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市民ランナーのあなたが走ることの意義とは?

皆さん、こんにちは! 


 ウェルビーイング株式会社代表取締役の池上秀志であります。


 先日から新着ブログ記事「5000m20分切りの為の3ステップ」をお届させて頂いているのですが、本日はそれよりももっと本質的なお話、大切なお話をさせて頂きますので、一旦小休止ということで最後までお読み頂けますと幸いです。


 もっと本質的な話、それは市民ランナーの方にとっての長距離走・マラソンとはなんであるのかというお話です。


 私は今までこの重要問題について片面的な答えしか出来ませんでした。


かつての私の答えは「自己実現欲を満たすこと」というのが中核にあり、そこを軸としながら長距離走、マラソンにおいて最高の結果を出すためには睡眠、食事、心理学などについても学ばなければならない、それらを学び、趣味である長距離走、マラソンにおいて自己実現が達せられればウェルビーイングが実現される、否、実は自己実現は出来なくても良くて、理想に向かって進歩し続けるその過程にこそウェルビーイングがあるというのがこれまでの私の答えでした。


 誤解の無きよう書いておけますが、自己実現が達せられなくても良いということと、進歩が見られなくても良いということは別問題です。


 例えばですが、今まで私は最低でもマラソンで2時間10分が切りたいと思って走ってきました。残念ながら、それはいまだ達せられていません。


 しかしながら、全く進歩がなかった訳ではありません。初めは9㎞を完走できずに歩いてしまったというところからスタートして、徐々に力をつけて、とりあえずフルマラソン2時間13分までは来ました。


 競技者としては心残りですし、自分でも満足はしていません。しかしながら、一人間としては一応ウェルビーイングが実現されているというのが私の理解でした。


 ただ、それでは理解出来ない問題がどうしても残ってしまうのです。


 これまで弊社ウェルビーイング株式会社では長距離走、マラソンが速くなるための様々な情報を発信してきました。それらののべ閲覧数はとうに数百万の単位に達しています。


 学問でいうところの定量的調査というやつになる訳ですが、その定量的調査によって分かったことは、長距離走、マラソンが速くなるための情報に興味がある人の97-98%は男性であるということです。女性はわずか2-3%なのです。


 一体これは何故なのでしょうか?


 女性は男性と比べて自己実現欲、つまり向上心が低いのでしょうか?


 答えはイエスです。女性は男性よりも自己実現欲、つまり向上心が低いのです。ただ、もう少し正確に見ていくと、向上心が低いというよりは突き抜けたいという欲求が低いと書いて良いでしょう。


 どの分野においても女性は平均点に集まるのに対し、男性は上から下まで幅広く分布します。つまり、とんでもなく勉強できるのも、とんでもなく勉強が出来ないのも大体男ということになります。


 また、個人においてもこれは当てはまります。


例えばですが、私は文系科目では京大A判定(S判定がある時はS判定)が出ていましたが、一方で、英語は1を取るとか、とんでもなく字が汚いとか絵が下手であるとか、人付き合いが極端に悪いとか、空気を読まない(読めないのでははく読まない)とか、欠点の方も突出しています。


 そんな訳で、誤解の無いように書いておきますと、先ず第一に女性は男性より劣っていると言っている訳ではありません。平均点は同じでしょう。ただ、どの分野においても突出したいという欲求は男性よりも希薄なのです。


 第二に、全ての女性は全ての男性よりも向上心や自己実現欲が低いと言っている訳ではありません。全体的な傾向としてこういうことが言えるという話をしているだけです。それをご理解頂いた上で、話を進めさせて頂きます。


 では、ここで改めて考えて頂きたいのですが、何故男性は突出したいと考えるのでしょうか?


 つまり、何故人並みでは満足出来ずに人並外れた存在になりたいのでしょうか?


