こんにちは、Kimbia Athleticsの池上です。今回は、私が初めて月間1000km走った時の経験から、色々とトレーニングについて学んだことを書いて見たいと思います。私が月間1000kmを超える練習をしたことは何度かあり、最高で1200km、最もコンスタントに走りこんだ時で4ヶ月で4000kmという練習をしていました。
私がマラソンに興味を持ったのは、高校生の時、黒木亮さんの『冬の喝采』という私小説を読んで、マラソンって面白そうだなと思ったのがきっかけです。他にも宗茂さんの『マラソンの心』という本も読んでマラソンってなんだか面白そうじゃないかと思ったのが始まりです。自分でもマラソンをやってみて、なんだか面白いのは間違いありません。
その頃色々な本を読みましたが、日本のマラソンランナーが共通して書いていたのは、今の選手は練習量が少ない、とにかく走りこまないとマラソンでは結果が出せないということでした。中山竹通さんも何かのインタビューで、若い間は身体で覚えることが大切、若い選手には年間で12000km走るくらいの気概を見せて欲しいと語っておられました。
当時、私の最も身近なマラソンランナーは都道府県対抗男子駅伝でタスキリレーもした、佐川急便(現SGホールディングス)の山本亮さん(現中央大学コーチ)でした。山本さんもやはり練習量が物凄く月間で1200kmほど走っていたとのことです。
藤原新さんや川内優輝さんが出てくる前の新聞記事というのは、月間に何キロ走ったとか、40km走を何本走ったとかいうのが中心で、それ以外の情報というのはあまり出てきませんでした。そうすると、受け手の方も月間何キロ走るとか、40km走を何本やるとかそういうのが大切なのかなと無意識のうちに思います。そんなわけで、私もとにかく総走行距離を増やすことが、大学に入った時のテーマでした。大学に入ってから、少しずつ走る距離を伸ばし、2年目の夏に初めて月間1200kmを突破しました。そこからは、試合がなければコンスタントに月間1000kmを超えるようになりました。現在のコーチディーター・ホーゲンに出会うまでは。
私が初めて月間1000kmを超えた時に思ったのは、意外と楽だなというものでした。勿論、きつかったですし、学生だから勉強するのは当然として、勉強以外は全てを練習に捧げるつもりで生活しないととてもじゃないけど、できません。当時、友達と出かけた記憶はありませんし、友達がいた記憶もありません。ただ、その一方で、思い描いていたよりは、やってみると意外と壁を越えることができたという印象です。
当時の私
詳しくは後述しますが、トレーニングの負荷は量よりも質で決まります。これは私が身をもって経験したことです。このように書くと、トレーニング効果も量より質で決まると思われるかもしれませんが、これは間違いです。まずは量をこなすことが先です。基礎体力作りをしっかりとやるから、故障しにくく、ハードなトレーニングに耐えられる体ができるようになっていくのです。練習に耐えられる強い体ができれば、トレーニングを継続できるので、強くなります。
ちなみに月間1000kmを走ることを一つのテーマにしたと書きましたが、では練習の質が落ちたかというとインターバルなどの質は全く落ちていません。これはトレーニングプログラムの作り方の基本中の基本なのですが、トレーニングというのはまずメインとなる練習を先に決めます。やりたい練習といっても良いかもしれません。例えば、当時で言えば、火曜日に一マイルを6本、木曜日に12000mの急走、土曜日に400mのレペティションを10本、日曜日に20マイル走という具合です。この4つの練習に関しては、それぞれ明確な意図を持って取り組むので、思い描いたペースや感覚というものがあります。ここでの練習がこなせなければ、月間1000km走ろうが、1500km走ろうが強くはなれません。
但し、じゃあこの4回の練習だけ頑張ってあとは寝てても良いのかというとそういうことでもありません。やはり長距離というのは継続的にトレーニングする必要があり、そこで培った基礎体力作りと核となるトレーニングをどのように組み合わせていくのかということが永遠のテーマとなります。最近は市民ランナーの間でもしきりに量より質だと言われるようになってきましたが、話は質より量とか量より質とかそんな短い言葉だけで言えるほど、単純なものではありません。
とは言え、このメインとなる4回の練習は思い描いたような練習ができないと強くなれないんです。ですから、このメインとなる4回のトレーニングがきっちりこなせるように考えて、残りの日はどのくらいのペースで走るのか、どのくらいの距離を走るのかということを考える必要があるわけです。私の場合もあくまでも核となる練習を段階的にレベルアップしながら、その範囲内で走る距離を増やしていきました。月間1000km走ることを一つのテーマにしていましたが、それはあくまでも核となる練習に重点を置きながら、出来る練習の量を増やしていったんです。ただ単に月間1000km走るだけなら、もっと早い段階にクリア出来たでしょう。
