1992年ミャンマーカレン州
「おい、ニシ、タカベ、お前ら昨日の夜何か見なかったか?」
モピュ大尉がニヤニヤしながら聴いてきた。
昨日何か見なかったかとはどういうことだろう?
まさか幽霊でもあるまいし
「いえ、なにも見ませんでしたが、何かいたんですか?」
「なんだお前ら知らんのか。ここは日本軍が集団自決したところだぞ」
日本軍が!?あーそうだったのか。我々の祖国の英霊が眠るところだったのか。
あの大東亜戦争で祖国の英霊達がアジアを白人達の占領から解放する為に、ビルマ族と手を取り、イギリス相手に命を懸けて闘った。
大東亜戦争では圧倒的に物資に恵まれた英軍に敗北を喫したが、日本軍が鍛え上げたビルマ軍は見事に英軍をなぎ倒し、主権を取り戻した。大東亜戦争終結後も多くの日本人がミャンマーに残り、英軍と闘い独立に大きく貢献した。
ヨーロッパからの搾取や暴力から自由と自治を取り戻す為の闘いだった。
ところが、そうやって独立を果たしたビルマ軍が少数民族のカレン族を武力で支配し、多くのカレン人が拷問され、レイプされ続けた挙げ句殺された。
怒りに燃えるカレン族だったがいかんせん烏合の衆だ。それをまた我々日本人が教育し、共に闘っている。皮肉なものだ。
私はデモリションユニットと呼ばれる特殊な破壊工作に従事する部隊に入り、ワンカーから敵地であるマナプロウへと向かっていた。
まず、我々の前に立ちはだかったのはドーナ山脈だった。味方のある支配地域内を歩く序盤戦から、険しい地形が果てしなく続く。カレン州北部は、その中でも特に険しい地形だった。
例えば、大声を出せば向かいの山にいる相手と話せるのに、そこまで歩いていくと一日かかるといった具合であった。そのくらい谷は深く、傾斜は厳しかった。
しかも、雨期になると雨が激しくなり、泥で道はぬかるみ我々の足を止めた。米を作るのに必要な年間降水量が約1000mmと言われており、だいたい日本はどこの地域も年間1000mmを超えるが、この地域は多い時は月間降水量が1000mmを超える。
激しいアップダウンが延々と続く道なき道とうだるような蒸し暑さ、そして肩に食い込む装備の重さが体力を徐々に奪っていく。睡眠を妨げる蚊や昆虫は、鬱陶しいだけでなくいろいろな病気も運んできた。
我々はカレン軍の為に少しでも敵の足を止めようとマナプロウに向かった。
かつての日本軍が圧倒的な火力の前に敗走したのと同じことにならないように戦車が通れる橋を破壊するのだ。
一九四五年十月
私は一銭五厘の召集令状を受け取ると船倉に閉じ込められ、いきさつも告げられぬままに十一月に故郷を離れた。
一週間ほどして、初めて甲板に出るとカーッと太陽が照りつける。南へと向かっていることだけは分かった。
果たして硫黄島方面で米軍と対峙か、それとも八紘一宇の思想を実現する為に東南アジアへと向かっているのか?
考えても仕方のないことだ。軍隊は別名運隊とも呼ばれ、そこで生き延びることが出来るかどうかは運次第とよく言われた。
そこから更に南下を続けてフランス領インドシナに到着した。そこから西へ西へと歩を進めるとプノンペンを通過し、十二月八日にバンコクに到達した。
そこから北へと移送され、ピサンロープという町へと着く。ビルマと国境を分かつドーナ山脈が連なり、道なきジャングルが広がっていた。
山また山、山しかないその道なき道を進むこと約10日、我々はコーカレークへ殺到した。六個師団ほどモールメインにいた英印軍はびっくりした。何しろ突然、北方に日本軍が来たのだから。
小ぜり合う程度でマラントバッテン将軍率いる英印軍はアランカ山地を通ってインドへと退いていく。のちに「チャーチル給与」と呼ばれる物資を捨てていった。これが十七年三月ころと記憶する。
私の所属していた陸軍第十五師団は京都出身の強者ぞろいだ。花谷正中将師団長の盾、九州出身者を集めた牟田口廉也中将の菊と並んで桜と称し、深澤哲也師団長が率いる当時の日本陸軍最精鋭集団と呼ばれた。装備も良く、向かうところ敵なしだ。
私は初めから師団司令部に所属し、深澤師団長の右腕となって働いた。この勇猛果敢なる深澤師団長には一つだけ欠点があった。それは話を盛ることである。部下に与える訓示は常に部隊に士気を与え、向かうところ敵なしの大きな要因となっていた。近代戦であっても、士気は技術を凌駕する。どれほど射撃の腕前が高くても、小心者は怖くて引き金さえ引くことが出来ない。敵の射線から身を隠すことで精一杯であった。
そんな中で、深澤師団長の訓示は部下の士気を大いに上げ、我々に大きな力を与えてくれたのは事実だ。しかし、事実に反することはいけない。
例えば、ある日の訓示で深澤師団長が「我々大和民族の作る武器は非常に優秀であり、どこの国にも劣るものではない。威力、連射速度共に世界一だ。その武器を目にして、震え上がっているのは我々ではなく、敵の方だ。自信を持って、私が号令を下したら、直ちに相手の銃火目がけて突撃せよ」とその日も勇ましく訓示をされていた。
訓示の際の師団長の目力は非常に鋭く、ある意味ではあちらの世界に行っている。それを聞く兵士たちもまなこを据えて師団長の話に聞き入っている。しかしながら、実は日本軍が使用している機関銃と敵方の使っている機関銃には違いがある。
日本軍の使用する機関銃は「どん、どん、どん」と力強くやや間をあけて放たれる。それに対し、敵方の機関銃は「ぱらぱらぱら」とスピードがあるから、演習と同じタイミングで飛び出すとやられる。
士気が技術を凌駕するのは事実だが、戦術もやはり必要だ。
そんな感じで我々は初期の頃は連戦連勝であった。戦車や鉄砲を大量に有し、更に空輸で好きなだけ物資が手に入る英軍に勝つには遊撃戦を展開するより他にない。
我々は厳しい地形と視界の開けぬジャングル、体力を奪われる高温多湿の気候を活かして英軍を苦しめた。
しかし、一つ問題があった。待てども待てども後方からの物資が届かないのだ。単純計算でこちらが一発銃弾を打てば向こうから十発返ってくるほどの差があった。
その後桜師団は英軍上陸に備えて南下した。西部ビルマのアキャブから、ベンガル湾に近いヘンサダヘ移動した。ここでの仕事はビルマ国防軍の育成である。ビルマ現地人装丁二千人を集めて訓練する。
私はその教育隊副隊長を仰せつかった。階級は曹長だった。ここで私は言葉の通じぬ相手でも根気強く教えることで、日に日に習熟度が上がっていることを目の当たりにして、教えることの面白さを感じた。しかし、そんな日は長くは続かなかった。
当時そこから5キロほどのところに師団司令部があった。私はある日所用があってそこを訪れた。ところが、司令部はどこか落ち着かない。どこかに動きを感じられた。顔見知りの人もどこかよそよそしい。なんとなく帰りそびれていると戦友の一人が「飯でもくってけよ」と言ってくれた。
