ハーフマラソン1時間21分で走った陸上経験無しの女性市民ランナーさんに直撃インタビュー!
- 池上秀志
- 5月31日
- 読了時間: 15分
ハーフマラソン1時間15分を目指す陸上競技未経験の女性ランナー、それもほんの3年前までハーフマラソン1時間47分を目指すランナー、このように聞いてあなたはどう思われるでしょうか?
いわゆる一般的な市民ランナー界の反応は「ふんっ、なに言ってるんだ。寝言は寝てから言え」とか「ハーフマラソン1時間15分なんて競技者でも達成できないのに。一体何を言ってるんだ。みそ汁で顔洗って出直してこい」といったような反応でしょう。
比較的理解のある私のブログ読者様ですら「目標は人それぞれで良いんだし、上を目指して走ることは素敵なことじゃないか。是非応援しよう」という温かいお言葉をかけながらも「可能性的にはかなり低い」ことを理解されているのではないでしょうか?
「可能性的には低い」それはその通りかもしれません。
ところが、なんとこの人、仕事を辞め、自らを信じ、ケニア人コーチの下でケニア人ランナー達と共に走り出したのです。
大学院で修士号を獲得後、スウェーデンの貿易開発省で働き、スウェーデン国王とシンガポール大統領との会合を設ける係りを務めるなどするエリート中のエリートであるにも関わらず。
「ん?どっかで聞いたことのある話だぞ」と思われた方もいらっしゃると思います。
そうです。5月1日よりうちの会社に来てくれた水越進一と同じです。彼も走ることが好きすぎて前の会社を退職し、ケニアに2か月ほど武者修行に行き、帰ってきて長野マラソンで私に会い、最終的にうちの会社に流れ着きました。
そして、彼もまた実は陸上経験無しの状態でハーフマラソン1時間10分で走っています。
こちらの方が女性版水越なのか、水越が男性版のこちらの方なのか分かりませんが、本日は3年前のハーフマラソン1時間47分からすでに1時間21分まで記録を伸ばされたモア・シュタールベルグさんを紹介させて頂くとともに、一番最後にはモアさんとのコーチのインタビュー内容をお届けさせていただきます。
先ほどモアさんのことをエリート中のエリートと書かせて頂きましたが、実は彼女は6か国語を操ります。残念ながら、その中に日本語は含まれていませんが、スウェーデン語、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、中国語を話されます。
ちなみに、私はあまり中国語には詳しくありませんが、中国語の中にもいくつかあるそうで、英語でマンダリンと呼ばれる中国語を話されるようです。
そんなモアさんが多言語を話されるのは数奇なその人生にあります。6歳までは母国のスウェーデンで過ごされていましたが、6歳から12歳まではフランスで過ごされていました。その後、17歳までをブラジルで過ごし、1年だけスウェーデンに戻って高校を卒業されました。
私はあまり詳しくはないのですが、国際バカロレアという国際学校があり、それがブラジルとスウェーデンの両方にあるので、カリキュラムを引き継いで高校卒業ということになるそうです。
その後、大学はスウェーデンの大学に進学されました。大学ではそのうちの半年ほどを交換留学生として、学士過程においてバルセロナに半年ほど、修士課程でマドリードに半年ほど滞在され、そこでスペイン語も話せるようになったそうです。
更に、コロナのせいで全てがオンライン講義になった際には、ご自身で勝手にポルトガルとシンガポールにわたり、そこで授業を受けておられたそうです。元々旅が好きで世界中をめぐるのがお好きだそうです。
さらに、修士課程の最後はスカニアアジアという大会社の研修生として、シンガポールに滞在し、修士論文を書き上げて修士課程を修了すると、そのままスウェーデン政府の貿易開発省の中の貿易機関の一員としてお仕事をされるようになりました。
そこで、先述のスウェーデン国王やシンガポール大統領も顔合わせする一大イベントの調整役をしたりといったスウェーデン政府のお仕事をされていました。
そんなモアさんですが、いつ走り始めたのかというと、話は幼少期まで遡ります。元々は乗馬をされていました。6歳から乗馬を始め、フランス在住中には4度のフランス王者(女王?)に輝き、世界選手権にも出場をされました。




