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執筆者の写真池上秀志

関西実業団選手権5000m走ってきました

昨日は関西実業団の5000mを走ってきました。


 今回はレースまでの流れやレースの流れを書かせて頂きたいと思います。


 実は今回のレースはスタートリストを見た時から非常に楽しみなレースでした。


 高校時代に一緒に合宿をした大塚製薬の上村和生君、結局は棄権されましたが都道府県対抗男子駅伝の京都チームで同じチームにもなった野田一貴さん(共に大塚製薬)、洛南高校の後輩(といってもだいぶ下でかぶってもないけれど)で大阪マラソンでも一緒に走り、現在はワコールのトレーニングコーチ(女子選手のペースメーカー)をしている盛本聖也君、もう10年くらい前になりますが、近畿選手権の10000mでご一緒させて頂いた住友電工の藤村行央さんらがエントリーしていたので一緒に走るのを非常に楽しみにしていました。


 先日のメルマガでも少し書いたので、一か月ほど風邪でやりたい練習が出来ていませんでしたが、レースになればそこは強気で自分を信じて走るのみです。


 私の中では、14分45秒で80点、14分35秒で100点、14分55秒で60点、それ以下だと不可という評価基準でスタートラインに立ちました。


 天候は気温が17度、雨ということで、雨のお陰で気温17度ながら体感温度は秋のレースに近く、絶好のコンディションでありました。言い訳の出来ないコンディションに身の引き締まる思いでスタートラインに立ちました。


 スタートしてすぐに内側のレーンに入ることを目指すも、初めはなかなか内側には入れませんでした。ただ、変に後ろに下がってもリズムが変わってしまうし、盛本君と上村君がすぐ前にいて、標的にも困らなかったので、そのポジションをキープしながら、縦長になったタイミングで内側に入ることにしました。


 レースは初めの1000mを2分51秒、先頭は2分48秒かそこらで通過しているはずです。1000mを過ぎるとすぐに集団が縦長になりました。私は後ろの方に位置し、相変わらず上村君と盛本君のすぐ後ろを走っていました。


 ペースはあまり速くは感じないものの、脚が徐々に重くなってきて、乳酸が溜まっている感じになってきました。ちょっとヤバいなと思いつつも、ラップタイムや前の様子も冷静に見れていたように感じます。2000mの通過は5分46秒、1000mから2000mが2分55秒です。


 1000mから2000mも何人か落ちてきた選手の前に出たのですが、2000mか3000mで更に前から落ちてきた選手の前に上村君と盛本君が前に出たタイミングで私は前に出ることが出来ませんでした。


 ただ、上村君とはそれほど一気に差があいた訳ではなく、全然視界にとらえながらリズムを合わせていける距離だったので、一度は離れましたが、まだ全然前を追える位置にありました。今日は実は一つ意識の上で変えていたことがあって、それは頭の中で距離をキロ換算することです。


 要は2000m通過時点であと3キロ、3000m過ぎた地点であと2キロというふうに意識を変えました。この辺りは意識の問題なので、言葉で伝わるかどうかわかりませんが、基本的にロードレースではキロで考えていきます。ただ、トラックではあと何周とか2400mという風に区切って考えることが多いです。あくまでも私の場合はですが。


 元々ロードレースの方が得意で、ロードの方が強いのですが、それにはそういった細かい部分も影響しているのかもしれません。特に、一度集団から遅れて、前を追う展開になった局面では駅伝を思い出しながら、駅伝の感覚で前を追いかけていきました。


 2000mから3000mが3分2秒、小数点以下合わせて3000m通過が8分49秒、正直これはガクッと来ました。少しペースが落ちているとは感じていましたが、感覚的には2分57-2分58秒でした。3000mは8分45秒前後で通過すると思っていたので、ここで少しガクッと来てしまった感は否めません。


 ただ、それも含めて残り2キロしかない訳ですから、強気でいくしかありません。前も苦しいはずなので、ここでペースアップをすれば前とつまるはずです。自分も苦しかったのですが、ここは強気に一気にペースを上げました。次の一周でラップを取り72秒0、1キロ3分ペースまで戻せたのを確認するとそのまま前を追いかけました。


