皆さん、こんにちは!
本日は改めて、練習計画を立てることの重要性をお伝えさせて頂きたいと思います。そもそも、何故皆さん私のオンラインスクールを受講して劇的に速くなるのかということですが、それは自分に合った練習計画が立てられるようになるからです。
これが出来れば7割方完成です。それが難しいのですが、それが出来れば7割方は完成です。最近高校生も指導し始めましたが、結局なんで洛南生のように速くならないのかと言えば、結局は練習計画の立て方が分かっていないからです。
もちろん、入学時の走力にも大きな差があります。
では、何故中学時代にそれだけの差があったのかと言うと、結局は練習計画の立て方の分かっている指導者につけたかつけなかったか、それだけの差です。
確かに、その中で弊社副社長の深澤哲也(らんラボチャンネル支配人)が指導している子みたいに800m1分台をマークして、全国大会に出られるかどうかは、若干その子の成長の速度とかとも関係があります。成長の速度は人それぞれで良いので、長い目で見守っていく必要はありますが、男子の3000m9分半くらいは真面目にやってくれれば簡単に持っていけます。
一生懸命やってくれれば、簡単に9分15秒は切らせてあげられます。これは控えめに言っている数字で、その中で更に良いものをもっているというか、飲み込みの速い子がいれば8分台は出してあげられます。
まっ、中高生を指導する場合は、その「真面目にやってくれれば」の部分も難しいんですけどね。如何に真面目にやってもらうか、如何に気持ちを陸上競技に向かせるか。
深澤が指導している中学生の子は初めから走るのが好きで、走るのが速くなりたいという気持ちがあったのは大きかったです。多分3000mも8分台で走れます。全国大会まで800mで入賞を狙わせて、その後は都道府県対抗男子駅伝で滋賀県代表になって区間8番以内に入れればと思っています。
今回はそんな練習計画の立て方のコツを少しお話させて頂きます。
実は練習計画の立て方が7割というのは別に私独自の見解ではありません。私のコーチも表現は私と違いますが、「長距離走の最終的なゴールの一つは自分に合った練習計画を立てられるようになることだ」とおっしゃっています。
先日も私がキンビアアスレチックスに入った時の先輩のラーニー・ルットさんのお宅にお邪魔してご飯をごちそうになったのですが、その時も現在の私のコーチであり、ラーニーさんがずっと指導してもらっていたディーターが世界最高のコーチだとおっしゃっていました。
元々1500mのランナーだったラーニーさんを10キロで27分台、マラソンで2時間6分台まで育て上げたのはディーター・ホーゲンです。そして、契約の関係で現在はアシックスのトレーニングキャンプに移られていますが、やっぱり当時の自己ベストは超えられていません。
というか、その当時在籍していたアラン・キプロノ、レイモンド・チョゲ、スレイマン・キプケスイの全選手が他のマネジメントに移ってから自己ベストを越えられていません。そして、その全選手がディーター・ホーゲンの下に来てから生涯ベストを記録しています。
日本にいらっしゃる方はケニア人なんて全員才能があるから簡単に速くなるだろうと思われている方が多いのですが、そういう方にいつもお尋ねするのは「日本人は全員野球が上手いですか」ということです。
メジャーリーガ―になるような日本人は大抵野球が上手いです。大抵野球が上手いというのは冗談で、全員野球が上手いに決まっています。それを見たアメリカ人が日本人なんて才能があるから、簡単に野球が上手くなると思っていたとしたら馬鹿げていないでしょうか?