その間、毎日毎日馬に乗られていたそうです。
ウェルビーイングオンラインスクールの受講生様の中にも近代五種で乗馬をされていた方がいらっしゃいましたが、ウェルビーイング関連ではその方とモアさんしか乗馬経験のある人は私は知りません。
そんな特殊な趣味をされていたのですが、ブラジルからスウェーデンへと帰る時、馬を置いていかざるを得なかったそうです。フランスからブラジスへと馬を持っていくことができたのですが、もうその馬も歳を重ねており、移送の負担など色々考えた末に、ブラジルにおいていくことにしたそうです。
そして、ブラジルからスウェーデンに帰ったのち、モアさんは毎日空虚な日々を過ごしていたそうです。6歳から毎日毎日乗馬をしていたのに、それがなくなりぽっかりと心に穴が開いたように感じたそうです。
そんなモアさんが次の情熱を捧げるのに選んだのがランニングでした。モアさんをランニングの世界に引き込んだのはお父様です。お父様も週末はトレイルランニングなどを楽しむランナーさんでした。
モアさんもそんなお父様とランニングを楽しみながら、世界中を転々と色々なレースに出場されていたそうです。

しかしながら、勉学もあり、就職後もお仕事が充実されていたこともあり、そこまでランニングにのめり込むことはありませんでした。そんな中で、シンスプリントに数か月苦しみ、故障で走れないという辛い経験をされました。その時に、日常生活でも着圧式靴下を履くと痛みがマシになるので、ずっと着圧式靴下を履いておられました。

ご存知ない方の為に説明させて頂きますと、タイツや靴下など衣類に圧をかけることで血液が心臓に返りやすくする衣類が販売されており、血液やその他体液の循環を良くすることで新陳代謝を活発にし、疲労の回復を促進させるのです。コンプレッションウェアという横文字で販売されていることが多いです。

私自身も着圧式靴下はよく使います。
私の場合は冷え性であることもあり、余計に役立ちます。
そんな着圧式靴下を履いていたモアさんですが、その時に色々な方から「それおしゃれだね!どこで買ったの?」というようなことを尋ねられたそうです。
モアさんからすると、シンスプリントの痛みを和らげるため、あるいは治療のために履いていたものだったのですが、オシャレアイテムとして多くの方が興味を持ったことにモアさんは興味を持ち、「着圧式靴下であることを知らないのにこんなにも多くの人が興味を持つのであれば、本格的に広めようと思えば、もっと広まるのではないか」と思われました。
それで、着圧式靴下のブランドを立ち上げようとされたのですが、その際に先述のお父様が「どうせやるなら、他の衣類も販売しなさい」とおっしゃったそうです。つまり、着圧式靴下だけではなく、ランパン、ランシャツなどランニングウェア全般を作って販売するようにという助言をされたそうです。
そうやって立ち上がったのがノルディックティゴン (Nordic Tigon)というブランドです。

ここで突然ですが、あなたは「龍虎相搏つ(りゅうこあいうつ)」あるいは「龍虎相搏(りゅうこそうはく)」という言葉をご存知でしょうか?
龍も虎も強い生き物の象徴であり、非常に強い二人の人間や組織が戦うことを龍虎相搏と表現するのです。
例えば、プロ野球の日本シリーズなどはまさに龍虎相搏の一戦です。
あるいはラスト100mまでタンザニアのジュマ・イカンガ―選手と瀬古利彦選手がしのぎを削った1983年の福岡国際マラソンはまさにマラソン史上に残る龍虎相搏の一戦でした。
このように龍も虎も強いものの象徴なのですが、ではその龍と虎が手を組んだらどうなるのでしょうか?
皆様は私と深澤が手を組んだらウェルビーイングになると言って下さるかもしれませんがウェルビーイングの象徴は荒獅子です。
タイガーとドラゴンが手を組むのでティゴンになります。そして、ノルディックとは北欧のという意味合いです。欧州の北という意味で言えば、アイスランドやアイルランドも北欧になるのかもしれませんが、普通は北欧というとスウェーデン、ノルウェー、フィンランドを指すことが多いです。
モアさんはスウェーデン人なのでノルディックティゴンというブランドになります。
そして、このブランドを宣伝するため、それから単にランニングウェアを販売する為だけではなく、さまざまなランニングに関する知識が学べるようなプラットフォームを作りたいとの思いからご自身も真剣に走り出すようになりました。
それで、2024年の夏よりご自身で色々とインターネット上の情報を集めてトレーニングをより真剣に開始され、レースに出場されるようになりました。
そして、クアラルンプールで開催されたハーフマラソンで1時間37分の記録で5位に入られると、ケニア人コーチから一緒に練習しないかとの誘いを受けました。