 ところが、前との差が開いていきます。このあたりでおかしいなとは思っていました。おかしいなとは思っていましたが、次の周はラップが取れませんでした。ここまでで残り1.2キロ、あと少し自分の力を振り絞りました。ところが、4000mでラップを取ってまたもやがっくり来ました。この600mは1分53秒、1キロ換算3分8秒くらいまで落ちています。


 自分の感覚との間に大きな隔たりがありました。感覚的には1キロ3分ペースを維持しているつもりだったのですが、だいぶ脚に来ているようです。どうりで前との差が開いているはずです。


 ただ、これもまた面白いもので、ペースがガクンと落ちたことで一回回復しました。なんとなく楽になったんです。残り2周のところでゴールタイマーをみると12分33秒、この200mも38秒かかっている計算です。


 私の起業後ベストが14分53秒なので、ラスト800mを2分19秒であがれば起業後ベストです。ここまでくれば無理ではないと思いました。そう思い込んだと言っても良いのかもしれませんが、まだいけるぞと自分を奮い立たせました。


 ここまで来たら出し惜しみしても仕方がありません。残り1キロを切っているので、思い切ってスパートをかけました。そうすると、切り替わるではありませんか。この1周は70秒の感覚でしたが、ゴールタイマーをみると13分44秒、71秒かかっており相変わらず感覚よりも遅いです。


 しかしまだ、ラスト400mを68秒であがれば起業後ベストです。ラスト300mを50秒であがれば、あるいはラスト400mからラスト200mを35秒、ラスト200mを33秒であがれば起業後ベストです。正直、いけると思いました。苦しくても、ラスト200mを33秒はなんとかなるだろうと。


 最後の直線に入ったところで、14分40秒に変わったのが見えました。残り80mを約12秒、ここからはもう計算は出来ませんでした。ただ、起業後ベストは出せると信じて走るのみです。雨もあって、ゴールタイマーがよく見えませんでしたが、とにかく出せるもんだと信じてひたすらスパートしました。


 そして、これもまた面白いのですが、ゴールした瞬間ゴールタイマーが止まって見えました。14分54秒で明らかに1秒以上止まっています。コケる瞬間にスローモーションになるという現象がありますが、あれと同じで14分53秒になる瞬間スローモーションになり、私がゴールした14分54秒の瞬間に時計が止まりました。


 文字通り一歩及ばずで起業後ベストを逃してしまいました。ちなみに、一個前の選手が14分49秒なので、勝負の分岐点は明らかです。前の選手が前に出た時に、自分はついていけなかったし、別にそこで離れても良かったとは思いますが、3000-4000mは前においついていないとダメでした。


 自分でもそれが分かっていたけれど、体がついてこなかったので、正直レース展開に関しては何もないと言いますか、スタートラインに立った時点でもうちょっと良い状態を作れていなかったことが全てかなと思います。


 前半ペースが速かったことに関しても、だいたい読み通りでその中で集団の流れにのって中盤ちょっと休んで最後少しあげられたらと思っていたのも事実です。


 100点のレースが14分35秒としたときに、2分52-53秒で入って、次が2分55秒、次が2分57-58秒で3000mの通過が8分45秒、そこから2分58、2分52くらいで14分35秒なら100点のレースになるし、3分00、3分00くらいで粘り切れば14分45秒で80点、14分55秒かかるとすれば、3000m通過の時点ですでに8分50秒はかかるだろうと思っていました。この展開だと3000m通過の時点でかなり苦しいはずなので、3000-4000mが3分05秒でラスト1000mを3分ちょうどで14分55秒かなと、だいたいこの3パターンくらいでレースを思い描いていました。


 今の練習で14分半を切ることはイメージできなかったし、15分を超えることもイメージできませんでした。その思い描いていた中で一番悪いのが出てしまったかなという感じです。


 まあでも、課題は引き続き明らかでスピード持久力の不足です。日体大長距離記録会の時もそれは言っていたのですが、終わってすぐに風邪がぶり返してやりたい練習が出来なかったので、結局そのまま課題を引きずってしまった感じです。