ちなみに、コロンビアから来た人は「日本人は全員数学とコンピュータの天才だ」と思っていたそうです。
そんな訳ないのと同じで、ケニア人も別に日本人とそう大きくは変わりません。実際に、ケニア人で速くなるのは大抵、1欧米の指導者やコーチがついている、2欧米の指導者やコーチがついている選手と一緒に練習している、3経験豊富なベテランランナーが練習計画を立て、それと一緒に練習している、の3パターンのどれかです。
確かに、年中ハードな練習をしているので、体は強い選手が多いです。要は、基礎中の基礎である基礎体力があります。そして、基礎体力の作り方に関しては、近所の先輩ランナーが教えてくれるというか、皆で一緒にやっているうちに勝手についてくるという感じです。
日本人ほど勤勉ではないのも私はプラスに働いていると思います。やっぱり長距離走っていうのは継続してある程度の負荷をかけ続けるということが大切なのですが、練習相手に事欠かないので、頑張るのも簡単、そして元々の国民性が日本人ほど真面目ではないので、疲れたら休んだり、自分のペースで走ったり、自然と理想の強弱のつけ方に近くなっています。
ただ、そうやって徐々に体を作り上げていって、最終的に強くなってる選手は、頭脳の部分が別にいるケースが大半、つまりコーチによって適切な練習計画が立てられています。
そういう意味で言えば、私は日本の長距離システムは良くも悪くもエスカレーター式だと思っています。
例えば、洛南高校に入ってくる子なんて毎年だいたい同じレベルです。箱根駅伝常連校に入ってくる子なんてだいたい同じくらいの実力です。それもたくさん入ってきます。
そうすると、集団で練習するメリットを得ながらも、自然とある程度個々に応じた練習内容になっています。
つまり、「強豪校に入ったらつぶされる」という偏見がある一方で、実は個々に応じた練習計画を立てる能力は強豪校の指導者の方が高いです。そうじゃないと、強豪校の座を維持することは出来ないでしょう。
「個々に応じた」と書くと何か特別なことをしているように思えますが、要はだいたい同じくらいの力の子が入ってくるから、同じような練習を立てとけば、だいたいは「その子の実力に応じた練習内容」になっていくはずです。
ただ、たまにその学校の平均的なレベルよりはるかに下の子が入ってくると、そこで這い上がるのは難しいかもしれません。だから、実際問題5000m14分台じゃないと入部を認めないとか、入部は認めるけど寮には入れないとか、あるいは入部は出来るけど、2年目の終わりまでに5000m14分台で走らないと退部になるとか色々ありますよね。
エスカレーター方式で継続的に良い選手を育てることが出来る一方で、一度エスカレーターから落ちた選手の救済措置的なものは日本には少ないような気がします。
弱小校は弱小校で同じくらいの走力の子が入ってくるので、本来は集団のメリットを活かしつつ個々に応じた練習内容を立てやすいのですが、それが出来る指導者がいないから弱小校は弱小校のままなんです。結局、長距離走、マラソンにおいて大切な7割の部分が出来る人がいないんですね。
皆さん、自分自身のお仕事に置き換えて考えてみて下さい。職場のリーダーがその職場で重要な7割の部分を遂行する能力がなければ、その部署はガタガタになりませんか?
会社の社長が事業で一番大切な商品開発と商品販売に関して理解していなければ、その会社は遅かれ早かれ倒産します。
それと同じことです。
では、逆に弱小高校にその7割が出来る人が入れば、変わるのかということですが、変わります。但し、時間はかかります。それは才能がないからではありません。
正確に言うと、才能がある訳でもないしない訳でもありません。人間の中で一番多い人は平均的な人間です。平均という言葉の定義上、平均的な人間が一番多いです。
才能とは長距離走、マラソンに適した遺伝子を持って生まれることであると定義するならば、洛南生も東山高校の子もケニア人も一番多いのは平均的な人間です。たまに化け物みたいな選手が現れて、その子が東山高校に入学する確率と洛南高校に入学する確率を比べると圧倒的に洛南高校に入学する確率が高いです。
ですが、やはり一番多いのは平均的な人間です。そして、同じ平均的な人間を比べた時に、3000m9分ちょうどで入学した子を卒業までに5000m14分半にするのと、3000m10分半で入学した子を卒業するまでに5000m14分半にするのとでは当然前者の方が簡単です。
