東京オリンピック男子マラソン、女子に続いて熱い戦いが繰り広げられていましたね!日本人にとっては大迫さんが6位入賞ということで、非常に面白いレースでした。早速、レースを振り返っていきたいのですが、先ずは通過タイムの方から見ていきましょう。
15:22
30:53 (15:31)
46:03 (15:10)
1:01:47 (15:44)
1:17:24 (15:37)
1:32:31 (15:08)
1:46:59 (14:28)キプチョゲさん
1:47:26 (14:55)第二集団
1:47:50 (15:19)大迫さん
2:01:55 (14:55) キプチョゲさん
2:03:11 (15:45) 第二集団
2:03:30 (15:40) 大迫さん
2:08:38 (6:43)
2:09:58 (6:47) ナギーイェさん(銀メダル)
2:10:41 (7:11)
レースは15分半前後を刻みながら、進んでいきました。私の中では印象的だったのが大迫さんとアメリカのゲーレン・ラップ選手でお二方とも帽子を目深にかぶり視線を落として淡々と走られていました。その中でも、大迫さんは集団の後方から動かず一人一人落ちていくのを見ながら、徐々に徐々に位置取りを前に変えていかれて非常に大迫さんらしい冷静なレース展開だったと思います。
また、今回のレースでは予想通りの大集団にはなったのですが、15キロまでに選手が落ち始めていき、明暗くっきりと分かれ、15キロまでに落ちた選手は完走するのもやっとという選手が多く、また途中棄権も30人と非常に多く、やはり気象条件が厳しかったのだろうなと思わせるレース展開でした。選手がこの気象条件に対応できるかどうかという要素も大きかったのだと思います。
また服部君も集団の真ん中から後方で、真ん中には入らずに接触を避けるような位置をキープしており、服部君らしく冷静にサイボーグ感あふれる走りをしていました。今回のレースで一番面白かったのは先頭をずっと走っていたスアレス選手です。スアレス選手は昨日の女子マラソン速報&解説記事で書いた直前のレースでオリンピック参加標準記録を突破して、そのままの勢いで出てきた選手です。レースの前半はこのスアレス選手がずっとレースを作ったのですが、彼の自己ベストは2時間10分51秒、完全に自己ベストのペースなので、気象条件を考えるとやはりペースは速すぎると思います。
ただ、これがダークホースの持つ利点で、多分スアレス選手からするとオリンピック出られただけでラッキーみたいなところもあったのだと思います。その中で、大集団の中で走るよりは自分のリズムで、それも先頭を走って気分も高揚させて自分のリズムで行けるところまで行ってやろうとそういうことだったのだと思います。結果は2時間13分29秒で15位と自己ベストから考えるとかなり善戦されていると思います。失礼ですが、トラックからマラソン迄そこまで良い持ちタイムがある訳ではないので、素晴らしい作戦勝ちだと思います。
そんなこんなで、ずっと15分半前後を維持しながら、ボロボロと人が落ちていくサバイバルレースになったのですが、27,28キロくらいでキプチョゲ選手が前に出ると一気にレースが動きました。30キロから35キロを一気に14分28秒まで上げると後続の選手はついていかないという選択を取りました。それでも第二集団も14分55秒まで上がっており、相当きつかったと思います。大迫さんはここを15分19秒と差を開けられながらも、35キロから40キロを15分40秒と第二集団よりも5秒速いペースでカバーされました。この辺りも大迫さんの適格なペース判断が素晴らしかったかなと思います。キプチョゲ選手の飛び出しについていってたとえ1キロ、2キロだけでも無理にペースをあげるとその後ガタガタになってしまうというリスクをはらんでいました。
因みに第二集団は15分45秒まで落ちていますが、これは他の選手が金メダルを諦めてメダル争いに焦点を絞ったからだと思います。やっぱりこういうレースでは少しでも後ろについて力をためたいですし、今回も終盤に途中棄権の選手が出るくらいの気象条件です。確実に上位に入りながら、メダル争いに全選手が気持ちを集中させた結果でしょう。何故、そう思うかというと、最後の2.195キロをメダルをとった選手は6分台であがっているからです。銀メダルをとった選手は6分47秒、そしておそらく銅メダルをとったベルギーの選手はトレーニングパートナーなのでしょう。最後の最後まで一緒にペースを上げようという仕草をしながら、最後の200mでスプリントしていました。力をためていたのだと思います。
この状況は大迫さんにとってはありがたかったのではないかと思います。やはり、一時的に遅れたとはいえ、35キロで24秒差なので、全然前が見えています。距離にして130mくらいです。そこから5秒詰まるとほぼぴったり100m差、やっぱり前が見えているのと見えていないのとでは追いやすさが全然違いますし、もちろんそれ以外の選手を拾っていった展開なので、精神的にも、視覚的にも追いやすかったかなと思います。
ただ、大迫さんが後半拾って行けたのは先述の通り、キプチョゲ選手が前に出たときに適切なペース判断をしたからだと思います。そこが、入賞するかしないかの分け目になったのではないかと思います。
さて、最後に今回筆者の知っている選手はノルウェーのソンドレ・ノルドスタッド・モエン選手とエストニアのローマン・フォスティという二選手が出ていました。ソンドレ選手は北緯60度という極寒の地で生まれ育ち、20歳くらいからケニアでトレーニングを積み強くなった選手です。一時期故障でスポンサーを失いながらも、スポーツ店で週40時間働きながら練習を続け、再びスポンサーを得るためにイタリアのマラソンに出場して2時間12分のタイムでリオデジャネイロオリンピックの代表に選ばれるとスポンサーを獲得、その後は水を得た魚のように成長を遂げると2017年の福岡国際マラソンで2時間5分48秒の当時のヨーロッパ記録で優勝されました。
もう一人はエストニアのローマン・フォスティ選手、もともとは中距離ランナーで20歳以下の800m世界大会で決勝に残るほどのランナーですが、社会人になってからはトラベルランナーとして世界各国を回りながら、趣味として走ることを決意しました。しかしながら、初マラソンを2時間20分で走ると真剣に走ることを決意、私が初めて出会ったときはすでに30歳を超えており、マラソンの自己ベストも2時間17分で私の方が速かったのですが、いつの間にやら差を空けられ35歳を超えてタイムを伸ばし、2020年に2時間12分、そして今年2時間10分で走り、38歳になってオリンピック出場をかなえました。ローマン選手もケニアで長期滞在し強くなった選手で、ケニア人の彼女を作り、お子さんもいらっしゃいます。おうちに遊びに行きチョコレートもごちそうになり、彼女さんにもお会いさせてもらったり、一緒に練習したり、楽しい思い出がたくさんあります。
左がローマンさん、真ん中が筆者
オリンピックと一言で言っても、それぞれの選手にはそれぞれのストーリーがあります。レベルを問わず、それぞれの環境でそれぞれの目標に向かって走ることが大切なのかなと思わされたオリンピックでした。オリンピックの公式記録は下記のURLよりご覧いただけます。
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