。ですが、伸び悩みは今も昔も変わらないのではないでしょうか?
寧ろ、今はレベルが上がって、高校生から5000m13分台で走る選手もたくさんいますが、そういう選手が必ずしも伸びる訳ではありません。そう考えると、保護傾向にある今の方が伸び悩む層は厚いのではないでしょうか?
そして、私の周りにもやり過ぎると伸びしろがなくなるからという理由で、練習を抑えている選手や指導者もみてきましたが、そういう選手がその後強くなるかと言うとそんなことはありません。
寧ろ、練習をやってきた選手の方が心も体も丈夫なので、伸びている選手は多い印象です。
それでも、中学時代活躍した選手がその後花開かない、高校時代活躍した選手がその後花開かない、大学時代活躍した選手がその後花開かないというケースはあとを絶ちません。一体何が問題なのでしょうか?
先ず大前提としては、そういう批評をする人は一回でも活躍することがどれだけ難しいか理解していません。そもそも活躍すること自体が難しいので、一回活躍してもその後「伸び悩む」と言われるのは普通のことなのです。ずっと、活躍し続けること自体が難しいので、一度活躍した選手の大半が伸び悩むのは当然なんです。
第二に、ちょっと見聞した範囲から申し上げますと、あまりにも専門性に特化しすぎていると思います。これはスポーツの原理原則であまりにも専門的に特化しすぎるとその後かえって専門性が育たないという特徴があるのです。本来はある程度様々な能力を身につけたほうが最終的な頂点は高くなるんです。
もちろん、これには限度があります。長距離選手が走る練習とそれ以外の比率が半々というのは良くないでしょう。ですが、一言で走る練習と言っても色々な練習がある訳で、本来は様々な練習を組み合わせたほうが将来性は大きくなるのです。
ところが、指導者の方も結果を出し続けないと困ることになるので、何としても目の前の結果を求める訳です。その結果として、年中レースに出ることにもなり、専門的な練習にどうしても特化することになってしまいます。中学でも、高校でも、大学でもそういった状況が続くと、遅かれ早かれ頭打ちになってしまうのはある意味では予想通りと言えると思います。
もっと言えば、実業団自体が大学で活躍した選手を取って、結果が出なければ三年で首にしてまた新しい選手を獲ってというサイクルになってしまって、あまり育成に成功していると言えるチームはありません。
まあ、これも実業団以降で通用する選手を作ることが大変なことなので、当然と言えば当然なのですが、それにしてもじっくりと育成するというチームは西側が中心で、関東圏にいくほど、使い捨てでグルグル選手を回している印象が強いです。
そして、これが一つ目の要素と関連するのですが、年中結果を求められるので、選手は精神的にも疲弊しきってしまうのです。どこかの段階で、陸上競技そのものが嫌になる可能性が高いのです。練習がきつすぎるというよりは精神的な要素が大きいでしょう。長距離で結果を出すには私生活もかなり重要なので、私生活でも細々とした決め事があったり、指導者から事細かに言われるケースも多いです。
このケースにおいても、指導者に人望があると良いのですが、権力だけで押さえつけているケースでは選手の方も鬱憤が溜まり、長続きしません。ある意味では、期間限定でしか通用しないものだったりもします。
3つ目の問題点は、格差です。つまり、一部の学校のレベルも環境もどんどんどんどんプロ化するのに、他の学校は草野球(草陸上?)レベルなので、それらを同じ場で戦わせることの是非が問われているのです。
ただ、これは何が悪いんでしょうね?
強い学校は強い学校でお金かけて、環境作って、選手を集めて、指導者呼んできて、力を入れているので何も悪くないような気はします。
ただ、大きな問題点として、家が貧しくて私立に通わせられないとかあるいは前のステージ(高校なら中学、大学なら高校)で活躍できなかった選手にチャンスを与えられないという問題点はあります。これは大きな問題です。どうしたら、良いんでしょうね?