それは才能の違いではなく、単純にあるレベルからあるレベルへと移行するのに必要な時間というものがあるからです。高校生活は全員等しく3年くらいしかありませんし、最後の高校駅伝までと考えると実質二年半です。
私は必要な時間というものを考慮にいれれば、東山高校の選手もちゃんと速くなると信じています。ただ、高校生活実質2年半しかないので、高校入学時の差はそのままハンディとして残ります。そこはきれいごと言うつもりはありません。
でも、大学以降もまた記録を伸ばしてくれれば嬉しいですし、寧ろ当面は東山高校の選手の方が洛南高校の選手より簡単に速くなるでしょう。
それは何故かと言うと、遺伝子的な限界との差が大きいからです。私は才能なんて存在しないとは思っていません。男女の競技能力の差を見ても明らかであるように、遺伝子による個々の限界というのは存在します。
これは誰にでもあります。エリュ―ド・キプチョゲ選手だって所詮は公式記録ではマラソンで2時間は切っていません。敢えて、所詮はという言い方をしましたが、ラクダは40分ちょっとでフルマラソン走れるそうなので、やっぱりキプチョゲ選手も所詮は人間ということであり、遺伝子的な限界がやはり存在しています。
そういう意味では、現実的に目指せるレベルは年齢と性別で大枠が決まります。適切な練習を実施してもマラソンで3時間切れない20代、30代、40代の人というのはおそらく存在しません。ただ、70歳でマラソン3時間切るのはかなり難しいです。遺伝子的な限界に近づくからです。
同様に、20代、30代でもマラソンで2時間5分切るのはかなり難しいです。それだけ遺伝子的な限界に近づいていくからです。ですが、マラソンで4時間を切るのはかなり簡単です。われわれ人間はトコトコ長く、それなりに速く(犬や猫より速く)走り続ける遺伝子を持っているからです。
これが適切な練習計画と所謂(いわゆる)素質、才能、遺伝子との関係性です。
非常に多くの人がマラソンで3時間を切れないことを自分の素質のせいにしますが、実は素質のせいで結果が出ないという状況を作り出すことの方が難しいです。
つまり、自分の遺伝子的な限界に到達するのは非常に難しいです。何故ならば、完璧に自分に合った練習計画と完璧な食事と睡眠を軸とした休養戦略と自分の能力を最大限に引き出す完璧な潜在意識管理術が必要となるからです。
昔の人はこれが出来ていなかったので、1900年から2000年の100年にわたって驚くほど記録は伸び続けました。具体例を挙げて説明しましょう。
1936年のベルリンオリンピックでは日本人唯一となる男子マラソンの金メダル獲得者である孫基楨選手がオリンピック新記録の2時間29分で優勝しました。そして、その前年の1935年には神宮外苑の大会で2時間26分の世界新記録を樹立しています。
世界最高記録保持者としてオリンピックの金メダルを獲得するという速さと強さを兼ね備えた選手はエリュ―ド・キプチョゲ選手と孫選手の二人だけです。このように書けばいかに凄いことかお分かり頂けるでしょう。
ちなみに、日本の孫選手がと書くと一定数お怒りになられる方がいらっしゃるのは重々承知しております。何故なら、これは韓国が日本の植民地であった際の話で、孫選手は朝鮮半島で生まれ育っているからです。
あなたは歴史の授業で日韓併合と習いましたか?
私は日韓併合と習いました。
ところが、教育実習に行くとあれは日本と朝鮮が合意のもと対等な立場で合併したのではなく、あくまでも日本が韓国を植民地支配したのであるから、植民地統治の開始と教えなさいと言われてしまいました。
ここではそういった私個人の政治的な主張とは関係なく、当時の公式の孫選手の国籍である日本を使わせて頂きます。単純にそれが公式記録に記されているからです。
話はここからです。この時、同じくベルリンオリンピックに1500mで出場していた中村清という男がいました。経済小説家の黒木亮さんの自伝小説『冬の喝采』をお読みになられた方はよくご存知だと思います。
中村先生はこの時、1500mでは日本記録保持者、名実ともに日本史上最強ランナーとして参加しました。
ところが、予選落ち、そして孫選手は合宿も一緒にして同じ釜の飯も食った仲ですが、片方は優勝、片方は予選落ち、更に日本の南昇竜選手がその名の通り、竜立ち上る如く大活躍で3位、この時中村先生は日本人にはマラソンしかないと思ったそうです。
