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教育と短期目線と長期目線

こんばんは!

 

 本日は教育というテーマをお届けさせて頂きます。先日よりウェルビーイングオンラインスクールの人間編の創設についてのお知らせをさせて頂いているのですが、度々お子様の教育にも役立つという話をさせて頂いております。本日はその具体例を挙げさせて頂きたいと思います。

 

 私もたまに競技場に行って練習をしていると中高生の陸上競技部の練習風景を見ます。また、私自身もかつては中高生でしたので、その立場からも多数の指導現場を見て参りました。

 

 そういった経験を基に、よくある私の嫌いな光景があります。それは遅い選手を叱る指導者たちです。指導者のやりたいことはわかります。いわゆる「発破をかける」というやつでしょう。そうやって選手の奮起を促しているのだと思います。実際に、効果はあります。ただし、逆効果というやつです。その理由を説明させて頂きましょう。

 

 先ず第一に、叱るという行為の意味合いを理解されている方がどのくらいいるでしょうか?

 

 逆に、褒めるという行為の意味合いを理解されている方がどのくらいいるでしょうか?

 

 なんとなく「叱るより褒めろ」とよく聞くから、褒めているというのが実態で褒めるとか叱るということの意味合いを理解している方はあまり多くないのが実態ではないでしょうか?

 

 教育はなんとなくではなく、正しい人間の理解に基づいてやるべきであるというのが私の持論であり、人間編では人間とはどういう生き物かを解説させて頂くのもそのためです。

 

 では、叱るということの意味合い、褒めるということの意味合いは何かということですが、それは言語の習熟度が低い人間に対して、何が正しくて何が間違っているかを教えることです。

 

 もう少しざっくばらんに言えば、日本語の理解能力であり、もう少し学術的に言えば、言語野の発育度合いです。世の中には人間の姿かたちをしていながら、まだ充分に言葉を操れない人たちがたくさんいます。というより、初めは全員そうです。生まれた瞬間から自由自在に言語を操れる人なんかいません。

 

 つまり、誰しもどこかの段階では「言葉が理解出来ない」つまり「言われても意味が分からない」のです。この段階では犬や猫と同じレベルなので、叱るという身体言語で「あなたの言動は間違っている」ということを教え、褒めるという身体言語で「あなたの言動は正しい」ということを教える訳です。

 

 一度言語の理解力が上がれば、そのあとは叱ったり、褒めたりする必要はありません。大抵の場合、高校生になる頃にはこの段階に到達しています。ただ、ごくたまに叱らなければ分からない子もいるので、たまに叱ることもあります。

 

 弊社の社員で言えば、約一名を除いて全員日本語が充分に理解出来るレベルに到達しているので、褒めたり叱ったりすることはありません。

 

 日本語で言えば理解出来るからです。

 

 ただし、1人だけ叱ったり褒めたりしないと理解出来ない人がいますので、この人には叱ったり、褒めたりします。

 

 叱るというのはまだ言語能力の充分に発達していない人に対して「あなたの言動は間違っている」ということを説明するためのものなのです。褒めるというのはその逆で、まだ言語能力の充分に発達していない人に対して「あなたの言動は正しい」ということを伝える手段です。

 

 では、初めに話を元に戻しましょう。

 

 遅い子は一体何が悪いのでしょうか?

 

 他の子よりも遅い子は何か間違っているのでしょうか?

 

 間違っているどころか、速くなるためには練習しなければなりませんから、走るという行為自体、つまり練習に参加すること自体は正しいはずなのです。

 

 正しいことをしているのに叱られると正しい学習の妨げになります。

 

 遅い子は努力すれば、半年後に速くなることは出来ます。でも、今すぐ速く走ることなど出来ません。それにも関わらず遅いと叱られるとどうなるでしょうか?

