ジャック・ダニエルズ博士が1500mのレースペースのトレーニングを反復することでランニングエコノミーが改善されると主張する根拠はどこにあるのか?
- 池上秀志
- 2 日前
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更新日:12 分前
突然ですが、あなたはジャック・ダニエルズ博士のランニングフォーミュラという書籍はお読みになられたことがありますでしょうか?
日本語の翻訳版も出ており、非常に多くの方に読まれている一冊であり、またその書籍に書かれている内容が様々な形でSNSやユーチューブでも解説されたり、紹介されたりしているので、ご存知の方も多いかと思います。
その書籍の中に「1500mのレースペースのトレーニングがランニングエコノミーを改善する」との記述があるのですが、ずっとこれが私の中では疑問でした。というのも私の指導者及び選手としての実感に非常に反するからです。
物凄く端的に申し上げますと、私の経験上ランニングエコノミーに優れるのは中距離選手ではなく、長距離選手の方なのです。寧ろ、中距離選手は800mや1500mのレースペースにおける走り方は綺麗ですが、長い距離になると走り方が汚い選手が多いです。
具体的には動きが大きすぎるのです。ペースが遅くなれば、それに応じて動きを小さくしていかなければならないのですが、そこの調節が上手く出来ず、上にばねを逃がしてしまう選手が非常に多いのです。私が指導している高校生の中にもそういう選手がいますが、動きが大きすぎるのでダメージが大きく、どうしても故障がちです。
私の妻は中距離種目において計7度、全国大会で入賞し、うち1回は日本一にもなっていますが、彼女も典型的にこのパターンで、長い距離になると上手いこと走りを小さくするということが出来ないタイプです。
ただ、私よりも妻の方が運動神経ははるかに良く、ありとあらゆる動きづくりは彼女の方がはるかに上手で、短距離のスピードもこちらは男性ホルモンと言う圧倒的優位性がありながらも、ほとんど変わりません。それだけ身体能力に優れていても、長い距離をなるべく疲れずに走るということにおいては走り込みなしにはなかなか身につかないというのが私の経験なのです。
にも関わらず、ジャック・ダニエルズ博士は「1500mのレースペースを反復することによってランニングエコノミーが改善される」と著書の中で述べておられる訳です。
一体この両者の見解の違いはどこから来るのでしょうか?
当たり前ですが、私もジャック・ダニエルズ博士が誤っているとも思われないので、彼がそのように主張される根拠を知りたかったのです。調べていくうちに、ジャック・ダニエルズ博士が1500mのレースペースを反復することによってランニングエコノミーが改善されるという論文を初めに発表されたのはメキシコオリンピックの年である1968年であることが分かりました。
この論文を探したのですが未だ見つからずです。代わりに見つかったのが、1992年に『メディシンサイエンススポーツエクササイズ』という文献の中に収録されているナンシー・ダニエルズ博士とジャック・ダニエルズ博士の共同論文『Running economy of elite male and elite female runners(男性競技者および女性競技者におけるランニングエコノミー 訳池上)』というものです。
こちらの論文を読めば、おおむねジャック・ダニエルズ博士の主張の根拠が分かりましたので、本記事内で紹介させて頂きます。
そもそもランニングエコノミーとは何か?
本題に入る前に解説させて頂きたいのはランニングエコノミーとは何かということです。ランニングエコノミーとは「ある任意のペースにおける酸素摂取量」のことです。これを計測することによって何が分かるのかということですが、ある走行速度におけるおよそのエネルギー消費量です。
つまり、ある速度を維持するのに必要な力の大きさのことです。人間は力を生み出すために酸素、炭水化物、脂肪の3つを主な材料として使います。このうちの炭水化物と脂肪に関しては食事により摂取し、体内にグリコーゲン(糖原質)及び脂肪酸という形で貯蔵されます。
酸素の方は空気中にふんだんにありますから、体内に貯蔵する必要はなく、必要に応じて摂取します。酸素を摂取するのは力を生み出すための材料として使われているので、酸素摂取量を計測すれば、およそどのくらいの力を生み出しているのかが分かるということです。
つまり、走行速度が同じである場合、摂取する酸素の摂取量が少ないということは必要な力の大きさが小さい、すなわち省エネで走れているということです。これをランニングエコノミー(走技術における経済性)に優れていると表現するのです。
このことを理解しておかないとグラフを見る際にやや混乱をきたすと思います。ランニングエコノミーが優れているとは、走行速度が同じである場合の酸素摂取量が少ないことなのです。つまり、グラフに表すとグラフの位置が低い方がランニングエコノミーが優れているということになります。
ついつい人間はグラフが高い方が優れていると思ってしまうものですが、ランニングエコノミーに関しては、このグラフが低い方が優れているのでお間違えの無いようにご理解ください。
ランニングエコノミーに関しては「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が正しいと覚えておくと良いでしょう。
ジャック・ダニエルズ博士の実験内容
では、ジャック・ダニエルズ博士は競技者のランニングエコノミーを調べるにあたってどのような実験をしたのでしょうか?