そして、実は選手としてよりも指導者としての方がはるかに有名なのですが、後に中村孝生さん、瀬古俊彦さん、新宅雅成さんらのサブテンランナーを育て上げられました。
つまり、選手として参加した1936年、世界記録が2時間26分だった時代から、お亡くなりに亡くなられる1985年くらいまで(86年、87年かもしれないです)、ずっと世界のマラソンの記録の向上を見ておられたのです。
中村先生と言えば、よく言われるのがその精神性です。
日本人から見ても「おーまーえらはこの草を食ったら世界一になれると言われれば食えるか?わしは食える」と言って、おもむろに草を抜いてむしゃむしゃ食いだしたとか、日中戦争にも従軍されていたのですが、下駄でツカツカ夜空をみながら歩いている教え子を見つけては「エイヤー」というかけ声とともに、真横の木を軍刀で一刀両断にし「貴様はそんな歩き方をしているからなかなかキックが強くならんのだ。いつも俺がつま先を使って歩けと教えているだろう。次見つけたらお前はこの木のようになるからな」と言ったり、言うことを聞かない選手がいると「おーまーえらはこのわしをなめてるんだ。なめてるからいうことを聞かんのだ。わしは中国大陸で人を何人も殺しているんだぞ。おーまーえらのようなひよっこをひねりつぶすくらいなんともないんだ」と説教したとかいう指導法は異常に映りますが、海外からみると、そもそも日本のように整列、気をつけ、脱帽、令といった様はもの珍しいので、そこばかりが注目されていました。
しかし、本人が言うにはマラソンの発展は練習方法の進歩の賜物であるとのことです。前の時代の選手の悪いところと良いところを分析して、良いところを組み合わせて、より良いものを作ろうとする、その積み重ねであるそうです。
では、インターネットもない時代にどうやって情報を仕入れていたのか?
一つは現地に脚を運ぶことです。ヨーロッパやニュージーランドに脚を運んで直接選手や指導者から話を聞いて勉強されました。
そして、二つ目には新聞社の人と仲良くなって、現地の特派員に情報収集を依頼していたそうです。
私は新聞社の人の協力を依頼するほどの力がある訳ではないのですが、でもやっぱりインターネットが普及している現在でも、本当の情報を得るには現地に脚を運ぶことだと思います。
私の話はどうでも良いのですが、中村先生がお亡くなりになられた時のマラソンの世界最高記録は2時間8分台だったと思います。1987年か1988年かそのあたりに、一気にアーメード・サラ選手が2時間7分秒まで記録を伸ばします。
1990年にディーター・ホーゲンがケニア人選手を指導し始めるのですが、その年に指導していたサミー・リレイ選手が2時間7分2秒で走り世界歴代2位になります。
その時の世界最高はブラジルのロナルド・ダ・コスタ選手で2時間6分50秒だったと記憶しています。
では、2時間26分から中村先生がお亡くなりになる時までに2時間8分まで記録が伸びたのは精神性なのかというとそうではなく、やはり練習のやり方が良くなったからだと中村先生は著書に記されています。確かに、人間のやることなので精神性は重要です。たるんだ精神で闘うことは難しいです。
でも、それに関しては、戦前、戦後通して中村先生もやってこられたわけです。別に昔はだらだら練習していた訳ではありません。結局変わったところは、練習のやり方なんです。
ついでに言えば、今は更に練習のやり方が進歩して記録が良くなっています。ですが、私は基本的な考え方が定着したのは1990年までの間だと思っています。1990年までに基本的な長距離走、マラソントレーニングの進歩があり、1990年以降近代マラソンが幕開けしていくというそういう感じです。
実際に、私も1960年代、1970年代のレベルであれば、日本の一線級としてやれますが、もう1980年に入ってくると、当時の選手もレベルが高く、私自身のレベルアップが必須になります。1990年以降更にレベルが上がりますが、シューズが良くなったことやペースメーカーがつくようになったことを考えると、実質どのくらいレベルが上がっているのかはあやふやです。
ただ、層が圧倒的に厚くなったことに関して言えば、1980年には一部の人の間にしか共有されなかった情報が我々下々の方までおりてきたことが大きいでしょう。それは、インターネットがどうこうではなくて、単純に時間をかけて人伝いに口を通して伝わってきたということです。
