フランクフルトマラソン2位の快挙!!
更新日:4 日前
「まだ5時15分やで」
「えっ、本当ですか?」
「サマータイムが今日で終わるから時間変わってるで。あっちゃうわ。俺の時計が狂ってるわ。ごめん、ごめん」
「大丈夫です」
人生初のサマータイムからの時間変更を経験し、初マラソンのブランカ・デーファーのペースメーカーという重要任務の準備をする。
その三日前
私はフランクフルトに到着し、空港に迎えに来ているはずの運転手と連絡を取ろうと試みるもなかなか連絡がつかず、ターミナル1とターミナル3の間を電車で行ったり来たり行ったり来たりさせられておりました。
一時間半以上待たされた挙句に捕まった運転手がなんとケニアで一緒に現地のケニア人達と暮らしたオリバー・ホフマン。私とオリバーさんは数か月間、ケニアのアパートで洗濯機無し、水洗トイレ無し、冷蔵庫無し、IHなどある訳もなく、炭火から火をおこし、冷暖房はもちろんないという生活をしておりました。
そんな生活を同じ部屋で過ごしたオリバーさんがなんとなんとの運転手。今は父親の会社を継ぎ、仕事が忙しく全然走れていないそうですが、とにかくもかくにも他のケニア人と一緒に選手用のホテルへと移送されました。
ついた先で待っていたのは、大会実行委員会のサンドラさんとフィリップ・コップさん、私が初マラソンで走ったハノーファーマラソンでもお世話になったサンドラさんとその時にお世話になったクリストフ・コップさんのご子息です。どういう訳か、親子二代でお世話になる訳ですが、それでまた割り当てられた部屋が驚きの二人部屋。
知り合いと同部屋なら良いけれど、初対面のケニア人と二人部屋というまさかの展開。ジョン・ムワニキという選手で世羅高校時代に私が二回走った全国高校駅伝の4区を走り、区間記録まであと1秒まで迫る8.075kmを22分32秒(1㎞2分48秒ペース)で走破し、世羅高校の優勝に貢献した立役者で、男子の第一集団のペースメーカーを担当することになっていました。
そんな我々ですが、問題なく同室で過ごすことが出来ました。ただ、ケニア人特有の長電話は毎日ですが(笑)
ケニア人って絶対に毎日誰かと長電話しないと気が済まない民族なんですよね(笑)
ただ、たまたまですが、つい最近の私の動画でケニア人は日本に住んでいる年数に対する日本語の上達具合を見れば、だいたいその人柄が分かると話したような気がしますが、ジョン君の場合も例外ではなく、日本語が上手で非常に気さくで礼儀正しい好青年でした。
よくよく考えてみれば、私も元プロランナー、初対面の人と二人部屋になる程度のことで動じていたら生きてはいけません。今回も問題なくぐっすり眠れましたが、寧ろ夜中にトイレに行って間違えてジョン君のベッドに入りかけたことが申し訳ないくらいです。
今回ペースメーカーをするブランカ選手とも初対面、ペースメーカーのペースは前日のテクニカルミーティングの際に発表されるので、それまでに大会主催者に告げておかなければならないのですが、二日前の記者会見でもブランカは「その日の感覚で走る」とはぐらかし、テクニカルミーティングの直前に大会実行委員会のフィリップさんが「まだ、いくつで走るか言われていないが、一体いくつで走るんだ」と困り顔で聞いてきましたので、私も「まだ聞いていない」と答えておきました。
一応女子は1㎞3分15秒、3分20秒、3分25秒の3つが用意され、ブランカは第三集団の3分25秒ということに公式にはなっておりましたが、ペースメーカー二人とブランカ、コーチホーゲンの4名で話合った結果、とりあえず、3分20秒で走り出して、「ペースを落とすなら落とす、上げるなら上げるで指示をする」とのことでした。
これは結構難しいです。
初めから、いくつで走れと言われていれば、自分のその仕事に集中すれば良いのですが、いつ上げるか、落とすか分からない、しかも女子の第二集団は男子もかなり混じるので大集団になります。その大集団の中でペースを作りながら、ブランカを決して見失ってはならず、見失わないだけではなく、大集団と大歓声の中で、いつ来るか分からない「ペースをあげて」と「ペースを落として」を聞きとらなければならないので、常に気を配りながら走らなければなりません。
給水所の手前では、ブランカが給水を見落とさないように手でサインを送ることになっておりましたが、大集団の中で必ずしもブランカの前に位置取り出来るとは限らず、大声で「給水所」とさけばなければならないこともありました。