 

 その子の潜在意識は「私は走ってはいけない子」であると学習します。

 

 ところが、やはり陸上部ですから走らなければなりません。ここに顕在意識と潜在意識の葛藤が生じます。そして、遅かれ早かれ走るのが嫌いになり、傷つき、辞めていきます。

 

 こんな悲劇は日常茶飯事であるのが実態です。

 

 私は陸上競技部の前は野球をやっていましたが、野球も同様だと思います。エラーする度に叱られていたら、やる気を無くしてしまいます。エラーしない選手なんていませんし、エラーをしないということは無理なのです。

 

 また、球を積極的に取りに行けば行くほど、エラーの確率は増えます。それで叱られたら、次からは球を取りに行こうとは思えなくなってしまいます。こういったことがやる気を無くさせる原因なのではないかと思います。

 

 ですから、先ずは指導者が何が正しく、何が間違っているのかを理解していなければなりません。

 

 別の例を出しますと、低強度走の日の練習の目的は回復しながら同時に走力の向上を目指すことですから、必ず低強度、つまり主観的に楽であると感じられる強度で実施しなければなりません。あるいは多少なりとも実際に体が回復する強度にしないといけません。

 

 にもかかわらず、部員一同士気旺盛で途中から競争になってしまい、高強度になったとしましょう。この場合は、やはり𠮟るべきなのです。頑張ることは良いことであると褒めてはいけません。

 

 これもやはり、指導者が何が正しくて何が間違っているかが分かっていないといけない理由です。

 

 また、短期と長期で何が正しく、何が間違っているかは異なることも理解しておかなければなりません。

 

 例えばですが、今目の前のこの瞬間のことを考えれば、遅いことは悪いことかもしれません。これは単純な理屈です。自分が遅かったら駅伝でチームに迷惑をかけるではないですか。だから、遅いことは悪であり、速いことは正しいことなのです。

 

 でも、長期で見れば、今は遅くても正しい練習を続ければ速くなっていく訳ですから、遅くても良いから今日の練習に参加することは正しいことなのです。ですから、やっぱり褒めるべきなのです。

 

 ただ、叱るにせよ、褒めるにせよ、あまり乱発すると効果が薄れますし、長期的に見れば、日本語で何故練習を継続することが大切かを理解させることの方が大切ですから、毎日毎日練習に来るたびに褒めるという訳にもいかないでしょう。

 

 ですが、少なくとも今は遅くても良いから、練習に来るのが偉いと指導者の方が思っていれば、その気持ちは多かれ少なかれ相手に伝わるものです。

 

 部下と上司の関係性も私は同じだと思っています。確かに、お情けで給料もらっている間は情けないと言えば情けないし、会社に迷惑をかけていると言えばかけています。

 

 でも、そんなこと言ったって仕方がないではないですか。初めは全員仕事なんかできません。それがだめだとか言いだしたら、社員何か一人も採用できません。

 

 とにかく、出社して努力しないと会社に貢献できるようにはなりません。ダメなところは指摘するけれど、とにかくやり続けること自体は偉い、今はどんなにダメでもやらない人間よりやる人間の方が偉いということは長期で考えれば当たり前のことであるはずなのです。

 

 つまり、失敗をしてでもとにかくやり続けることは正しいことなんです。何が正しく、何が間違っているかを教える側が分かっていないと基準がめちゃくちゃになってしまいますし、これでは正しく叱り、正しく褒めるということが出来なくなってしまいます。

 

 誤解の無いようにもう一度念押ししますが、叱るとか褒めるというのは何が正しく、何が間違っているかを伝える手段であって、相手の言語能力がこちらの言っていることが理解出来るレベルに到達したら、そのあとは叱るとか褒めるという手段は必要ありません。

 

 ただし、いずれにしても、教える側が何が正しく、何が間違っているかを理解しておかないと、良かれと思ったことが逆効果になるということはよくあります。

 

 これは学校教育、社員教育だけではなく、家庭教育についても同じであるということです。

 

 それでは、もう二つ質問させて下さい。

 

 先ず一つ目です。

 

 あなたは人間として何が正しくて何が間違っているかを自信をもって言えるでしょうか?