私は近現代史や動物行動学を勉強する中で、やっと答えにたどり着きました。それは「社会や動物の群れは常にごく一部の優秀な男(オス)達によって動かされており、男(オス)が弱いことはその国や民族、群れの興亡に直接的に影響を与えるから」です。


 つまり、男(オス)の弱い集団はそれがどんな集団であれ、生き残ることが出来ないのです。このように書くと、力の強い者が力の弱いものを支配する弱肉強食の世界を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、それはある意味においては人間が作り上げた妄想です。


 異なる種の間においては弱肉強食は働きます。ですが、先ず第一に「食欲を満たす」という明確な目的に応じて捕食をするのであって、ここには一定の節度があります。


 第二に、異なる種の間においては弱肉強食は生じますが、よほどのことがない限り(極端な飢餓状態など)同種間においては弱肉強食は生じません。


 ですから、鳥類同士や哺乳類同士の世界は決して弱肉強食ではありません。力の強いものが力の弱いものを守ることで成り立つことが多いのです。親が子にエサを取ってきてやったり、仲間を守るために自らが危険を冒しておとりになったり、猿の長老が群れの危機を回避するために自ら危険を冒して偵察にいったりといった行為です。


 ちなみにですが、序列をつけるために喧嘩はします。喧嘩はしますが、最後までやりません。犬やオオカミで言えば、参ったと思ったら降参のポーズを取ります。仰向けになって、お腹を見せて喉を見せます。勝った方は殺そうと思えば簡単に噛み殺せます。


 しかし、普通はそれをやりません。相手が降参したらそれ以上は攻撃を加えず、群れの中での序列が決まり、一度序列が決まれば、めったなことではそれをひっくり返しません。


 我々日本人も同じことをするではないですか。頭を下げるのはいつでも斬り殺せる姿勢です。土下座をすれば、更に反撃は困難になります。頭を下げる角度についても同様です。基本的には30度よりも90度の方がより丁寧です。これは服従の意が強いということです。


礼の角度が30度程度であれば、かろうじて相手が攻撃した時に相手の動きが視界に入ります。つまり、反撃可能なのです。 


 柔道の選手を見ていると礼はだいたい30度です。つまり、これから闘う相手に敬意は表しますが、降参はしていないのです。


 つまり、現在では単なる形式になってしまっているものにもきちんと理由があるということです。


 日本人はずっと正しい生き方をしてきたので、戦にも節度がありました。戦は武装した侍同士が闘うもので、民間人に手を出してはいけないし、一度決着がついたら相手の大将の首をはねてそれ以上は殺し合わない、そこで序列がついたら勝った方は負けた方の領土をよく治めることが求められます。決して、負けた方が奴隷になることはないのです。


「敵に塩を送る」という言葉がありますが、あれも「敵に塩を送った」のではないのです。何故ならば、戦は侍同士が闘うもので、そこに住む領民は別に敵ではないからです。


 現代風に言えば、あるA社とあるB社が争いをしており、A社がB社の社員が困窮していると聞きつけ、全員に10万円ずつ配り、「我々がB社に勝ったら、君たちは我が社の社員として働いてもらうからその時は宜しくね」みたいなそんな感じです。


 それでも日本史に少し詳しい方であれば「乱取りがあったではないか。あれはどうなんだ」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。乱取りというのは戦の混乱に乗じて、勝った側が負けた側の領民から略奪したり、人さらいをしたり、強姦したりすることです。


 残念ながら、こういったこともありましたが、それは歴史の一部であって全体ではないという理解の仕方をして下さい。一度戦が終わり、治安が保たれた後はそういったことはあってはならぬことでしたし、何よりもこういったことは足軽や下級武士たちの間、要するにレベルの低いチンピラたちのやっていたことです。


 今でも日本には犯罪者がいますが、それだけを以て日本人はレベルが低いと論ずるのは論理の飛躍であるのと同じことです。


 日本史においては、この一度平定された後に民間人に手を出してはならないという規則を破った天下取りは全員膺懲(ようちょう)されています。木曽義仲、源義経、織田信長、彼らは一般市民に乱暴狼藉を働いたり、無抵抗の婦女子を殺戮した人物たちです。


 これは今となってはわからないことですが、数多くの歴史的事実から答えを導きだせば、裏切ったのは明智光秀ではなく、裏切られたのが明智光秀ではないかと思います。おそらく、朝廷、もしくは天皇陛下が差し向けたヒットマンだったのでしょう。それが最後まで守られなかったのか、あるいは光秀も自らの死は覚悟した上でやったのかもしれません。