教育隊に電話すると、向こうでも「夜は危険だから、司令部へ泊ったらどうか」と言ってくれた。腰を落ち着けて戦友と話し合っているうちに、深夜になった。そこに安田という大尉がやってきておもむろにこういった。
「ここ二、三日中に師団司令部は移動するぞ。ピンマナへ向け前進だ」
私には感じるものがあった。ピンマナでは前線から撤退してくる日本軍とそれを追う英印軍が激突し合う。ここで助けなければ、男がすたる。それに私はここまで深澤師団長と行動を共にしてきた。最後まで行動を共にした方が良い。
私は安田大尉に頼み込んだ。「私も是非加えてください」
しばらく、考え込んでいた安田大尉であったが重い口を開いた。
「悪いが私の一存では決めきれん。副官に頼むしかないな。印刷機にはまだ回されていないが、しかし・・・人員の差し替えは難しいぞ。明日の8時には印刷される。時間はもうないしな」
それだけ言い残すと、安田大尉は出ていかれた。
早朝5時、私は栗田副官の部屋を訪ねた。当然、まだ寝ておられる。しかし、私にそれを斟酌している余裕はない。戸を叩いた。
「誰か?」
不機嫌な声が返ってくる。当然だ。寝起きの一番気持ちが良い時を邪魔されたのだ。
「池上です。ピンマナに向かう部隊に加えて頂きたくて、参りました。どうか私も部隊に加えてください」
「おう、お前がおったか。すっかり忘れておった。しかし、ピンマナに行った方が良いか、ここに残った方が良いかは分からんぞ。英印軍は空路補給も完璧、戦車もM4ゼネラル・シャーマン中戦車を擁し、縦横無尽に動き回って友軍を苦しめておる。歩兵相手に75ミリ戦車砲を好きなだけ打ち込めるからな。それでも貴様行くか?」
「はい、深澤師団長と命運をともにできるのであれば、本望です」
「よかろう。貴様も男なら、祖国の為に桜となって散ってこい」
「ありがとうございます!」
命令書の列外に「給与係池上秀志」と書き加えられたのは、それから間もなくである。十一時過ぎ、謄写版に印刷された命令回報に、私は自分の名前が載っていることを確認した。
さて、教え子たちに恥じぬよう、私も勇敢に闘ってくるとしよう。
一九四ニ年三月十五日
インパール作戦が発令さる。インパール作戦とは、一度は日本軍に敗戦し、インドのインパールまで敗走した英軍を三方向から追いかけて、インパールも奪ってしまおうという作戦であった。
この作戦は菊の牟田口廉也中将の立案である。しかしながら、あえて言おう。この作戦は無謀であったと。乾季に決行するならまだしも、時は雨季である。2000m級の道なき道、それもぬかるんだ山を踏破し、しかもその先で戦うなど無謀な話である。
陸上競技に例えるなら、450キロ先の試合会場まで野宿しながら走って移動して、そこでレースをしろというようなものだ。しかも、日本アルプスを越えてだ。武器や物資を牛馬に背負わせて、動けなくなったらそれを食料にすればよいというジンギスカン作戦が採用されたが、雨季で川の水も増しており、メンウィス河を渡るときに牛馬の半分が流されてしまった。もちろん、物資もそうである。
ただでさえ、物資が不足する中長距離の険しい山岳を越える行軍を強いられ、兵も牛馬も疲弊し、まともに闘える状況になかった。
現場の陸軍中将から本部に「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」と打電されたほどであった。
皇軍は制圧地帯における補給さえ滞っていたのに、そこからさらにインパールへと450㎞の道のりを進んだのだ。当然、補給はない。対する英軍は空からの補給を好きなだけ出来る。それぞれ色分けされた落下傘から食料、武器、弾薬、医薬品、その他物資が届く、それらに応急手当を加えれば直ちに陣地を形成することが出来た。
日本軍も戦では負けていなかったが、何と言っても物資に置ける彼我の差は大きかった。たちまち、英印軍に敗れて敗走し、その道中でバタバタと栄養失調、餓死、マラリアで倒れてなくなっていった。しかもインドヒョウやハゲタカが弱った日本兵を次々とエサにしていった。日本兵は自らの食料がないどころか、食料にされていたのだ。
1944年8月12日、インパール作戦の末期になり、日本軍は銃を捨て、少しでも身軽になり険しいジャングルの中を撤退した。その後を英軍が追ってくる。我々の任務はそうして敗走した友軍を助け、英印軍を撤退するためにピンマナへと歩を進めたのである。
「撃て。撃て!」
深澤師団長の声が響き渡る。私たちは即席で作った塹壕の中から敵の銃火目がけて集中砲火を浴びせていた。
「敵を寄せつけるな!入り込まれたら、どうしようもないぞ。とにかく脚を止めろ!一番前のやつから片づけていけ」
深澤師団長の怒鳴り声が聞こえるが、銃声でその声はかき消されていた。
私も銃身が赤くなるほど撃ちまくっていたが、とにかく弾がない。一人一人狙いを定めて撃つしかないのだが、その間に敵は確実に前進してくる。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとはよくいったもので、敵が見境なく撃ってくる連射に私は恐怖を感じていた。一方で、いくらこちらが狙いを定めても向こうも激しい戦闘の中で動きまくっている。そう簡単には当たらない。
そして、あたったとしても・・・・
敵は次から次へと押し寄せてくる。一方で、我々の銃弾は尽きようとしていた。
「総員、撤退準備!出来るだけ多くの銃弾を携行せよ」
師団長から命令が下る。撤退のタイミングは難しい。遅すぎると部隊が全滅しかねない。
「撤退せよ!」
撤退命令が下ったとしても一目散に走り抜ける訳にはいかない。銃弾が飛び交っているのだ。敵に弾を射ち、ひるんだところで走り抜ける。その繰り返しだ。
しかし、そうやってある程度のところまで敗走したところで、弾丸が尽きた。走って逃げるには少しでも軽い方が良い。私は銃を捨てた。他の兵士たちも似たり寄ったりだ。兵隊であるにもかかわらず、敗走する際には武器を持たずに飯盒(はんごう)だけを携行しているものがほとんどであった。なんとも寂しい撤退だ。
私はこの過酷な状況において3つだけ携行し、あとは捨てた。
一つ目に自決用の手榴弾、二つ目に250000分の1の地図、私はタイのバンコクを目指した。そして三つ目は防蚊網(ぼうぶんもう)。これは提灯のような形状のもので携帯用の蚊帳だ。この地域は悪性マラリアの媒介地で、多くの日本兵がマラリアでバタバタと死んでいった。
それだけ気をつけていても私はモールメインに到着するとマラリアにかかってしまった。
幸いそれほど症状は重くなかったが、念のため野戦病院で治療を受けた。そこは重症患者でいっぱいで半日ほど待たねばならなかった。
そして、ようやく私の番が来ると医者がこう言った「君も京都の出身かね。実は私もなんだ。同郷のよしみで話そう。実はここも危ない。今夜最後の列車が出るから、それに乗りなさい」
これが生き延びるチャンスだ!