 

 何が正しくて何が間違っているかを言えるようになろうと思えば、人間とはどのように発育していく生き物なのかが分からないといけません。

 

 これが分からないと常に短期目線で子供を育てて、長期目線で育てずに子供をダメにしてしまう可能性があります。

 

 ほんの一例を挙げるとですが、短期目線で考えれば、過去問から傾向を導き出し、試験に関係のある所だけを丸暗記すれば効率が良いかもしれません。ですが、本当にそれで考える力がつくのでしょうか?

 

 つまり、人間としての本当の力がつくのでしょうか?

 

 笑えない一つの例を出しましょう。ある私立小学校に入学したい親が多く、その小学校の周辺には保育園児、幼稚園児対象のお受験用の塾が乱立し、その歪んだ教育姿勢に学校側が心を痛めて、ある年の受験は完全に裏をかいて、子供に猿や像の真似をさせたそうです。

 

 その結果、のびのびと自分の感情を表現できる子供たち、いわゆる子供らしい子供が多く入校し、良い結果になったそうです。

 

 笑えないのはその翌年です。翌年の受験には俳優の試験じゃないかと思うくらい質の高いサルや像の真似をする受験生が多くいたそうです。

 

 もうお分かりだと思いますが、受験対策として塾が子供に猿や像の演技指導をするようになったのです。

 

 このくらい極端だとさすがにその滑稽さに気づきますが、私は試験の点数や受験の結果ばかりを重視して、部活動を軽んじる文部科学省、教員、親、生徒を見ていると同様の危惧を覚えます。

 

 心身の発達の上に、知能の発達もありますし、また、部活動でなんとか結果を出そうと頭を働かせるから、社会科が暗記科目になってしまっても考える力が育まれるというように、調和が取れている面もあるのです。

 

 私も中学校社会と高校地歴公民の教員免許を持っていますので、よく分かりますが、今の学校教育の社会科では人文科学と呼べるようなレベルのところまで到達できません。これは教員の力量の問題ではなく、受験に対応できるようにという世間一般からの圧力が強すぎて、それに対応できるだけの膨大な知識の暗記が求められるからです。

 

 つまり、広く浅くしか教えようがないのです。その中でも少しでも人文科学に近づけるように努力をされている教員の方々も何名か知っておりますので、本当に頭が下がりますが、限界はあります。これをどこかで補うには、理系科目で実験を行ったり、部活動で結果が出たり出なかったりするところから頭を使って法則を見つけ出すというような知的活動が必須になります。

 

 これが分からずに、部活は遊びで学生の本分は勉強だと思って育てると、歪んだ子供に育ってしまいます。

 

 現在の市民ランナービジネスにも同様のことが言えないでしょうか?

 

 1対1の走り方指導で、指導前と指導後で動画撮影をして、ビフォーアフターでこれだけ変わりましたというような動画がよくSNSにあがっています。

 

 ただ、玄人が見るとアフターの方が悪くなっているということは少なからずあります。結局のところ、見栄えに重点が置かれて実用的ではないのです。見栄えが良い走り方は躍動感があり、カッコいいです。ですが、疲れやすく、体には負担の大きな走りになっていることが多いです。

 

 その時はそれで良いかもしれませんが、そのあとのことまで考えていないのでしょう。

 

 これが一点目です。人間としての発育過程が分かっていないと、短期で見れば上手くいっても長期で見ればとんでもないことになることがあるということです。

 

 ちなみにですが、私の母校洛南高校は京大合格者数日本一がずっと売りでした。今は日本で二番だそうですが、いずれにしても周りにいわゆる偏差値秀才、学歴秀才がたくさんいましたので、なんとなくその歪さというものを体感しています。

 

 公平を期すならば、受験勉強をやり抜けるというのも一つの強さなので、何も強さがないよりは良いです。ただ、それが全てではないし、時には勉強だけ出来て、その他の発育が疎かになっている方が社会にとっては害悪であることもあります。

 

 何故なら、現在の社会では高学歴な人が社会の上層部にいくようになっているからです。暗記は出来るけど、その他の面では発育不良というような人が上層部にいくと良い結果にはなりません。船長が舵取りを誤ると船は沈みます。結果、皆に迷惑をかけてしまいます。

 

 二つ目の質問です。

 

 あなたは自分で自分を教育しているということにお気づきでしょうか?

