ティラノというティラノザウルスがいる

 皆さん、こんにちは!ウェルビーイング株式会社代表取締役の池上秀志です。本日はランラボチャンネル支配人のティラノについて書いてみたいと思います。今回のブログからあなたが何を学べるかは(そもそも何かを学べるか)は分かりませんが、ティラノファンの皆様は必ず最後までお読みください。


 ティラノは本名を・・・・おっといきなり書くかどうか迷うところですね(笑)ティラノからは本名を書いても良いという承諾を得ているのですが、何人かの小さな子供夢を壊すような気がしなくもないので、一応本文中はティラノで統一させて頂きます。


 ティラノと私は洛南高校の一個違いの先輩と後輩で、もうかれこれ十年くらいの付き合いとなるのですが、私がティラノの存在を知ったのは中学時代にさかのぼります。中学生の全国大会は参加標準記録というものがあり、それを突破しないと出場できません。高校のインターハイは各校3人の枠に先ず入り、そこから各都道府県のトップ6に入り、そこから更に地区大会(近畿、四国、中国、北九州など)のトップ6に入れば、インターハイに出場できます。

 ですから、インターハイの場合はどれだけレベルが低くても、どれだけレベルが高くても各地区から6人と定員が決まっているのです。一方で、中学の場合はレベルが高ければ一つの都道府県から10人が全国大会に出ても良いし、逆にレベルが低ければ出場者がゼロということもあり得ます。


 そんな中で、私とティラノの住む京都府は比較的レベルが高く、その中でも3000mのレベルが高くて、私の一つ上の代、つまりティラノの二つ上の代は10人くらいが3000mで全国大会出場を決めました。一方で、1500mの出場者はほとんどおらず一人いたかいなかったかくらいだと思います。


3000mの標準記録は当時9分5秒、1500mの標準記録は4分10秒でした。確かにこうやってみると1500mの方が切るのが難しいかなという印象です。必然的に1500mで全国大会を狙える人の数は限られたのですが、そんな中でホープとして名乗りを上げたのがティラノです。ちなみにですが、当時から私はロード型でした。というか、あまりトラックレースに興味がなく、そもそも陸上競技にあまり興味がなく、体を鍛えるために陸上部に入って、週末はボーイズリーグで野球をやっていたのに、ヤクザみたいな先生に半ば恐喝されてしゃあなし駅伝を走っていました。


 当時は「感謝の気持ち」を持ちなさいとか言われてましたが、感謝の気持ちなんか出るわけないですよ。だって恐喝されて走らされてたもん。でも、逆に中学校に陸上部の無かったティラノは、そういったちゃんとした陸上部のある学校で陸上をやっていた私がうらやましかったそうです。


 そんな中学校に陸上部のないティラノは民間の佐々木塾というところで陸上に取り組み、レペティション系の練習にも本格的に取り組み、結構えげつない練習もしていたようです。1000m3本を間15分くらいあげて2分45秒くらいでやっていたというから驚きです。一方の私はと言えば、中学生のころから自主的に20km走(しかも200mトラック100周)に取り組んだりと真反対な中学生活を送っていました。


 とはいえ、中学時代に私はティラノとは一言も言葉を交わしたことがありません。話すようになったのは洛南高校に入ってからです。私のティラノの第一印象は「ワイルドな奴」です。普通男は高校生の頃はまだまだ男の子という感じが残っているものですが、ティラノはどちらかと言えば、今の方が何倍も爽やかで顔つきも優しいです。高校の時はもっと縄文時代から来たんかなっていうくらいワイルドな雰囲気をたぎらせていました。


 そんなティラノですが、正直彼が入学した時は私は調子を崩していてどん底のところにいたので、記憶がほとんどありません。ですが、一つだけはっきりと覚えているのがひざ下のさばきが抜群にきれいだったことです。佐久長聖高校の上野裕一郎さんを彷彿とさせるようなきれいな足さばきをしていました。一方で、苦しくなると状態がブレてロスの大きな走りに変わっていました。まあ、でも自分よりは素質のあるのが入ってきたなと漠然と思ったのは覚えています。


