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貧困から抜け出さんとするケニア人ランナーの生活実態に迫る

皆さん、こんにちは!


 今回は貧困から抜け出さんとすケニア人ランナーの生活実態に迫っていきたいと思います。


 先ず簡単に概要を説明させて頂きますと、世界のマラソンでもケニアはトップですが、実はその中でも特にトップなのはイテンという町です。他にもエリュード・キプチョゲ選手のンいるカプタガット、ンゴング、エルドレットといった町がありますが、ケニア国内でも強いのはその程度の規模なんです。


 日本に来る留学生やケニア人選手は比較的都市部のンゴングのあたりの選手が多いです。一方で、強い選手が一番多いのは田舎のイテンです。では、何故イテンの選手が強いのかということですが、これは完全に文化的なものです。


 ケニアを長距離大国にしたのはブラザーコルムという一人のアイルランド人の宣教師です。彼がセントパトリックハイスクールの指導者になってから急激に力をつけ、それをみて自分もやってみようと挑戦する人たちが増えました。このあたりのことは過去のブログ記事「ケニアをケニアにした男」の中にその指導方法なども詳しく書いていますので、興味のある方はそちらの記事を参照してください。


 そのセントパトリックハイスクールがあるのもイテンです。


 そして、ロードレース、マラソンが強くなり始めたのは1990年になってからです。理由は単純で、その頃からロードレースやマラソンの賞金額が一気に跳ね上がったからです。


 またタイミング的には東ドイツとソ連の崩壊の時期とも重なります。それまでは東側の人間は西側に自由に行けなかったのですが、それを機に西側にもいけるようになりました。私のコーチのディーター・ホーゲンも東ドイツの人間でしたが、それを機にアメリカのボルダーに渡りました。


 そこで偶然英国人エージェントのキム・マクドナルド氏に出会い、立ち上げたマネジメントが現在も私が所属するキンビアアスレチックスです。そして、彼らはケニア人選手をサポートすることに決め、イテンにトレーニングキャンプを持ち、選手の育成にあたりました。


 その年にサミー・リレイ選手がマラソンで当時の世界歴代2位の2時間7分06秒を出したのを皮切りに次々とメジャーマラソンで入賞する選手が出てきて、大金を手にして人生を変えてきました。それを見た人たちがまた自分たちも挑戦するようになりました。それがイテンという町がマラソン大国になった一つの理由です。


 そして、もう一つの理由はイテンが田舎だということです。


 都市部は都市部でスラム街が広がり、私もスラム街を車で走る時は窓を閉めろと言われたものですが、なかなかの光景が広がっていました。


 しかし、都市部はまだ比較的仕事があるし、中には裕福な生活をしている人たちもいます。ナイロビなんかはまさにお金持ちはめちゃくちゃお金持ちといった感じです。


 一方で、ここイテンはどうかというと仕事はほとんどありません。だから、ビジネスオーナーが非常に多いです。会社員や公務員としての仕事はほぼないのです。


 そうなってくると、どうせチャンスが他にないのだから自分は走ることに賭けてみようと思う人がたくさん出てきます。先述の通り、文化的なものもあり、皆がやっているから自分も一緒にやろうと思える環境もあります。


 人間というのはやはりどこの国でも一人でやるより10人、50人、100人でやる方が心強いものなのでしょう。


 さて、そんな背景もあり、ここイテンで走っているウェルビーイングライオンズの選手の生活実態に迫りたいと思います。ウェルビーイングライオンズは弊社の有料会員制プラン克己会員様のスポンサーによって成り立っているチームです。


 有料会員制プランで会員様は長距離走、マラソンが速くなるための限定情報が見られるようになっています。


 そして、そこからの収益でチームの活動費を捻出させて頂いています。


 今回はウェルビーイングライオンズのラエル選手の生活実態に迫りたいと思います。

 実は昨日私はラエル選手の自宅にお伺いしたのですが、それには理由があります。今週の日曜日にナイロビシティマラソンに出場するのですが、ラエル選手はスマートフォンを持っておらず、私と連絡が取れないため、直接口頭で説明するしかなかったのです。


 また、私はもう一つの懸念も持っていました。それは彼女があまりにも無学であることです。だいたい傾向として見られるのはその選手の生活レベルがその選手の教育レベルと関連しているということです。


