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京都陸協記録会5000m走ってきました。

謝辞

 昨日の20時に先行予約を開始した「ブレない走りと綺麗な体を手に入れよう!ランナーの為の体幹補強DVD」ですが、予約開始24時間待たずに47枚の予約が入り、残り53枠となりました。本当にありがとうございます。まだご覧になっていない方はこちらをクリックして、詳細ご確認ください。


 昨日は西京極のサブトラックで開催された5000mの記録会に出場してきました。さきにラップタイムと記録を書いておきましょう。


2分55秒

2分59秒

3分03秒

3分03秒

2分58秒


14分58秒


 レース前は14分55秒から14分50秒くらいかなと思っていたので、色々な意味で3秒も下回ってしまったのは、ショックではあります。指導者池上としても目算がずれているじゃないかという話になりますし、選手池上としても指導者池上の見立てを下回ってしまったというショックはありますが、まあ、ここまで遅ければ3秒速くても遅くても同じかなというのが率直な感想でしょうか。


 ですが、直近の練習を考えるとよく走ったと思います。残念ながら、9月23日の1キロ5本(2分50秒)、次の日の12キロテンポ走(3:10/k)の次の日に右ふくらはぎを痛めるとそこからは故障続きでした。右ふくらはぎの痛みが引かずにそのあとほとんど練習らしい練習は出来ずにイージーランニングやジョギングしか出来ていませんでしたが、10月9日のハーフマラソンの3日前に5キロ一本をして、なんとか走れる感触をつかむと、強行出場、3分10秒ペースで走る予定でしたが、レース中にも何度かぶちっと来てペースを落とし、67分前半でゴール、その後はヤンキー座りをすると右のお尻と左のお尻の高さが変わるくらい、ふくらはぎがはれ上がっていましたが、腫れさせたお陰でかえって治りが早くなり、一週間でほぼ完治しました。


 そのあと、また2週間のハードな練習を組んだのですが、そこでもまた左のアキレス腱を痛めて、しばらくは靴が履けずに裸足のジョギングとフィットネスバイクでのインターバルや持久走にあたる練習を組み合わせて、練習を継続しました。11月7日の弊社イベントでは、もちろん可能な限り走らないといけません。いけないことはないかもしれませんが、走れる限りはやっぱり実演したいと思っています。


 そこで10キロを30分58秒、これもほとんど練習が出来ていないわりによくまとめたと思います。今まで何度も故障で泣いてきましたが、その時にフィットネスバイクでだいたいどういうプログラムを組めば良いのか分かっていたので、これも無駄な経験ではありませんでした。


 この10キロもかなり無理をして走ったので、その後も靴が履けない状況は続きましたが、徐々に快方に向かい、今回のレースでは3日前に300m10本(50‐47秒)/200m、前日に1000m一本(2分47秒)で刺激を入れて、レースに臨みました。何故か、練習のタイムを見ても分かるように、持久型の私が現在に限って言えば、明らかに持久力が不足しています。


 今回も初めの1000m2分55秒が全く速く感じませんでした。持久型の私は初めの1000mでだいたいその日のタイムが予想できます。苦しくてもそのまま押し切れる代わりにスピードがないので、状態が悪ければ前半からそこまで速くいけないからです。今日も確かに1000m2分55秒はちょっと速いとは感じました。ただ、記録会にせっかく出ているので、上手く前の選手を使いたかったので、それは承知の上でちょっと速くはいったんです。それでも、初めの1000mの時点で一人だけダントツどべ(最下位)だったので、冷静に判断したと思います。


 初めの1000mでは「あっ14分50秒くらいいけるな」という感覚で、実際そこから落ちてくる選手を一人一人拾っていったのですが、2000mから3000m、3000mから4000mともに3分3秒まで落ちていました。これは私にとっては想定外でした。本来なら力を使わずに3分ちょうどから2分58秒でリズムよく押していくところが、それが出来ないとは思いませんでした。結果的に、2000mから4000mで8秒遅くなったということになります。


 最後の1000mもスピードには余裕があったはずなのに、結局スパートも不発、いや厳密に言えば、最後の400mだけは少し上がったのですが、うーんでした。一言で言えば、今回はさすがに絶対的な練習不足という結論になると思います。どんなに効率よく練習しても、それだけではどうしようもないこともあるということだと思います。実際のところ、過去の自分と比較してもこの練習でよく14分台出せるなというくらい練習は出来ていなかったので、コツはつかめてきているでしょう。ただ、やっぱりあるタイムを出すのに必要な最低限の練習はあるということです。


 ちなみにですが、基本的に私は持久型なので、レースで結果が出せるかどうかは練習の質によって基本的に決まるのですが、現状ではやや持久よりの練習を足さないと結果は出ないでしょう。スピード的には今回のレースでも練習でも全く問題ありませんでした。これこそが「長距離走、マラソンでこれをやれば絶対に速くなる」とかはありえないことの理由です。


