突然ですが、あなたはインターバルトレーニングをやっているでしょうか?私はやっています。インターバルトレーニングが必須かどうかと言われるとやらないよりはやったほうが良いけれど、必須ということはないという答えになるでしょう。
元も子もない言い方をしてしまえば、市民ランナーの方はまずは楽しく続けられることが一番です。インターバルトレーニングも楽しいのですが、嫌いな方は嫌いでしょうし、やらなければいけないということはもちろんありません。そして、ハーフマラソンやマラソンであれば、インターバルトレーニング無しでも速くはなります。
しかし、それでも敢えて言わせてください。それでも僕はやっている
こんな説明では何の説得力もないでしょうから、私の経験談を書かせてください。
これは私が大学生の時の話です。私のハーフマラソンの自己ベストは大学時代にマークした63分09秒ですが、実はハーフマラソンのベストレースは一般の部で優勝した上尾ハーフマラソン、63分24秒で走った時だと思っています。詳しくは後述させて頂くのですが、その前に簡単に私のトレーニング歴を紹介させてください。そうしないと、インターバルトレーニングの重要性が分かっていただけないと思います。
私は洛南高校三年生の最後の全国高校駅伝を3区区間23位という今思い出しても、悔しく、情けなく、みじめで、空しくなってしまう結果で終えました。チームも目標としていた入賞を達成できず18番という結果に終わってしまいました。情けないことこの上なしです。
そんな私も自分の夢をあきらめきれず、次の目標をマラソンに設定すると、大学四年間の青写真を描きました。私は大学は勉強で京都教育大学に入ったので、いろいろ大変なこともありましたが、しかし、自分の好きなように計画を立てられるというメリットはありました。私がこの大学に入学して一年目に定めたテーマは高校レベルの選手になることです。客観的に言って、高校生の私は高校レベルに到達しているとは言い難かったです。
そのため、一年目は洛南高校でやってきたことを継続しつつも、大牟田高校や佐久長聖高校などの高校駅伝強豪校の練習を参考にし、そして、そうはいっても将来マラソンをやりたかったので、少しずつ練習量を増やすことにしました。
1年目は5000mを14分27秒で走りました。今でこそ高校生のレベルも上がっていますが、これで私は高校レベルにはなれただろうと思いました。私の洛南高校の三つ上の先輩に今崎俊樹さんという方がいらっしゃいます。今崎さんは国体の少年B3000mのチャンピオンで、1500mでインターハイ入賞されている大先輩です。中距離選手ではあったので、私と比較するのはおかしいのですが、5000mのタイムだけ比べるのであれば、今崎さんの高校時代の5000mの自己ベストが14分27秒でした。
私も5000mで同じタイム、そして私は持久型なので、あとはハーフマラソンに距離を延ばしてみれば、なんとかなると思っていました。一年目は、それでもハーフマラソンには適応できず、ハーフマラソンにもかかわらず、最後はマラソンのように失速するレースを繰り返していました。
そして、大学二年目ハーフマラソンに適応し、63分台一回、64分台二回をマークし、自分なりにハーフマラソンの練習の仕方が分かりました。しかし、5000mのタイムは14分22秒、この上のステップに行って62分台を目指すには、もっと5000mのタイムを伸ばさないとこの先は厳しいと感じました。
そして、大学3年目、私は5000mや10000mのタイムを伸ばすべく、1200mや1600mのインターバルを繰り返しました。ペースは一キロ2分55秒から2分50秒のペースです。一人でやるには、かなりきついペースです。しかし、そんな練習を繰り返しても、私は5000mでタイムを伸ばすことが出来ませんでした。
高校三年間は全国大会にも出られず、高校生の100傑にすら入れませんでした。でも、大学ではいきなり日本ランキングで69番くらいに入ることが出来ました。この間、すべてセルフコーチングです。私は選手としてよりもコーチとして自信を深めました。高校三年間伸び悩んだ一人の青年を飛躍させたのは、私だったのですから。
しかし、このあたりで行き詰まりを感じました。どこかから何か別のものを持ってくる必要性を感じました。ここまで、順調に練習の質と量を増やしてきました。しかし、その次のステップに行くには、単に練習量と質を増やすだけでは無理だと感じました。
