突然ですが、30㎞走をやっているのにレースでは何度も脚が攣ってしまい、最後は歩くようにゴールしてしまう、あるいは脚が攣るというところまではいかないけれども、最後に脚がへたってしまって、大幅に失速したままゴールしてしまう、そんな経験はないでしょうか?
そんな時にユーチューブなんかを見ていると40㎞走は意味がないとかあるいは大きな筋肉を使って走れば良いとかそんな情報が出回っており、あーそうなのかなと思いつつも「40㎞走ですら意味がないのか、じゃあ走り方を変えてみよう」と色々試行錯誤をして走り方を変えてみたり、ランニングクリニックに参加したりして、走り方改善に取り組み、その場ではなんとなく楽に走れるようになったように思うけれども、いざレースに出てみるとやっぱり体が動かない、そんな経験はないでしょうか?
今回はそんな方の為に一般論と解決策を伝授させて頂きたいと思います。
先ず、初めに述べておきたいのは一言で「脚が攣る」とか、「30㎞以降大幅にぺースが失速する」と言っても、その時に起きている現象には多少の違いがあり、一概にこうだと言い切れるものではないということをご理解下さい。
その上で、私が過去4年間でのべ数千人のランナーさん達とやり取りをさせていただいてきた中から、共通して浮かび上がった問題点、ここを治せば改善される可能性が高いというものをお伝えさせて頂きたいと思います。
大きく分けると、多くの方が抱えている悩みは以下のものに収束されるのではないかと思います。
・30㎞以上の練習を何度も取り入れているのに、後半大幅に失速してしまう。脚が最後まで持たない。峠走も何度も取り入れているのにやっぱり脚がもたない
・練習で40㎞走までやったのに、後半大幅に失速してしまう。脚がもたない。30㎞までの練習で上手くいっている人もいるのに何故?
・本で読んだ通り(ユーチューブで解説されていた通り、コーチが言っていた通り、知り合いのランナーが言っていた通りなどなど)、レースの3週間前に30㎞走をやったのに、後半大幅に失速してしまった。他のランナーさんはそれで上手くいっているのに。自分には才能がないのかな?
・走り方を改善すれば、大きな筋肉群を使えば、疲れずに最後まで走り切れると本に書いてあったのに(ユーチューブで観たのに、ランニングコーチが言っていたのに、先輩ランナーさんから聞いたのに)、どれだけランニングクリニックに参加したり、パーソナルトレーニングを申し込んで走り方を改善しても30㎞以降の脚攣りや大幅な失速が改善されない。自分には素質がないのかな?
それぞれ順番に見ていきたいと思います。先ずは30km走を何本もしているのに、脚攣りが改善されない、峠走も取り入れているのに、なかなか後半の失速が抑えられないということですが、質が不足しているケースが圧倒的に多いです。このように書くと「いやいや、スピード練習もしてるよ。1㎞のインターバルもめちゃくちゃ追い込んでるし、これ以上は無理」とおっしゃる方も多いのですが、私が言っているのは距離走の質の部分です。
特に、マラソンにおいてはこの距離走の質が物凄く重要です。大雑把に言えば、脚づくり、土台作りの段階ではマラソンレースペースの80%くらいから体を作っていって、レースが近づいてくると共にレースペースの90%くらいへと移行していきたいのです。
別の目安を出せば、物凄く大雑把に、レースペースに対して+1㎞あたり40秒前後くらいが脚づくりの時期の大雑把な目安になります。1㎞あたり+50秒から30秒くらいが一つの目安であり、レースが近づいてきたら、何本かはそれよりも速いペースでやっておきたいところです。
ところがです。
例えば、マラソンでサブ3.5を目指すとなると1㎞4分58秒ペースでずっと走っていけば良い訳ですが、それにも関わらず、1㎞7分ペースで山にいって3時間、4時間走るLSDみたいな練習の人が非常に多いのです。そこまで極端ではなかったとしても距離走は1㎞6分より遅いペースでしかやっていないみたいな状況であれば、なかなかフルマラソンを1km4分58秒ペースで走り切るだけの体が出来ないのです。
身体的なものだけではなく、精神的にもなかなかそれではレースに対して準備をすることが難しいでしょう。
そもそも論ですが、ここで考えて頂きたいのは実業団選手であっても30㎞以降脚が攣ったり、大幅に失速する選手がいるのは何故なのかということです。
単純に走りこめば脚が攣らないとか失速しないというのであれば、実業団選手であれば脚が攣ることはないはずです。マラソンに出る選手であれば、40㎞走はほとんどの選手がやっていますし、男子であればそのペースはだいたい1㎞3分半前後でしょう。更に総走行距離も多く、月間1000km前後走り込むことは決して珍しいことではありません。
それでも、失速する人は失速する、というかほとんど全員失速します。