そう私は確信した。私は泰緬鉄道を走り、バンコクへと向かう列車に飛び乗ろうとした。その時である。見慣れた顔がふと私の目に止まった。
「深澤師団長ではありませんか。ご無事でしたか」
「誰かと思ったら、池上か」
それだけ言うと、黙ってしまわれた。いつもの勇ましい訓示からは想像も出来ないような、傷だらけでボロボロとなっていた。顔は傷だらけで軍服には血がしみており、深澤師団長も武器を携行していなかった。
どれだけ大和魂があっても、武器もなく戦うことは出来なかったのだろう。
我々はそうして、バンコクへと向かったが、途中で列車が止まってしまった。故障らしい。修理する部品もないし、長時間同じところに止まるのは英軍の標的になるだけだ。私はすぐに動き出した。
その時、後ろから声がかかった。深澤師団長であった。
「池上、どうするつもりだ」
「ここにいては危ないですよ。夜が明けたら、空から我々は丸見えです。英軍の戦闘機に見つかればひとたまりもありません。とにかく、ジャングルに身を潜めます」
「またジャングルに身を潜めるのか。マラリアにかかったら一巻の終わりだぞ。食料もないし、害虫や猛獣がいるのにどうするんだ。それよりも線路沿いを歩いてバンコクまで歩いて行った方が良かろう」
「師団長、お言葉を返すようですが、同じことを皆が考えるでしょう。そうすると、日本人の集団が出来てしまうんですよ。視界の開けた線路の上で。それを英軍が見逃すわけがないでしょう。闇夜に紛れてジャングルに行きましょう」
私と師団長はジャングルに身を隠した。
しかし、ここで私達は体力の限界が来ていた。日本を離れて早くも四年目、インパール作戦以降はろくに食べ物もなく、屋根の下で眠ることも出来ず、長距離行軍を強いられ、体力は限界に来ていた。
ガサッガサッ
猛獣か?
その時現れたのはなんと、その近くに住む現地のビルマ人であった。身振り手振りで状況を伝えると、ついてくるように言われたような気がしたので、師団長とともについていった。
行った先に、見覚えのある顔がいた。そう、私が教育部隊で訓練を施したビルマ兵である。
彼らは我々に食料を与えてくれ、休ませてくれた。そこで休んでいるうちに終戦を迎えた。しかし、それは日本にとっての戦争が終わっただけであって、ビルマの彼らはまだ戦争が終わっていない。そう、英軍からの独立を果たさなければいけないのだ。
私たちは酷使した体を休めるべくビルマ族の村でしばらくゆっくりさせてもらった。天気の良い、そんなある日のことだった。
「おい、池上」
「はい」
「お前、この戦争についてどう思うか」
「どう思うかと唐突に聞かれましても、困りますが、私は京都師範学校を出て、社会科教育の先生になるつもりでした。皇国史や八紘一宇の思想を教育する立場になりますから、その前に自ら前線に立ってみるのも悪くなかろうと思いました。もちろん、死ぬ可能性もありますし、死ぬのは嫌ですが、そんなことは言っても始まりませんしね」
「そうか」
それだけ、言って深澤師団長は黙られた。しかし、その表情から何かを語りたそうにしているのは明らかだった。
「師団長はどう思われているんですか」
「俺は元々職業軍人や。防人なろうと思って、なった。その俺から見るとな、なんで召集令状一枚で招集した一般人集めて戦争すんのかようわからん。戦争初期の頃は一応訓練らしい訓練もあったけど、末期になったら訓練もせんと前線に送り込んできよる。せやけど、無作為に抽出した男を集めて、読売巨人軍に勝てるか?結果はやる前から分かっとる。なんでそんなことになったんやと思う?」
「戦線が拡大したからじゃないですか」
「それもあるけど、それだけか?素人100人集めてそこから9人選抜して野球チーム作るよりも初めっから職業野球のチームを作った方が強くないか?歴史的にも少数の部隊が数で十倍以上の部隊を撃破したケースは一回や二回ちゃうぞ。そして、兵員が少なかったら、補給も少なくて済む。インパール作戦のようなことにもならんかったはずや」
「しかし、職業軍人に支払う給料はどうするんですか?そんなお金を払う余裕がないでしょう」
「そういう時の為の戦時国債や。金が無かったら、借りてきたらええねん。日銀さんに紙幣発行させれば良い。だいたい、働き手が日本に残ったらその分、税金も徴収できるし、食べ物も作れるやろ」
「そんなことしたら、ドイツみたいにハイパーインフレになるでしょう。ヴェルサイユ条約で莫大な賠償金を請求されたドイツ政府が賠償金の支払いのためにマルクを大量に印刷したせいで、ハイパーインフレが起きましたよね?」
ふーっ
師団長はここで大きくため息をついた。
「これやから学校の先生はあかんな。ベルサイユ条約の賠償金はマルクで払うんじゃない。そんなん当たり前や。敗戦国の通貨なんて誰が信用する?それにドイツ政府に通貨発行権はなかった。ヨーロッパの国ではだいたいロスチャイルド家が銀行を運営してて、その銀行さんが通貨発行権をもってる。つまり、政府と国の銀行が独立している状態や。一方で、日本は政府が通貨発行権持ってるし、日銀さんが政府の言うこと聞かんかったら、言うこと聞くまで日銀総裁を変えれば良い。
インパール作戦に反対した師団長が全員更迭されたようにな。
それともう一つ、インフレっていうのは、お金の価値がなくなること。今、日本国内で物資が不足しとるやろ。つまり、金よりも物の方が価値が高い。そらそうや、金は食えんけど、米は食えるし、服は寒さを防げるし、家は雨露しのげるんやから。お金よりも物の価値が高いってことは、お金の価値が下がるということ。俺らが家に帰るころには俺らの貯金なんかただの紙くずになってるで」
「えっ本当ですか?」
「なんや、お前貯金でもあるのか」
「はい、家族の為にいくらか残してきました」
「残念やけど、紙切れになる。まあ、せめて生きて帰ることやな」