この間、さらに詳しく特にハーフマラソンに適応するまでの過程を書かせて頂くと、まずハーフマラソンという距離に対する不安は全くありませんでした。21.0975㎞を走り切る程度のことには何の不安もありませんでした。また、スピード的にもなんの不安もありませんでした。高校時代結果を出せなかったとはいえ、5000m14分43秒、都道府県対抗男子駅伝の5区では8.5kmを25分23秒、一キロ2分59秒ペースで押し切りました。
当時は駒澤、早稲田、東洋の三つを除けば、ハーフマラソンで65分を切れば箱根駅伝のメンバーに入ってくる時代です。そうすると、およそ1キロ3分4秒ペースが目安になります。このスピードにも不安はありませんでした。しかし、結論から言うと、距離的にもスピード的にも不安はなかったのですが、ハーフマラソンのレースペースで21.0975㎞走り切るということには体が適応しませんでした。
そのペースで走り切ることが出来ず、後半若干ペースダウンするとかそういうレベルではなく、本当にマラソンレベルの失速をしてしまい、後半は呼吸はかなり楽なのに体が全く動かず、レースがレースになりませんでした。また、ハーフマラソンのレース後のダメージもかなり大きく、再び普通に練習できるようになるまでに二週間かかりました。
その後、その反省からハーフマラソンのレースペースで走るインターバルの距離を伸ばしていき、ハーフマラソンには適応することが出来ました。しかし、先述の通りもう一段上のステップに行くには、さらに5000mや10000mのタイムを上げる必要があります。実際、そのためにインターバルの質も上げました。しかし、何回やっても体が適応せず、試合でも思うような結果が出せませんでした。練習量の方もそのころは月間1000㎞も超えており、それ以上増やすことも賢明な考えとは言えませんでした。
そこで、私は答えを求めて、ケニアへと旅立つ訳です。そこで、わが師ディーター・ホーゲンに出会うわけです。コーチホーゲンに言われたのは、まずインターバルの頻度が多すぎる、週に二回も三回もマイルリピートをやっても体は適応しない、同じ刺激は週に一回で充分だと。また、練習を見て、君の持久力とスピードを比較したら、あまりにも持久力の方に偏っている、それだけ持久力があれば、カマリンでも1000m3分ちょうどで10本は出来ないとおかしいとのことでした。
カマリンとはその時私たちがいたイテンという町の土トラックです。イテンという町は標高2300mに位置する町で、高地に順応していない私は一回目の3000mのタイムトライアルでは10分すら切れませんでした。その後、少しずつ順応していきましたが、それでも一キロ当たりおよそ15秒くらいは遅くなりました。ということは、1000m10本を3分ちょうどでいけるということは、日本に帰って走れば2分45秒で走れるということです。
遅めに見積もっても2分50秒で行けるということです。その言葉に私は体中力が漲りました。それだけ、スピードがつけばハーフマラソンでは62分台が出るに決まっているじゃないかと思いました。また、同様に400m20本を200mつなぎでやるインターバルでは、はじめはつなぎの200mを55秒くらいでいっていたのですが、コーチホーゲンが私に「つなぎを90秒かければもっと速く走れるんじゃないのか」とおっしゃいました。私は「もちろん、そうです」と答えると一言「だったらそうしろ」と言われました。
私がケニアにその時滞在したのはわずか7週間で、途中お腹を二回壊したこともあって、思うような練習が出来ませんでしたが、そこで得たものは大きかったです。
ところがです。日本に帰ってインターバルをやってみると、全く走れませんでした。ケニアに行く前は、普通に2分55秒から2分50秒で走れていたのに、3分が切れません。平均3分5秒くらいでしか走れないのです。移動の疲れもあるのかと思い、一週間後にもう一度やってみましたが、やはりダメでした。私は失望しましたが、とにかくコーチホーゲンに言われたとおりに週に一回ずつ400mと1000mのインターバルを継続すると、面白いように速く走れるようになっていきました。
京都教育大学は土トラックです。私はそれまで土トラックでは2分55秒でもかなりいっぱいいっぱいだったのですが、1000m10本やると平均2分55秒を下回り、最後の3本は2分50秒、2分50秒、2分45秒であがったこともありました。もちろん、その前には400mのインターバルのペースもあがっています。過去できたことがないような質をこなすことが出来ました。ただ、練習のレベルが上がったというよりはつなぎを多めに取り、疾走区間を短めにとっているからこその練習です。