実験の対象者(被験者)はナイキのスポンサーを受ける欧米の女性ランナー20人と男性ランナー45人です。種目は800mからフルマラソン、レベル感はその国のオリンピック代表選考会に出場してオリンピック出場を目指すレベルからオリンピックに実際に出場するだけの実力者たちです。
実験方法は女性ランナーの場合は1㎞4分2秒ペースからスタートし、1㎞3分43秒ペース、1㎞3分26秒ペース、1㎞3分13秒ペース、1㎞3分0秒ペースあたりまでペースを上げていきます。
一方で、男性ランナーの方は1㎞3分43秒ペースからスタートし、同様に1㎞3分26秒、1㎞3分13秒、1㎞3分2秒、1㎞2分51秒、1㎞2分42秒ペース、1㎞2分33秒ペースまでペースを上げていき、最大下運動の場合はそれぞれの強度を6分間維持し、それぞれ間に5分の休息を挟み、それぞれの走行速度で走った後に酸素摂取量と血中乳酸濃度を測定します。
その結果をグラフに表したのが以下の図です。

このグラフを見ると、マラソンレースペースあたりでは、マラソンランナー、中距離ランナーに違いは見られず、それよりもペースが速くなると中距離ランナーの方がランニングエコノミーに優れています。
おそらくこれをジャック・ダニエルズ博士は1500mのレースペースのトレーニングを反復することでランニングエコノミーが改善されるとの結論に至ったのでしょう。中距離ランナーがマラソンランナーよりもより多くの体力と時間を中距離のレースペースのトレーニングに時間を割くことは明白だからです。
私自身の経験とのすり合わせ
私自身の経験から申し上げても、このことは一理あると言いますか、理解出来る内容ではあります。というのも、確かに5000mや10000mのレースに出場した時に、スピード的な余裕自体は中距離ランナーの方が大きく、動きもゆったりとすることが多いからです。
だからと言って、5000mや10000mで結果を出せるかと言うと、その他の様々な要因が絡んでくるので、それはまた別の話なのですが、動き自体に余裕がある、スピード自体に余裕があるということは私の経験にも合致します。
また、この実験で一つ注目すべきことは各走行速度の持続時間が6分間であるというところでしょう。
これも私の経験なのですが、中距離ランナーが長距離レースに出場したり、あるいは日々のトレーニングにおいて走り込みを行う際、元気な時と疲れてきたときの差が大きいというのが一つ特徴として挙げられます。
長距離走やロードレースで活躍する選手、特にハーフマラソンやフルマラソンなどの長い距離で活躍する選手の特徴は元気な時と疲れてからの動きの差が小さいことです。これはレース中においてもそうですし、トレーニングにおいてもそうです。
例えば、合宿の前半と後半で動きの差が小さい選手がロードレースでは活躍する傾向が強く出ます。
逆に言えば、動きが大きすぎるとどうしてもそれを持続することが難しいのです。先述の通り、中距離を専門にやっている選手はペースが遅いにも関わらず、動きが大きすぎるという特徴が多くみられます。それでも、わずか6分の持続時間でなおかつ間に5分の休憩があるのであれば、その大きな動きも問題なく維持することが出来、スピード的な余裕は出るでしょう。
そういった実験におけるプロトコルと実際のレースや練習の違いというものが結果として表れているのではないかというのが私の結論です。
一方で、これも見落としてはならないのは、実験結果としてはっきりと数字が出ていること自体は否定できないということです。私自身も選手及び指導者としての経験からそのペースに対してその走り方は動きが大きすぎる、それでは練習量を増やせない(疲れやすい)とか故障のリスクが大きくなるとかの経験則は持っています。
ですが、そこにはどうしても私自身の主観というものが入ってしまうのも事実です。誤解の無いように書いておきますが、だからと言って私の個人的思い込みに基づく決めつけではありません。なるべく私心を排して虚心坦懐に観察した結果として、そういった傾向が明らかに見られるのです。
それでも、所詮は人間のやることなので如何に私心を排するよう努めても、多少の主観は入ってしまうであろうという話です。そういった観点から、私心の入る余地のない客観的数値というものも無視すべきではありません。
結論