 そうすれば「大山崎で農民に殺された」という不可解な記述も納得できます。米国史では、アメリカの中央銀行を批判した大統領は全員暗殺されており、不可解な点があまりに多いにも関わらず、頭のおかしな一人の単独犯のせいにされ、またその犯人も暗殺され、真実は闇の中です。


 歴史から言えば、寧ろ光秀の後ろに錦の御旗があり、あるいは少なくとも朝廷という後ろ盾はあり、しかし口封じのために殺された可能性が高いです。ただ、これはもう今となっては誰にも分かりません。


 そんな訳で、欧米人の後ろ盾によって成し遂げられた明治維新までずっと、日本人は強いものが弱いものを守らねばならない、そして弱いものを守るために強いものはより強くならねばならない、その為には戦も辞さないという生き方をしてきたのです。


 明治維新が起きて、明治政府の後ろ盾に欧米人がつくようになってから、日本は徐々に武士道を失っていきました。徐々に女性の権利解放などということも言われ出しました。それでもまだ、日本人は武士道を保ってきました。


 有名な戦陣訓を見てみましょう。第二の皇軍という箇所に以下のような記述があります。


「苟も皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全しとは言ひ難し」


 仮にも日本軍に歯向かう敵があれば、絶対に何がなんでも撃砕しなさい。ただ、仮に敵に勝ったとしても、敵が降参するのであればそれ以上は攻撃するな、我々に従うのであれば慈しみの心(愛の心)を以て接しなさい。それが出来ないのであれば、どんなに強くても完璧とは言えないという意味です。


 自らが強くなければ、弱いものを守れない、だから強くなければならない、しかし強くなったらその力は弱いものの為に使わねばならない、これが我々の本能なのです。


 つまり、男は皆強くなりたいというのが本能なのです。


 ちなみに、この98対2という比率はポルノコンテンツの比率を大きく上回ります。どのデータを参照するかにもよりますが、ポルノコンテンツを利用する男女比は、だいたい3:1程度になります。つまり、男性は女性の3倍程度ポルノコンテンツを利用するのです。


 一方で、ウェルビーイングのコンテンツを利用する男女比はおよそ49:1です。男性は女性の49倍程度ウェルビーイングのコンテンツを利用するのです。これが本能でなくて一体何なのでしょうか?


 ここからが皆様に関係のある話です。国家であろうと猿の群れであろうと、強いリーダーがいることで、他の構成員は安心して暮らせるのです。


 では、皆さまの家庭のリーダーは一体誰でしょうか?


 本来は夫であるはずなのです。何故ならば、一番強いものがリーダーになるからです。つまり、基本は家父長制が正しいのです。


 この家庭を守らなければならない父親が弱いとどうなるでしょうか?


 先日から度々私のメルマガに登場して下さっている戸塚ヨットスクール校長のお話によると家庭崩壊しやすいのです。戸塚ヨットスクールに来る子供たちは親兄弟に暴力をふるったり、火をつけたり、親の方も自分が殺されるか、それとも自分が我が子を殺すか、そんな日々の中で究極の選択肢として戸塚ヨットスクールに我が子を預けるそうです。


 では、何故父親が弱いと子供がこうなるのでしょうか?


 戸塚先生の著書『本能の力』から引用させて頂きます。



「動物では誰がボスか分からないと、群れが滅茶苦茶になってしまう。これは、人間にも完全に当てはまります。


 幼少期の子供に覚えさせる必要があるのは「親は自分よりも強い存在である」ということと、「だからいざというときに自分を守ってくれる存在である」とうことです。


 これは、親が威張る為ではありません。もしも「親は弱い」と子供が思ったらどうなるか。そう思った子供は、社会と接した際におびえてしまうのです。何故ならば、自分のバックで守ってくれる存在が無いと感じるからです。こういう子供は周囲の人間ときちんと接触できず、発育の段階に応じて当然経験すべき刺激が得られなくなってしまいます。


 例えば、子供をどこかの山奥から東京につれてくるとしましょう。そして「今からお前を一人にするけれども、これを持っておけ」と言ってピストルを渡したとします。そのときに「もしも怖かったら撃っていいよ」といっておいたらどうなるでしょうか。