しかし、何はともあれ、それでスピードに慣れることが出来た私は万全を期して上尾ハーフマラソンに臨みました。しかし、先ずスタートの時点で関東の私大から各チーム10名が無条件に前に並ぶという不平等を味あわされました。その時、私は学生ランキングで30番前後につけていました。なぜ、芋みたいな選手たち(失礼)の後ろに無条件に並ばされるのか?はらわたが煮えくり返る思いです。
しかも、上尾ハーフマラソンは競技場スタートです。道路でスタートすれば、スムーズに進んでいくのですが、競技場スタートではつまりにつまることは目に見えています。スタートしても初めはジョギングのようなペースでしか走れません。更に運の悪いことに私を走る前の選手が転倒しました。状況を想像していただけるとお分かりいただけると思いますが、数百人が競技場内でスタートして誰もが少しでも前に行きたがっている状況では横に動くことも止まることもできません。つまり、よけることは絶対に無理なのです。
私も転倒し、しかも当たり前ですが、後ろの選手も同じ状況です。よけたくても横にも動けないし、後ろからも押されています。私たちの後ろにどんどん人が重なり、まさに地獄絵図でした。起き上がろうにも起き上がれません。上から順番に起き上がらないと人の重さでとてもじゃないですが、起き上がれません。やっとの想いで起き上がると、依然ジョギングのようなペースでしか走れないままに競技場を抜けていきます。
初めの一キロで30秒はロスしたでしょう。私は見失った先頭集団を追いかけて猛然と追いかけました。様々な思いが頭を駆け巡り、ヒートアップします。まさに獅子奮迅のごとく、体に力が漲り、前を追いかけました。冷静さも欠いていました。すると、一キロから二キロが2分48秒、2キロから3キロが2分51秒というハイペースになりました。さすがに、このあたりから冷静さを取り戻し、ペースは落ち着きましたが、次の1キロも2分54秒、次の1キロも2分57秒とこの4キロを11分30秒で走っています。
それまでの私なら、ここで完全に潰れています。後半ヘロヘロになっていたでしょう。しかし、この時の私はかなり苦しくはあったのですが、体がスピードに慣れていたので、潰れることはなく、なんとかそのあとも一キロ3分ペースを刻むことが出来ました。ちなみにですが、1キロから5キロをそれだけ飛ばしたにもかかわらず、5キロ通過は14分57秒、やはり30秒近くロスしていたのでしょう。
レースは当然、同じくらいの人と一緒に走ることが出来れば楽ですから、先頭集団についていればそのプラスマイナスはもっと大きくなったでしょう。この時の私のゴールタイムは63分24秒、やはり62分台が出ていたと思います。私はやるせない気持ちになり、ゴール後にもらったペットボトルのスポーツドリンクを思いっきりたたきつけました。15キロから交互に引っ張り合った大東文化大学の池田君が挨拶してくれそうな雰囲気でこちらに近寄ってきたのをにらみつけると、向こうもたじたじと去っていきました。
池田君あの時はごめんなさい、別にあなたにはなんのうらみもなかったけれど、どうにも気持ちが抑えられなかったんです。
まあ、そんな私の気持ちはどうでも良いのですが、ここからは重要な学びがあります。まず一つ目、ケニアから帰国後私はインターバルで全く走ることが出来ませんでした。確かにケニア滞在中に二回お腹を壊して練習を中断せざるを得なかったのですが、しかし、その後の練習は順調にこなせて帰国直前は一番良い練習が出来ました。標高が高いので、ペースは遅かったのですが、心拍や呼吸はしっかりと上がり、追い込めていました。にもかかわらず、帰国直後は全く走れませんでした。
しかし、そのあと練習を続けていくと、今までよりも速いペースで走ることが出来、体が速いペースに慣れていくことが出来たので、そのあとハーフマラソンをやっても前半から飛ばしても潰れない体になりました。
このことから、私は一つの仮説を立てました。それは運動単位に関するものです。いや、今回は運動生理学の用語を使うことは避けましょう。早い話が、人間は呼吸循環器系に余裕があったとしても実際にレースで走るその動きに慣れていなければ、余裕を持って走ることが出来ないのではないかということであり、またその動きに体が慣れていなければ呼吸循環器系にもより大きな負担がかかるのではないかということです。