「話戻しますけど、職業軍人を中心に部隊編成してたらこの戦争はどう変わってたんですか?」
「さっきも言うたけど、後方で戦争を支える民間人と前線で戦う職業軍人を分けることで、国力が疲弊しいひんから、持久戦も可能になるし、鍛え上げられた軍人は今日明日には育たんから大本営ももうちょっと慎重に判断下すようになる。つまり、インパール作戦みたいな無謀な作戦はしいひんはずや。それに加えて、もっと大きな利点がある」
「と言いますと?」
「考えてみ。有無を言わさず赤紙一枚で招集されて、給料もないし、食料もないし、医薬品もない状況で戦わされる。そんな人間に道徳心なんかあるか?明日にも死ぬか分からん命で、実際に戦友がばたばたと死んでいきよる。大本営は前線の兵士の命なんて虫けらみたいに思っとる。そういう状況の中で、闘って運よく戦闘に勝つことが出来たら、どうする?」
「略奪に、婦女暴行ですか」
「その通りや。国から給料出んかったら、せめて金目のもんでも盗んで、女抱こうと思うやろ。更に食料がなくなったら、盗もうと思うやろ。本来はそいつら犯罪者や。でも、今の日本軍にそんな規範を求めても無理や。そいつら自身が国に暴行されてるようなもんやからな」
「師団長、少し口が過ぎるのではありませんか?」
「俺は当たり前のことを言うただけや。命を懸けて闘ってるやつ、それもそれを強要されてるやつに、物を盗むなと言ってどれだけの説得力がある?」
「しかし、自分は今の今まで一度も皇軍兵士による犯罪行為など目にしませんでした」
フフッ
師団長が短く笑った。
「そうか、そうか。最前線で戦い続けた我々にそんな余裕はなかったな。でも俺はお前より従軍経験長いからな。そういうのも目にしてき。でも、置かれた状況考えたら、それもやむを得ん。命かけて戦ってるからな。大体無理やり連れてきてるから、あいつらには理念なんかない。俺は違う、アジアを白人から解放し、日本からソ連から守るために自分の意志で来た。人間が最も残虐になるのはどんな状況か、お前知ってるか?」
「復讐心に駆られた時ですか?」
「もちろん、それもあるけど、それは残虐とは言わんやろ。やられたからやり返す、それだけのことや。ホンマに残虐なんは、ある組織の中で最も下の階級に属し、上から虐げられてるやつが、外部に対して力を持った時や。一番わかりやすいんが公務員。なんかわからんけど、偉そうにしとる公務員おらんか?」
「あー、そう言われてみれば、いますね。もちろん、大半は良い人たちなんですけど、態度が横柄な公務員は結構います」
「それはその組織の中では一番下の階級におるけど、外部に対して力を持つからや。書類が通らんかったら、困ることあるやろ?
その時、人は無意識のうちに、自分が普段持たない権力を自分のエゴの為に使用するんや。普段は満たされない自尊心をそこで無意識のうちに満たそうとする。
下級兵士はそんなもんやない。無理やり連れてこられて上官から殴られて、食うもんもろくに与えられず、虫けら程度にしか扱われん。明日にも死ぬかもしれん命や。それも全部国の上層部からの指令。
そういう人間が外部の人間に対して、つまり現地の人間に対して圧倒的な権力を持つようになる。何せ、相手は丸腰、こっちは銃に軍刀持ってる。しかも、平時のように厳正なる裁判で裁かれることもない。
こうなったら、栄えある日本も犯罪者集団に成り下がってしまう。もちろん、全員が全員じゃなくて、ごく一部の人間やけどな。でも、10万人の1%でも、1000人の犯罪者集団やから、手に負えん。だいたい10万人おったら、平時でも犯罪するやつおるんやから」
「職業軍人だけで臨んでいたら、もう少し変わっていましたか?」
「それは職業軍人がどういう教育を受けるかによる。本気で祖国をソ連から守り、八紘一宇を実現させるという教育を受けてたら、もっと変わったものになったやろ。第一に、戦争するんやったら、仲間は多いほうが良いし、現地の気候、地形、食べ物に精通している現地人の協力は必須や。
もしも、職業軍人たちが本気で現地の人の為を思って、任務に赴任すればもっと結果は変わったはずや。それから、もう一つ良いことがある」
「と、言いますと?」
「職業軍人はあくまでも仕事として来る。だから、任務の遂行に必要なお金は国が経費で支払うべき。つまり、食料や医薬品はちゃんと日本政府が金を出して、現地の人から買う。さらに、酒、たばこ、女といった嗜好品は給料から買えば良い。どうせ、生活に必要な金は経費で国が出すから、金はたまる。そうすると、日本軍行くとこ、行くとこ好景気が起こる、ついでに警察の役割も買って出たらええねん。日本軍行くとこ、行くとこ景気は良くなるし、治安も良くなるし、アジアの人皆大歓迎やで。スーパースターになれるわ。
ただな、国債発行はあくまでもわずかに足らん分を補填するべきものであり、基本的には税金からそのお金は徴収する。そして、税の徴収額を上げるには、国の経済が発展せなあかん。なんやかんや言うても、金やで。金がないとなんも出来ん。国は利益より雇用とか言ってるけど、そんな綺麗ごとだけでは世の中回らん」
「それなら、もうやってるじゃないですか。軍票発行してるでしょ?」
「あかん、あかん。軍票ではあかんねん。お金っていうのは信頼で成り立ってる。お前も国に帰ったら、1円で何が買えるかだいたい知ってるやろ?」
「はい、もちろんです」
「それは日本国民全員がだいたい1円でどういうものと交換できるか分かってるから、取引が成立する。もう一つ言うと、将来も1円でだいたいどういうものと交換できるかが分かっているはずだという仮定があるから、取引が成立する。
だから、お前がいうように急激なインフレは避けるべきや。そうせんと、取引が成立せん。でも、50年間とかそういうスパンで徐々にインフレが進行するのは問題がない。寧ろ、ある程度インフレが進むと、お金貯めといても損やろ?