更には、バイクで伴走する大会実行委員のオリバーさんから「何をやってるんだ、ペースが速すぎる」と言われたので、「ブランカがこれで良いっていってるんだ」とこっちも大声で叫ぶというやり取りがあったり、一番苦しい30㎞過ぎでもオリバーさんから「どこまでいくんだ?」と聞かれたので「いけるとこまで」と返答し、「ゴールまで行けるか」と聞かれ、私も随分と脚に来ていたので「それは分からん」と返すなど、いつペースの変化に対応しないといけないか分からない状態でのペースメーカーは随分と大変なものでした。
また、当日は風がきつかったのであくまでも「1㎞3分20秒の感覚、1㎞3分20秒の出力で行くのか、それとも向かい風は実質のペースアップ、追い風は実質のペースダウンになるが、あくまでも数字にこだわるのか」というようなことも確認し、あくまでも数字にこだわり、風がきつければ盾になって風からブランカを守ってほしいということだったので、上げ下げはせずに、向かい風でも登り坂でもだいたい1㎞3分20秒死守を意識しました。
結果はどうであったかと言いますと、難しさを感じつつも、見事なまでに1㎞3分20秒ペースをほとんど死守し、初めの10㎞を33分24秒(プラス4秒)、20㎞を1時間6分46秒(プラス6秒)、中間点から少しペースが上がり、30㎞を1時間39分51秒(マイナス9秒)、この時点で結構私的にはキツイと言いますか、ブランカも結構来ているんじゃないかと思ったのですが、そこからさらにペースをあげ、35㎞が1時間56分20秒(マイナス20秒)と30㎞を過ぎてから3分20秒を切るペースになりました。
ちなみに、25㎞まではこれまた旧知の仲のジモンさん、日本でも言われている通り、朝から「お前は兵隊みたいだな」と言われながら、一緒にペースを作りました。
だいたい、女子と男子を比べると1㎞あたり20秒ほど変わりますから、男子で言えば、30㎞を1時間29分51秒で通過した後、さらに2分57、2分58秒のペースを維持するようなものです。
ここで男子も東アフリカ勢もほとんどが落ち、私はと言えば、これ以上ブランカのペースを作るのは難しいかもしれないと感じながらも、たったあと40分だからいけるだろうとも思いましたが、随分と脚に来ており、最後まで走り切ることよりもいけるところまで引っ張ろうと、あと1㎞、あと1㎞、あと1㎞と頑張りましたが、36㎞手前でこと切れてしまいました。
正直、事前に「35㎞までなら」と伝えていたこともあり、最低限の責任を果たして気持ちが切れてしまったというのもあるかもしれません。
ブランカはその後ペースダウンするもなんとか、貯金を守りきり、2時間20分44秒のドイツ人トップの2位、私もブランカが好結果を出してくれて、この上なく幸せでした。また、コーチにも恩を返すことが出来て、この上なく幸せでした。
ちなみにですが、私が事前に「35㎞までなら」と伝えていたのは7月から9月の京都でレベルの高い距離走をこなすのが難しいからです。
雨の日を狙って40㎞走を3本こなしましたが、やはり気温的に速いペースでこなすのは難しく、実際にペースは遅かったです。
またやっぱり距離走は頻度の方が大切です。30-40㎞レースペースの80-90%で良いので、マラソン3か月前あたりから週1か2週間に1回くらい継続的に取り組めていることの方がよほど大切です。
また、ブランカに関しても5000mが15分11秒で、マラソントレーニングがきちんと出来れば、これに+1分半で16分40秒ペース、つまり2時間20分40秒あたりの記録が出せるはずでした。
私自身はブランカの練習は見ていないので、なんとも言えませんでしたが、コーチが言うには「とても良い練習が出来た」と。ならば、だいたい2時間20分40秒あたりを想定していたので、色々な意味で思い通りというところでした。
強いて言えば、予め決められたペースを作るのではなく、臨機応変に対応しないといけない、それも大集団の中でひときわ小さなブランカを見失わないようにペースを作らなければいけないというのに対応するのが大変であったというくらいです。
元々今回旅費宿泊費は出すが、報酬は出ないという話であったけれど、コーチに恩義を返そうと思って引き受けたのですが、大会側からもコーチとブランカからも私にもボーナスを出すということでした。
「私はお世話になった恩義を返しに来たので、コーチからはもらわない」と言おうとしたものの、そもそも私が知る限り、英語に恩義なんていう概念や言葉はないので「借りがあるから返しに来た(訳し方によっては借金があるから返しに来たとも訳せる言葉)」という言い方になってしまい、きちんと伝わったかどうかははなはだ心もとないです。
コーチはコーチで「それはまた別の話(訳し方によってはそれはまた別の契約)」と言っていたので、本当にちゃんと伝わったかどうかは謎です。
ちなみに、このレースの2位の賞金は18000ユーロ、日本円でだいたい310万円、プラススポンサー契約などなどでそれなりの金額がブランカは稼げるはずです。
