レース中の痛みへの対処法
更新日:2月6日
先日ある方から以下のようなご質問を頂きました。
「試合中(走っている最中)での「痛み」 例えばレース中のけいれんや腰がいたくなったりした場合の痛みは?
対処方法としてはロキソニンなどでの応急処置があると思いますが、アドバイスをいただきたく。
痛みの感じ方は人それぞれだと思いますが、痛みを感じない??ようになるためにどのようなことしていけばよろしいのでしょうか?」
という訳で、今回はレース中の痛みへの対処法について書かせて頂きたいと思います。
そもそも痛みとは何か
先ず初めにそもそも痛みとは何かを考えてみたいと思います。実はこの辺りは私の大学時代の研究テーマでもあり、哲学的な観点から答えることも出来るのですが、少し話がそれてしまいそうなので、痛みの機能に焦点をあててみましょう。
一体痛みにはどのような機能があるのでしょうか?
言い換えれば、痛みは我々にどのような恩恵をもたらしてくれるでしょうか?
このように考えると答えは非常に単純で、何か異常が起きていることを我々に教えてくれます。残念ながら、正確に何をすべきかまでは教えてくれません。例えば、その痛みがどこから来ていて、原因が何で、何をすべきかということまでは教えてくれません。
ただ、何らかの異常が起きていることだけは教えてくれます。それを手掛かりに、どこどこの筋肉をほぐそうとか、LLLTを照射して自然治癒力を高めようとか炎症反応を抑えようと人間は考えることが出来るわけです。
あとはマラソン終盤になると脚の痙攣と闘う人も少なくありませんが、あれも筋肉的な限界を教えてくれている訳ですよね。私はあまり痙攣の経験はありませんが、やはり脚が重くなってきて、攣りそうな感覚は出てきたりします。その感覚をもとに少しペースを落とすことによって結果的にその時の自分のベストを尽くすことが可能になります。
痛みは正確か?
では次に痛みは正確かということについて考えてみたいと思います。つまり、痛みが何らかの異常を示すものであるならば、その異常の大きさと痛みの強さは比例の関係性になっているのかということです。異常の大きさという表現が分かりづらければ、組織の損傷度合いと痛みの強さは比例するのかと言い換えても良いと思います。
実はこれは正確ではなく、往々にして痛みは必要以上に強くなるものです。おそらく、その理由は人間の体は全て生死と性を基準に作られているからでしょう。現代社会では普通に暮らしていれば一日三食食うのに困ることはありません。経済がどうのこうの、物価の高騰がどうのこうのと言いますが、米の価格はまとめ買いすれば1キロ約300円です。3時間コンビニでアルバイトをすれば10キロの米が買えます。
腹を満たすだけなら困ることのない国です。そんな国に生きている我々の体においても血糖値が低下すると、中枢神経は集中力や意志力=やる気を低下させます。何故ならば、未だに中枢神経機能は昔ながらのフィードバックとフィードフォアのシステムを持っており、今血糖値が下がり続けているということはエネルギーを節約しないと餓死してしまうと判断するからです。
でも、これも必ずしも間違っているとは言い切れないですよね。可能性は低いですが、何らかの事情によっていきなり向こう5日間食事にありつけない可能性が0である訳ではありません。
痛みも同じで、基本的に体は安全パイで生きさせようとします。マラソンのレースを走り切ることは我々にとっては非常に重要な行事ですが、中枢神経からすると猛獣や外敵に追われている訳でもないのに、走り続けるのは馬鹿げた行為です。ですから、早め早めにストップをかけさせようとします。
では、命がかかっていたら、もっと動けるのでしょうか?
答えはおそらくイエスです。
実際に戦争中ならば、肺に貫通銃創を負ってもその傷に気づかずに闘い続けたとか、腹部の貫通銃創に気づかずに戦闘後5キロ先の味方陣地まで走って帰ってきたなどの例があります。
ちなみに、ハリウッド映画では敵に追われている味方が脚を撃ち抜かれて倒れ込み「俺に構わずに行け」みたいなセリフを残して敵に捕らわれるシーンがありますが、あれもフィクションで、実際には一発程度であれば脚を撃ち抜かれても走り続けられるそうです。理由は当然命がかかわっているからです。
では、命がかかっているかどうかは何が判断するのでしょうか?