先日トレーニングプログラムビルダーの作成秘話を色々と書かせて頂いたところ、「市民ランナーの人には高校陸上とか大学陸上の話をされてもピンッとこない」という話をされました。その時、私の頭の中に浮かんだ考えは「その通りだな」ということです。
何故なら、あれは簡単に言えば、「ハーフマラソン未経験の市民ランナーがハーフマラソン63分09秒で走るまでのノウハウを体系化した講義」だからです。これが単純明快な嘘偽りのない説明です。
ただ、「事実は小説よりも奇なり」で信じてもらえない、あるいは必ずいちゃもんつける人が出てくると思ったので、もうちょっと背景から説明させて頂いた次第です。
つまり、別に弱小高校や弱小大学にいても、本人の気持ちとやり方次第で結果はちゃんと出せるんです。それがいかに難しいかは自分でよく分かっています。ただ、何事もメリットとデメリットがある訳ですから、一人で練習するにしろ弱小校で練習するにしろ、それなりのメリットもある訳です。
今は弊社ウェルビーイング株式会社のように専門的な知識を学ぶ環境を作っている民間の会社もある訳ですから、格差があるという現実は受け入れつつもこの格差は絶対に変えられないものだと決めつけるのは寂しいのではないでしょうか?
確かに、現実的には駅伝となると、現場を超えた学校経営全体を巻き込んでの環境が無ければ難しいのかもしれません。更に、日本高校新記録を樹立して二位にしかなれなかった洛南高校を見ても、優勝するには留学生の獲得も絶対条件になっている感もあります。留学生の何がずるいかというと年齢不詳なところです。実質何人もの大学生が過去の全国高校駅伝を走っているでしょう。
また、日本の学校教育で通用するレベルではない選手が何人もいるのも問題です。日本語のレベルであったり、一般的な学力であったり、そういったものが通用しないのに、日本に来ている以上はプロと言えるでしょう。日本の高校を卒業しているケニア人選手の中には敬語も使えない、日本に原爆が落とされたことすら知らない選手もいます。もっとひどいのになると、全国高校駅伝の収容バスに通訳が乗っていたこともありました。はなから日本語は話せないという訳です。
箱根駅伝の場合は、社会人にも門戸を開いていますが、高校駅伝の場合はそうではありません。日本人のプロを起用することが認められないのに、外国人なら認めるのは何故なのでしょうか?
寮を持って、全国から選手をスカウトして、外国からプロまで雇ってということが可能な大きな組織に立ち向かうのは確かに難しいです。ただ、そういうのも受け入れた上で、やれないことはないのではないでしょうか?
私の恩師も部員3人(しかも最も速い選手で18分台)からスタートしてインターハイ総合優勝までチームを導いています。格差は問題ですが、格差が固定しているという見方は寂しいです。今弱小校でも、近い将来強豪校になる可能性はある訳ですから、弱者保護の考えに走らない方が良いでしょう。
市民ランナーは何を学べるのか?
実はこういった中身を精査していくと市民ランナーの進むべき方向性が見えてきます。ここまでの問題点をまとめておくと、1先ずはネガティブなモチベーションでしか、あるいはネガティブなモチベーションを中心とした指導しか出来ない指導者が多い、2.あまりにも専門性に特化した練習が多く、長期で見た時の伸び悩みが多い、3.格差を言い訳に改革に乗り出さない指導者、チームがある、この3点が問題となっている訳です。
そうすると、我々が取り組むべきは1ポジティブなモチベーションを用いた自己洗脳が必要である、2基礎から専門まで構造的に練習を長期にわたって組む必要がある、そして、3環境のせいにせずに、今の環境の中で最善を尽くす、あるいは今の環境を活かしたセルフコーチング術を身につける、この3点が必要だということです。
これら3つの事柄をもっと詳しく学びたい方の為のコンテンツもきちんとご用意しております。
1ポジティブなモチベーションを用いた自己洗脳
2基礎から専門まで構造的に練習を長期にわたって組む
3今の環境を最大限に活かしたセルフコーチング術
上記3つが一つになったパッケージ
もっと詳しく学び、劇的に走力を伸ばしたい方は是非ご活用ください。
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