 私たち洛南高校には班制度というのがあり、長距離パートは4班に分かれます。そして、班ごとに班長がいて、取り仕切り班ごとにウォーミングアップや掃除、そして一ページノートという一ページにわたって、その時のチーム状況について気づいたこと、改善点、悪い点などを書いていくノートを一日ずつ交代で回していました。今でもたまに1ページノートを書き忘れた夢を見て寝汗でびっしょりになることがたまにあるノートです。


 そのような班制度があったのですが、ティラノと私は同じ4班だったので、すぐに仲良くなりました。ちなみに4班は優しい先輩が多く、ハリーポッターでいうグリフィンドールです。一方で、何班かは怖くて書けませんが、スリザリンもありました。班分けは3年生がじゃんけんで勝った人から好きな後輩を選んでいくのですが、まさにあの時の緊張感はハリーポッターの寮分けと同じ緊張感です。


 私とティラノは幸いにもグリフィンドールでした。ティラノと私は何故か馬が合い、高校時代はかなりつるんでいたのですが、そのきっかけなどは全く思い出せません。陸上をやっている選手の中には、普段は陸上に集中してるんだから、練習中以外は陸上のことは忘れたいというタイプと陸上で結果を出すには、一日24時間陸上と繋がっていた方が良いというタイプがいるのですが、私とティラノは完全に後者でした。


 おそらく同じ班で一緒にいる時間も長く、その中で陸上の話をずっとしていられるのが、私とティラノだったのだと思います。ちなみにですが、その時から今のスタイルの傾向は出ていました。私はトレーニングの話ばかりしていて、ティラノはよく走り方の話をしていました。私は洛南高校に入った時点で、他の人の走りを参考にするよりも自分のスタイルを構築することに重きを置き、早い段階で自分のスタイルを作りました。今となっては、そのスタイルは残っていないのですが、当時はそうしないとメンバー争いし烈な洛南高校では生き残れなかったんです。


 一方のティラノは他の高校の選手とか昔の選手の分解写真をじっと見たりして、よく研究していました。昔から「誰誰の走りと誰々の走りは似てますよ」とよく教えてくれました。今でも走り方の話によくなるんですけど、例えば今カネボウにいらっしゃる文元慧さん(5000m日本選手権3位入賞、箱根駅伝1区区間2位)は1キロ4分ペースで走るときのピッチが物凄く遅かったんです。


 身長167㎝の私よりもさらに低いのですが、大きなストライドで走られていました。そして、腕を抱え込みやや横ふりで小気味良く走る選手が多い中で、文元さんは絵にかいたような縦振りの腕振りです。足の運びも本当に教科書に載ってるようなきれいに腿が上がって体の真下に振り下ろすという走りなのですが、ティラノはそういうのもよく見てましたね。


 ちなみにティラノはよく観察しているがゆえに起きた笑い話があります。私の二個下、ティラノの1つ下に尼崎達也という良い選手がいました。尼崎は現洛南高校監督の奥村先生も将来は日の丸を背負って走る選手というほどの素質の持ち主でした。私も正直彼には嫉妬していました。残念ながら、彼は故障がちで大成しませんでしたが、今でも私の競技実績が彼よりも上というのは信じられません。


 その尼崎ですが、洛南高校に入ってきたときはまあひどい走りでした(笑)体幹が弱くてブレブレの走りでした。それを誰よりも先に察知したのがティラノ、尼崎に「お前脚痛いんちゃうん?」と心配そうに声をかけるも「いえ、自分は痛くないです」と尼崎、後に普段からそういう走りだということが判明したというネタは10年たった今でもくすっと笑えます。


 そんなティラノですが、尼崎の走りが良くなった時もいち早く気づきました。「お前最近カロキさんみたいになってきたな」と。カロキさんは元DeNAの(今どこですか?)ビダン・カロキさんのことです。体幹が安定して、腕振りもコンパクトで、身長180㎝の長い脚を綺麗にさばいて走るようになっていました。スピード型という感じでもないのですが、5000mの最後の400mは本当に速かったですね。


