低強度走の重要性を見直そう
- 池上秀志

- 11月16日
- 読了時間: 15分
突然ですが、あなたは今までで一番高い本っていくらで買いましたか?
「いや、そもそも本って数百円からせいぜい3000円くらいじゃないの?」
と思われているかもしれませんが、数万円のものもありますし、私が知る限り今までで一番高い本は1冊5000万円です。そうです、家よりも高いです。逆の方面から書けば、そのくらいの金を積まれなければ教えたくないという情報が世の中にはあるということです。
私で言えば、一番高い本は3万円台の本を何回か買ったことがある程度でしたが、つい最近2万円の本を買いました。まだ、届いていませんが、今からとてもわくわくしています。
その本はジェリー・リンドグレンという男の本です。
この男とあなたと何が関係あるのかということですが、おそらくこの男の存在を知れば、もう一度適切な練習量というものをあなたは考え直すでしょう。
一体、人間の持久系能力、それも5000mからフルマラソンまでの能力を最大限に引き出す為にはどのくらいのトレーニング量が必要でしょうか?
私の結論は週に200キロ前後です。150キロから250キロというところでしょう。これでも、多くの市民ランナーにとっては充分に多いと感じる練習量だと思います。
では、ジェリー・リンドグレンの練習量は一体どのくらいだったのでしょうか?
おそらく、あなたは腰を抜かすでしょう。
なんと、年間通して週に約380キロを走り続けたのです。つまり、月間で言えば、1600キロを走り続けたのです。年間通してですよ。
その中でも、一番多い時期には月間2000キロを超えていました。多分、ほとんどの人の車の月間走行距離を超えるのではないでしょうか。平均すると毎日70㎞ですからね。
もしもこれで彼が5000m17分レベルのランナーであればまだ納得できます。だって、質を無視すれば良いんですから。練習の質を落とせば練習量というか、走る量は増やせるでしょう。
ゆっくりでも良いからたくさん走れば5000m17分台では走れるだろうなーとは思います。
しかし、5000m17分台なんてものではありません。彼は超一流のランナーでした。それもハーフマラソンやフルマラソンではなく、トラックランナーです。
5000mは13分33秒、2マイルの自己ベストは12分53秒、そのままイーブンペースを刻めば、5000mは13分25秒、これがなんと1968年の記録です。
瀬古さんや宗さんご兄弟よりもまだ上の時代と書けば、なんとなくぴんっと来るでしょうか。
同年代と言えば、君原健二さんや円谷幸吉さんになります。
もう少しなんとなくピンっと来そうなものを書くと、ジェリー・リンドグレンは1964年の方の東京オリンピックの10000mで9位、先日お亡くなりになられた長嶋茂雄さんの現役時代が1958年から1973年であったと記憶しています。なんとなく、その時代感で、すでに5000m13分25秒で走っていたのです。
これは私は記憶にとどめておく価値があると思います。なぜならば、多くの人からすると週に200㎞のトレーニングは人間の限界値のように思えると思うからです。
おそらく、多くの方にとってはプロ選手だから週に200㎞走れるけれど、人間の限界はそのあたりで普通の人間は週に80㎞でも充分に凄いと思われているでしょう。
しかし実際には、週に200㎞程度のトレーニングは人間の限界値よりもはるかに下なのです。ただ、どうしても練習量があまりにも増えると練習の質が落ちがちなのと、故障のリスクが増えるのとあとは単純に、月間1600㎞ということは1日平均54㎞ほどになりますから、時間的に難しいというのはあるでしょう。
ちなみにですが、同時代にコーチとしてご活躍されたのがアーサー・リディアードです。彼の指導するピーター・スネル選手の800m1分44秒は現在の日本記録よりも速く、1500m3分37秒は現在の日本記録とほぼ同じ記録です。同じリディアード門下生のバリー・マギーは5000m13分39秒、マレー・ハルバ―グは13分35秒、現代でも充分に通用する記録ですし、現代のタータントラック、スパイクシューズ、競争相手と走れば、全員幾分記録は伸びるでしょう。
そのアーサー・リディ―ドも走り込みの時期には週に250-300㎞を走らせるコーチとして有名でした。もしかすると、週に100マイル(160㎞)の走り込みで覚えている人もいるかもしれませんが、それはあくまでもメイン練習に限定した話です。
彼が著書にマラソンコンディショントレーニングや有酸素ランニングと書くメイン練習としての持久走は様々な資料から読み解く限り、最大心拍数の70-80%のランニングと考えられます。
つまり、「初マラソンを2時間30分18秒を出した男のトレーニング戦略」の中に出てきた130ランニングに一致するのです。最大心拍数が180であれば、130は最大心拍数の70%から80%に該当しますから。
そして、そのリディアードも初めから週に250-300㎞という数字に落ち着いたわけではありません。週に80㎞から500㎞までいろいろなペースで試した結果、週に250-300㎞の総練習、そして、最大心拍数の70-80%くらいの強度で160キロという数字に落ち着いたのです。ということは、だいたい週に100㎞からそれより少し多い練習の低強度走があるということです。
朝に15㎞の低強度走、午後は15㎞の中強度走と25㎞の低強度から中強度走を繰り返し、週に1回は35キロの低強度から中強度走、これでだいたい週に250‐300キロの練習になります。
ちなみにですが、マイルの国の人だからキリよく100マイルと言っているだけで、キロメーターの国の人であれば週に150キロと言っていた可能性は大いにあると私は思っています。
練習というのはそういうもので、数字はあくまでも目安でしかないからです。
では、これだけの膨大な練習量の時代を変えたのは一体誰でしょうか?