 

 子供の時分は正しい大人によって正しい方向へと導かれます。

 

 ですが、大人になってからは自分で自分を正しい方向へと導かなければならない部分が大きくなります。

 

 だいたい社会人になる頃に優秀な人はそのあとも優秀ですし、社会人になる頃に劣っている人はそのあとも劣ったままであることも多いです。それが故に、生まれつきのものであると思い込んでいる人も多いです。

 

 ですが事実は、優秀な人はどんどん優秀になるのに対し、劣る人は進歩があまり無いです。

 

 つまり、優秀な人はその時点で優秀であることに意味があるというよりは、自分で自分を進歩させる力を持っているということに意味があるということです。

 

 つまり、自分で自分を正しく教育出来ているということなのです。

 

 ですから、何が正しくて何が間違っているか、自分で分かっていなければならないのです。そして、その答えは人間とはどういう生き物であるかが分かっていれば自ずと導き出されるものなのです。

 

 人間として生まれた以上は水中で暮らすのが幸せとかカラスと一緒に空を飛ぶのが幸せということにはなりません。人間とはどういう生き物かが分かれば、必然的にどうすれば幸せに生きることが出来るのかが導き出されます。それが人間として正しく生きるということの意味合いです。

 

 幕末に日本を訪れた外国人たちが「日本人は何故かくも貧しいのに皆幸せそうに暮らしているのか」と手記に残しています。私はそれは当時の方が教育が良かったからだと思います。人間としての正しい生き方を知っていたから、多くを必要とはしなかったのでしょう。

 

 ただし、これは清貧思想とは違います。お金が無いよりも金持ちの方が良いに決まっています。

 

 ただし、稼ぎ方にも幸せになる稼ぎ方とそうでは稼ぎ方があるし、稼いだお金の使い方に関しても自分が幸せになれる使い方とそうではない使い方があるということです。

 

 もう一度話を元に戻しますが、人間とはどのような生き物かが分かれば必然的に自分が進む方向、つまり自分を自分で正しく教育する方法が分かりますし、またすでに優秀なお方は何を大切にすべきか否かがお分かり頂けます。

 

 意外と優秀な方ほど自然とやるべきことが出来ていたり、優秀な方の周りには優秀な方が集まるので、自分の何が凄いのかが分かっていないことが多いです。

 

 もちろん、自然と出来ているのであればそれで構わないのですが、生きていれば誰しも自分の力を超えた不運というものに直面しますから、この時には何故自分が優れているかが分かっていると便利だと思います。

 

 最後にもう一つだけ。

 

 私が今のお仕事をさせて頂く中で、消極的言葉に対する消極的反応が過剰である人が多々いらっしゃることに気づきました。

 

 例えばですが、長距離走、マラソンだって速い人と遅い人がいるのは当り前です。マラソン3時間ちょうどの人よりも4時間ちょうどの人の方が遅いのは当り前です。これは数学的に、あるいは物理学的に、同じ距離をより多くの時間をかけて走る人は遅いと客観的にいえる訳です。

 

 もちろん、マラソン2時間13分はマラソン2時間6分より遅いと言えますし、それと同じことです。

 

 私自身は今遅くてもこれから速くなれば良いじゃないかと思っていますので、例えばサブ10ランナーから「君はまだまだ」と言われても何も腹が立たないです。

 

 一度、ある陸上界でも有名な方から、酒の勢いで「君に2時間6分はまだ速い」というようなことを滔々と言われ、翌日に酔いからさめて「昨日は失礼なことを言い過ぎた。申し訳ない」と謝罪を頂きましたが、私自身は全てその方のおっしゃることが正しく、実際に私自身も「当面の目標は2時間10分」と思っていたので、なんとも思いませんでした。

 

 ところが、マラソン4時間はマラソン3時間ちょうどの人よりも遅いと言われると、なんか人生全てを否定されたかのような反応をされる方がいらっしゃるのです。

 

 進歩するという前提で物事を考える、進歩する力を身につけるということを前提に考えると、今自分が力不足であることをなんとも思わなくなるのではないでしょうか?