大雑把に言えば、一キロ3分ペースも2分50秒ペースも走るという行為です。しかし、一キロ3分ペースと2分50秒ペースではストライドやストライド頻度(ピッチ)に違いがあります。そうすると、厳密にいえば、違う動きです。この違う動きに体が慣れていないと、強い心肺機能を持っていても速くは走れないし、またそのペースで走った時の酸素消費量も大きくなり、心肺にもより大きな負担がかかるのではないかということです。
その後の経験から言っても、この仮説は正しいと思います。そして、更に詳しく見ていくと、長距離ランナーにとっての基礎スピードは1000mを400mでつなぐようなインターバルではないかと思います。その根拠はやっぱり400mとかを速く走るというのはまた少し違う感覚のような気がしているからです。1500mや3000m、5000mまでの種目に特化するのであれば、良いと思うのですが、10000m以上の距離になってくると、またちょっと体の使い方が変わるような感じがします。
一方で、1000mとなるとある程度距離も長く、しっかりとリラックスしないと速く走ることが出来ません。1000m10本となるとなおさらです。しかし、それでも充分レースペースよりも速いペースで走れる距離ではあります。また、つなぎも200mだと心肺への負担もかなり大きいですが、400mだと呼吸は一本、一本整うはずです。例えば、1000mを2分50秒で走って、400mを2分30秒かけてつなげばインターバルとレペティションの中間のような練習にもなります。
また、運動生理学的にも2分間で最大酸素摂取量に到達するので、心肺にも基本的な負荷がかかるはずです。1000mのインターバルのペースを上げたければ、400mのインターバルと平行して行うことが理想だと思いますが、マラソンやハーフマラソンのレースにとっては1000mのインターバルだけでも充分に基礎スピードの役割を果たすはずです。
余談ですが、順天堂大学を卒業して、今は公務員として働きながら走る北村友也君という方が京都にいます。箱根駅伝を走れなかった悔しさを晴らすかのように今期は5000m13分台、10000mも28分40秒をマークしました。その北村君が1000m5本を600mつなぎで2分45秒から2分40秒で走る練習を取り入れてからスピードに余裕が持てるようになったと言っていました。種目は違えど、発想は同じことだと思います。
また、この私の運動単位理論は、故障から復帰した後の走力の低下も説明することが出来ると思います。私は故障中、なるべく体力を落とさないようにいろいろな練習を試した結果、ジムにおいてあるエアロバイクでランニングと同じ練習を組むことがベストであることを発見しました。例えば20キロを中強度で走るという練習があれば、70分から75分間中強度でバイクを漕ぎます。この時の心拍数は130から160で、この心拍数は私が20キロを中強度で走るときの心拍数に合致します。
インターバルも同様に組んでいきます。1600mを6本という練習があれば、5分間心拍数が160から180になるように3分間の休息を挟んで6セットバイクで漕ぎます。このようにすれば、心肺機能にかかっている負荷はほとんど同じになるはずです。しかし、それでも復帰した後の走力の低下は著しく、元の走力に戻るまでに数週間を必要とします。
一心不乱に書いていたら、もう7000字になってしまいました。無料ブログにしては、内容が濃すぎるので、このあたりで筆をおくこととします。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志
追伸
先日リリースした拙著『マラソンサブ3からサブ2.5の為のトレーニング』第二版ですが、大人気かつ高評価を頂いており、すでに在庫が残り半分を切りました。こちらの書籍ですが、良くも悪くも非常に質が高く、すべての方にピッタリな内容とはなっておりません。現在冒頭部分を無料で公開させて頂いており、冒頭部分をお読みいただければあなたがこちらの書籍を読むべきか読むべきでないかがお分かりいただけます。
今すぐこちらをクリックして、冒頭部分をお読みください。
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