これは評価は難しいですが、私が一人名前を挙げるとすればロン・クラークです。彼の出現前の10000mの世界記録は確か28分20秒くらいでした。それを一気に27分半くらいまで引き上げたのです。
私が知る限り、彼は1㎞3分前後という速いペースでテンポ走をするようになった世界で初めての選手でもあります。インターバルトレーニングに関して言えば、それ以前の選手も速いペースで多くの本数をこなす人はいました。
しかしながら、1km3分ペースという高速ペースでテンポ走の距離を16㎞(10マイル)まで伸ばした選手は彼が世界で初めてです。あくまでも、私が知る限りの話ですが。
それ以降、10000m以上の距離の世界記録は飛躍的に伸びました。同時に、練習量の増加はやや落ち着き気味になり、多くても週に300㎞、だいたい週に200㎞前後に落ち着くようになったのです。
どうでしょうか?
このように世界のトップランナーの練習の歴史を振り返ると、また面白いものが見えてこないでしょうか?
1970年あたりまでは練習量を増やせば増やすほど、記録が伸びていった時代なのです。
1950年代にインターバルトレーニングが活発になったことも大きな要因の一つです。
つまり、1970年以前はとにかく基礎スピードと基礎持久力を向上させることで記録が伸びた時代なのです。
ところが、1970年以前のランナーというのは中距離や5000mでは現在でも通用するくらいの記録を残しながら、フルマラソンになると私より遅いか、私より少々速い程度なのです。
私の5000mの自己ベストが14分20秒、しかし1960年代には5000m13分半前後で走る選手がそれなりにはいたことを考えると、当時の世界のトップランナー達がフルマラソンを私と同じフルマラソン2時間13分前後というのは少し物足りないものがあるでしょう。
そもそも世界記録がまだ2時間12分台とかその程度の時代なのです。理由は単純でスピード持久力を養うような練習、つまりレースペースの90%以上の練習量が不足していたからです。
これを大きく変えた初めの選手は瀬古利彦さんであり、宗さんご兄弟でしょう。
瀬古さんの師匠の中村清先生はアーサー・リディアードからトレーニングを学び、彼が短い1500mや5000m、10000mの選手が最後に仕上げていくのに、タイムトライアルを使っているのに目をつけて、マラソン選手にもそのまま応用して、20㎞や30㎞や40㎞のタイムトライアルを導入したのです。
宗さんの場合は、試行錯誤の結果として、駅伝を上手くスピード練習として使いながらも、自分たちでもペース走という名前で、タイムトライアルよりはやや抑えたくらいの練習を導入するようにしたのです。
宗茂さんの2時間9分5秒は当時の世界歴代2位の記録でしたが、のちに1位の記録はコースが短かったことが判明しているので、申請してれば当時の世界最高記録でした。
瀬古さんに関しては、ご本人も著書の中で「記録だけ狙えば2時間6分は出た」と記されていますが、それは私もそう思います。練習の記録を見る限り、2時間6分台は出たでしょうし、5000m13分24秒という記録から考えても2時間6分台から上手くいけば5分台は出たでしょう。
では、なぜ記録が出なかったのかというと(と言っても2時間8分27秒の自己記録を持ち、一時は世界歴代3位の記録であった)、指導者の中村清先生の「石橋をたたいても渡らない。なぜなら橋の下に爆弾がしかけれられているかもしれないから」という教えを守り、最後の最後まで前に出なかったからです。
やっぱり勝つことだけを考えたら、最後まで人の後ろについてなるべくリラックスして力をためておく方が良いです。元中距離選手の瀬古さんならなおさらです。
しかし、特に1983年の東京国際では35㎞から40㎞で17分かかっても前に出なかった、これはいくらなんでももったいなかったように思います。ここで前に出ていれば、あと1分半は速くなって2時間7分一桁くらいは出たでしょうし、35㎞から40㎞が15分20秒なら2時間6分台にのっていた計算になります。
まあまあ、私の瀬古さん好きはこのくらいにして、現在私が市民ランナーさんを指導させて頂く上では、こういった歴史的背景も踏まえてはいます。