 その子には背後で守ってくれるものがいません。だから些細なことに怯えて、ピストルを撃ちまくるはずです。周りは自分よりも強い人間だからです」



 これが親に暴力をふるう子供の実態であり、自分が守られているという実感がないために感情が安定せずに、それが自分よりも弱いものをいじめるという行動になって表れてしまうそうです。


 まあ、戸塚先生のところに預けられる子供はちょっと極端な例でしょう。しかしながら、家族が安心に幸せに暮らすためには父親が強くならねばならないのです。


 しかし、このように書くと「それなら母親が強くても良いのではないか?実際に子供を産むと母親は強くなるではないか」とおっしゃる方も多いです。


 この疑問にお答えさせて頂きましょう。関西人は関東人の4倍は喋ります。近所のおばちゃん連中からお散歩中のおばちゃん連中、八百屋のおばちゃんからコンビニのお姉さんまで、とにかくおしゃべり好きです。そんな訳で、聞き取り調査は容易です。今度は定性的調査というやつです。


「子供が生まれてから、子供を守らなければならないという本能から強くなった」と答える女性に私が「それは旦那さんが頼りないからじゃないですか」と聞くと、大抵は一瞬ハッとした顔をして、そのあとややためらいながら「それはそうだ」と答える方が大半です。


 つまり、女性の方も本当は夫には強くあって欲しいし、きちんと子供と自分を守ってほしいし、正しい方向へと導いて欲しいと思っているけれど、夫がそれをやってくれないから仕方なくやっているのです。しかしながら、これは本能に反することなので疲れるのです。


 強い方が弱い方を守ってやると弱い方が安心するからその組織が安定するというのは会社にも当てはまることです。


 先日弊社に入社した水越ですが、前職をやめた理由の一つに社長が頼りないからだと言っていました。前職でも営業部に配属されていた水越ですが、社長が一年経っても確固たる営業方針を定められず、社員に「どうしたら良いと思う?」と皆の意見を聞いて回っていたそうです。


 現代風に言えば、非常に民主的で、皆平等で、皆の意見を聞いていて如何にも素晴らしい社長ではないですか。


 そんな彼がワンマン社長そのもの、パワハラ適性検査を受けたらほとんどの項目に当てはまった私のところにやってきました。もしも、彼が私が確固たる方針を示してもそれをやらないのであれば、前職をやめた理由は彼の言い訳でしょう。自分が弱いだけです。


 ですが、彼はつわものです。私の見る目に狂いはありませんでした。本当に、これがこういう理屈で、だから初めにこれをやって、次にこれをやって、その次はこれをやってと明確にやるべきことを伝えると本当に一所懸命にやります。


 一所懸命なんだけれど、部分的には基礎学力が欠如しているところもあるので「お前は教えがいがあるのかないのか分からんな」なんていうと「教えがいあるじゃないですか!」と即座に言い返してきます。偉いもんです。


 つまり、家族だけではなく、仕事においても自分が強くなると部下が安心し、安定するのです。パワハラだから嫌われるというのは一面的な見方に過ぎません。自分が強く、部下を守ってあげる気持ちで、あるいは部下の幸せを願って強く引っ張っていく分には部下も安心し、安定するのです。


 弊社のお客様の中には管理職の方も少なくありません。ですから、長距離走、マラソンは非常に良いスポーツなのです。


 最後に、ここまで抽象的に強いとか弱いとか書いてきましたが、具体的に強さの要素を述べさせて頂きます。生きていく上で必要な強さとは以下の項目です。


・体力


・精神力


・知力


・金銭力


・胆力(勇気と決断力)


・精力(子作りの能力)


 長距離走、マラソンで養えるのは以上のうちの体力、精神力、知力、胆力、精力の5つです。つまり、金銭力以外は養えるのです。


 また、私は市民ランナーさんの良いところは指導者や仲間がいないところだと思っています。もちろん、基礎的な知識は必要です。これによって知力も養われます。


 ですが、普通陸上部では1から10,もしくは1から8くらいまでは監督が全て決めるので、知力を働かせる余地がないのです。その分、まだ体力的、精神的に弱い子でも仲間と指導者のお陰で、体力と精神力を開発できるというメリットも多くあります。