 ただ、その中でも今回のレースの5日前に1000m6本を200mつなぎでやると割とさらっと2分57秒から2分47秒でいけました。2分47秒はだいぶ頑張ってあげましたが、2分57秒から2分52秒は割とさらっといけたので、感覚は掴みつつあります。あとは、もうちょっと体がその刺激に適応するのに時間がかかるのかなという感じです。


 次は6月10日か11日にある日体大長距離記録会の5000mに出場します。過去ハーフマラソン63分台を出したシーズンでも夏前は5000m14分32秒が最高です。決して手を抜いている訳ではないのですが、そのくらいでしか走れていません。

 

 結果として夏までにこのくらい走れていればひと夏しっかりと走りこめば、秋冬にはハーフマラソン63分台までもっていけるかなというデータが残っています。。


 ダウンジョグの時に上村君とも話していたのですが、どれだけロードに強くても5000m14分半切ってなかったら何も出来ません。ひと夏超えて、ハーフマラソン63分台出す数か月前にはトラックの5000mも14分20秒くらいでは走っています。やっぱり、最低でもこのくらいでは走れていないとロードレースに出ても何もできません。


  逆にそこまで行けば、秋にハーフマラソンをやるか、10000mをやるかはまだ決めていませんが、ハーフマラソン63分台が見えてくるので、ハーフマラソン63分台が出せたら、あとそこから先はいわゆる厚底シューズに挑戦してみても良いと思います。もし、それで1キロ3秒ほど速くなるのであれば、単純計算で62分台になるので、それだけ走れていれば、マラソンをやっても集団の力を借りて1キロ3分ペースの集団に着かせてもらうという選択肢も出てきます。


 そこから逆算すると、なにがなんでも次の日体大長距離記録会では14分35秒±5秒で走りたいところです。あと19秒くらいなら、最後のピーキングで充分なんとかなると思います。本当は今日のレースで14分45秒までもってこれていたら、あと10秒は楽勝でなんとかなったんですけどね。


 終わったことは言っても仕方がないので、なにがなんでもあと19秒なんとかするという気持ちでやりたいと思います。


 何とかすると言っても、もう計画は立てていますから、体調不良なく、睡眠、食事含めて日常生活でもリカバリーを最適化して、トレーニング刺激に最大限適応することだと思います。


 日体大長距離記録会の後は3か月間ケニアで合宿をする予定です。良くも悪くも遊ぶところもないので、練習にしっかりと集中したいと思います。とは言え、京都にいる時も遊びに行くことはほとんどないのですが、一つ違うのは自然が綺麗なので、自然の綺麗なところで走って癒されてこようかなと思います。


 ケニア人も本当に能天気ですからね。彼らは人生で色々な問題を抱えています。でも、それを気にしない強さがあります。この辺は日本人もちょっとは見習った方が良いと思うんですけど、彼らは税金払えてなくても、家賃払えてなくても気になんかしません。良し悪しあると思いますが、彼らは練習に集中して、無邪気に自分なら結果が出せると信じています。


 私も会社経営を始めて3年、良い時も悪い時もありました・・・と言いたいところですが、やっぱり初めは大変で、大変な時ばかりでした。なかなか寝られない時もありました。でも、本気でマラソンで結果を出したいなら、どこかで割り切って集中しないといけない時もあります。


 そういう意味でも、久しぶりに彼らの所に行ってちょっと感化されてこようかなと思います。


 オンラインスクールの受講生様には引き続き精一杯サポートさせて頂きますので、その点に関してはご安心ください。ちゃんとWi-Fi完備の家を借りました。更に念のために日本からもWi-Fiルーターを持っていくつもりです。


 物価も低く、トレーニングパートナーには事欠かないので、ケニアで良い練習が出来ると思いますし、また世界中からトップランナー達が集まってくるので、またそこで勉強させて頂いたことを共有させて頂きたいと思います。という訳で、皆様に有益な情報を提供させて頂くためにもケニアに行ってきます。



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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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