購買意欲が活発になるから、経済も活性化する傾向にある。でも、軍票にそれだけの信頼はない。
あくまでも、日本軍が駐留している期間だけの限定的なものやから、一か月後にもその価値を失うかもしれないと多くの人が思ってる。しかも、使える地域も限られてる。軍票を持ってる人はすぐにでも物に変えるか、紙幣を交換するかどちらかしたいと思ってる。
皆がそう思ってるんやから、軍票は通貨としての役割を果たしていない。信頼がないからな。軍票は日本人が屁理屈こねて無理やり認めさせてるもんや。
だから、ちゃんと日本円を正規のルートで交換して、現地のお金に変えてそっから取引せするべきや。そして、そうすると日本円が流通する規模が大きくなるやろ?そうすると、そこから二つの利点が生まれる」
「と言いますと?」
「一つ目は戦時国債を発行しても、インフレが起こりにくいこと。インフレが起こるかどうかは市場の規模と通貨の供給量の二つで決まる。アジア全域で日本円を使うようになると、市場の規模が拡大するから、通貨の供給量を起こしてもインフレは起こらない。
二つ目に、そのまま日本円の流通量が増えると、アジア全域で日本円が共通通貨になる可能性がある。そうすると、日本を中心としたアジア全体の経済共同体が形成される。そうなると、名実ともに八紘一宇の思想が実現する。金で取引するようになると、上下関係も消えていく。軍事力をもってしてその地域を支配すると、最後まで上下関係が残るから、真の意味での共同体は形成されない。これが大きな違いやな」
「それでも、貧富の差による上下関係は残るでしょう?」
「それは問題として残るな。それは次の問題として考えていくべきものになる。実際に、それは今の日本国内でもそうなんやから。ただ、俺は今日本全体で動いているお金の量を知らん。だから、ここまで戦線が拡大してもそれが出来るのかどうかは、分からん」
「なんで、こんなに戦線が拡大したんですか」
「アメリカさんが参戦してきたからやろ」
「なんでアメリカは参戦してきたんですか。アメリカは基本的には反共産主義だから、枢軸国側についてソ連と戦った方が良くないですか」
「これは俺の推測やけどな。アメリカは国際的な地位を固めるために、とりあえずこの戦争に参加したかった。戦場はヨーロッパとアジアやから結果がどう転んでも、アメリカ本土に多くの被害は及ばない。物資の面からも圧倒的に有利、そう踏んでとりあえず参戦したかったんちゃうか。
それに戦争やったら、喜ぶ奴がおる。さっきも言うたけど、欧米系の国の銀行はロスチャイルド家が株主さんやと言われてる。戦争すると、国は戦費調達のために税額を上げるか、金を借りるかするしかない。税率は上げ過ぎるとかえって税収が落ちるから、自ずと限界がある。そうなると、借りるしかない。
どちらの側が勝っても結局大本はロスチャイルド家やから、金利でがっぽり儲けることが出来る。大規模な戦争が起これば、そいつらは喜ぶ」
「本当にそうですか?そんな大銀行家はそれだけお金持ってるんだから、もうこれ以上はいらないでしょう?」
「それは我々凡人の考え方や。確かに我々一般庶民の場合は、生活の為に金を稼ぐのが仕事の基本。でも、あいつらにとっては、ゲームでしかない。つまり、金を稼ぐことによる満足感を求めてる。そうなると、人間っていうのは、方向性とパーセンテージの両方で、満足感が決まる。
方向性というのは上がるか下がるかやこれは分かりやすい。次のパーセンテージというのは、1万円の金が12000円になったら120%増、100億円が120億円になっても120%増、行動経済学的には両者の満足感は同じだとされている。
これが正しいと仮定すると、我々庶民が1万円のお金を12000円に増やすのと同じ感覚で、戦争して100億円を120億に増やしたいと思うやつらがいても不思議ではないということ。
それが100兆円を120兆円にすると考えると、なおさら方法は限られてくる。戦争は限られた選択肢の中の有効な一つ。だから、なんでもええから戦争したかった奴らがおるということ。そいつらは、綺麗な服着て着飾っとるけど、中身は理念もなんもない、すっからかんのやつらや。
なんでもええから、戦争したかったんやろ。
そう考えた時に、国民を納得させるには、ユダヤ人を迫害していたナチスドイツと中国大陸で残虐行為を働いていた日本を懲らしめるというストーリーが一番現実的やったんちゃうか」
「中国は徹底的に反日宣伝やってましたもんね」
「あー、そうや。まあ、半分はしゃあないな。さっきも言ったけど、そういう悪いやつも日本軍にはおったから。でも、もう半分は日本の宣伝部の怠慢や。中国人なんて人のこと言えたもんちゃうで。何しろ中国人が中国人を殺して、強姦して、心の臓をえぐりだして食べとったんやから。一回皇軍の足止めの為に、ダムの水を放流して、民間人もろとも水に沈めようとしたこともあったで。しゃあなし、我々が中国人の救出しとったんや」
「悲惨ですね」
「悲惨や。
それからもう一つ便意兵の問題もある。お前も知ってると思うけど、正規の軍服を着ずに、平服着て戦っとった便意兵というのがいた。一般的な言葉では民兵とかゲリラ。なんで便意兵っていうかは、俺は知らんけど、便意兵って言うたんや。当然、戦場やからこいつらは全員見つけ次第、処刑する。
そして、こちらのせいで俺らも民間人も殺したかもしれん。それは分からん。疑わしいやつは全員射殺する。例え、一回間違えて殺しても次は間違えないでおこうというチャンスがあるが、引き金を引く根性の無いやつに明日は来ない。
それに考えてみ、例えばソ連が京都に侵攻するならどこから侵攻する?」
「舞鶴あたりから上陸して、九号線を通って京都に入ってくるでしょう。落下傘部隊が可能なら生駒山とか将軍塚あたりに落下傘落として、そこから侵攻するんじゃないですか」
「京都市内はかなり守りが固くなるから、いきなり将軍塚に落とすのは難しいやろうな。高射砲もあるし。そうなると、舞鶴から上陸して、南下するか、生駒山あたりから攻めることになるやろう。
でも、そうなったらや、当然日本軍兵士も御所には一歩も足を踏み入れられんように死に物狂いの抵抗をする。そうしたら、嫌でも銃声や砲声が聞こえるやろ?お前が民間人で家族もいたらどうする?
「直ちに、非難するでしょう。京都が占拠されたら、大阪にそのまま侵攻しそうなので、京都と大阪を結ぶ主要街道は危ないですね。北山に行くか、鴨川、桂川のジャングル地帯に住処を作るか、まあ水があるほうが便利なので、桂川か鴨川沿いのジャングルの中にテント張りますかね」
「せやろ?