 つまり、貧困は親から受け継がれ、その為教育をまともに受けられず、その結果としてその選手も貧困レベルが強くなるという傾向があります。


 うちの選手には英語がまともに話せない、書けない選手がたくさんいるというか、ほぼ全員です。これは日本人が英語が話せないのとは訳が違います。


 何故なら、ケニアでは英語とスワヒリ語が公用語だからです。どちらに重きが置かれているかは地域によって変わり、学校の授業は英語で行われることもあれば、スワヒリ語で行われることもあります。


 スワヒリ語というのはどうも元々文字の無い言語であるようです。その為、スワヒリ語でもアルファベットを使用するので、アルファベットへの親しみは日本人よりはるかに強いです。


 将棋の坂田三吉さんなんかは、1とか2とか3とか書くと「英語の数字は読めんから、日本語で書いてくれんか」と弟子に頼んでいたそうです。うちの祖母も似たようなものです。学生時代が戦中ですから敵性言語です。


 でも、ケニアでは学校でちゃんと英語を習うし、国の公用語なので、テレビとか新聞は普通に英語なんですね。それでも英語があまり話せないという状況を日本人に分かりやすく説明するには、関西弁は流暢に話せるけど、公式な場での日本語を話したり、日本語の読み書きには不自由するというような感じです。


 例えば、「今日は遠いところわざわざ来てくれておーきにな。帰りも気つけて帰りやー」というのは普通に話せても「本日は遠いところわざわざご足労頂き、本当にありがとうございました。帰途もお気をつけてお帰り下さい」というのは話せないし、意味が分からないみたいな感じです。


 ちなみに、昭和天皇陛下も玉音放送までは(陛下にとっては)普通に話していたけれど、これでは日本国民の大半は意味が分からないだろうということで、そのあとの全国巡礼からは口語で話すようになったとのことでした。同じような感覚だろうと思います。


 で、まあ確かに読み書きに関しては非常に弱いものがあるし、文法的な誤りも日常茶飯事なのですが、口頭で話せばコミュニケーションは普通に取れます。しかし、今回の私の懸念は算数が出来ないことです。


 今回ラエル選手に「どのくらいでマラソン走れると思うか」と聞いたら、「2時間35分くらいで走れると思う」と答えたのですが、「じゃあ、マラソン2時間35分というのはだいたい1キロ何分何秒ペースか」と聞いても答えられないのです。


 マラソン2時間35分で走るとすると、1キロの平均ペースはだいたい3分40秒です。それが計算できないんです。考えられないと思いますが、事実なんです。っていうかどうやってそれで、マラソン2時間35分で走れると思うのか、その思考の様式が私には皆目分かりません。


 だいたい、練習でこのペースでこのくらいの感覚ならマラソンこのくらいかなっていう計算を立てていくと思うんですけど、マラソン2時間35分が1キロあたり何秒ペースなのか分からないのに、マラソン2時間35分で走れると思うその根拠が全く分かりません。


 しかし、奇跡的にも私が彼女の練習を分析して得られただいたいの目標タイムと一致しているので、そのこと自体は問題がありません。


 1キロ3分40秒ペースでずっと走ればマラソンは2時間34分44秒になるから、ずっとそのペースを刻んでいくようにと指示し、5キロごとのスプリットタイムもノートに書きました。


 当然彼女はインターネットもないので、去年のレース結果と賞金の額も見せて、1キロ3分40秒で刻んでいって、後半余裕があればペースを上げていけば、2時間33分ではゴール出来る、多少失速しても粘り切れば2時間35分台には乗ってくる、そうすると去年の結果なら10位から6位の順位に該当し、30万円前後の賞金になる、うちのマネジメントが20%取るとしても手元に24万円前後は残る、そうすれば君の人生が変わるだろうと説明したら、真剣な表情になってうんうんうなづいていました。


 ちなみに、彼女は時計を持っていないので(GPS時計がないとかではなく、時計を全く持っていない)、GPS機能付きの時計を貸し与えて1キロごとに自動的にラップタイムを取れるからそれを確認して、前半はどれだけ余裕があっても1キロ3分40秒ペースでいくように、もしも1キロ3分40秒ペースでいって後半失速しても拍手をもって称えるが、前半余裕があるからといってペースを上げて失速して帰ってきた際には殴ると言っておいたら、笑ってました。