これは潜在意識が判断します。要は潜在意識が生死にかかわると判断するだけの臨場感があるかどうかです。戦場ではこの生死にかかわるという臨場感を容易に出すことが出来ます。それは実際に生死に関わるからです。
ちなみに、私はまだ自炊生活浅かりし頃、油で野菜炒めを作っていたところいきなり炎が噴き出してきたので焦って水をかけてしまいました。結果は皆さまご存知の通りで油に水を注ぐと火柱が立ちます。本当に一瞬で天井まで火柱が上がってその瞬間に「うわっこれ借り家やのにどうしよう。えらい金額やで。20歳で数千万円の借金か。なんとかなるかな。ってか横の家に燃え広がらんかな」と頭の中を物凄い勢いで思考が駆け巡り、1秒後には無事に鎮火していました。
そして、その時体中から勢いよくアドレナリンが出ていることに私は気づきました。当時の私は一人で練習するときに思うように追い込めずに悩んでいました。いくら集中しているつもりでも河川敷を一人で走っている時に、レースと同じレースの臨場感を出すことに苦戦していたのです。
そこで私はひらめきました。
「この感覚をいつでも思い出せるように訓練すれば、一人でも良い練習が出来るのではないか」と
友人に話したら「やっぱりお前はあほやな」とあきれられてしまいましたが、今から思えば惜しいところまで行っていました。嗅覚を利用してアンカーとトリガーの関係を作ってしまえば出来たのですが、その当時はまだそのやり方を知りませんでした。
ただ、そのやり方を知っていたとしてもアンカーとトリガーの関係性を強固にするためにはある程度の反復が必要となるので、何度も火柱を立てないといけません。そうこうしているうちに本当に家が燃えてしまうので無理だと思います。
そんな話はさておき、話を痛みに戻しますが、生死に関わるという強い臨場感を作ることが出来れば、痛みを感じなくなるのは間違いないです。私の経験上、一流のアスリートはこの状態を上手く作れる人が多いので、限界近くまで追い込むことが出来る人が多いです。
ただ、そうは言ってもこの世の中で最も臨場感が強いのはこの現実世界です。つまり、実際に生死を賭けている訳でもないのに、生死をかけるような気持ちを引き出すのは難しいです。
最近はどうか知りませんが、私が大学生の頃は箱根駅伝から実業団に上がってモチベーションを維持できない選手が多いことが問題になっていました。箱根駅伝の注目度は陸上競技の中では段違いに高いです。たかが地方の大学駅伝と言っても実際あれだけマスメディアが張り付いたり、観客が詰めかけて視聴率の高いレースというのはそうそうありません。
箱根駅伝だけではなく、大学駅伝の注目度が高く夏合宿にまでメディアが押しかけます。プロスポーツを含めてもキャンプにまでメディアが帯同するのは野球と関東の男子大学駅伝くらいではないでしょうか?
そこから実業団に上がると本来ならば、もう一個上のステージになるはずなのですが、そこまで注目度が上がる訳ではないので、モチベーションを維持できないという選手が多かったのです。これも臨場感の問題ですから、なかなか難しいでしょう。私のようなバカは勝手に「世界は自分を中心に回っている」と思い込めるので、一人でもモチベーションが下がらないのですが、正常な人間には難しいと思います。
ですから、問題点の一つとして生死に関わるという臨場感を出すことが出来れば痛みは感じなくなるはずですが、その状態を作るのが難しいというのが挙げられます。
また、問題点の二つ目として、痛みと組織の損傷具合が比例の関係性にならないのは事実だけれども、何らかの異常が起きているのもまた事実というのもおさえておくべきでしょう。たいていの場合は、痛みを感じてもその痛みほどの問題は生じていません。ただし、だからと言って、問題が生じていない訳ではありません。
人間の体は所詮は自転車や車と同じ物体です。車が故障しても運転手は痛みを感じません。しかしながら、車軸が折れてしまえば痛みも感じないけれどそれ以上走ることも出来ません。それと同じで、人間の体ももはや走行不能なくらい組織が損傷すればそれ以上走り続けることは出来ません。このことは先ず一つ理解しておくべきことです。
ただ、それ以上走れないほど組織が損傷しているのであれば、後悔はないでしょう。
痛みの不思議
痛みと組織の損傷度合いが一致しないことはお伝えさせて頂いた通りなのですが、それ以外にも不思議な現象があります。
例えば、オーストラリアの海軍兵士が訓練中に脚をサメに食べられたのですが、嚙みつかれた瞬間は痛みを全く感じなかったそうです。ただ、不意に脚が動かなくなったので水草にでもからまったのかと思い、脚をばたつかせていました。ところが、それでも脚が動きません。違和感を感じて下を見るとサメが自分の脚に噛みついてました。その瞬間強烈な痛みを感じたそうです。
つまり、この場合においては目視するまでは状況を把握できず、従って脳も痛みを知覚することが出来なかったということです。
またインドネシアの方では火の上を歩くお祭りがあるそうです。その祭りに参加する若者は長老から一種の暗示をかけれらます。暗示状態に入った若者たちは火傷することもなく火の上を歩けるようになるそうです。
ヨガの世界にはこれに類似する話がたくさんあります。鉄の棒を祭司の頬を貫通させ、それで担ぎ上げて運んでいくとか、たくさん鍼のついた板の上に寝そべっても痛くもなければ血も出ないとか(確かに穴は開いている)、日本にも天風会という会があるのですが、そこで行われる修練会では手に釘を打ち込んでも痛くもなければ血も出ないというようなことを実践していたそうです。今はもう創始者の天風先生もお亡くなりになられたので、やっているかどうかは分かりません。
ヨガの世界では周りから見ると難行苦行に見えるようなことをたくさんしていますが、あれは難行苦行ではなくて本来ならば痛いはずのものも心身を統一すれば痛みを感じない、だから心身統一が出来ているかどうかを体で確認するために行うものです。
この場合においては明らかに生死のかかる場面を前にして、痛みを感じなくなるのとは違います。
痛みを強めるもの
そういった痛みの不思議の謎に迫る前に、痛みを強める要素はあるのかと考えてみましょう。
実は痛みを強める要素として不安や緊張が挙げられます。先ほどのオーストラリアの海軍兵士の例を思い返してみてください。この兵士はサメに噛まれているという状況を把握していませんでした。その時には痛みを感じなかったのです。ところが、目視するやいなや「ヤバイ!」という気持ちが体中を駆け巡り痛みを感じるようになったのです。この場合は実際にヤバいので、それで良いのかもしれません。
もっと卑近な例で言えば、小さいころ転んで擦りむいたりして強烈な痛みに泣いてしまったことはないでしょうか?