私みたいな二流選手でも長く陸上をやっていれば、一流選手や一流指導者の方に直接お話をお伺いする機会には恵まれます。
更に、私が昔の方のお話にも耳を傾ける必要があると思う理由は、中村先生くらいの年代の方はまさに練習方法の進歩による長距離走の発展を目の当たりにされているからです。もう、1993年生まれの私にとっては陸上競技を始めた頃にはほぼ理論的なものは完成されています。
ただ、普通の公立中学校や公立高校には広まっていなかっただけです。その状況は今でも変わりません。私も中学生の頃から今のようにトレーニングの理屈が分かっていたかと言うとそれはありませんでした。
ただ強豪校に入ると勝手に良い練習が出来てしまうので、ある意味そのありがたみが分からないし、実際に今でも選手として活躍したから、良い指導者になれるかというと全然そうではないですよね。
今やっていることが当たり前すぎてありがたみが分からない状態なんです。何が良くて結果が出たのか、何をやったら上手くいかないのか、あまり分からない状態になっている部分もあります。
で、そのありがたみがよく分かっておられる中村先生がなんとおっしゃっているのかということですが、練習計画の立て方はトンネル工事に似ていると著書に記されています。
トンネル工事は片方から掘り進めるよりも、両側から掘っていって、真ん中でピタリと合うように堀りすすめた方が速いです。その際には、綿密に設計し、どの方向にどのくらいの速度で掘り進めるかを決める必要があります。
練習計画はそのようなものだと中村先生はおっしゃっています。私もそう思います。
練習計画とは基本的に目標から逆算して立てるものです。800mを1分55秒で走りたいのであれば、そこから逆算するべきですし、マラソンで3時間を切りたいのであれば、そこから逆算して立てる必要があります。そして、トンネルの長さも適切に計算する必要があります。
つまり、5キロが22分からマラソン3時間切りを目指すのと、5キロ18分ちょうどからマラソン3時間切りを目指すのとではトンネルの長さが異なるということです。
そして、この時逆算して計画を立てるだけなら、それは結局トンネルを片側からのみ掘ることになります。両側から掘るというのはつまり、過去の練習の流れも考慮に入れるということです。
私が東山高校の選手を見始めた時、過去二か月間の練習の流れを送って欲しいとお願いしました。それは過去の練習の流れも考慮に入れないと上手くいかないからです。ところが、誰も練習日誌をつけていませんでした。
じゃあ、とりあえず今週から練習内容を送って欲しいとお願いしました。すると、しばらくすると顧問の先生から「次の大会までだいたいどういう流れで練習すれば良いか教えて欲しい」と言われました。
私は「誰も練習内容を送ってくれないから、それは無理である。寧ろ早く練習計画を立てたいのは私も同じであるが、出来ないものは出来ない」と答えました。
現在の練習の流れを知らないのに練習計画を立てるのは、トンネルを片側から掘るのと同じことです。目標から逆算すると言うと聞こえは良いですが、実は逆算だけするのは、効率が悪いんです。
それなら、未来を見据えずに現状だけを基準に練習するのと同じです。どちらも片側からだけトンネルを掘っているのですから。
だから、私もたまに市場調査しますが、「サブ3の為のトレーニング」とか「サブ3.5の為のトレーニング」とかの直接的な練習内容(トレーニングプログラム)を販売してる人ってどういう根拠でその練習を立てているのか物凄く不思議なんですよね。しかも、値段も結構しますし。
私も『これを読まず練習計画を立てないで!夏場のトレーニング論』と『マラソンサブ3からサブ2.5の為のトレーニング』という二冊の書籍の中で具体的なトレーニング内容も記していますが、あくまでも理論の部分が中心で、具体的なトレーニング内容は一例でしかないことを明記しています。
実は私自身もこの両方の観点から、計画を立てています。
例えば、現在今年の秋に10000m29分10秒、最低でも29分半というちょっと高めの目標を立てていますが、普通に計算したら、インターバルは400m70秒ペースではやらないとダメですよね。
でも、そんなに速くは今走っていません。理由は二つあります。
