マラソントレーニングのアンチノミー


マラソンという競技が始まって約100年が経ちましたが、未だにこれをやれば上手くいくというようなトレーニングプログラムは誕生していません。それは誰もが2時間10分を切れるようなプログラムを作れないというようなレベルですらなく、誰もが自己ベストを更新できるというようなプログラムすらありません。また過去だけでなく、現在でも各コーチによってトレーニングプログラムの特色は全然違います。

 それはマラソントレーニングが以下に述べるようなアンチノミーから構成されるものだからです。先ず、アンチノミーとは何かから説明しましょう。

1.マラソントレーニングのアンチノミー

 アンチノミー(二律背反)とは、ある正しい命題(テーゼ=定立)があり、その反対の命題(アンチテーゼ=反定立)も正しいが、その二つの命題は矛盾するという状況のことを指します。これだけではわからないと思いますので、具体的にマラソントレーニングの第一アンチノミーを見ていきましょう。

第一アンチノミー

定立:マラソンで好結果を残すには負荷の高いトレーニングが大切になる。

反定立:マラソンで好結果を残すには質の高い休養が必要となる。

 マラソンで好結果を残すには高負荷のトレーニングが必要であることにはだれも異論がないでしょう。同様に質の高い休養が必要になることにも同意していただけると思います。しかしながら、この二つは決して相容れません。ハードな練習をすればするほど、適切に体を回復させることは難しくなり、過去に行ったトレーニングから体を完全に回復させようとすると、ハードな練習を入れる機会が減ります。このように、どちらもそれ自体としては正しいけれど、その二つは決して相容れない二つの命題をアンチノミー(二律背反)と呼びます。

 私はマラソントレーニングに関しては、第一アンチノミーに加えて、2つのアンチノミーから成り立っていると考えています。

第二アンチノミー

定立:マラソンで好結果を残すには練習量が大切になる。

反定立:マラソンで好結果を残すには質の高い練習が必要となる。

 いうまでもなく、どちらも真ですが、どうしても練習の量を増やせば質を落とさざるをえませんし、質を高めようとすれば、量を落とさざるをえません。これは第一アンチノミーとも関連していますが、全体の練習の負荷自体は、各個人によって、こなせる限界が決まっているからです。全体の練習の負荷が自分の限界に近づけば近づくほど、あちらがたてばこちらが立たなくなります。

第三アンチノミー

定立:マラソンで好結果を残すには一般的トレーニングが大切になる。

反定立:マラソンで好結果を残すには特異的な練習が大切となる。

 先ず、一般読者の方たちのために特異的な練習と一般的トレーニングの違いについて説明する必要があると思います。特異的とはその競技にとって専門的であるという意味です。マラソンランナーにとって、最も特異的な練習は42,195㎞を全力で走ることです。しかし、様々な理由から練習で42,195㎞を全力で走ることは賢明な判断とは言えません(詳細は過去記事『マラソン界の洗脳』を参照してください)。それに加えて、特異的な練習だけではやはり不十分で一般的トレーニングによって、特異的な練習は生きてくるのです。

 では一般的トレーニングとは何かということになりますが、一般的トレーニングとは特異的な練習から遠く離れれば離れるほど、一般的ということになります。例えば、400m20本を68秒から64秒で走るトレーニングはハードではありますが、マラソンランナーにとっては特異的ではありません。マラソンレースは400m20本のように短い距離を、休憩をはさんで速く走る種目ではないからです。しかしながら、こういった練習の土台の上にマラソンランナーとしての高い能力が積み上げられていくわけです。一般的トレーニングは走るだけとは限りません。体幹トレーニングや筋力トレーニング、バイク、水泳といったトレーニングも含まれます。

 ここでもやはり、一般的トレーニングに重点を置きすぎると疲れ切って、特異的な練習が出来なくなりますし、特異的な練習ばかりやっていると強固な土台が出来ないので、一つ上、二つ上とステップアップしていくことが出来なくなってしまいます。

2.マラソントレーニングのアンチノミーへの応答

 私自身は基本的にマラソントレーニングを考えるとは、この負荷と休養、質と量、一般性と特異性という3つのアンチノミーへの応答を考えることだと思います。但し、これは大雑把に分ければ3つという意味であり、さらに細分化していくことは当然可能であり、これがマラソントレーニングを難しくしている理由です。例えば、一言で練習量と言っても総走行距離のみを意味するわけではありません。総走行距離ではインターバルの疾走区間の一キロもジョギングの一キロも同じ一キロという計算になってしまいますが、これが同じ一キロではないことは明らかです。また、練習の頻度も関係してきます。週12回の練習で週200㎞走る選手と週7回の練習で週200㎞走る選手では、練習の質が全く同じであれば、週7回で200㎞走った方が体への負担は大きくなります。練習の質に関して言えば、質は同じでも(例えば400m65秒ペース)、休養の区間の長さが違えば(間が100mジョギングなのか200mジョギングなのか)体への負荷は変わります。