それは何故かと言うと42.195㎞という距離に耐えられないのではなくて、1㎞3分ペースという距離と質の組み合わせで来る負荷に耐えられないからです。1㎞3分ペースで20㎞は走れる、1㎞3分半ペースで42.195㎞も走れる、でも1㎞3分ペースで42.195㎞となるとほとんどの選手が(私も含めて)走り切れない、これは質と量の組み合わせで来る負荷に耐えられないからです。
フルマラソンを2時間6分で走るということは簡単なことではないので、理論だけで解決できるようなものでもないのですが、市民ランナーの方の場合は大抵は理論だけで解決できます。何故なら、そもそもの距離走のペースが遅すぎるという方が多いからです。
では、次に質も量もこなせていたのに、レースで結果を残せなかった、本で読んだように(ユーチューブでみたように、ランニング教室のコーチが言っていたように、知り合いのランナーさんが言っていたように)、〇週間前に〇㎞を〇時間〇分でやったのに、同じような結果が得られなかった問題を考察しましょう。
この問題の一番顕著な例はレース三週間前に、30㎞を1㎞4分15秒でやれればサブ3出来るというやつでしょう。あるいは40㎞走は意味がないのか否か問題にもかかわってくるのですが、多くの方がトレーニングの基本中の基本とも言える原則を無視しています。
トレーニングの基本原則、それはトレーニングとはやることに意味があるのではなく、やったトレーニング刺激に対して適応することで力がつくということです。トレーニングとは体に刺激をかけることでしかありません。そして、刺激そのものは体を強めるのではなく、弱めます。
これは単純な理屈です。5000mのタイムトライアルをするのであれば、必要最低限のウォーミングアップを行っただけの状態か、それとも30㎞を全力に近いペースで走った後かどちらの方がよく走れるでしょうか?
あるいはこれから仕事を頑張ろうと思うのは30㎞走を全力に近いペースで走り終わった後でしょうか、それともまだ走っていない時でしょうか?
言うまでもなく、肉体的にも知的にも精神的にも人間が頑張れるのは元気な状態の時です。トレーニング直後というのは逆に、肉体的にも知的にも精神的にもパフォーマンスが幾分低下します。
しかしながら、休養を挟み、体が回復した後で更に生物学的なエネルギーの余剰があれば、体はトレーニング刺激に対して適応し、体がトレーニング刺激に対して適応します。
ここで重要なのは強度と頻度(反復回数)です。あまりにも強度が高いとそこから回復するだけで精一杯になるので、生物学的エネルギーの余剰分がありません。生物学的なエネルギーの余剰分という言葉が分かりにくければ、体力的な余裕と言っても良いでしょう。余裕を持って回復出来る時に初めて人間は回復するだけではなく、適応に回すだけの体力があるのです。
例えばですが、一般的に子供の方が必要な睡眠時間は長いですよね。特に中学生までの子供にとっては睡眠はとても大切です。それは何故かと言うと、大人の場合は睡眠は主に回復のための体力温存ですが、子供にとっては細胞分裂して成長するだけの体力の余剰分が必要となるからです。
このようにただ単に、回復して終わりというだけではなく、成長しようと思うと余分に休養が必要になるのです。これはトレーニングから回復するだけではなく、適応しようと思う場合にも同様のことが言えます。
あるいはもしかすると、大人の場合であればお金で考えた方が分かりやすいかもしれません。例えばですが、毎月の収入が手取りで20万円だとします。これで家族4人が暮らすとしましょう。そうすると、家賃や光熱費や食費を差っ引いたら手元にはほとんどお金が残りません。
手元にお金が残らないと車を買ったり、大きな家に引っ越したり、新しい電化製品を買ったり、オンラインスクールや書籍を購入して勉強したりといった、生活や自分自身をグレードアップさせる余裕がありません。回復させるのに精一杯でトレーニング刺激に対して適応する余裕がないというのはこのグレードアップする余裕がない状態だと考えて下さい。
それと同じでトレーニングの強度が高すぎると体に対しては余裕がないので、その刺激に対して適応することが出来ず、走力アップには繋がらないのです。つまり、代謝系も改善されないから30㎞以降にグリコーゲン(糖原質)を貯蔵することも出来ないし、筋持久力も改善されないから脚が攣るという状況に陥ってしまうのです。
そして、ここで深く掘り下げて考えて頂きたいのは強度とは何かということです。強度には外在的な負荷と内在的な負荷の二種類があります。外在的な負荷とは客観的な負荷であり、質と量、それに累積標高や風向風力を入力すれば、客観的な数字が導き出されるでしょう。ここでは話を単純にするために、無風の平坦なコースでの練習を想定して下さい。
この時、例えば15㎞を1㎞4分ペースで走るのであれば、これが万人にとっての外在的な負荷です。例外はありません。私がやってもあなたがやってもエリュード・キプチョゲ選手がやっても15㎞を1㎞4分ペースは15㎞を1㎞4分ペースです。それ以外にはありえません。これが外在的な負荷であり、それが全てです。