 そんなティラノですが、失礼を承知で言えば、あまり思うような競技人生を送れなかったと思います。京都府高校駅伝で区間賞をとり、全国高校駅伝のメンバーに入った人に言うのは失礼なのですが、ティラノならもっとイケたんじゃないかなと正直思います。それだけ高く評価していたということでもあるのですが、入学してきたときに持っていたスピードをその後長い距離へと変換することが上手くいきませんでした。


 上手くもっていけば、14分15秒くらいで走れそうな素地はあったのですが、なかなか上手くいかず、性格も根はものすごく真面目なので上手くいかない時期があると思い詰めてしまい、一度キャプテンに任命されながらも、途中で交代という前代未聞の事件も起きました。これも先生からの評価が低くてというよりは、真面目過ぎて思い詰めるんですよね。洛南高校のキャプテンは代々真面目に加えて、清濁併せ吞むような人が選ばれることが多いです。


 洛南高校のなかで本当に結果を残す人は競歩の丸尾知司さん(東京オリンピック日本代表)や高岡寿成さん(元日本記録保持者)など人格者なのですが、その下の普通に強い選手は我の強い人が多いです。自分の我を押し通せるだけの強さを持った人が強いです。それも生半可な強さではありません。全中で入賞してようが洛南高校に入ったら関係ありません一年目はしっかりと上下関係でボロボロにやられます。そして、各地区のお山の大将が集まってくるわけですから、その中での競争は熾烈です。それでも我の強さを捻じ曲げない人がやっぱり強いです。


 それをまとめるキャプテンは真面目なだけでは駄目で、色々な選手の調整役を果たし、なおかつ真面目でなければいけないのですが、ティラノは良い意味でも悪い意味でも真面目過ぎたのと、後は単純に彼にとって競技人生の谷がキャプテン就任と重なってしまいました。ランラボチャンネルでは楽しく、分かりやすく、そして爽快に解説していますが、根はものすごく真面目なんです。


 とはいえ、ランラボチャンネルのティラノは仮面をかぶってるのかというと全然そんなこともなくて、昔から面白かったですよ。すぐに話を大げさにするんです。こういうのを話を盛るというのですが、やつの高校時代のあだ名の一つは(いっぱいあだ名ありました)、話し盛男です。すぐに話を盛る天性の才能は阪神阪急ホテルズに就職してからもいかんなく発揮され、「わが社のホテルの屋上から打ち上げ花火を見ると、花火が真下に見える」とか言うジョークが何百人の前で言えてしまう神経の太さです。


 彼が高校在学中にその才能をいかんなく発揮したのが、由良合宿です。私たちは夏になると、鳥取中央育英高校の教室に寝泊まりし、学校のプールでシャワーを浴び、お弁当を外で食べるという5泊6日の合宿があったのですが、その合宿では徳島県の美馬商業と同じ教室で寝泊まりしていました。


 合宿なので当然のようにみんな極限まで疲れていて、わずかな時間を使って昼寝をしていました。そんな中ティラノが一人で隣のやつを捕まえて話し出しました。聞こうと思ってなくても聞こえてくるのですが、一応みんな盗み聞きしてると思われるのも、嫌だし何と言っても美馬商業の選手もいるわけです。しかし、そんなことはお構いなく話し続けるティラノ、徐々にみんなも限界に達して、一人がふきだしたのをきっかけに全員が吹き出しました。


 みんなここで自分だけ笑ったら恥ずかしいと思って我慢していたのですが、実は全員我慢していたというエピソードです。美馬商業の選手も爆睡していた一人を除いて全員死にました(笑)


 ちなみにそんな神経の太いティラノを私はボスと呼んでいました。ワイルドな雰囲気とそのみんなの前でも堂々と芸をしたり、歌を歌ったりできる彼が私はうらやましかったんです。今でこそ、人前で歌うこともできますが、当時は歌もネタも恥ずかしくてできませんでした。高校三年生の時に初めてチームメイトとカラオケに行ったときは緊張して脚震えてました。


 勿論、好きな女の子