まず第一に、目標から逆算した場合に、今一番重要なのは強固な土台を作ることです。起伏のある所でそこそこキツイ練習を積み重ねることが一番重要です。これが目標から逆算した側の今やるべきこと=適切な練習計画です。
ちなみにですが、ここケニアのイテンにいるランナーの多くが、距離走など高強度な練習をする時は車で25キロくらい移動して比較的平坦なコースで練習をしていますが、私は起伏のあるコースで練習しています。今はそうやって脚筋力を養うことの方が速いペースで走るよりも重要だからです。
後に、レースが近づいてきたらこの優先順位は逆転します。
そして第二に、こちらの方が重要な理由ですが、私は今6年ぶりに標高2300mの土地で練習しています。標高1200-1400mの準高地ですら、最後に滞在したのは2018年です。6年ぶりに走り始めたら素人と一緒というのと同じで、6年ぶりに標高2300mに滞在したら、初めて高地に来たのと同じくらい新しい刺激になります。
標高1200-1400mくらいなら正直誤差範囲です。ただ、標高2300mになるとそこでのトレーニングは完全に新しい刺激だと捉えないと簡単にオーバートレーニングになります。だから、どうするかというとスピードトレーニングに入る前にかなり、慎重にステップを踏んでいます。
トレーニングの基本は今ままでやってきたことを積み重ねていきながら、徐々に新しい刺激を入れていくことです。新しい刺激の練習というのはもろ刃の剣です。新しい練習を取り入れるからこそ走力が向上するのも事実なら、新しい刺激を取り入れる時は故障やオーバートレーニングが生じやすいのも事実です。
もちろん、スピード練習以外も初めはただ単に走る距離を増やしていくところから始めて(高地で走るということ自体が新しい刺激なので基準は0から。決して、低地よりも練習量を増やすということではない)、徐々にペースを上げていって、中強度の持久走で平均1キロ3分45秒くらいで走れるようになりました。
この段階では、まだ1キロ3分45秒よりも速いペースで走ったことがない段階です。ですから、スピードワークも1キロ3分45秒より速ければそれで良いのです。例えば、1キロ3分半のペースでも体にとっては充分新しい刺激なので、これで充分に刺激がかかります。
この時に、今は10000m29分10秒で走るためにトレーニングしているから、1000m2分55秒で走らないといけないとか、1000m2分55秒ペースを基準にして、高地で1キロあたり10秒遅くなるから3分05秒でやるべきなどと考える必要はないのです。
実際に、1キロ3分半でも今の私にとってはかなり苦しいです。理由は単純で、それが今の私の体にとっては新しい刺激だからです。そして、新しい刺激をかける時は徐々にやった方が結局早いんです。
初めて今滞在しているイテンに来たときはこのあたりのノウハウが全くありませんでした。腐っても、5000m14分半くらいでは走れるので、一応頑張ったらもっと速く走れるんですね。ただ、結局やればやるほど走れなくなっていって、どんどん走れなくなっていきました。
私はその時、「高地トレーニングって難しいなー」と思っていたのですが、今から思えば高地トレーニングのノウハウが分かっていなかったのではありません。単純に、「新しい刺激を取り入れることは大切であるが、新しい刺激を取り入れる場合は非常に段階を踏んで慎重にやらなければいけないし、結局体が適応するまでの期間はそちらの方が短くなる」という原理原則を理解していなかっただけです。
だから、市民ランナーの方も同じで、今日からサブ3を目指すからと言って、1000m5本を3分台でやる必要はありません。やる必要がないのではなく、もしもあなたが今まで1キロ5分より速く走っていないのであれば、必ずそのやり方では上手くいきません。
もしも、今トレーニングで1キロ5分より速く走っていない場合、例えば、一週間の中で一番速い練習が10キロを5分ちょうどで走っているとしましょう。もしも、そのペースに対してある程度余裕があるのであれば、インターバルではなくて、10キロを1キロ4分45秒ペースで走ると良いと思います。
それに慣れてきたら、1キロ4分35秒ペースのインターバルも入れると良いと思います。あるいは、すでに1キロ5分ペースで10キロ走ることが高強度に該当するのであれば、1キロ4分50秒から45秒ペースくらいのインターバルをやると良いと思います。