 

 あなたなら、人間だれしも失敗もすれば、成長もすると思って長い目で見てくれる社長と目先の利益に汲々とし、「仕事が出来ない奴はクビにして、仕事が出来るやつを採用すれば良い」と思っている社長、どちらの下で働きたいでしょうか?

 

 これは自分が自分に対する時も同じなのです。

 

 今は出来なくても、これから出来るようになれば良い、失敗も成長に必要な過程の一つ、そんな温かいまなざしをご自身に向けてあげるところから出発して、その上で成長に必要な正しい方法と間違った方法を学んでいかれますと幸いです。

 

それでは引き続き、リニューアルをお楽しみにお待ちください。

 

ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

 

追伸

 先日、ウェルビーイングオンラインスクールの受講生梅川貴裕様よりとても嬉しいご報告を頂きましたので、こちらに共有させて頂きます。

 

「今回、目標としていた函館マラソン(ハーフ)100分以内の完走という目標を達成出来ましたので是非、池上さんにも報告、お礼を申し上げたいと思いました。

 

 昨年、初めて出場したのですが足を痛めて走り込み不足などもあり1:45:00という目標に対して、1:54:36という結果でした。2時間以内という最低限の目標は果たしたのですが、もっと走れたなという思いが残りました。

 

 以降も自分なりにトレーニングを続けてはいたのですが、ちょくちょく足を痛めたりしてなかなか思うように練習出来ず、レベルアップしている手応えを感じにくい状況でした。

 

 そんな時、今年始めに募集していたオンラインスクールに目が留まりました。

以前からLLLT体幹トレのDVDを購入したりメルマガなどを拝見させてはいただいたのですが、何か変えないとこのままでは強くなれないという思いと年始だったタイミングもあり思い切って申し込みました。

 

その結果、

 

どうやって練習計画を立てていくのか?

 

怪我をしにくくなるにはどうすればいいのか?

 

ケアや日々の過ごし方はどうすべきか?

 

 などの自分が抱えていた問題が徐々に解消し、良い方向へと向かっていけました。

 

 個人的にはオンラインスクールのメニューはもちろん、故障の原理と治し方と付き合い方と深澤講義のトレーニングメニュー例なども非常に力になりました。

怪我や足を痛める事も減り、痛めたとしても以前より早くリカバリー出来るようになりました。

 

 それによりトレーニングの量も増やす事が出来て、以前は月間300㎞が近くなると足を痛めていたのですが、最近は4月320㎞、5月400㎞、6月300㎞(調整期の為少し減ってます)と走る事が出来たのです。

 

 その時の気分で距離やペースをやっていた時と違い、期分けをしてトレーニング計画を立てた事も大きかったと思います。

 

 そうして走った6月29日の函館マラソンのハーフで1:37:45と目標のサブ100を達成する事が出来ました。単純にタイムだけなら昨年より17分速くなりました。総合順位も833→376 年代別順位は85→34 となり、昨年は載れなかった上位ゴール者順位で新聞にも名前が残りました。新聞に陸上競技の結果で名前が載るのは高校生以来です。笑

 

 まだまだ上には上がいるのは承知ですが、中級者くらいにはなれたのではと肯定感を上げています。笑

 

 ウェルビーイングに出会い成長する事が出来て本当に嬉しいです!ありがとうございます!

 

 もちろんこれからもランニングは継続していきますので、引き続き宜しくお願いします」

 

 私もとっても嬉しいです。

 

 長距離走、マラソンが速くなりたい方のうち、まだウェルビーイングオンラインスクールの詳細をご確認頂いていない方は是非こちらをクリックして、詳細をご確認ください。

 
 
 

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

© 2020 by ウェルビーイング株式会社

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