私の経験上、基本的には走り方はなるべく歩きに近い走り方であるべきです。其方の方が実際の練習やレースにおいては長距離走、マラソンに対応出来ますし、また疲れにくく故障しにくいので、市民ランナーの方が長距離走、マラソンを楽しまれる上でも重要なことであると思います。
その一方で、速いペースに慣れておくと遅いペースにスピード的には(動き的には)楽に対応できるというのは事実です。また、こういった客観的な数字が出ている以上は、こういった客観的数字も重視すべきであり、季節やその時々に状況に応じて、多少は3000m以下のレースペースのトレーニングを取り入れたり、中距離的な大きな動きを作る補助的トレーニング(バウンディングなど)を取り入れることは良いことであると思います。
基本的には、ジョギングなどの遅いペースにおいては歩きに近い動きを作り、同時に年間の中に一部で良いので3000m以下のレースペースで行うようなトレーニングを入れていき、両方の動きに対応できる神経回路を構築することが大切であると思います。その二つの神経回路が構築できれば、5000mからフルマラソンまでの種目は全てその二つの要素の組み合わせです。
抽象的に言えば、デジタルではなく、アナログの音量調節のようなイメージで少しずつ動きを大きくしたり、小さくしたりしながら、自分が目標とするレースペースにとっての最適な動きを探っていくという感じです。ただ、この時に中距離の動きに対応出来ないとどうなるかと言いますと、音量の最大音量が小さいという感じになります。
例えばですが、音楽プレーヤーの最大音量はほとんど使わないかもしれませんが、それでも最大音量が大きいからこそ、その半分の音量で普段音楽を楽しむ分には機械にかかる負担が少なくなる、普段から最大音量で音楽を再生し続けると機械にかかる負担が大きくなるというような感じです。
更に、動き的に余裕がある、スピード的には余裕があるという言葉についてもう少し解説をしますと、これは呼吸は一切関係の無い話であると思ってください。呼吸的に余裕があるか否かではなく、あくまでも動き的な話です。
では動き的に余裕があるとはどういうことかと言いますと、どれだけ無意識に近い状態で走れるかであると理解して下さい。基本的には、人間は走る速度が速くなればなるほど大きな集中力を要し、神経的に疲れます。
ただ、速い動きに慣れていれば慣れているほど、あまり高い集中力を使わずに無意識に近い状態で走ることが可能になり、その状態でレースを進めることが出来るので、精神的な余裕が高まったり、他の選手の動きに気を配ったり、ラップタイムを確認したり、認知的な余裕度が高まるのです。
前半に集中力を温存出来れば、最後の最後まで集中力を温存し、ラストスパートで爆発させることが出来ます。このわずかな差が時にはコンマ差で勝敗を分ける長距離走においても重要になったりするのです。
また、ラストスパートにおいても速いスピードに体が慣れていると、苦しいけれどラスト200mだけ頑張ったら速く走れるみたいな状態が作れます。基本的に、ラストスパートがかかるかかからないかは余裕度の問題なのですが、もしも余力が同程度であれば、普段から速いスピードに慣れている方が勝つことになります。
私は残念ながら、スピードに常に劣ってきました。インターハイではラスト250mまでインターハイ出場圏内の6番手に位置付けていましたが、ラストスパートに対応できずにそこから抜かれて9番まで順位と落としてゴール、大学では5000mでは0.1秒差、10000mでは0.2秒差で全国大会を逃がしました。
10000mではラスト200m、5000mではラスト100mまで先頭を走っていたにも関わらず、そこから刺されたのです。
そういった私自身の経験から申し上げても、普段中距離のレースペースのトレーニングを入れている人の方が動き的な余裕があることは間違いないです。
それがランニングエコノミーの差に繋がるのか否かまではもっと幅広い実験をしてみないと分からない部分もあるかとは思いますが、経験とジャック・ダニエルズ博士の実験の両面から少なくとも一定程度の真実はあることは間違いありません。
そんな訳で、歩きに近い動きの習得と楽に速いスピードが出せる筋力及び神経回路を構築するような練習を是非取り入れてみてください。
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