考えることは中国人も同じや。戦場にいるやつは基本的に平服着てても民兵の可能性が高い。実際、ためらってる間に殺された戦友も少なくないぞ。そいつらはもちろん、降伏した時点で処刑する。それを写真にとられたら、民間人の大量殺戮に見えるんや。
でも、民間人を殺害するようにという指令は出なかった。軍では上からの命令は絶対やから、犯罪者を除いて民間人を殺害することはない。だから、実際に我々が南京を占拠した後、一時的に避難してた住民が帰ってきて人口は増えたで」
「そんなこともあったんですか。ちなみに師団長も南京では人を殺されたんですか」
「失礼なこと言うな。これでも職業軍人やぞ。でも、何人殺したとかは全然わからんな。お前も経験した通り、戦場ではとりあえず銃火目がけて撃ちまくる。当然、自分の銃火も狙われるから、動き回ることになる。自分の目で殺したのを確認したのは、全体の1割とか2割くらいちゃうかな。俺の場合は、白兵戦もなかったし」
「そういうことではなくて、民間人を殺したところを目にしましたか」
「さっきも言ったけど、便意兵の存在があるから、はっきりとは言えない。正規軍以外も殺したのかという意味で言えば、俺は殺した。それはためらわんかった。ただし、戦闘中だけやけど。だから、俺は生き残ってる。情けをかけたやつは殺されたよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんや。戦争なんやから、一方的に我々だけに生殺与奪の権利がある訳ないやろ。
ところで、ここまでの俺の話お前賛成か」
「と言いますと?」
「職業軍人だけで、部隊を結成して、対ソ防衛と白人からのアジア解放に焦点を絞り、現地で調達する物資や食料は日本政府が経費でまかない、それ以外に酒、たばこ、女を人並みかそれよりちょっと上くらいに買えるだけの給料を支給する。任務遂行時における犯罪行為は国内で起きた犯罪行為と同様に罰する、こうしたらもっと良くなったという俺の意見に賛成か?」
「そうですね・・・私には難しくて理解できなかった部分もありますが、おおむね賛成です」
「せやろ?それやったら、お前もここに残ってビルマの為に闘え」
「えっ自分もですか?先ほど、せめて生きて帰れとおっしゃったじゃないですか!?」
「おう、そう言うたぞ。でも、お前俺の意見に賛成やっていうたやないか。まあ、でも俺も自分の意見はくつがえさん。無理やり闘うやつは使い物にならんし、犯罪でも犯されたら迷惑や。あくまでも、お前が真心から一緒に闘いたいと思った場合のみ、闘え。教え子を前にして、国に逃げ帰っても恥ずかしくないなら帰りなさい」
「そう言われたら、帰れませんね。いいでしょう。私もここに残ってビルマの為に闘いましょう」
私と深澤師団長はビルマに残り、独立の為に闘うことを決意した。そこで、ビルマの独立の為に、闘うことを決意したのだ。
行きがかり上、私は私が教育していた部隊の指揮をとることとなった。しかし、深澤師団長もいたので、私の上には深澤師団長がいた。しかし、実際上の戦略や戦術は私が立て、深澤師団長は訓示をほどこし、士気の高揚に努めた。
英軍はビルマ軍ごときに独立出来るとは思っていなかったようだが、戦術と戦略を徹底的に教えることが出来、大本営の許可を得なくても自由に指揮を執ることが出来るようになった我々は向かうところ敵なしであった。何よりも士気が違う、向こうは所詮は故郷を遠く離れて、イギリス人がブロック経済を続けるための、言ってみれば私利私欲をむさぼるための戦争だ。一方で、我々は自由と人権を勝ち取るための戦争だ。
それに深澤師団長の訓示が、常に兵士を活気づけた。しかし、我々はいささか活躍しすぎた。我々の存在が英軍に知れ渡ってしまったのだ。しかも、闘う度に我々の居場所が敵方に知られているようで、毎回狙撃手に狙い撃ちされた。ここまでは、運よく生き残ってきたのだが・・・
ズキューン、ズキューン、ズキューン
深澤師団長の胸が鮮血に染まる。私は思わず駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「そういうお前はどうなんだ?」
私は闘いに集中して気づかなかったが、胸と腹に貫通銃創を負っていた。
「俺はもう無理だ。俺たちは靖国神社に行けるのかな?」
「どうでしょうか。我々も一応祖国の為に闘いましたから大丈夫でしょう」
「生まれ変わったら、もう少し平和な戦いがしたいもんだな」
それだけ言うと深澤師団長は息を引き取った。私もそれを見て、そのまま意識を失った。走馬灯のようにこれまでの思い出が脳裏を駆け巡った。
2022年8月京都
「こんな立派な人たちがおるんやな。いや、おったんか」
私はそうつぶやいて今しがた読み終わった本を閉じた。高部正樹著『戦友 名も無き勇者たち』、高部、西岡、岩本、今田という日本人兵たちが、貧困、マラリア、敵の銃弾など様々な困難に苦しめられながらもミャンマー国軍政府から長年迫害され続けたミャンマーの少数民族カレン族と共に闘っていたのだ。
日本という国に生まれれば、いわゆる普通に生きていれば、恵まれた人生が歩める。月に数十万円の給料をもらえて、夏もクーラー付き、冬も暖房付きの家に住めて、ありとあらゆる娯楽が楽しめる。
それでも、人は不満を抱くものかもしれないが、少なくとも高温多湿のジャングルで風呂にも入れず、食べ物はほとんど米だけで、ネズミや猫やサルを食べないといけないということもなく、敵の銃弾にもさらされず、また無給で働かされるということもなければ、マラリアにかかることもない。
そんな環境にわざわざ飛び込んで、カレンの人たちの為に命をささげる男たちがいたのか。
日本軍の力も借りながら、独立を果たしたビルマ族たちはそれまで英軍に優遇されていたカレン族を長年にわたり殺戮、拷問、レイプの対象にしてきたのだ。それを救うために命を懸けて戦う日本人がいたとは。
私はつい先日、学費が払えなくて学校に通えなくなったケニア人の学費を肩代わりしたところであった。それでも、自分のしたことは善行に数えることは出来ないだろう。
ピンポーン
チャイムが鳴る。私が社長を務めるウェルビーイング株式会社の副社長、深澤哲也だ。深澤のマーケティング能力は非常に高く、自身が開設したユーチューブチャンネルのチャンネル登録者は二万人に到達しようとしていた。深澤には申し訳ないが、特別抜きんでた競技実績がある訳ではない彼がここまでチャンネル登録者を伸ばすのはかなり凄いことだ。
「こんにちは。遅くなってすみません」
「お前、3時めがけて来るっていうてたやんけ」
時計の針は3時半を指そうとしていた。
「いや、ちょっとここに来る途中で、ジープが泥にはまってしまって」
「いや、インパール作戦中の日本軍か。日本は道も舗装されとるし、だいたいお前ジープちゃうやんけ」
「すみません。またちょっと話を盛ってしまいました」
「いや、ちょっとちゃうやろ。まあ、そんなんはどうでもええねん。今日はな、セールス戦略についてもうちょっと情報を共有したいからご足労願ったんや。お前のマーケティング能力はホンマに凄いねんけどな。それが売り上げには直結してへんやん。メルマガをもうちょっと上手く活用してほしいねん。