ちょっと勉強されている方なら、運動生理学的な理由からジャック・ダニエルズ博士のVo2Maxインターバル、もしくはレペティショントレーニングを基準に練習することこそが正しいと思われていると思いますが、それが全てではないです。
一番重要なのは、少しずつで良いから新しい刺激を入れていくことです。少しずつで良いからと書きましたが、厳密には少しずつであるべきです。性急であるべきではありません。絶対にうまくいきません。これが万人にとって上手くいくサブ3の為のトレーニングがない理由です。
これはトンネルをこちら側から掘ることを考えた場合の話です。やはり、向こう側から掘ることも考えないといけません。
では少しずつ新しい刺激を入れていけばそれで良いのかということですが、長期で見ればそうかもしれません。しかし、今年の秋に10000m29分10秒で走ることを考えたら、いくら高地とは言え、いつまでも悠長に遅いペースの練習だけを入れていくべきではありません。
一応現在までのトレーニングの流れを見て、10000m29分半はかなり現実的な目標だと私は考えています。ただ、そこをあまりにも思い描きすぎると、自分の可能性を狭めかねないので、29分10秒を頭にいれて練習しています。
いずれにしても、そこを達成するにはやっぱり、レースの6週間前、遅くても4週間前くらいからはなんとなくそのペースに体を慣らしていきたいところです。これがトンネルの向こう側から見た設計図、つまり目標から逆算して立てるということです。
ですので、そういったことも踏まえて目標とするレースの約7週間前に日本に到着するように、つまり海水準面で練習出来るように予定を立てています。実は今ビザの関係でもうちょっと早く出国しないといけないかもしれないという事態になっていますが、それでも9月の上旬です。まだ、じっくりと基礎作りをする時間があります。
そして、練習計画をトンネルのこちら側と向こう側と両方から見て、時には目標を修正するべきこともあります。向こうから逆算した時に、この時期にはこのくらいの練習が出来ていないといけないと考えているのに、こちら側から見ていくとそこに到達していないという場合は、レースの目標自体を下方修正しないといけないこともあります。
結局、レースの6週間前くらいになってくると、もうだいぶレースが近いので、ここからあがいたところでやれることはそれほどないし、この段階で計画通り言っていなかったら、目標を下方修正しないといけないこともあります。
だから、良い結果を出したければ、長期目線で取り組む必要があるというのはそういうことなんです。本当にトンネル工事に例えるのって私は良いなと思っていて、大きなトンネルを掘りたければ必要な時間は長くなるんです。
で、結局大きなトンネルを掘る場合、こちら側から掘るのと向こう側から掘るのと両側から計画を立てていくのですが、結局計画を立ててみると大きなトンネルを掘るからこそ時間を長く取っているのであって、のんびりするために時間を取っている訳ではないことが分かります。
良い結果が欲しければ一本のレースに3-6か月時間をかけた方が良いし、本当に良い結果が欲しければそのサイクルを何回か回す必要があると私が書くと多くの人が「もっとレースにたくさん出て、鍛えた方が良い」と言ったりするのですが、別にのんびりするために3-6か月時間を取る訳ではありません。
より、大きなことを成し遂げようと思えば、新しい刺激を体にかけ続ける必要があり、新しい刺激を体にかけ続ける際には慎重であるべきです。それが大きなことを成し遂げようと思えばより多くの時間がかかる大きな理由です。
で、私はレースに出ることが悪いことであるとは言っていません。別に練習計画を立てる中で、練習で補えない部分があるのであれば、レースに出れば良いと思います。特に、市民ランナーの方は一人で練習するのが基本となるはずなので、それで補えない部分は練習会に参加したり、レースに出場すれば良いと思います。がむしゃらにレースに出れば良いということではなく、練習で補えない部分を補っていくという考え方です。
では、何故がむしゃらにレースに出てレースで鍛えて速くなるという発想が上手くいかないのかということですが、レースで新しい刺激を体にかけ続けるには自己ベストを更新し続ける必要があります。でも、これって矛盾してますよね?