日本人からすると「その程度の記録で?」と思われるかもしれませんが、私が思うに二つの要因があると思われます。
先ず第一に、東亜もしくは東南アジアと呼ばれる一帯の中では日本でもまだ涼しい方です。シンガポール、インドネシア、ミャンマー、台湾、どこもかしこも温暖で湿度も高い地域が多いです。日本でいえば、沖縄を想像して頂けると分かりやすいと思います。
マラソンも駅伝も冬のスポーツであり、温暖な地域、それも高温多湿な地域では人気は出ません。
また、文化的にも日本のマラソン、駅伝に対する熱は世界的に見てもかなり高いです。こんなにも幅広い人から駅伝とマラソンが受け入れられている国はありませんし、中でも駅伝は日本独自といって過言ではありません。
日本に住んでいると、野球、大相撲、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ゴルフなどなど人気のスポーツが多数あるので実感しにくいのですが、見るのが好きな人、市民ランナーとして走るのが好きな人、いわゆる競技者として走っている人、全ての層を総合的に考えて、日本は世界一のマラソン、駅伝大国と言えるのですが、東南アジア諸国ではそんなでもないので、女性の1時間37分はまあまあ速いのです。
それに加えて、ケニア人のオープンマインドがだいぶ影響しているでしょう。よく日本人はよそ者に厳しいと言われます。私もそう思います。ただし、補足するのであれば、入り口は厳しいが一度懐に入ると親切なのが日本人、入り口はゆるゆるだけれど、一度中に入るとトラブル続きになるのがケニア人と言えるでしょう。
そんな訳で、おそらくモアさんもケニア人コーチ及びランナーさん達に受け入れられたのでしょう。そのケニア人の一団は台湾にトレーニングキャンプを持っているそうで、モアさんも台湾へと移動し、そこでケニア人ランナー達と練習に励みました。
その過程で、自らが開発中のランニングウェアを着用するとともに、ケニアのエリートランナー達にも着用してもらい、フィードバックを得乍ら改良を繰り返していき、商品開発に勤しみました。