 同じ池上秀志という人間をとっても14分58秒から14分35秒へともっていくアプローチは時と場合によって真逆になるんです。練習の負荷に関しても同じです。練習をやり過ぎて泣いたことも何度もありますが、今回はやっぱり練習不足の中で、上手くまとめたと言わざるをえません。そうすると、現状に関して言えば、もう少し走行距離を増やすことが走力向上の手っ取り早い方法です。もちろん、アキレス腱を完治に向かわせることが最優先の中でです。


 結局、長距離走、マラソンというのは負荷と適応、質と量、一般性と特異性、これに時間という概念を加えて4つの要素の中で調和を図るスポーツです。だからこそ、匙加減や微調整が必要になります。では、私の集中講義は何のために存在するのか?絶対的な答えがないのであれば、私は何を教えているのか?私がお伝えしているのは、答えへのたどりつき方です。具体的な答えをお伝えするよりも答えへのたどりつき方を教える方が結局は本質的で、遠回りなようで近道なんです。


 誰がやったって一回や二回は失敗します。でも、その時に答えへのたどりつき方を学んでいると「ああ、これはあの時学んだこれに該当するのか。じゃあこういうふうに修正していこう」ということが分かってくるので、これを1年、2年、3年、5年と続けていくと実はこれが一番近道で、分かっている人と分かっていない人の間にとてつもない差がつくんです。


 今回私が走った記録会は私が高校生の時も走った記録会です。実は高校2年生の時の私のトラックでの自己ベストは15分ちょうど、昨日の私の方が速いんです。「あれだけ、練習してもあんなタイムでしか走れなかったのか。俺もだいぶ練習が分かってきたな」という気持ちと、「俺あんなけしか走れなかったのに、京都府高校駅伝4区区間賞、近畿高校駅伝3区区間4位か強いな」という気持ちと両方しみじみと浮かんできました。


 高校駅伝の4区というのは3番手が主に集う区間で、私の区間にも5000m14分35秒をマークした京都外大西高校の中村涼(現大阪ガス)、3000m障害近畿チャンピオンの西川さん(のちにトーエネックかな?)がいましたが、私がダントツ区間賞でした。主に2番手が集まる激戦の近畿でも私が区間4位、5000m15分台ランナーにしては、並外れた強さをロードで発揮していました。


 このことからも改めて思ったのは、やっぱり効率よく練習することも大切、でも、やっぱり練習してきた人間は、結果が出ないことがあったとしてもやっぱり水面下で力は付いているし、強いということです。だから結局、やらない人間よりもやった人間の方が強い、勉強していない人間よりも勉強している人間の方が結果を速くだすし、遠くまで行ける可能性も高いということです。このあたりもランニングの面白いところです。単純なようで色々な要素が複合的に絡みあうスポーツなんです。


 やるだけやって失敗した人が馬鹿だとも思いませんし、勉強するだけ勉強して結果が出なかったからと言って勉強が無駄だとも思いません。どっちもやらないよりはやった方が良いに決まってます。毎週のように色々な方から成功報告、好記録報告、自己ベスト報告を頂いていますが、その陰で失敗している方もいらっしゃるでしょう。全て「一時的な失敗」として処理して、「自分にはこれ(=あなたの目標)が出来るんだ」と信じて、また明日から引き続き継続すれば良いと思います。


 さて、このレースの日は久しぶりにわが師ディーター・ホーゲンから「まだ生きているか」と連絡がありました。レースが終わったら結果を報告しようと思っていたので、以心伝心とはこのことでしょう。ドイツ語ではGedankeuebertragungというそうですが、そんなことを電話で昨日は色々はなしていました。毎日のように新しくメルマガ登録してくださる方がいらっしゃるので、まだ「実業団4社からの誘いを断り、外国人コーチについた男の話」というブログ記事を読んでいない方は、まずはそちらをお読みいただきたいのですが、お読みいただいた方も詳しい部分はよく分からないと思うので、改めて書かせてください。


写真:コーチホーゲンと筆者


 コーチホーゲンは東ドイツの出身で、もともとは有望な中距離ランナーで東ドイツのホープでした。18歳の時に5000mを14分10秒で走ったということは聞かされていましたが、あまり現役時代については多くを語りません。当時の14分10秒と言えば、日本選手権の優勝タイムに匹敵します。ですが、二十歳の時にはひざを痛めて手術、競技人生に終止符をうち、コーチになることを決意しました。その後、ずっとジュニアの選手を指導して、当時から17歳で1500m3分40秒とか3000m7分台とか色々な選手を育て上げ、後にボストンマラソン3連覇、ベルリンマラソン3回優勝のウタ・ピッピヒさんを育て上げます。