 このように考えると、大まかに言って3つのアンチノミーによってマラソントレーニングは構成されますが、細部に目を向けるとほぼ無限の組み合わせが存在することに気付きます。

3.マラソントレーニングは非言語領域

 さて、ここから本質的な領域に入っていきます。「マラソントレーニングは3つのアンチノミーへの応答から構成される」というのは言葉です。また、月間陸上競技や陸上競技マガジンで有名選手のトレーニングプログラムを見たことがあるかもしれません。それもやはり文字で書かれています。しかしながら、トレーニングプログラムとは決して言語化できません。

 よく素人の人達は、故障した選手やオーバートレーニングで結果を残せなかった選手に対して「練習やりすぎるからやん、ホンマ学習能力ないなあ」などと言いますが、練習を「練習やり過ぎ」などと言語化すること自体が間違いです。練習の負荷と休養の関係を言語で表すとすれば、「練習やりすぎ=負荷>休養」、「ちょうどよい=負荷=休養」、「練習が少ない=負荷<休養」という3パターンで表すことが可能になります。確かに、全てのトレーニングプログラムはこの3パターンに分類することが可能でしょう。

 しかしながら、先述したように大雑把に分けても、負荷と休養、質と量、一般性と特異性の3次元に対してそれぞれ分類が可能であり、そのそれぞれの次元がさらに細分化していくのです。そうすると適切なトレーニングプログラムを言語で表そうとすると、半端ではない数の組み合わせが誕生します。

 では、組み合わせの数を増やせば、言語で表せるでしょうか?答えは否です。そもそも量重視のプログラムや質重視のプログラムは存在しません。余裕を持った練習もハードな練習も存在しません。いったい、量重視のプログラムと質重視のプログラム、余裕を持ったプログラムとハードな練習とはどこで線引きするのでしょうか?言語化するとは本来線引きできないものの間に、主観的に線を引くことでプログラムを記述するという行為ではありません。言ってみれば、言語で語るということは発話者の意見を述べるということであり、事実の記述にはなりえないのです。

 では数値化することは可能でしょうか?ジャック・ダニエルズ博士はトレーニング強度とその継続時間を掛け算し、異なるタイプのワークアウト(例:最大酸素摂取量ペースでのインターバルと乳酸性閾値でのテンポラン)の負荷を比較することを提案しました。これは比較的成功していると思いますが、トップアスリートの中でこれを大真面目に採用している人はいないのではないかと思います。何故なら、数値化すること自体大雑把過ぎで、トップアスリートが求めているものはもっと微妙な匙加減だからです。

 言語化することも数値化することも、トレーニング刺激をデジタルでとらえることです。デジタルにおいては、0なら0、1なら1で0と1の間にはなにも存在しません。これをもっと細分化していって、0,1と0,2で分けることもできますが、この場合も本質的にはデジタルであることに変わりありません。つまり、それを大雑把に見るか、細分化するかの違いはあるけれど、質重視のプログラムと量重視のプログラムの間にはっきりと線引きするということを意味します。しかしどこで線引きするかが問題になります。定式化して数値化が可能だと仮定します。そして、この時ある計算方法を導入して50以上は質重視のプログラム、50未満のプログラムは量重視のプログラムというふうに区別すると仮定します。そうすると、50,0のプログラムは質重視のプログラム、49,9のプログラムは量重視のプログラムということになります。実際はこの二つのプログラムはほとんど同じであるにもかかわらずです。これが馬鹿げたことであることはお分かりいただけると思いますが、成功した指導者が「練習は量より質が大切だ」などと言えば、案外コロッと「そうかな」と思ってしまうものです。最近で言えば、大迫さんの活躍によりオレゴンプロジェクトが注目され、「海外の選手はスピード重視でやっている。量重視の日本のプログラムは時代遅れだ」などと言われていましたが、本来はそのように質重視のプログラム、とか量重視のプログラムというように言語化すること自体間違っているのです。