現在は上海で工場を回ったりして、最終調整の段階ですが、ケニア人コーチのトーマスさんと連絡を取りながら練習を進めているそうです。
ちなみにですが、金の動くところに人とモノが動くのは世界の常であり、ランニング界も例外ではありません。
特に、ケニアとエチオピアは国自体がそれほど豊かではない上に、国土全体が高地なので、基本的には力のある選手は国外に出ていきます。最近はアジアも非常に多くの賞金が出るようになっているので、アジアのレースに出ることが多く、中国のレースは結構前からケニア人には人気でした。
シンガポールもそのうちの一つです。
そんなこんなで、2024年の12月にモアさんはスウェーデン政府の為に働くお仕事をやめ、ノルディックティゴンの立ち上げとランニングに専念されることに決めました。
そして、現在すでにハーフマラソンで1時間21分を記録されています。
私が兼ねてよりずっと思っていたことがあるのですが、日本に住んでいると多様な生き方というものが少ないように感じています。それが悪いとは思いません。秩序が保たれているのはとても良いことですし、民族や宗教の対立、争いというものが世界的に見るととても少なく、治安も保たれていると思います。
諸外国に住まれた方はよくご存知だと思いますが、日本にはいわゆる「変な人」というのがあまりいません。
もちろん、中には犯罪者も一定数います。ただ、普通に生きていると公園で朝から意味の分からないことを叫んでいる酔っぱらいとかゾンビみたいに徘徊している薬物中毒者とか、「交通費がないからバス代をくれ」と言われて小銭を渡したらそのまま酒屋さんに消えていく浮浪者とか、そういう人はほぼ見かけません。
そういう治安や秩序が保たれていることは良いことである反面、「普通」というものに縛られ過ぎている面が大きすぎるように思います。
市民ランナー界でも「元陸上競技部」か否かということが言われ過ぎているような気がします。
要するに、こういう人はこういう人生をあゆみ、そういう人生を歩んでこなかった自分には無理みたいなそういう風潮を物凄く感じるのです。
例えば、良い大学を出ていないと良い人生を歩むのは無理とか大企業に就職しないと良い人生を歩むのは無理とか、元々の運動経験がないと長距離走、マラソンで活躍するのは無理とかそういった風潮です。
ですが、欧米では30歳くらいまでに自分の人生が決まれば良いくらいのもう少し緩い感じを受けます。
もちろん、欧米でも学歴はものを言いますし、特にアメリカではドクターというのは結構社会的なステータスで、航空券を予約する時も博士号を持っている人はミスターでもなくミスでもなく、ドクターの敬称で予約をするなど社会的な認知度が凄いです。
その一方で、20代はまだ自分の人生があまり決まっていなくて、色々なことに挑戦するというようなことが日本よりは一般的かなと感じます。
話を元に戻しますが、「元陸上競技部は特別」というような空気を物凄く感じる日本のアマチュアランニング界において、モアさんや水越のような人が希望を与えてくれると良いなと個人的には凄く思っています。
具体的に、どんな練習をモアさんがされているのかとか、どんなことを考えて生活しているのか、もっと知りたいという方もいらっしゃると思います。
モアさんご自身がコーチのトーマスさんにインタビューされたものを私が日本語訳させて頂きましたので、ご希望の方は下のボタンをクリックしてダウンロードしてください。
それから、実は現在ウェルビーイングのユニフォームもノルディックティゴンと共同で作成を依頼しております。是非出来上がりを楽しみにお待ちください。
また、モアさんと共同のランニングイベントも日本で開催予定ですので、楽しみに詳細をお待ちください。関西と名古屋で開催予定です。
追伸
私のモアさんの出会いは偶然でした。2023年のクアラルンプールのハーフマラソンに出場し、私が3位に入った時、モアさんも入賞されており、その時にインスタグラムのアカウントをお互いに交換していました。
それから、約1年間は音沙汰がなかったのですが、約1年後にモアさんの方から連絡を頂きました。曰はく「今年もクアラルンプールのハーフマラソンに出場して、日本人にこの人知ってる?とあなたのアカウントを見せてみたら、その日本人の方が「知ってるよ。この人は日本でとても有名で、皆から尊敬されている人だ」と言ってたよ」とご連絡を頂くようになり、そこから連絡を取るようになりました。
全くもって世界は狭いものだと思います。
しかもその後、彼女も安定した職を捨て、起業家としての道を選びながら走ることをご決断されました。
私自身は初めから就職の道を選びませんでしたが、一応大企業からお誘いを頂いておりましたし、教員免許も取得していたので公務員になる道もありました。
しかしながら、やっぱりモアさんや水越と同じ道を遅かれ早かれ選ぶことになったでしょう。
似たもの同士は惹かれ合う、これが世界の真理だと思います。
追追伸
現在モアさんは中国に滞在されていますが、欧米人からすると苗字が先で、下の名前が後というのは馴染みがないようです。更に、ややこしいのは日本人のように日本語を話すときは苗字が先で、下の名前があとなのに、英語を話す時だけ下の名前を先に、苗字を後に言う人がいることです。
それで私のどちらがラストネームでどちらがファーストネームかと聞かれました(また質問の仕方がややこしい)。そこで、私はファミリーネームが池上で、私自身の名前が秀志だと答えました。日本人は普通私のことを池上と呼ぶ、それが普通だからだと答えると、「じゃあ私はなんと呼んだら良いのか」と聞かれました。
社長はプレジデントですが、何となく大統領という意味もあるので嫌だなと思ってとっさに出たのが「キャプテン」。そんな訳で、現在はキャプテン池上で通っています。
ちなみに、なんとなくのなんとなくのなんとなくの記憶しかないのですが、前世では東洋平和のために命を捧げた記憶があります。満州、北支、アッツ島のような寒い地域ではありません。
かといって、沖縄、ペリリュー島、マリアナ諸島(グアム、サイパン、テニアン)、パプアニューギニア、ラバウルのような太平洋の島々でもなく、ミャンマー、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア一帯です。
海軍じゃなく、航空隊に配属された訳でもなく、歩兵をやっていました。
大東亜戦争末期にそういった地域からフィリピンの山下大将のもとへ送られる予定で輸送船に乗ったのですが、その輸送船を米軍の魚雷に沈められてこの世を去りました。
一兵卒でもなければ、大出世を遂げた訳でもなく中隊長か小隊長をやっていました。ということは階級は大尉か中尉ということになります。とっさに口から出たキャプテンは大尉にあたる階級です。
本当は大将や中将を意味するジェネラルとでも言いたかったところですが、パッと口に出たのはキャプテン。
中隊はだいたい300人から100人くらいですが、確かにウェルビーイングも発展したとしてそのくらいの規模感かなという気がします。100人でも正直、全員をきちんと教育するのは至難の業です。
現在は社員教育にもオンラインスクールを活用して、可能性を探っているところですが、前世も今生も私は中隊規模を指揮するのが精一杯の男なのかもしれません。
数は少ないけれども、全員きちんと可愛がってやるにはそのくらいの規模の方が良いでしょう。
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