東京マラソンの日本記録更新の背後にあるもの


スコトーマ

今回は久しぶりに心理学的なテーマについて書いてみます。

今日のびわ湖毎日マラソンで、今年度の国内の主要マラソンは終了しました。東京マラソンでは多くの日本人選手が好記録を出し、設楽選手が日本記録更新の2時間6分11秒で二位に入りました。

 ここで一つ問題があります。設楽選手が日本記録を更新したことは多くの人がご存知だと思います。しかし、あの大会で設楽選手は二位でした。優勝した選手の名前をいえる人がどのくらいいるでしょうか?優勝した選手のタイムまでいえる人はどのくらいいるでしょうか?

 答えはディクソン・チュンバ選手で2時間5分30秒です。そもそも設楽選手って誰?っていう人や設楽選手が日本記録を更新したことを知らない人は仕方ありません。しかしながら、設楽選手が日本記録を更新したことを知っている人はそのニュースのどこかに必ず、ディクソン・チュンバ選手が優勝したということは書いてあるはずです。そしてそこにも目は通しているはずです。目を通しているにもかかわらず、認識できないことをスコトーマと言います。スコトーマというのは眼科の用語で視野の一部が欠けてしまう病気のことですが、心理学では主に知覚しているのに認識していない領域のことをスコトーマと言います。視覚以外の領域にもこの概念は適用され、聞こえているはずの音が聞こえないのもスコトーマです。

 ディクソン・チュンバ選手が設楽選手に勝ったのに、多くの人にとっては存在しないのと同じになっています。これがスコトーマになっているという言葉の意味です。では何故ディクソン・チュンバ選手はスコトーマになったのでしょうか?答えは単純で、皆さんにとって重要ではないからです。多くの人は初めから日本人がケニア人に勝てるとは思っていませんし、ほとんどの人の関心はオリンピック選考会(MGC)の出場権獲得に行っています。ひとたびそれが大切だと思うと、それ以外のことは見えなくなるのです。

 日本人の中で一番になるというのは普遍的な価値観ではありません。プロ野球が良い例です。シーズン最多本塁打記録は現在ヤクルトスワローズのバレンティン選手が保持する60本ですが、誰も日本人トップなど気にしません。最近長距離界では国籍を変更した元ケニア人選手すら区別する風潮がありますが、そんなことを言いだすと、通算最多勝利記録保持者の金田正一さん、通算最多安打記録保持者の張本さんはともに在日であり、王貞治さんも元中国国籍保持者です。逆にイチロー選手のメジャーリーグシーズン最多安打記録も日本人だからと言って区別されたりはしません。

 要するに、何が重要かはその人によって様々でその人にとって重要でないものは認識できないということです。これをもう一歩進めて考えてみると、ケニア人選手には勝てないと思っている選手はケニア人選手に勝つ方法までスコトーマになってしまうということです。そもそも存在しないことになっているのですから、存在しない選手に追いつき追い越す方法など見えるはずがありません。今回はケニア人選手と日本人選手という分かりやすい例があったので取り上げてみましたが、通常多くの人は根拠もなく自分と誰かとの間に線を引いてしまうものです。例えば、「設楽さんは高校、大学時代から活躍していて素質のある人なんだ。自分とは別の世界の人なんだ」というふうにです。このような根拠のない思い込みが多くのスコトーマを生み出し、自分の可能性を狭めてしまうことになります。

 中山竹通さんは故郷の長野を出てダイエーに入社する時、先輩に「瀬古さんに勝つ」と言ったら「瀬古さんは雲の上の人だよ」と笑われたそうです。瀬古さんとの直接対決はほとんどありませんでしたが、少なくとも瀬古さんと同レベルにまでなったことは間違いありませんし、全盛期の中山さんは全盛期の瀬古さんより上だったという評価も少なくありません。長野を出るころの中山さんと言えば、今の私くらいの実力でしょうか。私が「設楽さんに勝つ」と言ったら確かに笑われるかもしれません。しかし笑われるからと言って目標を引き下げると、設楽さんに勝つ方法や日本記録を更新する方法はスコトーマになってしまい、出来るものも出来なくなります。

平和的ゲバラ主義

突然ですが、皆さんはキューバ革命の最大の功労者であるチェ・ゲバラをご存知でしょうか。映画などに描かれるゲバラはキューバ革命後、政府の要職に就くものの国際的な革命闘争に参加するために大臣を辞職し、再びゲリラ戦を展開する革命戦士として描かれています。しかし実情は異なり、ゲバラはある演説の中で「帝国主義のアメリカから解放されるために戦っていたのに、戦いが終わってみるとソ連の方がもっと帝国主義だった」という趣旨の発言をします。それに怒ったソ連がゲバラを下野させないと支援を打ち切るとキューバ政府に脅しをかけたのです。そこでやむなく、ゲバラは下野することになるのですが、ゲバラは帝国主義からの解放という理想を実現するためにはソ連を敵に回すほどの高い理想を持ち続けたからゲバラであり続けることが出来たのです。ゲバラがソ連やアメリカからの圧力から完全に自由になったキューバを作れたとは言い難いのですが、それでも彼は当時のキューバの多くの人が持っていたスコトーマを外し、見えていなかったものが見えていたはずです。だからこそキューバ革命を成功させ、自由なキューバへと一歩歩みを進めることが出来たのでしょう。少なくともそう信じて戦い、勝利を収めたのだと思います。スポーツの世界でも、スコトーマを外す方法論自体は単純です。一度「こうなりたい」という理想を持ったら絶対にその理想を引き下げないことです。そして、その理想を実現した自分に対して強い親近感を持たなければいけません。

 頭で思うだけでは不十分ですが、その理想に対して強い臨場感を持つことが出来ればスコトーマは外れます。中山さんが最終的に当時の世界のトップ選手になったと言っても多くの人は「中山さんだから出来たこと」だというと思います。それは事実です。誰にでもできることではないでしょう。ただ次のこともまた事実です:「中山さんは他の人には臨場感を感じられないような高い理想に対して強い臨場感を感じることが出来たから世界のトップ選手になれた」ということです。これは理想主義というイデオロギーではなく、結果を出すための心理的なテクニックなのです。

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