ピピピッピピピッピピピッ
念のために二つ仕掛けた目覚まし時計が同時に起床時刻の4時半を告げる。私は潜在意識に今日は4時半に起きるように伝えてあったので、目覚まし時計がなる一分前に目が覚めていた。
本日出場の上尾ハーフマラソンのスタート時刻は9時、50分前の8時10分からウォーミングアップを始めるとするとその3時間前の5時10分には朝食を終えておかなければならない。
とは言え、試合の日の朝は緊張で食べ物はほとんど喉を通らない。プロ時代からずっとそうである。私は腹痛のリスクを避け、カステラを二キレだけ食べた。紅茶と一緒に食べようと思い、紅茶を入れるが緊張のためかカフェインを体が受け付けた。水とカステラだけの簡単な朝食を終えた。
レースの日になって今更上手くいくだろうか行かないだろうかと考えても何の意味もない。私は過去のレースを一本目のハーフマラソンから順に思い出し、使えそうな記憶を引っ張り出していた。
思い返すと色々なレースがあった。初めの3キロを8分40秒という私にとっては5キロのレースペースで通過し、10キロを過ぎてから途中棄権しようと思うほど苦しかったけれど、最低限まとめて64分14秒で走った丸亀ハーフマラソン、逆に初めの1キロを3分10秒で入るというスローペースに耐え、10キロを30分50秒の超スローペースで通過し、後半の10キロを29分48秒でカバーするもラスト三キロで当時駒澤大学にいた其田健也君と二岡康平君に負けて3位に終わった犬山ハーフマラソン(今となっては二人ともサブテンランナー)、前半超向い風で1キロ3分10秒を少し切るペースでしか走れなかったけれど、後半は超追い風で29分半を切って(1キロ2分56秒ペース)上がって優勝したハイテクハーフマラソン、もちろん前半から苦しいなと思いながらも中盤で川内優輝さんを振り落として優勝した谷川真理ハーフマラソンも、
色々なレースが鮮やかに脳裏に描かれた。
全てのレースについて言えることは一本も楽なレースは無かったということ、そして、楽ではなかったけれど、その都度ベストを尽くしてなんとかその局面、局面でベストだと思える選択をしようとしてきたこと、今回もそういう意味でなんとかなると信じて、スタートラインに立つことにした。
考えてみると、何本も何本もレースを重ねてきた。今回出場する大学生の中には初ハーフマラソンや二本目、三本目の学生もいることだろう。
先日の関西実業団駅伝を走っていた同い年の選手が「ベテラン」と呼ばれていて苦笑いをしたのを思い出した。
六時十分、ホテルの部屋を出る。レセプションでチェックアウトを済ませると、ホテルの前に横浜ナンバーの車が停まっているのを確認した。ウェルビーイング永久名誉会員の道下秀樹様が有難いことに車を出してくださると申し出て下さっていたのである。
6時半、8年ぶりの上尾運動公園陸上競技場、8年前の今日私はこのレースで63分24秒をマークし、一般の部で優勝した。記憶がかなりあいまいであったが競技場に着くと記憶が鮮やかに蘇る。当時東海大学で箱根駅伝も走った今井拓実とその日のレースのこと、今年は箱根駅伝を走れそうか、大学卒業後の進路はどうするか、そんなことを話しながらダウンジョグをした。
今井は洛南高校陸上競技部の長距離パートで私の代のキャプテンを務めていた。
懐かしい気持ちに浸りながらも当時と自分の心境の変化に思いを馳せる。当時の私の中にははっきりとプロランナーになるということが見えていた。走ることで人生を変える、そんな熱い気持ちが燃えたぎっていた。
今の自分はどうか?
それは敢えて考えないようにした。レースが終わるまではレースだけに集中した方が良い。
スタート地点にやはり受講生様の小田聡様(横浜のさとちゃん)、村田恵様が来てくださり、色々と話をさせて頂き、緊張を解きほぐす。
8時40分スタート地点に並ぶと早稲田大学の監督(コーチかも)の花田さん、スズキ浜松アスリートクラブの藤原新さん、川内優輝さんら、知った顔の方に軽く挨拶をしてスタートラインに並ぶ。
9時、号砲
とばしていくランナー達に抜かれながら冷静に対処するように心がけながらもある程度は流れに乗ることを意識する。5キロごと15分半くらいを刻んでいくつもりであったが、3キロくらいで早くも脚が重く、うち上がってしまう。あと18キロどうすれば良いんだろう?