大学一回生の関西インカレ5000m
私の場合はこのようにして練習量を増やしていったので、核となる練習の質は落ちませんでした。先天的に持久系タイプというのもあると思いますが、練習の量を増やしたところで、上記のように核となる練習に重点を置きながら練習量を増やしていった結果の月間1000kmなので、それでスピードが落ちるということは一切ありませんでした。この辺りもやってみた結果と、頭で考えただけの違いです。論理で説明できないことというのは多々有る訳で、論理が事実に合致しない場合は、必ずその論理には綻びが生じています。
要するに、月間1000kmというとその数字だけに注目しがちですが、その中身を見ないといけない訳です。当時、私も周りからは「池上は走り込みばかりやってスピード練習が不足している」というご指摘をよく頂きました。当時は、私も自分のやっていることを今ほど理解していた訳ではないので、悩んだことは一度や二度ではありません。何度も何度も悩んだ末に「まあ、ものは試しだ。上手くいかなかったら、人の言うことを聞こう」と思っていました。ところが、やって見た結果として、月間1000km走っても核となる練習の質は落ちませんでした。これはでも、よく考えたら当たり前の話で、核となる練習の質が落ちない範囲内で段階的に月間1000kmという数字を達成したのだから、当然と言えば、当然です。今はデータとか、理論とかばかりが言われるようになりましたが、その数字を読み解いていかないと真理は探求できません。
ちなみにですが、今は市民ランナーの方が理論やデータを重視する傾向にあります。というのは実業団や箱根駅伝強豪校でやっていることは、市民ランナーの方まで伝わっていかないし、なかなか言葉で説明するのも難しいからです。実際にやってみれば、わかるんだけど、そこまでやってきた人というのは、基本的には市民ランナーの指導に回りません。その結果として、トップでやれなかった人達が、頑張って本を読んで勉強したり、ランニングアドバイザーの資格を取ったりして、市民ランナー相手の商売をして回しているという印象です。今、市民ランナーの指導にあたっていて、きちんと教えているのは黒川遼さんなどほんの数人という印象です。大前提として、良い指導者と良い選手は全く別です。世界最高の指導者の何人かは現役時代長距離をやってすらいません。自分がトップでやってこなかったから、コーチとしてもダメかといえば、それは全く別の話です。現役時代数字を残せなくても、日本や世界最高のコーチになった例は枚挙にいとまがありません。私が言いたいのは、真剣に何年も色々なものを追求していかないと理論だけで人は教えられないということです。
さて、その年夏場に月間1000kmを走りこんだ私ですが、実際に秋に5000mで14分22秒の自己ベストを更新し、実際に走りこんだからといってスピードが落ちる訳ではないことを証明しています。冬にはハーフマラソンで63分9秒の自己ベストを更新しました。
ディーター・ホーゲンとの出会い
さて、文章で書けば、一見順風満帆に思え、またトレーニングに関しても重要な真理を得られたように思われるかもしれませんが、実際にはそうではありません。相変わらず周囲からは「スピード練習が不足している」「池上は思い込みが強くて、走りこまないと強くなれないという固定観念を持っている」ということを言われ続けました。これらの指摘は少なくとも部分的に当たっています。二十歳で京都教育大学という国立大学でマークした5000m14分22秒とハーフマラソン63分9秒というのは、悪くない数字だと今でも思います。とはいえ、自他共にそれで成功したとは、一切思っていませんでした。上には上がいるものですし、さらなるレベルアップを図るのは当然のことです。
コーチホーゲンと私
大学三回生になった私は、進路を含めて思い悩むようになりました。思い悩むというと何かネガティブな印象を受けますが、一応男ですので、相談したいと言いながら、本当は話を聞いて欲しいだけという状態ではありません。落ち込んだり、ネガティブになったりしていた訳ではなく、さらなるレベルアップを図るためには、何か違うものが必要だなと感じていました。月間1000kmという一つのテーマをクリアしてみて、じゃあそのまま月間1300km、1500kmと走る距離を伸ばしていけば、強くなれるのかというとそうではないということははっきりとしていました。じゃあ次はどうするか?