 ここでちょっとお金の話をしておくと、マネジメントに納めてもらう20%のうちの10%はマネージャーのタイタス氏の取り分です。タイタス氏の仕事はレースオーガナイザーと交渉して、航空券と宿泊代を出してもらえるか、出場料はもらえるか、賞金はいくらなのかといったことを交渉するのがタイタス氏の仕事です。


 彼はプロなので、これで生計を立てる必要があり、基本的にはタイタス氏は経費を出さずに10%の取り分を全額ポケットに入れます。


 弊社は20%のうちの残りの10%をもらう訳ですが、これは経費の補填です。日々の活動費に加えて、こういったレースがある際には選手の宿泊料や交通費を負担します。今のところ赤字を垂れ流し続けており、別にそれは良いのですが、結果が悪い時も支え続ける代わりに、結果が良い時にはその資金をプールしておく必要があります。


 そうすれば、そのあと結果が出ない時期が続いても継続的にサポートすることが可能になります。


 また、私には一つの夢があり、前から思っていたのですが、関西には記録が狙えるレースがあまりありません。特に10000mはほとんどありません。女子はまだ強い学校や実業団が揃っているから良いのですが、男子は全くと言って良いほどありません。


 だから、関西でも記録が狙える記録会を開催したいんです。審判が必要なので、京都陸上競技協会さんのご協力が必要になります。その際は京都陸上競技協会の重鎮の方にいる恩師の谷口博先生と他校ながら可愛がっていただき、起業した後も「上手くいかなかったら、京都府の教員採用試験を受けなさい」と言って下さった伊東輝雄先生に協力をお願いしようと思います。


 記録会の収益はもめないように経費を差っ引いた後で京都陸上競技協会と折半して、収益が残ればまた次の記録会の為にプールしておけば良いのです。この大会はエリートランナーから市民ランナーの方まで楽しめるように、音楽も流して出来れば屋台も置いて楽しい大会にしたいので、皆様も是非お越しください。


 綿菓子やポップコーン、ビールも置いて家族連れで楽しめる大会にする予定です。


 お金がもっとたまればチアリーダーも呼びましょう


 そして、ライオンズの選手を呼んでペースメーカーをしてもらいたいんです。結局、なんでわざわざ関西のチームが日体大記録会に出るかというと速い組の問題なんです。関西では14分10秒が確実に狙えるようなレースがほぼありません。


 15分ちょっと切る程度の記録ならチーム内で競い合ったり、他校の選手と競い合えば充分記録は出るんです。だから、男子の場合は5000mで言えば、上から13分45秒、14分ちょうど、14分10秒、14分25秒、14分35秒と5組くらい用意しておけば、強い選手がいる学校、実業団は軒並み集まります。


 そして、14分35秒以下の組についてはペースメーカーは別にいらないんです。そのくらいの力の選手はたくさんいるし、なんなら私がペースメーカーしても良いです。


 10000mなら上から28分ちょうど、28分20秒、28分40秒、29分ちょうど29分20秒と5組用意しておけば充分です。10000mに関しては30分切りも需要があるので、1キロ3分ペースの組も用意しても良いかなと思いますが、それは私でもペースメイクできます。


 その際の航空券をプールしておきたいとも思っていますし、結局一番コストがかかるのは航空券なので、それが確保できれば、日本国内のロードレースやマラソンにも出場させてあげることが出来ます。


 それが彼らの夢でもあるので、それを伝えたらそれは良い考えだと言ってくれていました。


 前置きが長くなりましたが、ラエル選手のご自宅は率直にいってご自宅というよりは小屋です。


 招き入れてくれて先ずは椅子に座らせてもらったのですが、その椅子から見た景色はこんな感じです。



 これだと奥にカーテンがあって見えないので、カーテンの向こう側も見せてもらっても良いかと聞いたら、快諾してくれました。カーテンの向こう側にはベッドが一台あってそれで終わりです。


ラエル選手と息子のグリフィン・キベット・キプラガト


 ベッドが二台、椅子が一台、他にわずかなスペースに机や食器が置いてあってそれで終わりです。


 ちなみに、部屋についた時はお昼ご飯のあとだったのか、お茶を沸かしたあとだったのか、床に炭火がたかれており、狭い家の中はサウナのようになっていました。


 入り口からみた私が座っていた椅子はこんな感じです。