こういう風に考えていくと、プロランナーの収入の大半はスポンサーから来ないとなかなか生活は立たないと考えてもらって良いでしょう。比較は難しいですが、多分難易度で言えば、女子の2時間20分は年収1億円くらいの難易度です。
にも関わらず、半年かけて準備をして300万円しかもらえず、このうちの選手の取り分は8割5分くらいなので250万円ちょっと、そして、次のレースで勝てる保証はどこにもない、スポンサー契約がなければ、プロランナーというのはアフリカ人選手じゃないと生計を立てるのは難しいです。
それはそうと、今回だいたい自分がどのくらい走れるかを事前に予測出来たことからも改めて思いますが、トレーニングの期間ってものすごく大事だなと思います。
学術的にはトレーニングの三大要素は1質と2量と3頻度ですが、実際にはそれに4期間が四大要素に入ります。
まあ、もちろん、広義の意味で言えばと言いますか、頻度という概念はどのくらいの期間にどのくらいの回数をこなすのかということなので、週に何回、月に何回、年に何回というような見方はしていきますが、それでもやはり、今年の1月、2月、3月にやったことが今にどのくらい活きるかと言いますと、繋がってはいますが、直接的ではないので、結果を予測する場合にはやはりマラソントレーニングの期間全体でどのくらいやれたのかということが大切です。
今回の私に関して言えば、暑さの関係で充分なマラソントレーニングの期間が取れなかったので、どうしても約束出来るのは35㎞までであり、42㎞は約束できないというところでした。
まあ、厳密に言えば、何が起こるのか分からないので35㎞までも約束は出来ないのですが、9割の確信はありました。
そして、実際に35㎞まではほぼ完ぺきに仕事をしたと胸を張って言えます。
人間、だいたい9割くらいのところに確信の程度をもっておくのが良いです。
もちろん、場合によっては確信度が7割でも攻めるとか、5分と5分でも攻めるとか、あるいは楠木正成のように負けると思っていながら名誉のために死にに行かねばならない時もあるやもしれませんが、1年、2年、3年と続けて着実に結果を出していくのであれば、9割くらいの確信が持てる練習に取り組むのが良いです。
さて、あなたに質問です。あなたは今、御自身の練習に9割以上の確信を持っておられますか?
9割以上の確信をもって、今このまま練習を続けていけば遅かれ早かれ(たとえ5年かかったとしても)サブ3やサブエガは必ず達成できる、このまま練習を続ければ9割以上の市民ランナーさんよりは速くなれる、そういう確信があるでしょうか?
もしも、その確信がないのであれば、そんなあなたにとても役立つ無料記事を執筆致しましたので、是非こちらをクリックしてお読みください。
追伸
今回は真剣なランナーの為のランシャツを着用することが出来ず、ホカのランシャツで走ることになりました。これには訳がありまして、大会実行委員のフィリップさんから「大会スポンサーのホカのシャツを着てくれないか」と持ち掛けられ、私も「それは出来ない。このランシャツは世界一の品質だと顧客に説明して、購入してもらっているし、実際に私もそう思っている。
にもかかわらず、他のランシャツを着たら顧客への裏切りになるからそれは出来ない」と答えたのですが、大会の前日になってまた困り顔のフィリップさんが「ヒデユキ、お前のランシャツを見せてくれ」と言われたので、見せたら物凄く困った顔をして私の目を見ずに、「ホカのランシャツを着てくれたら助かるのになぁ」と言われ、その時私の脳裏にフィリップさんの御父上のクリストフさんの顔が思い浮かびました。
私が右も左も分からない初マラソンの時、バイクで伴走しながら、ペースメーカーがペース通りに走っているかを確認しながら、予定通りのペースを刻んでいる私にほほえみかけ、親指を立ててくれたクリストフさん、初マラソンを2時間半と大撃沈し、ひどく気落ちして、もうマラソンはやめて故郷に帰って学校の教員になろうと思い詰めていた私に微笑みながら「次はフランクフルトマラソンでもどうかね?」と声をかけて下さったクリストフさんの笑顔が浮かびました。
お世話になったお父様と目の前で困った顔をしているご子息の顔が重なり、「それならお父様にはお世話になったので、ホカのランシャツで走りましょう」と了承してしまいました。
その割には、手で投げてよこすあたりがドイツ人ですが、まあそれは文化が違うから仕方がないと割り切って、当日はホカのランシャツで走りました。9年来の恩返しということでお許しいただけますと幸いです。




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