一方で、内在的な負荷とは外在的な負荷が生体に与える負荷の大きさのことです。つまり、その人の基礎体力レベルや走力レベルによって同じ15㎞を1㎞4分ペースという練習であってもその人に与える負荷は変わります。早い話がそれをやった後の疲労度合いに関してはその人の走力や基礎体力レベルによって異なります。あるいは、そもそもこの練習が出来ない人もいるでしょう。その場合は15㎞を全力に走ることになるでしょうから、内在的な負荷はやはりかなり高くなります。
私が先ほど、トレーニング刺激に対して適応するには条件があると言いましたが、そのうちの一つ目の強度とはつまり、この内在的な負荷が高すぎると体はその刺激に対して適応しないということです。そうすると、仮に練習である距離をあるタイムで走ったとしてもそれが身になっていない可能性があるのです。
では、一体内在的な負荷とは何で決まるのでしょうか?
色々な要素はあるにせよ、基本的には普段やっていることはそれほど疲れないし、普段やっていないことは疲れます。とは言え、いつもいつも同じことばかりやっていたらなかなか力はつきません。じゃあ、この二つのアンチノミー(二律背反)に対する最適解は何かということですが、細かく段階を踏むということです。
練習は質も量もなるべく細かく、少しずつ少しずつ増やしていかないといけません。この原則を無視して、本やユーチューブやランニング教室のコーチの話を鵜呑みにして、〇週間前に〇キロを〇時間〇分でやれば良いという話を段階を全く踏まずにいきなりそのままやってしまうから、上手くいかないのです。
そして、この話は40㎞走は意味がないのか否か問題にもそのままつながってきます。40㎞走を特別視する人もいますが、本来段階を踏んで行えば特別視するような練習ではありません。かつては5㎞走るだけでもきつかった人がやがて10㎞を余裕をもって走れるようになるのと同じで、段階を踏めば40㎞という距離もさほどダメージを残さずに走れるようになります。
ただ、あまりにもペースが遅いとフルマラソンを速く走るという目的からは外れてしまうので、質と量を段階的に増やしていく必要はあります。段階的に質と量を増やして、無理なくレースペースの90%で40㎞走が出来るようになれば、それが出来ない人よりも成功の確率が高いのは当たり前の話です。
一方で、今まで30㎞までをマラソンレースペースの80%でしかやっていないのに、いきなりレースの4週間前になって40㎞走をマラソンレースペースの90%でやっても体は適応出来ず、寧ろ過度な疲労が残ってマイナスに働くのは火を見るより明らかです。
こういった議論の過程を全てすっとばして40㎞走は意味があるのかないのかと議論すること自体が一番意味のないことです。
また、プロなら分かるけれど、市民ランナーには40㎞走は必要ないとか二時間半を切るレベルなら分かるけれど、サブ4を目指すレベルで40㎞走は必要ないという人もいますが、それも間違った考え方です。
何故ならば、レースで走る距離は全員等しく42.195㎞だからです。ここが変わらない限りは40㎞走の重要性は変わりません。レースではマラソン4時間切りを目指す人はマラソン2時間10分切りを目指す人よりも42.195㎞を遅いペースで走ります。ですから、マラソンで4時間切りを目指す人はマラソン2時間10分切りを目指す人よりも40㎞を遅く走れば良いのであって、その重要性自体は変わりません。
ただ、どのレベルにおいても(2時間10分を切るようなレベルの選手でも)、練習では30㎞までしかやらずに、ある程度の結果を残す人もいます。それでもレースで42.195㎞を走るのだから、練習でも1回か2回くらいは40-45㎞を走った方が良いという私の意見に変わりはないのですが、30㎞走までしかやっていないのにフルマラソンで好結果が出ることもあるというその作用機序(メカニズム)を理解することも大切です。
ここではどういった原理が働いているのかと言うと反復効果です。
先ほど、トレーニングで大切なことはただ単にやることではなく、その刺激に対して適応することだと申し上げましたが、人間の体は反復していけば、その刺激にどんどん適応していきます。ですから、実は一回や二回やっただけで、意味があるのかないのかを論じること自体が結構無意味で、ある程度余裕をもって反復し続けることがトレーニングでは大切なのです。
ですから、一番意味がないのは〇週間前に〇キロを〇時間〇分でやれれば、レースでは〇時間〇分で走れるという情報です。そう、単純な話ではなくて、およそレースペースの80-90%の強度の30-40㎞走をなるべく細かい段階を踏んで行うことが大切であり、更に重要なのは同ペースの10-20㎞走を普段からどれだけ高頻度で実施しているかです。
大きな筋肉群を使えば走り切れる?