自己ベストを更新するために練習するんです。何も考えなくてもただ単に走り続けるだけでレースに出るたびに自己ベストを更新し続けることが出来るのであれば、別に自分に合った適切な練習計画など考える必要はありません。ただ単に、走っていれば良いのです。
初期の段階では実際に、ただ単に何も考えずに走り、レースに出るだけで自己ベストを更新し続けられるはずです。
それは第一に、今まで走っていなかったので、走ること自体が体にとっては新しい刺激であるからであり、第二に、まだまだ遺伝子的な限界との間の差が大きいからです。
これら二つの理由により、初期の段階では何も考えずに、レースに出ていれば自己ベストは更新し続けられます。
ですが、いずれ以下の二つの理由により快進撃は止まります。
第一に、もはや走ること自体は新しい刺激ではなくなります。
第二に、遺伝子的な限界に近づくので簡単には体が適応しなくなります。
この段階ではやはり、自分に合った練習計画を考える必要があります。そして、私はいずれにしても、初めからトンネルの両側から考えた方が早いと思います。
例えば、男子高校生ということは10代男性ですが、10代男性で1500m4分50秒とかっていうのはまだまだ遺伝子的な限界からは程遠いレベルです。
ですから、伸び盛りではあります。でも、実際に一生懸命練習していても伸び悩む子なんていっぱいいます。だから、早い段階で計画的にやってしまった方が早いです。
という訳で、長々と説明させて頂きましたが、まとめると以下の通りです。
・過去100年間のとんでもない記録の向上は練習方法の進歩によるものである
・長距離走、マラソンの一つのゴールは自分に合った練習計画を立てることである
・自分に合った練習計画を考える際には、目標から逆算するとともに、過去の練習の流れを考慮に入れる必要がある
・走力の向上は新しい刺激を取り入れることによって主に起こるが、新しい刺激を取り入れる際には非常に慎重であるべきである
また、これまで書いてこなかったことに一つ言及するならば、走力の向上は主に新しい刺激を取り入れることによって起こるが、新しい刺激を取り入れる際に今までやってきたことを継続しなければなりません。
これがレベルが上がれば上がるほど、自己ベストを更新し続けることが難しくなる理由の一つでもあります。
例えば、今まで量に偏っていて質が不足していた人が、練習量を減らして練習の質を増やすと往々にして記録が良くなります。
しかし、遅かれ早かれ元のレベルに戻ってしまいます。一時的に、量を減らしたとしても、今まで培ってきたトレーニング効果はそう簡単には失われません。
そして、質を上げるという新しい刺激をかけることによって得られるものの方が失うものよりも大きいので、良い記録が出ます。
しかしながら、それを長期で続けると量を減らすことによって失うものと、質を上げることによって得られるものが相殺されるので、また元の記録に戻ってしまうのです。
練習の負荷は質と量によって決まります。質×量の関係性です。上記の理由から、やはりレベルが上がれば上がるほど、必要となる最低限の練習の負荷はあがります。
ですから、どんなに効率よく練習しても、マラソンで2時間10分を切ることは簡単なことではないのです。
また、先ほど一時的であれば、練習の量、もしくは質を落としても能力は維持されると書きましたが、これが期分けの活用の仕方でもあります。
例えば私の現状を例にとると、私は正直、高地トレーニングの効果はそこまで信じていません。ですが、新しい刺激がかかっていることは間違いありません。
そうすると、日本に帰ってからもしばらくは高地トレーニングで得られたトレーニング効果は維持されるはずです。また、私が滞在しているイテンという町は非常に起伏のあるコースで、どこにコースを取っても、起伏がかなりあります。
弊社のある京都市伏見区のあたりで練習するときは平坦な鴨川沿いか桂川沿いの平坦なコースでの練習が大半です。ですが、起伏のあるコースを走ることによって培った力もしばらくは維持されるはずです。
ですから、そういった能力を維持しながら、京都に帰ってちょっと10000mを29分10秒で走るのに特化した新しい刺激を少しずつ取り入れていけば、目標は達せられるはずです。
6年ぶりに高地に来たらほとんど初めてきたのと同じ状態からスタートというのと同じで、さすがに6年間が空くと高地トレーニングで得られた生理学的な適応は失われてしまいます。ただ、普通はやっぱりある程度は維持されるんです。それがどの程度なのかというのは研究者によって全然違うので、何とも言えません。
というより、そもそも高地にどれだけ滞在して、どれだけ高地でのトレーニングに適応出来たかで大きく変わるでしょう。
高校生とか大学生で言えば、夏休みに合宿で起伏のあるコースでしっかりと走りこめば、その後普段の練習でそこまで起伏のあるコースで走り込まなくても、脚に力がしっかりと入る状態になって、それでインターバルとかも今まで以上にこなせるようになって、レースで良い結果が出せるようになるというのと同じ現象です。
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