 その一方で、知力と胆力が発達しないというデメリットも大きいです。自分で考えて、決断し、その結果をまた分析して、次の計画を立ててという繰り返しで知力と胆力が養えるのです。


 そういう意味では、大人の発育ということを考えると、私は指導者不在の状況が、寧ろ好ましいと思っています。弊社ウェルビーイング株式会社も創業以来、具体的手法をこちらで指し示すのではなく、最終的には自らの頭で計画を立て、実践し、結果とそこに至る過程を分析し、次の計画を立てられるというところ、つまりセルフコーチングをゴールにおいてきました。


 今改めてそれで正しかったと確信しています。


 やるもやらぬもあなたの自由です。ですが、最後にこれだけ申し上げさせて頂きます。弱さは悪、強さは善なのです。強いからこそより多くの方のお役に立てるのです。長距離走、マラソンを市民ランナーであるあなたが取り組む意義お分かり頂けましたでしょうか?



追伸

 そうすると、女性にとっての長距離走、マラソンの意義は何なのかという疑問が出てくるでしょう。これについては三つの回答があります。一つ目の回答は強い人が弱い人を守ることで社会は成り立つということを考えるのであれば、別に女性が男性の役割をしても良いのです。


 二つ目の回答は、自分のレベルが上がることでより良い男性と結婚できる可能性が高まるということです。どうも、自分のレベルが低すぎると良い男というものが見極められないようです。目の前に良い男がいるのに、「私にも誰か良い人いないかな」なんて言っている女性をこれまで山ほど見てきました。


 三つ目の回答は、女性は人とのつながりに幸せを感ずることが多いようです。ランニングを通じて友達が出来たり、仲間が出来たり、自分の居場所が出来たり、そこに幸せを感ずる方が多いというのが私の経験則です。


追追伸

 強いものが弱いものを守ることで社会は成り立つ、だから強くなければならないということになると、強いものはどうやって幸せになるのかという疑問が出て来るかもしれません。強くなるには多大な努力を必要とします。多大な努力の末に、他人ばっかり守ったり、幸せにして一体何になるのでしょうか?


 ご心配なさらなくても大丈夫です。我々の本能、特に男性の本能には自分よりも弱いもを守ってやっている、幸せにしてやっているという満足感が湧き上がってくる回路が組み込まれています。長距離走、マラソンを通じて生命力を高めれば、きちんとこの本能が強くなっていきますから、多くの方のお役に立てることそのものに幸せを感ずるようになるのです。


 また、この観点から言えば、正しいのは一夫一妻制ではなく、一夫多妻制です。一家族しか守れない、幸せに出来ない男よりも二家族も三家族も守り、幸せに出来る男こそが偉いのです。


 昔の中国の人はこれをちゃんと分かっていたようで、匹夫という言葉があります。匹夫というのは妻が一人しかない男のことで、意味は「つまらない男」です。くだらん男、役にも立たん男が口だけは達者でわあわあ言っていることを「匹夫の勇」というのです。弊社は社内会議をやりませんが、その理由は「匹夫の勇」を出さない為です。将来的にやるにしても、参加者は一人前の社員のみに限定するでしょう。あるいは副社長の深澤と相談して決めればそれで事足りることです。


 男性の皆さま、喜んでいる場合ではないです。あなたは二世帯、三世帯と養えるのですか?


 あるいは二人分、三人分の女性のヒステリーに耐えられるのですか?


 10人近くの子供のわがままに加えて、ぐれないか、襲われないか、変なやつと付き合わないかという心配に耐え、実際に守ってやれるのですか?


 強くならねばならないというのはそういうことです。


追追追伸

 長距離走、マラソンで金銭力だけは養えないので、お金を稼ぐための様々な方法論について解説している拙著『情熱を金に変えろ』(3000円)の原稿データを現在PDFファイルでプレゼント中です。お受け取りになられたい方は今すぐこちらをクリックして、お受け取り下さい。

 
 
 

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

© 2020 by ウェルビーイング株式会社

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