やはりね、練習量を増やさずに到達できる記録には限度があるんですよ。
そして、多くの人があまりにも低強度走の練習効果を過少評価しています。低強度走でも良いから練習量を増やすことで記録は大きく伸びるのに、あまりに多くの人がVo2MaxインターバルやLT走、マラソンレースペース走といった練習にとらわれ過ぎています。
こんなものははっきり言ってしまえば、印象操作、情報操作の世界の話です。なんとなく最大酸素摂取量がどうのこうの、血中乳酸濃度がどうのこうのと言った方が科学的に聞こえるし、科学的に聞こえるとなんとなく練習効果を感じるというそれだけのことであって、それ以上のものではありません。
何故か練習量を増やすというとすぐに「根性論」とか「脳筋」と言われてしまいますが、低強度走という楽な練習量を増やすだけで記録が伸びるのであれば、こんなに効率が良いことはないではないですか。
この観点から考えても、少ない走行距離で結果を出すのがコスパが良いと考えるのも、非常に一面的で狭量な見方であることがお分かり頂けると思います。だって、練習の強度が高いということは生物学的には多くのコストを支払っていることになるのですから。
しかし一方で、世界記録の変遷というものを見れば、際限ない練習量の増加に終止符を打ち、10000m以上の記録の向上に大きな変革をもたらしたのはスピード持久力の概念であることは間違いがありませんし、これが市民ランナーの方が月間300㎞程度の練習量でサブ3やサブエガを達成できる大きな理由でもあります。
しかしながら、低強度走とレースペースの90%以上の二択だけでは実際問題上手くいきません。その中間となる練習がなければ、高負荷な練習に体が耐えられませんし、体が耐えられないということは量を増やせないということであり、量を増やせないということはスピード持久力が向上しないということであり、さらに言えば、そもそも低強度走だけでは走力の向上に限度があるので、高強度な練習のペースが上がってきません。
また、どうせ月に300㎞程度しか走らないのであれば、やはりある程度の質は求めたいところです。
そういった様々な観点から導入し、飛躍的な成果を挙げているのが中強度の持久走なのです。
もう一度視点をもとに戻しましょう。もしかすると、あなたは以前はプロランナーは限界まで練習量を増やしているけれど、我々市民ランナーにはそんな練習量は無理だと思われているかもしれません。
しかし、それは違います。人間の限界というのは週に200㎞なんてものではありません。週に380㎞、月間1600㎞を一年間続けられるくらいの限界値を人間は持っているのです。でも、それが最良のトレーニングかと言われるとそうではない訳です。
ちなみにですが、昔佐川急便に石田さんという方がいらっしゃいましたが、その方も佐川急便にふさわしく、月間1200-1300㎞の練習を半年くらい続けたそうですが、マラソンの記録は2時間13分と私とあまり変わりませんでした。やはり、総走行距離が全てではないのは事実です。
しかしいずれにしても、月間300㎞なんていう練習量は本当に大した数字ではないのです。だから、練習量をもっと増やしましょうとは言いません。増やすに越したことはないですが、それはまあ個人の自由でしょう。
ただ、本日はお伝えしたいことが二つあります。
先ず第一に、月間300㎞が市民ランナーにとっての適量だとか限界だと思っている人がいますが、そんなものは思い込みに過ぎません。そして、その思い込みが心理的な障壁となって進歩を妨げている可能性は大いにあります。
改めて考えていただきたいのですが、1970年以前にプロランナーなんてものは存在しませんでした。
しいて言えば、東側諸国にはほぼほぼスポーツだけで生活していた人がいたのと、「日本は世界で唯一成功した共産主義国」との皮肉の通り、日本は実業団という共産主義と資本主義を足して2で割ったような仕組みを作りました。その実態もまさにプロとアマチュアを足しで2で割ったようなものでした。
アマチュアというには環境が整っているが、プロというには仕事が多すぎるという感じです。
しかし、西側諸国にプロはおらず、そして金が動かないからアフリカ人は興味を持ちませんでした。当時の選手はアマチュアランナーとして非常に多くの練習をしていたのです。