あの時も思い返してみると、瞬間的に死ぬほど痛いのですがお母さんに抱きかかえられて「痛いの痛いのとんでいけー」とやってもらっていると痛みが急速に引いていきます。初めは、血を見て不安や緊張が体を支配し、強烈に痛みを感じますが、お母さんに抱きかかえられることで安心し、更に「大丈夫、大丈夫」と声をかけてもらうことで更に安心し、痛みが引いていくのです。
つまり、安心や安らぎを感じると人は痛みを感じにくくなり、不安や緊張は痛みを増幅させるのです。
実はランナーにも同じ現象が起きています。大人になると擦り傷程度では泣いたり不安になったりはしません。それは擦り傷程度なら人生で何度も経験しており、痛むけれどたいした問題にはならないことを知っているからです。
ところが、走行中の痛みは実はそうではないのです。擦り傷のように目では見えないけれど、痛みが襲います。そうすると、大抵の人は不安を覚えます。緊張もします。実はこれが痛みの増幅に繋がるのです。気持ちはめちゃくちゃよく分かります。私も腰から下で故障していないところは一つもないくらい故障していますから。
ただ、落ち着いて対処すると大した痛みではないことも多々あります。少なくとも痛みは和らぎます。繰り返しになりますが、これは程度問題です。車のタイヤがパンクしたらもはや正常に走れないのと同じで組織が損傷すればなんともならないこともあります。
でも、なんとかなることもあります。なんとかするにはどうすれば良いのかというと要は緊張と不安の反対をすれば良いのです。それはリラックスすることです。落ち着いた気分を作ると言っても良いです。
ただ、これは口で言うとなんでもないことのように思われると思いますが、実際には訓練をしないと出来ません。少なくとも私は訓練しないと出来なかったですし、大抵の人はそうだと思います。
もしも訓練しなくても出来る人であれば、「自分の中で安らぐ感覚」と書いて分かるはずです。
あなたは「自分の中で安らぐ感覚」と言ってお分かり頂けますか?
分かる人はこれでいけるはずです。
もしも、分かるのであれば痛みを感じたら自分の中で安らいでください。そうすれば、痛みは和らいでいきます。それでいけるはずです。
普通は分からないものなので、もう少し説明させて下さい。
先ず人間というのは普通どこかに余分な力が入っているものです。立っているだけ、座っているだけ、歯磨きしているだけでもどこかに余分な力が入っているものです。そして、そのことに気づくのは余分な力が抜けた時だけです。余分な力が抜けて初めて余分な力が入っていたことに気づくのです。
逆に、余分な力が入っていたときから普通の状態に戻った時の感覚はお分かりいただけると思います。会社の上司とか先輩とか高校時代の恩師とか一緒にいると緊張する人っていませんか?
そして、そういった人と別れた時に、ふっと全身の力が抜けるように感じることってありませんか?
あれが緊張状態から普通の状態に戻った状態です。そして、大抵の人はその通常状態から更にリラックス状態にもっていけるということです。
そして、これは精神的にもそうなんです。それこそ身体的には本来問題がない状態でも、不安や緊張状態が高まればそれだけでどこかが痛くなります。「胃が痛くなる」というのはその最たるものです。心臓が痛む(胸が痛む)とか頭が痛むとかも一部は精神的なものです。
私も一時期、会社経営が大変で胃が痛くなったことがありましたが、我ながら情けないなと思いました。その時はこれから紹介させて頂く瞑想によって治しました。
では、どうやって体から緊張状態を取り除くのかということですが、瞑想を使います。何故瞑想が良いのかと言うと意識的に弛緩状態を作るのに一番良いからです。睡眠状態はもう意識を失っているので、自分でコントロールすることが出来ません。瞑想状態は限りなく外界からの刺激をシャットアウトし、睡眠状態に近づけながらも睡眠状態に入らない最適な方法です。
鉢伏合宿にご参加いただいた際に瞑想講習会を実施させて頂いた時には、どんな姿勢でも一番自分が楽だと思う姿勢を取ってくださいと言いましたが、この瞑想の際には必ず正座か結跏趺坐か半跏趺坐の姿勢を取ってください。実は古来より禅僧やヨガの行者がこの姿勢を取るのには理由があって、下半身を固定することによって弛緩状態が作りやすくなるのです。
正座

結跏趺坐

半跏趺坐
