ランナーが犯しがちな二つの過ち

 こんにちは、ウェルビーイングの池上です。


 あなたはブラッド・ハドソンというアメリカの有名なコーチをご存じですか?コーチハドソンはデイサン・リッツェンハイン(マラソン2:07:47、オリンピック出場二回)、ジェームス・カーニー(2008年アメリカハーフマラソンチャンピオン)などなど多くのエリートランナーを育て上げたコーチです。私の周りでいえば、2018年に一緒にデュッセルドルフマラソンを一緒に走ったベネズエラ代表のルイスさんがコーチハドソンの指導を受ける現役選手です。


 コーチハドソンは、非常に速い段階からトレーニングに興味を持ち、10歳前後くらいからトレーニングに関するあらゆる本を読みこみ、13歳になるころには大学のほとんどの指導者よりもトレーニングに関する知識を持っていたといういわば、アメリカ版池上秀志です。もしくは、私が和製ブラッド・ハドソンです。年齢的には私が和製ブラッド・ハドソンという方が正しいでしょう。


 まあ、そんな冗談は置いておいて、コーチハドソンの経歴はとてもユニークなものです。彼は早くから頭角を現し、ジュニア期にはアメリカ記録を更新するほどの選手でした。ところが大学を卒業して、10年間のプロ生活で残せた記録はマラソンで2時間13分というものでした。奇しくもこのタイムも私と同じです(このまま終わるつもりはありませんが)。


 ハドソンにとって、この記録は全く満足できるものではありませんでした。コーチハドソンは自分で自分のことを次のように分析していました。



「私はプロ生活で二つの過ちを常に犯していた。1つ目は常にオーバートレーニングと故障を繰り返してしまったことだ。そして、2つ目の過ちは他人のトレーニングプログラムを真似しすぎたことだ。私はこの二つの過ちを継続的に犯してしまい、せっかくの周囲からの良きアドバイスに耳を傾けることが出来なかった」



 そんなハドソンはある日あることに気づきます。それは彼は長距離走・マラソンそのものよりも自分はトレーニングに興味があるということでした。その事実は彼が選手よりも指導者に向いていることを示唆していました。そして、残念ながら私も同じで、この一年間市民ランナーの方々の指導に当たってみて、前から思っていた通り指導者に向いていることが白日の下にさらされました。


 これは私にとって非常に残念なことであり、きっとハドソンにとってもそれは残酷な事実だったに違いありません。しかしながら、私と同様、他の選手の手助けをすることがこの上ない喜びでもあるコーチハドソンは指導者になる道を歩み始めました。その心の中には一つの誓いがありました。


「絶対に自分と同じ過ちを選手にさせまい」と


そんなコーチハドソンの現役時代の経験から導き出された彼のトレーニングに対する原理原則が、「アダプティブランニング」です。アダブティブとはAdaptの形容詞のadaptiveです。Adaptとは適応するという意味です。何のことを言っているかというと、トレーニング刺激に適応するということです。


 トレーニング刺激に適応するというのはどういう意味かというと、例えば、12kmのテンポ走を行うとします。初めは1キロ3分15秒ペースでやっていたのが、同じ感覚で走っているのに3分10秒くらいで走れるようになったとします。これはタイムトライアルという意味ではありません。そうではなく、同じ感覚=主観的強度で走っているのに1キロ当たり5秒速く走れるようになるのです。これをトレーニング刺激に対して適応したと言います。


 同様に、400m20本のインターバルが平均70秒でしか行けなかったのが、68秒でいけるようになれば、これもトレーニング刺激に適応したということです。この際も条件は同様で、同じ感覚で走っていればの話です。


 そして、こういった一回一回のトレーニング刺激に対して、適応することによってレース結果が向上します。これが適応するということです。


 これと似て非なる考えが、練習すれば速くなるという考え方です。練習しても速くなるとは限りません。練習して、それに体が適応して初めて速くなるのです。これがコーチハドソンの重視する点です。要するに、トレーニングについて勉強するのは良いけれど、それをやってトレーニング刺激に対して適応しなければ意味がないということです。


 では、トレーニングをしても意味がないのか?というとそういう話ではありません。練習には意味があるのです。ただ、その練習に適応するかどうかはまた別の話です。よく「これだけ練習したのに結果が出なかった」という声を聞きますが、実はそんなことは日常茶飯事です。そして、最終的にはその練習に適応するかどうかは、やってみないと分かりません。


 勿論、トレーニングの原理原則を学ぶことで、かなり正確に自分に合った練習計画を立てられるようにはなります。ノープランで練習することとは全く違うのです。むしろ、トレーニング刺激に対して適応するために、計画的に練習を遂行していく必要があります。ただし、その上で最終的にはその練習計画の通りにやって体が適応するかどうかはやってみないと分からないということです。


 ここでもう一度コーチハドソンの現役時代の失敗を思い出してみてください。1つ目は、オーバートレーニングと故障を繰り返したということです。そして、2つ目は他人のトレーニングプログラムの真似をしすぎたということです。


 1つ目は、おそらくトレーニング計画に固執しすぎたために起こったことでしょう。トレーニング計画を立てる時、誰もがそれが自分にとってぴったりだと思って立てます。選手を壊そうと思って、練習計画を立てる指導者など、恐らく一人もいません。時にはそのように感じられることもありますが、指導者は指導者で選手に良い結果を出してもらいたいと思って立てる計画です。これは選手自身が自分で計画を立てる時もそうでしょう。