もしもあなたが週に60時間以下の労働時間しかないのであれば、週に200㎞のトレーニング時間を確保することは充分に可能なはずです。ついでに言えば、時給が1万円を超えていないのであれば、生産性、すなわち労働の質ももっと向上出来るはずです。
トレーニングで疲れ切って、仕事の能率が上がらないということはないはずです。
繰り返しになりますが、だからあなたがだめだとかそういう話をしたい訳ではなくて、人間の限界というものを知ることで、あなたの心理的な障壁が取り除かれ、一気に進歩し始める可能性が大きにあるということです。
やるやらないは別にして、そしてもちろん職種による限界があることを否定もしません。
ただ、人間の限界を知るだけでも、自分の可能性というものにもっと心を開けるはずです。
そして第二に、多くの人が低強度走の有効性というものをあまりにも過小評価しています。確かに、楽に感じるから練習効果を感じられないというのは非常に分かるのですが、それはそんな気がするだけであって実際には、しっかりと練習効果があります。
ここでは二つ科学的な数字を出しましょう。
あなたが低強度走をしているその時、一体あなたの最大値の何割くらいのエネルギーを生み出していると思いますか?
あるいはやや質問を変えて、安静時の何倍くらいのエネルギーを生み出していると思いますか?
低強度走は楽ちんだから、5000mを全力で走った時の4分の1くらいとか、まあ言っても歩くよりも少しきつい程度だから、安静時の2倍くらいのエネルギーを生み出しているのかなと思われる方が多いですが、実際に計算すると全然違います。
あくまでも、有気的代謝に関して言えばの話ではありますが、低強度走でもだいたい安静時の5倍ほどのエネルギーが生み出されています。そして、5000mを全力で走った時の約8分の5くらいのエネルギーが低強度走では生み出されています。
これは単位時間あたり、つまり1分間に生み出せる量の違いの話です。5000mのレースを全力で走るのはせいぜい週に1回程度が限度でしょう。
一方で、低強度走で週に100㎞程度走ることは段階さえ踏めば、誰にとっても現実的な話ですし、その半分の週に50㎞となると、もはや数か月間の適切な段階さえ踏めば誰にでも出来ると言っても過言ではないでしょう。
1分間に有気的代謝によって生み出されるエネルギー量は5000mを全力で走った時の8分の5倍、そしてそれを10倍から20倍くらいの分量を苦も無くこなせるのが低強度走ということになります。
もう少し端的な数字を出せば、使用している有気的代謝だけを比べると、週に1回だけ5000mを全力で走る人と、週に低強度走だけで50㎞走る人を比べると、週に低強度走だけで50㎞走る人の方が30倍ほど練習効果が高いことになります。
だから、私はまずは練習頻度と練習量を増やすことが基本であると主張する訳です。
さらに、心理的な観点も考慮に入れると、週に1回5000mの全力走だけをやる人は、いつもいつもきつい訳です。いつもいつもきついのに、大して走力は向上しません。
一方で、毎日低強度走だけやる人はいつもいつも楽な訳です。そして、楽な練習で走力が向上し続けます。
そうすると、前者は遅かれ早かれ走ることが嫌いになります。
そして、嫌いになるとやめます。やめるから記録は出ません。
一方で、楽な練習でどんどん速くなる人は、走ることが面白くなっていき、のめりこんでいきます。自然と、継続するようになります。継続するから記録が伸び続けます。
心理的な観点から考えると、低強度走で練習量を増やすことのメリットはさらに大きいと言えるでしょう。あとは単純に、ゆっくりでも良いから走るとストレス解消にもなるし、ご飯もおいしくなるし、寝るのも気持ち良くなりますからね。
こういった様々な観点から考えて、低強度走でも良いから練習量を増やすことのメリットというのは分かっていただけたのではないかと思います。
参考になりますと幸いです。
ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志
追伸
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