 では人間はトレーニング刺激をどのように認識しているのでしょうか。実は連続的なアナログの刺激をデジタル的に処理しています。例えば、0から100までの連続的なアナログの刺激であっても、3パターンの神経パターンしか学習していない人間であれば、0から33=A、33から66=B、66から100=Cのようにデジタル的に処理しています。しかし、人間の神経ネットワークは鍛えれば鍛えるほど複雑化していき、何年も自分の感覚を頼りに走ってきたランナーであれば、かなり神経ネットワークがアナログ化していくのではないでしょうか。実際、私はかなり正確にその日の適正ペースというものを掴めるようになっています。これは単にイーブンペースで走るということではありませんし、物理的速度を基準に1㎞3分00秒でずっと走ってくれと言われても、私はなかなかできません。但し、ハーフマラソンを自分の適正ペースで走ってくれと言われれば、もし無風で起伏のないコースなら1㎞あたりのラップはほぼずれることがないでしょう。実際、私が30㎞の自己ベストを出した時には、スタートからゴールまで独走、平坦でほぼ無風の条件でしたが、一周2,813km のコースで一番速いラップと一番遅いラップは7秒差でした。これは1km何秒ペースという物理的速度から割り出しているわけではなく、体が感じる刺激をアナログに近いレベルで処理したことに対するフィードバックの結果です。勿論、厳密に言えば、これもデジタルで処理しているわけですが、アナログの刺激をかなりアナログに近い形で処理することが出来る神経ネットワークが構築されていることは間違いありません。これがもう少し神経パターンの数が少ない人であれば、2,813㎞で20秒違っても同じ信号として処理されるでしょうし、走り始めばかりの人であれば、30㎞走り切ること自体が大変で、2,813㎞で1分違ってもわからないということになるでしょう。

 トレーニングプログラムとはこの微妙なペース配分の積み重ねによって決まると言っても過言ではありませんので、トレーニングプログラムは本来アナログ的で非言語的な何かであると私は考えています。ただ、非言語コミュニケーションでは限界があるので、指導者と選手の間で無理やり言語化しているだけです。

4.レストランは何故レストランとわかるのか

 ここから、人間がマラソントレーニングのアンチノミーをどのように処理しているのか、という問いに対する私の考えを述べたいと思います。トレーニングプログラムは言語化出来ないということは先述しました。しかし、世の中には言語化出来ないし、数量化することも、記号化することもできないものはたくさんあります。例えば、AI(人工知能)を作るにあたっては、実はレストランをどうやってレストランと認識するのかというような簡単なことが意外と問題になるのです。あなたはレストランをどのようにレストランと認識していますか?看板を見たからという答えであれば、看板がなければレストランと認識できないことになります。メニューが置いてあったからという答えであれば、メニューがなければレストランだと認識できないことになりますし、中にお客さんがいるからではお客さんがいなければ、やはりレストランだと認識できないことになります。

 人間ならそこがレストランであることは理屈抜きに何となくわかるものですが、AIにレストランを認識させるためのプログラムがどのようなものなのかということを考えると、途端にレストランとは何かということがわからなくなってしまいます。どのようにプログラミングしても、細かくプログラミングすると例外が出てしまいますし、大雑把にプログラミングするとスーパーやバーもレストランとして認識してしまうのです。

 しかし、人間は初めていった街でも何となくどのお店がレストランかわかります。私はケニアのイテンという田舎町で数か月過ごしたことがありましたが、そこでも何となく、レストランとバーと肉屋の違いは分かりました。因みにこの町ではHotelという看板を出しているレストランがたくさんあるのですが、そこがホテルではなく、レストランであることは何となくわかりました。私の親友でエストニア人のローマンさんも初めから何となく分かったそうで、二人で「初めは、えっあれホテルじゃないやんなって思った」っていう話をしていました。 

 人間にはこのように言語でもなく、数式でもなく、記号でもない何かを理解する能力が備わっています。そして、この能力は後天的にどんどん正確になっていき、応用能力も高くなっていきます。実はマラソントレーニングのアンチノミーに対する応答に対しても、非言語的な部分で行われているのではないかと私は思います。そしてこれは適切なトレーニングプログラムの作成は、非言語的な部分でしか可能にならないということです。勿論、手引きとして、コーチとの対話はとても大切なものになりますが、完成形としてはほとんど非言語的に理解しあえるようになるのではないかと思います。どのようにと聞かれれば、レストランがレストランであるとわかるようにとしか答えられません。もう少し具体的に言えば、優秀な催眠術師は相手の情報空間にアクセスし、一時的にレモンを甘く感じるように情報を書き換えたりすることが出来ますが、それと同じようにコーチと選手の間で、互いの情報空間にアクセスし、トレーニングプログラムに対する情報が共有されるようになると私は考えています。その時、言葉はあくまでも形式上のものになるでしょう。但し、このレベルに至るまでには、言葉が足りない部分を補完し、言語で表現できる領域を超越した次元における情報が共有出来るようになるレベルへと少しずつ移行していくのではないかと私は考えています。

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参考文献

Jack Daniels著『Jack Daniels’ Running formula』

Brad Hudson『Run faster』

苫米地英人著『残り97%の脳の使い方』

苫米地英人著『認知科学への正体』


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