ユーチューブで動画見てくれる人が増えたら確かに一定の割合で商品を買う人は出てくる。でも、それは絨毯爆撃みたいなもんや。数千メートルから数万メートルの上空から、俺の家狙って爆弾落としてもそうそう当たるもんちゃうねん。それと同じでユーチューブで飯食えてるやつは、チャンネル登録者数最低10万人はおる。動画一本出して3日間で再生数10万回超えんかったら、飯は食えん。数うちゃ当たるということや。
でも、そのやり方は俺らに合わん。再生回数が増えるんはことごとくエンタメ系や。教育系では、そこまで伸びひんし、そこまで再生回数増やそうと思ったら、どうしても世間の平均的な人たちにおもねざるを得ない。そうなったら、質の高い情報発信は出来ん。
それでも金かけてユーチューブのチャンネル登録者数を増やしたり、グーグル広告バーンと出したり、フェイスブック広告バーンと出したりする方法もある。でも、フェイスブックとかグーグル広告が定義する大企業っていうのは月に広告宣伝費1億円かけられる会社やで。俺らにそれだけの金はない。
絨毯爆撃と一緒や。金かけて大量に爆弾積んで、戦闘機何台も飛ばして、大量に空から爆弾まいたら、絶対家とか人に当たるやろ。でも、それは俺らには無理や。戦闘機なんか一台も飛ばせんわ。
金がなかったら、ジャングルに立てこもって遊撃戦を展開するしかない。例えば、ジャングルに身を潜めて、こっそり行軍中の敵部隊の一番後ろの兵士の背後に回り込んで、音もたてずにナイフで首切ったら一人一殺やろ。そこまでは無理かもしれんけど、敵の部隊を密かに待ち伏せして、その部隊を全滅させるつもりで銃弾打ち込んだら、高確率で任務を完了出来る。
俺らがやってるんは人殺しじゃなくて、人助けやけど、いかに我々は相手のランニングに関する目標達成、お悩み解決のお手伝いが出来るのかということを継続的に理解してもらえるように努力しなあかん。その為には、メルマガに呼び込んで潜伏しながら継続的に有益な情報を流していくしかない。そこの部分が弱いんちゃうかな。
メルマガっていうのはオンラインに公開されていない。つまり、メルマガ読者さんしか読めへん情報や。その限定情報の中で、一歩踏み込んだ有益な情報とか業界情報を流していく。そうやって、こちらの実力を理解してもらうしかない。でも、お前は多分表面的にしか理解されてないぞ。お前だって滋賀県チャンピオン育てられるんやから、指導能力は確かなはずや」
「なるほど、なるほど、なんとなくは分かります。そうやって、メルマガを上手く使いながら遊撃戦を展開させていけば良いんですね」
「分かるやろ。そして、最終的にセールスはナンバーズゲームや。そうやって、出来る限りメルマガ読者様の中から顧客を増やし、更にユーチューブからメルマガ読者様を増やす努力は出来る。でも、自ずと限界はある。極端な話、100人のメルマガ読者様から101人のお客様は誕生しいひんやろ。だから、先ずは変換率を上げてそれから段階的に広告宣伝費に費やすお金を上げていこう。
宣伝戦略に失敗すると敗戦は免れんからな」
「大東亜戦争でもそうでしたもんね」
「中国共産党宣伝部にやらたからな。アメリカもそうやけど。リメンバーパールハーバーとか言いながら、日本の通信は傍受されて、攻撃するのは向こうは知ってたんやから」
「とりあえず、そうやって一儲けして、そのお金をケニアに流そう。あいつらは人生にチャンスがない。ランニングが唯一のチャンスや。もちろん、全員が成功するわけではないけど、夢だけでも見させてあげたいやん。日本のレースで活躍する選手が増えたら、俺らの宣伝広告にもなるし、受講生様だって、名実ともに自分たちは世界の最先端の情報に触れているという自信がつく。
皆にとって良いことなんやから、ケニアにお金を流そう。今の時代はペイパル使って金を送れば、日本円もケニアシリングも米ドルもユールも同じお金なんやから。ケニア全土を発展させることは出来んかもしれんけど、イテンくらいは発展させられるやろ」
「なんか八紘一宇みたいですね」
「八紘一宇か。そんな壮大な思想ではないかな。あくまでも商売や。金がないとなんも出来んからな。パブロ・エスコバルの話をしたのは覚えてるな?」
「あの、あれですよね。南米の麻薬王で病院とか学校を自分の金で建てて、地域の住民から感謝されて、警察からもかくまってくれたから、全然捕まらなかった奴ですよね?」
「そうそう、麻薬は心身ともにボロボロにするから売らんけど、心身ともにウェルビーイングを実現するような商品販売して、その金を以てしてなんかケニア人に夢を与えるようなことしようや」
「日本では何もやらないんですか?」
「日本でもマラソンチーム持って、世界大会でメダルを獲れるような選手を育成して、その知識とか経験をアマチュアランナーの方に還元できるようにしたいと思ってる。もう、指導者も目星はつけてる。名前は言えんけどな。俺より年上で経験も指導能力も高い。人を見る目も高いから、全権委任でやってもらえば結果はついてくるやろ。
真っすぐすぎて、人間関係苦労してはるみたいや。実業団はサラリーマン社会やし、清濁併せのむ人じゃないと出世できひんのかもな。そういう自分にはないものを持っている人の力も借りて、より良い情報とか学習コンテンツを提供できるようになりたいと思ってる。
その為に、年間5000万円って言われてるから、早くそれだけの金は作れるようにしようや。
日本人は恵まれてる人も多いし、俺より金持ってる人はなんぼでもおるからな。せいぜい俺にできるのはその程度のことやろ。
イテンの問題点は、単純に金がないことじゃない。経済の規模が小さいことや。アフリカ人は食べ物もなくて皆腹すかしてると思ってる人も多いけど、それは偏見。寧ろ、食べ物だけはある。でも、今更トウモロコシを日本に輸出して買ってくれる訳ないやろ。せいぜい紅茶とかコーヒーとかその程度しかない。
では、何故経済の規模が小さいかというと、町全体が貧しくてものがあっても買う人がおらんこととインフラが整備されてないから。送料とか諸々考えたら、コストがかさんで輸出業をするにも難しい。だから、外貨がケニア国内に流れ込むのはランニングが中心になる。
一方で、イテンとかエルドレット辺りの人たちは貧しくて、購買能力がないから、物やサービスを作っても、買う人がおらん。さすがに日用品くらいは買うけどな。ホンマに日用品くらいしか売ってない。学校にすらいけん子供もまだおる。
貨幣の流通量が小さいところで頑張っても大したことは出来ん。それなら、我々のような外国からの資金を流入させて先ずは貨幣の流通量を大きくすることや。つまり、現地の人間に投資する。正規雇用じゃなくても良いから、ランナーに投資しよう。
たくさん、ランナーに投資して、育成すればその中から一定の割合で活躍する選手が出てくる。そうすれば、我々は賞金とかスポンサー契約の15%をもらうか、あるいはそのトップランナーを育成する過程での方法論も誰でも使えるノウハウまで落とし込んで、販売してその収益をまたケニアに投資すれば良い。
ただし、大きな問題が一つある」
「なんなんですか?」
