プラセボ効果とは何か
プラセボ効果とは化学的には効くはずのない薬が、効果を表すことをさします。通常は薬のようにコーティングされた砂糖粒を使い、患者には非常によく効く鎮痛剤だと伝えると、30%から60%の人は痛みがなくなったといいます。その結果を前もって知ることは出来ず医師もどの患者にどれほど効くかということを事前に知ることはできませんが、一定の割合である程度の効果を発揮することは事実です。
心の働きによるアンチエイジング
プラセボ効果は砂糖粒の服用だけではなく、プラセボ手術(切開して何もせずにまた縫合する)や高山に登る人たちに偽の酸素ボンベを背負ってもらっても一定の割合で効果を発揮します。若返りに関する以下のような実験もあります。
1981年、ランガーは70代の健康な男性8人に1959年にタイムトリップしたような環境で5日間過ごしてもらいました。彼らは若者のようにふるまうことを要求されました。その環境で過ごす5日間の前後で握力、機敏さ、聴力、視力と言った老化指標をテストしたところ、8項目中7項目に改善が見られました。
プラセボ効果に横たわる心身問題
プラセボ効果が広く認知されていながらも問題となるのはその因果関係が説明できないからです。プラセボ効果は、物質ではない心が物質である肉体に対して如何にして作用を及ぼすのかという問題を提起します。物理的観点から記述される世界では、脳からエンドルフィンやエンケファリンと言った物質が生成され、それらがニューロンの特定の受容体を防ぎ、他の化学物質が痛みのメッセージ(警告シグナル)を運ぶのを防ぐことによって痛みを止めます。ひとたび脳からエンドルフィンやエンケファリンと言った物質が生成されるとその後はAがBを引き起こし、BがCを引き起こし、CがDを引き起こしという具合に因果関係が説明されます。例え現代の科学で完全に説明されなくても理論的にはその因果関係はいつかは解明されるでしょう。
しかしながら、ここで問題となるのは一番初めのAという現象はどのようにして引き起こされたかということです。ここで我々は量子力学の世界に踏み込まなければなりません。
量子力学によって記述される世界は非常に不思議な世界で、時間と空間を超越することもできます。互いに関連する二つの粒子はどれだけ離れていても光速を超える速度で作用を及ぼすことが出来ます。しかしながら、アインシュタインが証明したように、決して物体が光速を超えることはできず、この世界での速度の上限は秒速約29万8000㎞です。しかし、量子の世界ではこの速度を超える速さで作用を及ぼすことが可能です。
物理的観点から記述される世界では一つの物質は一つの場所にしか存在できませんが、しかし広がった電子の波は、そのどこででも電子が発見される可能性があり、電子がA点に存在している状態、B 点に存在している状態、C点に存在している状態・・・という様に、無数の状態が共存しています。このように電子や光子など、量子論に従って振る舞うものは、「複数の状態が共存した状態」をとることが出来、それを観測すると電子はその共存した複数の状態のうち、どれか一つの状態で発見されます。それがどの状態で観測されるかは偶然に支配され、確率的にしか予測できません。「複数の場所に共存しながら、観測装置等のマクロな物体と相互作用すると収縮作用をおこし、電子の位置は一つに決まる」というのがボーアらによって支持されたコペンハーゲン解釈です。
しかしコペンハーゲン解釈をとる学者たちも「箱の中の猫は、誰かが観測するまで生きている状態と死んでいる状態が共存している」とか、「月は我々が見ている時しか存在しない」とは主張していません。何故なら物理的観点から記述される世界と量子との相互作用が起こり、観測する前から電子の位置は確定されているという立場をとるからです。
つまり、観測されえない心というもの(しかも心は物理的空間を必要としません)が観測され得るエンドルフィンやエンケファリンの生成を引き起こしたと言わざるを得ません。
プラセボ効果が全ての人に現れる訳ではないことは、この量子的飛躍を引き起こすことが出来るかどうかということにかかっています。エンドルフィンやエンケファリンが生成された後の世界は観測されえますが、そのひとつ前の段階の心の働きがエンドルフィンやエンケファリンを生み出す瞬間は永遠に観測されえないでしょう。これはあなたに私の心の働きを観測することが出来ないからです。例え、親しい人同士の間で、分かり合える部分が多くなったとしてもやはりそれは推測の域を出ません。例えば、手の震えから緊張を読み取ったとしても、それは緊張ではなく手の震えを観測しているのです。従って、厳密に言えば、緊張しているかのような様子と言わねばなりません。
東洋には唯識論というものがあります。ただ識のみあるあるということですが、識とは考えのことです。人の考えや言葉が阿頼耶識というところにたまっていき、充分に阿頼耶識にたまったところで、実現するという考えです。従って、考えただけでは駄目で阿頼耶識にたまるまで強く思わなければなりません。唯識論的な言い方をすれば、プラセボ効果を引き起こせるかどうかはこの阿頼耶識に識(思考)がたまるかどうかということになるでしょう。
ではどうすれば、物理的世界における因果関係の一番初めの現象を引き起こすほど阿頼耶識に、識(思考)をためることが出来るのでしょうか?それは次回の記事でもう少し述べたいと思います。
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参考文献
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新田孝彦著『カントと自由の問題』1993年、北海道大学図書刊行会
竹田青嗣著『カント『純粋理性批判』』2010年、講談社
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和田純夫監修『Newton みるみる理解できる量子論』2006年、ニュートンプレス
ルイ―ザ・ギルダ著『宇宙は「もつれ」でできている』2016年、山田克哉監訳、窪田恭子訳、講談社
中島義道著『カントの読み方』2008年、筑摩書房
中島義道著『哲学者とは何か』2000年、筑摩書房
中島義道著『純粋異性批判』2013年、講談社
中島義道著『哲学者というならず者がいる』2007年、新潮社
中島義道著『時間を哲学する』1996年、講談社
中島義道著『『純粋理性批判』を噛み砕く、2010年、講談社
中島義道著『カントの自我論』2007年、岩波書店
中島義道著『哲学の教科書』2001年、講談社
中島義道著『後悔と自責の哲学』2009年、河出文庫
中島義道著『悪への自由』2011年、勁草書房
信原幸弘・原塑編著『脳神経倫理学の展望』2008年、勁草書房
Immanuel Kant著 『Der Kritik der reinen Vernunft B Version』1787年