 ただ、その計画通りに練習を進めてみて上手くいくかどうかは、やってみないと分かりません。とはいえ、素人でもなければ全く間違っているということもないでしょう。通常は、おおむねうまくいくんだけど、やっぱり完ぺきではないから、上手くいかない部分も出てきます。その小さなずれが積み重なって故障したり、オーバートレーニングに結びつきます。そして、これは小さなずれの積み重ねによって起こるので、本人も気づかないのです。


 この反省点として、コーチハドソンは体の反応を見ながら、トレーニング計画は柔軟に変更する必要があると説いています。要するに、体がトレーニング刺激に適応するのを確認しながら、トレーニングを進めるべきで、体がトレーニング刺激に対して適応していないのであれば、修正しながら行う必要があるということです。予定していたトレーニングを全て消化することが必ずしもベストだとは限らないのです。


 このトレーニング刺激と適応について考える時に大切なのが、トレーニングの強度と自分の器との関係性です。ここでは、トレーニングの強度を水の量だと考えてください。そして、器とは自分がこれまでやってきたトレーニング歴のことです。例えば、ここでAとBという二人のランナーがいて、二人とも2週間ほど休養を取っており、二人とも同じ日から徐々に練習を始めたとしましょう。


 ところが、Aは一年前に8週間続けてコンスタントに週に約200km走っていました。そして、Bはこれまで走った最大の週間走行距離は150kmです。そして、インターバルはAはすでに過去2年間、コンスタントに1000m10本を2分55秒でやっているのに対し、Bは人生で一番良かった時に一度だけ1000m10本を3分ちょうどでやっただけだとします。


 そうすると、同じタイミングでAとBが少しずつ、トレーニングを積み上げていくとします。基礎練習から徐々に徐々にトレーニングをステップアップしていきます。一見、二人とも無理をせずに、少しずつ少しずつ練習を積み重ねていき、スマートに練習しているように見えます。しかしながら、かなりの確率で、どこかのタイミングでBは不適応を引き起こします。何故なら、Bの方が器が小さいからです。このような理由から、徐々に徐々にトレーニングをステップアップさせたからと言って、不適応を引き起こさないとは限らないのです。


 BがAに追いつくには、かつてのAがそうしたように、シーズンからシーズン、今年よりも来年、来年よりも再来年と長期目線で積み重ねていく必要があります。そして、通常はレベルが上がれば、上がるほどさらなるステップアップするのは難しいので、Bの方が伸びしろは大きくAに近い将来追いつく可能性は大いにあります。


 2つ目の他人のトレーニングプログラムを真似しすぎないことですが、これは一人一人微妙に体は違うからです。勿論、あなたがチンパンジーでない限りは、大体私と体の構造は同じで、従ってトレーニングの原理原則は同じなのですが、やっぱり微妙に違うということです。一番わかりやすいのは、一人として同じ顔の人間はいないということです。双子でさえも微妙に顔は違います。だから、トレーニングに対する反応も微妙に違うのは当たり前のことです。


 その一方で、人間なのにチンパンジーと間違えられるという顔の人もいないでしょう。それと同じで、基本的には全員トレーニング刺激に対して、同じ反応を示すのだけど、恋人の顔と他の女(もしくは男)の顔を間違えたら、ビンタされるでしょう。それと同じで、自分の体と他人の体があるトレーニングプログラムに対して同じ反応を示すと思ったら、陸上の女神にビンタされることになります。


 コーチハドソンはシェイン・カルペッパーとアラン・カルペッパー夫妻の話を挙げていました。シェインさんの方は5000mのランナーで非常に優れたスピードを持っていました。そして、アランさんの方は完全に持久型でマラソンランナーでした。コーチハドソンは初め、シェインさんの方だけを指導していましたが、シェインさんが結果を出すのを見て、アランさんもシェインさんのプログラムを真似し始めました。しばらくして、アランさんの方は思うような結果を残すことが出来なくなり、まもなくして元のプログラムに戻すことになりました。


 アランさんもシェインさんも同じアメリカのトップランナーです。しかしながら、シェインさんとアランさんではタイプが違ったので、上手くいきませんでした。結局のところ、違うタイプの人間に同じトレーニングをさせても同じように適応するとは限らないということです。


 ただし、何度も書きますが、あなたがチンパンジーでない限り、原理原則は同じなのです。したがって、コーチハドソンも微妙にアプローチは変えるのですが、同じ距離において、同じ目標を持つ選手の練習は最終的に全く同じか、ほとんど同じ練習になるべきだと考えています。


 これは究極的には、レースで何をすべきかを考えると分かりやすいです。10000m28分20秒は10000m28分20秒で、それ以外の何かではありません。勿論、その中にもイーブンペースでいく方法もあれば、初めは遅めに入って、後半上げる方法もあれば、前半から突っ込んでいって、後半ペースダウンしながらも粘る方法もあれば、ペースを上げ下げしながら、28分20秒で走る方法もあれば、色々なやり方があるので、若干違うと言えば、若干違います。でも、10000m28分20秒というのは、10000m28分20秒なので、レースが近づけば近づくほど、練習は似通ってくることになります。


 ちなみに、最後にレースに向け