「あいつらは怠け者で、嘘つきで、泥棒や。なんでか知らんけど、走る時だけは真面目やけど、それ以外は信用ならん。俺がおらんかったら何しでかすか分からん。そんな国で商売するには、何が一番良いか知ってるか」
「あれですか、高額な給料で釣りつつ、遅刻や無断欠勤があった時のペナルティを物凄く重くするとかですか」
「ペナルティを重くするって言っても鞭で打つ訳にはいかんやろ。せいぜい解雇する程度や。あいつらは解雇程度で落ち込むようなやつらじゃないぞ。
それに高級で釣ってもあいつらは目先のことしか考えられん。金だけもらったら、逃げるやつもいる。そのままそこで頑張れば、稼ぎ続けられるのに、そういうことは頭にないやつらや。
それよりもこんな話がある。大東亜戦争中、日本の兵士がアジア各地に散りばって、八紘一宇の思想の下、任務を展開した。その時に、アジアを植民地支配していた欧米人は何をするにも現地人とは別やったらしい。つまり、食べ物、飲み物、着るもの、寝るとこ、全部別行動やった。イテンでトレーニングする選手やコーチ、マネージャーも皆外国人用のホテルに泊まってる。
でも、日本人は現地の人と同じものを食べて、同じものを飲んで、同じ生活をして、ともに欧米とともに戦いましょうと言ってくれたという話や。だから、現地の人も日本軍に協力的やったらしいし、実際に敗走のさながら、現地の人に助けてもらって生き延びた人もいたし、逆にポツダム宣言受諾後も現地の人達とともに欧米からの独立の為に闘った日本人もいる。
これは時代が変わっても同じこと。外国人が外国人用のホテルに泊まることの合理性は俺も重々承知してる。現地人が大丈夫やからと言って、俺が食べたり、飲んだりしても大丈夫とは限らん。実際、俺も腹壊して高熱にうなされたことが二回ある。ホンマに動けんくて道端で寝転んでたこともあった。
またあいつらは外国人とみるや金くれ、物くれって言うて来よるし、盗むやつもおる。危険は多い。
でも、俺は現地の人と同じキャンプで、同じもん食って、同じトイレ使って、同じところで寝泊まりしてた。お前も知っての通り、俺は群れないし、人は人、俺は俺っていうタイプの人間やから、ケニアにも別に友達作るためにいった訳じゃないし、練習も全部は一緒にやらんかった。ケニア人も日本人も結果が出せんかったら、生活出来ひんのは皆一緒や。それがプロランナーの宿命やからな。俺はコーチの言うことしか聞かんかった。
でも、皆で一緒に寝食共にして、マッサージしてあげたり、誕生日ケーキ買ったり、下ネタ言ったり、家族の話もしてるうちにケニア人の中に入っていけたし、スワヒリ語も少しずつ覚えていくようになった。
もう一つ面白いこと言うといたるわ。我々がサポートしてるケニア人の大半がカレンジン族。カレンジン族にはな、同じ部族内での窃盗は犯罪やけど、他の部族から牛を盗んでくることは犯罪ではなく、ヒーローやという文化を持ってる。
自己中と言えば、自己中なんやけど、まあそういう歴史がある。だから、俺らがよそもんやと思われている間は、絶対にあいつらは俺らの金を盗みよるぞ。同じ仲間やと思わせへんかったら、絶対に上手くいかん。でも、あいらも根は単純やからな。仲間は尊重する。
欧米のマネジメントは金だけ出して、現地にはほとんど行かんし、行っても外国人用のホテルに泊まってる。俺らは現地の中に入っていってそのあたりで差別化していけば良いんじゃないか。どうせ、アシックスやアディダスには資本力では勝てんやろ。だから、行動力で差別化を図っていきたいと思ってる」
「なるほど、なるほど、それはでもなんか面白そうですね。やっぱり、皆から喜ばれるような商売がしたいですもんね。そうなると、あれですね、パブロ・エスコバルみたいに将来的には、ケニアで学校とか病院を作るのも良いですね」
「せやな。まあ、学校とか病院はある程度あるかなという感じではあるから、やっぱり1にも2にも雇用を作ることじゃないかな。貧乏っていうのは、やっぱり良くないよ。親の経済力が子供の教育にも影響与えるしな。
パブロ・エスコバルもそうやけど、俺も全部きれいごと言うつもりはない。やっぱり金儲けてなんぼやで。金がなかったら、あいつらの人生は変わらんからな。それにケニアでちょっと親分みたいになってみたいっていうのもあるしな。
東京の金持ちは、庶民が入れないような高級な店に入るのがステータスで、逆に居酒屋みたいなところにいるのを見られたら、恥ずかしい、一方で、大阪の金持ちは同じ金で人いっぱい呼んで、餃子の王将とかで全部金払いたいらしい。
偏見やけど、外れてないような気もする。俺は完全に大阪側の人間やな。人いっぱい引き連れてなんか面白いことしてみたいな。まっ結局はマラソンになるんやろうけど」
「良いですね!外国人だと参考記録扱いされることも多いですけど、出場は認められるわけですから、京都選手権とか日本選手権とかライオンズの選手で埋め尽くせたら面白いですね!」
「各種ロードレースも全部ライオンズの選手で総なめしたったらええねん。絶対実業団連盟とか日本陸連とかがなんか言うて来よるけどな」
そう言いながら、池上は豪快に笑っていた。心底面白くてたまらないといった感じの笑いだ。深澤がそれに続ける。
「本当にそういうことが出来れば、我々の宣伝広告にもなりますし、我々からしたら正直日本陸連とか実業団とか関係ないですもんね。金さえ稼げれば良い訳で。別に名誉も尊敬もいりませんしね」
「名誉で飯食えたら、誰も苦労せんわ。世の中を動かしてるのは、お金であり、経済や。公務員とかでっかい企業で、あぐらかいて金もらっとるやつらにああだこうだと言われる筋合いはない。実業団みたいな大企業で働いてるやつらに俺らベンチャーの苦労なんか分かる訳がない。その代わり、我々は我々で好きなようにやらせてもらう。
それで、人生にチャンスのない人たちにチャンスを与えてあげることが出来るし、ホンマやったら知ることが出来ないはずの情報と自己実現を提供することが出来るんやから、胸張ってやったらええねん」
そこで、深澤がフフッと小さく笑った。
「立場が変わると面白いものですね」
「えっ何がや?」
池上には急に深澤の態度が変わったのが、腑に落ちなかった。
「昔は自分が池上さんに色々理念を語ったものですが、今は逆に自分が池上さんの話を聴いて行動を共にすることになるとは」
「なんの話や?」
「覚えてないんですか?1945年、眼前に広がるドーナ山脈を見上げながら・・・」
何故ウェルビーイングライオンズTシャツやウェルビーイングのロゴが白と黒を基調としているかご存知ですか?
黒は死を白は生を表す色です。陸上競技で負けても死ぬことはありませんが、それだけ真剣にやりますという決意表明の為の色です。
真剣という言葉も木刀なら負けても死ぬことはないけれど、真剣でやれば負けたら死にますから、命を懸けるつもりでやるという意味の言葉です。
一所懸命という言葉も、鎌倉武士が一つの所を命を懸けて守っていたために出来た言葉です。
あなたも同じ気持ちで真剣に走りませんか?
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