 東西ドイツ統一後はウタさんとともにアメリカのボルダーに渡り、そこでイギリス人マネージャーのキム・マクドナルドに出会います。そして、キム・マクドナルドさん、トム・ラッドクリフさんの3人でKimbia Athleticsというマネジメント団体を立ち上げてケニア人選手の指導にあたります。Kimbiaというのはスワヒリ語でランニングという意味です。そこで、スティーブン・キオゴレ、エヴァンス・ルット、ベンジャミン・マイヨ、アラン・キプロノ、レイモンド・チョゲ、ラー二―・ルットなどなどボストンマラソン、ニューヨークマラソン、シカゴマラソン、フランクフルト、ケルン、ベルリンなどなどメジャーマラソンのチャンピオン、トップ3、トップ8に入る選手を何十人も育て上げ、ケニアンマジックの異名を取りました。ケニア人は全員速い訳ではなく、少なくとも自己ベストで言えば大半が私よりも格下であることは何度か書いている通りです。誰が指導しても結果が出せるほど甘い世界ではありません。


 私もそこに負けじと2本目のマラソンを2時間13分41秒で走り、大阪マラソン2位に入ると、2018年大阪マラソン、ヴィーンマラソン2019はそれ以上に良い練習が積めて2時間10分切りを本気で目指せる状態だったのですが、思うような結果を残せませんでした。その話はまた別の機会にしたいと思うのですが、ここが一番ややこしいと思うので、今日はプロランナーの話を少し書いてみたいと思います。


 2019年、私は30度を超す酷暑のケアンズマラソンで優勝するなどもありましたが、ヴィーンマラソンで2時間15分23秒という結果しか残せず、アミノサウルスとのスポンサー契約は打ち切りとなりました。この時点で、私は今のウェルビーイング株式会社を立ち上げ、コロナの不況下にも関わらず、皆様のおかげで順調に大きくなり、いつもいつも感謝の気持ちでいっぱいです。


 ですが、スポンサー契約を切られただけであって、これはマネジメントのKimbia Athleticsやコーチホーゲンとの関係が切れたことを意味する訳ではないんです。プロランナーというのは、マネージャーがスポンサーや大会と交渉をする代わりにスポンサー収入、レースの出場料、賞金の何パーセントか(陸上競技では15‐20%が一般的)を獲るというこういう仕組みになっています。コーチとマネージャーが別であれば、さらに別の人間同士でも話し合います。私の場合は、コーチもマネージャーもディーター・ホーゲン氏です。ですが、コーチホーゲンから私は給料をもらっていたわけではありません。


 ですから、スポンサー契約は打ち切られましたが、コーチホーゲンは今でも私のコーチです。もっと言えば、京都教育大学の帰宅部生としてハーフマラソン63分09秒で走るまではセルフコーチングでしたが、大学4回生からはすでにコーチホーゲンにお世話になっていました。それで、私もスポンサー契約を失い、プロじゃなくなった後も、ずっと練習は継続していたのですが、やはり起業というのはそんなに甘いものではなく、勉強することも多く、プレッシャーを感じることも多く、プロ時代と同じ練習をこなすことが困難になりました。


 その旨を伝えると「じゃあ、軌道にのるまでは走らずにそっちに集中すれば良いじゃないか」と言われたので、「走るのをやめたくはないです」というと「走るのは構わないけど、軌道にのるまで仕事に集中しないとどっちつかずのやり方を続けていれば、大きなことは何一つ成し遂げられない」と言われて今に至るという訳です。


 皆さまのお陰で、少しずつ少しずつ大きくなっており、またプロレベルの練習に戻れる日も近いと思います。本当にありがとうございます。私が皆様にお伝えしている内容は何も私が独りよがりに言っているのではありません。世界でもトップの指導者から直に学んだ内容を皆様に加工しながらお伝えしていますので、これからも自信を持って走り続けて頂ければと思います。ちなみに、コーチホーゲンは今年もドイツ選手権で優勝し、U20のドイツ記録を作った女子選手を指導しており、絶好調です。


 今ウェルビーイング株式会社の集中講義の受講生様から続々と好記録の報告を頂いています。特に40代、50代、60代の大人になってから走り始めた方たちの伸びはすさまじいです。若さだけでは走れない、頭を使えば年齢は関係が無い、これも長距離走、マラソンの魅力です。20代、30代の方に関しては書くまでもないでしょう。


長距離走、マラソンについてもっと学びたい方へ

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追伸

 軌道にのれば、また競技に集中したいとは思っていますが、もちろん集中講義の受講生様には引き続きサポートさせて頂きますので、ご安心ください。

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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

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