そんなことを思いながらも、川内優輝さんの弟の鮮輝(よしき)さんを見つけ後ろに着かせてもらう。キツイなと思いながらもヨシキさんの後ろにつかせてもらうもしばらくすると、ヨシキさんの方が落ちて来られた。
「ヨシキさん、一緒に行きましょう」
と声をかけると、「うっす」と返ってくるもヨシキさんはしばらくすると後ろに下がられる。
自分のリズムを刻みながら、何とかリラックスして後ろにつけそうな人を探してはつかせてもらう。
10キロ通過31分半。
同じところを走る大学の選手のコーチの声を聴いて私はガクッと来た。この5キロを16分くらいかかっている計算になるが、それにしてはかなり苦しい。
10キロを通過し、田舎道に入っていく。10.5キロあたりの地点でこんなに苦しいのにこんなに遅いのならば走っている意味はあるのかという想いが頭をよぎる。
しかし、今日は応援に来てくださっている人もたくさん来ているし、恥ずかしいことは出来ないと考え直す。
私はこういう時は思考で体をリードしてあげるしかない。
そうだ、よく考えると苦しいところは何度も乗り越えてきている。前半スローペースから後半の10キロを29分台であがったこともあるじゃないか。周りを見渡すと大学生ばかりである。それに比べて、自分の方が何倍も経験があるじゃないか。
「俺は百戦錬磨の池上だ。今回もなんとかする」
そうやって、思考を立て直すと体が動いてきた。嘘でも良いから勇ましいことを思えば体もなんとかなるものである。
田舎道に入ると細かいアップダウンが続いていく。そこで私は前を行く選手たちをごぼう抜きにしていった。
1人抜くごとに「俺が百戦錬磨の池上だ。来るなら来い」と心の中で念じ続ける。
1人また1人と抜いていく。
後からラップタイムを見るとペースが上がっていないが、前半飛ばし過ぎて脚がへたっている選手が軒並み起伏で落ちていった。
へたっている脚に厚底シューズほどキツイものはない。こちらは古典的だが、スムーズな体重移動かしやすいターサージャパン。
レース前は12キロから15キロは登り基調なので、ここで少し力をためていく感じでペースが落ちても良いから無理をせずに抑え気味に行こうと思っていたのだけれど、この3キロだけで何十人抜いたか分からない。
ここで心拍数を確認すると信じられないことにまだ165くらいしかない。それなら、もっとペースを上げられるはずだがどうしたものか。
15キロを過ぎてコースは再び市街地へと戻る。平坦なコースとなり、ここから更にペースを上げてごぼう抜きにしたいところであるが、脚が動かない。呼吸には比較的余裕があるけれど、脚が動かない。
私は競歩の動きをイメージし、ピッチで刻んでいけるように意識し、ペースを上げた。いや、正確に言えばペースを上げようとした。
ペースを上げようとしても上がらない、しかし、この状態で地面を蹴って加速するのはリスキーすぎる。ある程度力を使って加速し、そのあとはなるべく力を使わずに巡行モードで1キロ3分5秒くらいのペースを維持できれば理想であるが、一度力むと元のリズムに戻れなくなる可能性もある。
とりあえず、16キロ地点で一度だけ試してみる。もしかすると、1キロ3分5秒ペースに戻せるかもしれない。やってみる。やはり、ダメだ。私はすぐに元のリズムに戻す。
ジリッジリッと脚が動かないままに最後の2キロになった。さすがに、ペースを上げようとする。抜ける選手は山ほどいる。正直言って、後ろの方を走っているので1人抜こうが、2人抜こうが意味はないのだが、私は敢えて一人でも二人でも抜いておけば違うと自分に言い聞かせ「あるなら出てこい。おかわりこい」と思いながら、また1人、また1人と抜き去っていく。
ラスト3キロ地点で、私を抜き去っていた不届きものもいたので、ついでにその不届きものもラスト2キロを切ってから抜き返す。
ラスト1キロ地点、1時間3分53秒、ラスト1キロを3分7秒切ればなんとか67分はかからずに済む。
ラスト1キロくらいならば動きを崩しても持つだろう。
私は思い切ってペースを上げた。公式記録でもラスト1.0975キロを3分20秒、確かにペースは上がっているはずなのだが無情にも時計は67分を示していた。
疲れた。
その一言に尽きる。
3週間半前の2キロ6本では5本目、6本目でピタッと脚が止まり6分36秒、6分57秒と考えられないくらい脚が止まった。なんとか、そこから修正を試みて、状態は上がっていたけれど、10日前の2キロ6本は3分休息をとっているにも関わらず、6分12,6分13秒がとてもきつく心拍数は175まで上がっていた。
今日のレースの平均心拍数は164、心拍数的に言えばマラソンが走り切れてもおかしくないくらいの数字である。最後は練習を軽くして、心筋も呼吸筋も回復したのであろう。
ただ、脚の重さは最後の最後まで取り切れなかった。練習の組み方を間違えたとしか言いようがない。
人の練習内容を考える分には上手くいくのに、何故自分の練習となると上手くいかないのか。全てが上手くいっていない訳ではなく、寧ろ全体的に言えば一歩ずつ階段は登れていると思うのだけれど、どこか上手くいかない部分がある。
そこを改善して、次の大阪マラソンに臨まんとす。
もしも、今日のハーフマラソンと同じペースでマラソンが走り切れたらそんなに面白いことはないのだから。
謝辞
本日ハーフマラソンの応援に来てくださった方本当にありがとうございました!
もしかすると、全員の方を見つけることは出来なかったかもしれませんが、「どこで観られているか分からない」という緊張感そのものが力となりました。最後まで、集中し、「あと18キロどうすんの?」と思った3キロ地点から、イーブンペースを刻み続け最後の1キロだけは上げて終わることが出来たのは皆様のお陰です。
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