ここまでの説明でだいたいは分かって頂けたのでもう良いかなとも思うのですが、それでも後を絶たないのが走り方を変えれば最後まで走り切れる論です。ここで、一つお伺いしたいのですが、ポリカーボネートではなく普通のプラスチックで出来た自転車のタイヤに体重100㎏を超える人が乗り続けても綺麗なフォームでこぎ続ければずっと使えるのでしょうか?
物事には何でも耐久性というものがあります。人間の体も同じで継続的にある程度のペースである程度の距離を走り続けていけば、段階的に骨格筋、靱帯、腱、骨が強くなってきます。これが自分が目標とするペースで42.195㎞を走り切れるだけの耐久性に達しない限りは絶対にレースを走り切ることは無理です。
走り方を改善することに意味がない訳ではありません。何故ならば、普通はどこかに無駄な動きや無駄な力が入っているものだからです。つまり、力の浪費(無駄なエネルギーロス)があるからです。
ですが、完全に無駄を取り去ったとしても耐久性の方が持たなければどうにもなりません。大きな筋肉群を使えば大丈夫とか言いますが、先ず第一に人間の関節や骨格はほぼ全員同じです。雪だるまのように転がりながら42.195㎞を移動できるようになれば、もう少し経済性も上がると思いますが、人間の関節や骨格はだいたい皆同じなので、動ける範囲に限りがあります。
その中でも走るという動作は非常に原始的な動作であり、そこまでバリエーションがありません。結局、全員似たような筋肉群を使っています。従って、大きな筋肉を使って走ると言ってもその比率がわずかに変わるだけであって大きくは変わりません。
もちろん、1秒や0.1秒を争う陸上競技においては、わずかな走り方の改善が天国と地獄を分けることはあります。
ここで私が言いたいのは3時間32分が3時間29分になる可能性はあるけれど、3時間32分から走り方を改善したところで2時間59分には絶対にならないということです。大きな筋肉群を使えばと言いますが、誰だって多かれ少なかれハムストリングスやお尻の筋肉は使っています。その比率が多少変わったところで、そう大きくは変わりません。
また、基本が身についていない人が基本を身に着けることで記録を伸ばし、3時間32分が3時間29分になることは普通にあり得る話です。ですが、その後はどうするのでしょうか?
確かに技術の改善にも終わりはありません。ただ、やっぱり関節の動ける範囲は決まっているので、大きくは変わらない訳です。走り方を変えても大きな記録の向上にはつながりません。
また、無駄のない走り方を身に着ける最も良い方法はある程度の距離をある程度のペースで高頻度で走ることです。人間は体に負荷をかけていれば、自然と無駄が省けてきます。何故ならば、本能的に楽をしようとするからです。それが積み重なれば、つまり何度も何度も繰り返せば、更に磨きがかかります。
ですが、あまりにもキツイ負荷をかけると力みが生じたり、最後までその型を維持できずに、走りが崩れたりしがちです。ですから、ここでもある程度の余裕と頻度の両方が大切になってくるのです。
今回の内容参考になりましたでしょうか?
まだここまで読んでも半信半疑の方もいらっしゃるかと思います。そんな方には実例をお見せいたしますので、何度走っても脚が攣ったり、後半に大幅失速していたところからたった一年間で3時間19分から2時間57分まで記録を伸ばされた52歳の上田正太さんの実例をお見せいたしますので、是非こちらをクリックして別の記事に飛んでください。
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