インターバルの質をあげれば良いじゃないかと、思うかもしれませんが、そんなことは私も分かっていました。問題はどうやって?ということです。ある程度突き詰めていくと、やればやるほど強くなるということはありませんし、むしろギリギリのところを追求してやってきているので、安易に質を上げると、余計に弱くなる可能性がかなり高くなります。
そんな中で、私も新しい何かを探していました。当時東京にお住まいだった藤原新さんの家に、京都から訪ねて行きもしました。実業団の合宿にも参加させてもらいました。そんな色々な取り組みの一つとして、ケニアにも行きました。大迫さんがケニアに行ってから注目され始め、今では結構日本人も行くようになりましたが、当時はまだ、ケニアに行く日本人はほとんどいない時代で、行ったら結構珍しがられて「チャイニーズ」と声をかけられることがほとんどでした。
さて、そこで現在のコーチディーター・ホーゲンと出会い、今でもプロとして競技を続けている訳ですが、彼に出会って本当に私の練習は変わりました。月間1000kmや4ヶ月で4000kmという練習も経験し、自分なりに基礎的な力はついていると思い込んでいたのですが、まだまだプロの練習に耐えられる体ではないという事も分かりました。それもそのはずで、コーチホーゲンがそれまで指導していた選手は、サミー・リレイ、ウタ・ピッピヒ、スティーブン、キオゴラ(通称ババ)、クリストファー・チェボイボッチ、アラン・キプロノ、レイモンド・チョゲ、ラーニー・ルット、ダニエル・コメン、ボブ・ケネディなど、シカゴ、ニューヨーク、ボストン、ロンドン、ベルリン、フランクフルト、ケルンなどのメジャーレースのトップ6やチャンピオンを何ダースも輩出してきた名伯楽だったからです。
コーチホーゲンに初めて出会ったのが2015年、そこから、やっとプロの練習に耐えられる体になったなと思ったのが、2019年の1月から3月にかけて敢行したニュージーランドでの合宿です。そこから、身の回りに色々なものがふりかかってきて、今のウェルビーイング株式会社を立ち上げることになってと、大変なことにはなっていますが、今でもコーチホーゲンのもとでトレーニングを続けています。何年もかけて積み上げてきたものがあるので、これからが楽しみだなという感じですが、コーチホーゲンの元で学んだことは、「闇雲に練習しても強くなれない、システマチックに基礎から積み上げて行くことの重要性」です。要するに何が問題となるかというと、今大迫傑さんが何をやっているかではなく、大迫傑が大迫傑になる前に何をやっていたかです。
ウタ・ピッピヒさん(ボストン三連覇、ロンドン三回優勝)は今でもコーチホーゲンの練習に顔を出して、ヨガを教えてくれたり、時には給水を渡してくださる事もあります。そのウタさんがまだウタ・ピッピヒになる前の話をよくしてくださいます。時には涙を流しながら、熱く語ってくださいます。
ウタさんと私(2019年)
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