プロランナーの生活ってどんな感じ?ニュージーランド編

 こんにちは、ウェルビーイング株式会社代表取締役の池上です。前回の記事「プロランナーの生活ってどんな感じ?ケニア編」はもうご覧いただけましたか?

 今回は同じシリーズのニュージーランド編です。ニュージーランド編といってもニュージーランド人と練習していた訳ではありません。現在コーチホーゲンの下でトレーニングしているファビアン・クラックソン、ヴァレンタイン・プファイル、フィリップ・バール、リザ・ハーナーの4選手との共同合宿です。

 ここで少し背景を説明しておくと、私がコーチホーゲンを師と仰ぐようになったのは大学3回生の時です。西暦で言えば2015年からコーチホーゲンの指導を受けるようになりました。その時、コーチホーゲンは日本人に私がいて、ドイツ人を一人みているだけで、あとはケニア人を中心にみていました。コーチホーゲンは東ドイツの出身です。一応解説しておくと、東ドイツは冷戦時代海外への渡航は自由にできませんでした。特に西側諸国への渡航は制限されており、ほとんどの人は海外に渡ることはできませんでした。

 皆さんご存知の通り、東側諸国というのは計画経済機構を取り入れていた国々です。計画経済機構というのは何をどれだけ作って、いくらで売るかはすべて国家で管理するというのが計画経済機構です。共産主義と計画経済機構を混同する人が多いのですが、共産主義というのは政治的なシステムの一形態であり、計画経済機構というのは経済システムの人通です。ちなみに西側諸国は自由経済機構を取り入れており、何をどれだけ作って、いくらで売るかは個人または法人の自由です。ですので、私のようにある日突然、誰の許可も取らずに自由に価格設定をして、ランナー向けの集中講義を販売してもなんの問題もないのです。

 そんな政治事情の中を生き抜いてきたコーチホーゲンですが、彼が37歳の年、1990年に東西ドイツは統合します。そして、ドイツ全体が西側のやり方を採用するようになり、コーチホーゲンも西側に自由に行けるようになったのでアメリカのボルダーへと渡ります。そこで英国人マネージャーのキム・マクドナルドさんに出会い、以来現在私が所属するKimbia Athleticsを立ち上げ、ケニア人を指導するようになりました。

 当時ケニアでは、トラックやクロカンではブラザーコルムの指導する選手たちが頭角を現してきていましたが(詳しくは「ケニアをケニアにした男:ブラザーコルム」を参照)、マラソンでは中村清先生が指導していたダグラス・ワキウリ選手、イブラヒム・フセイン選手など数選手がいるのみでした。当時のアフリカ勢は、タンザニアのジュマ・イカンガー選手、ジブチ共和国のアーメード・サラ選手など数人がいるだけで、イタリア、アメリカ、日本、ドイツが強かった時代です。

 世界的には1991年にソ連が崩壊し、現在計画経済機構を継続している国はほとんどありません。そこでやってきたのが、商業主義です。これまで以上にマラソンでお金が稼げるようになりました。マラソンでお金が稼げるようになると、欧米人もケニアのトレーニングキャンプに出資するメリットがありますし、ケニア人も走って大金を稼ぎたいと思うに決まっています。そんな時代の流れの中で、コーチホーゲンもケニア人選手を指導し、「ケニアンマジック」の異名を取るほどの手腕を発揮しました。

 ところが、ケニア人の相手をするのは、経験のある人にしかわからないと思いますが、大変です。各人、各国、それぞれ気性や価値観、感受性は違うのですが、それにしてもケニア人の相手をするのは大変です。内部事情はあまり書きませんが、そんなこともあって、成果は出ていたにもかかわらず、ケニアのトレーニングキャンプは閉めてしまいました。ですので、前回の記事で紹介したKimbia AthleticsのキャンプはもはやKimbia Athleticsのキャンプではありません。

 そんなタイミングでドイツ陸連は低迷しているドイツのマラソンの立て直しに力を入れ始めました。そこで白羽の矢が立ったのがコーチホーゲンです。そうして集まってきたのが、先述した選手たちです。ヴァレンティンだけはオーストリア人で、おそらくマネジメントもやや違うのですが、そんなことは誰も気にしていません。みんな同じ屋根の下で厳しい練習に耐え抜きました。

ニュージーランドは一月くらいから三月まで合宿をしたのですが、その時期のニュージーランドは夏です。蝉が鳴いてかなり温暖な環境でのトレーニングでした。とはいえ、やっぱり日本に比べればかなり涼しく快適な環境でのトレーニングでした。一日の流れは以下のような感じです。

6時 起床

6時15分 瞑想

6時35分 朝食準備

7時 朝食

7時半 リラックス、その日の練習の確認

9時 出発、トレーニング

11時半 帰寮、昼食準備

12時半 昼食

13時半 昼寝、リラックス、洗濯、夕食準備など

16時 午後練習出発

18時半 帰寮

19時 夕食

21時−22時 就寝

 こんな感じの一日を送っていました。ちなみに食事も洗濯も自分たちでやります。朝食はいつも私とリザさんで作っていました。昼食と夕食も大体は私とリザさんで作っていたのですが、合宿にはフィリップの奥さんのレギーナ、それからヴァレンティンの奥さんのハイディが短期で滞在していたので、夕食や洗濯をしてくれたりもしていました。狭い部屋にみんなで暮らしていたので、窮屈な思いもあったり、トレーニングがきつくて疲れてくると些細なことで喧嘩になりかけたりといったこともありましたが、基本的には毎日楽しく暮らしていたような気がします(思い出は美化されている気もします)。

 ちなみにですが、マラソンランナーという仕事は本当に遊びに行くということはありません。そんな時間もありませんし、そもそも休みの日というのもありません。この合宿期間中からヴィーンマラソンが終わるまでの約三ヶ月は全員遊びに行くことはなかったと思います。マラソンの日から逆算して体を作っていくので、正月も盆も関係ありません。ただし、マラソンが終わると数週間はまとめて休んでいます。走るか走らないかはあまり問題ではなく、日常生活の中でどれだけマラソンのことを忘れる時間が作れるかが大切のような気がします。練習に集中しているときは、午後練習が休みでも次の日の練習のことを考えて体を休めたり、服装も脚を冷やさないようにしたりと、いろいろなことに気を使います。

 でもマラソンが終われば一度すべて解放し、リフレッシュします。マラソンが終わったその日、2時間10分が切れなくてふさぎこんでいた私はホテルの部屋にこもると言い張っていたのですが、そんな私を半ば無理やりフィリップとヴァレンティンが連れ出し、夜の街へと繰り出しました。やたらと強いお酒を飲まされたり、ナイトクラブで踊ったり、私も結局行ったら行ったで、綺麗な女性を誘って一緒に踊ったりと楽しんでいました。そうしないと心が疲れ切って長続きしません。また自分で「遊びすぎたな」と反省すると次は頑張ろうとも思います。そういう意味では必要なことなのかもしれません。ただし、それはマラソンまで残り三ヶ月を切っているときにやるべきことではありません。せっかく良いコンディションを作っても些細なことで体調を崩すこともありますし、酔っ払いに絡まれて怪我をすることもあります。一度有森裕子さんがコンタクトレンズをつけずに歩いていて足を捻挫して、小出監督に激怒されたという話を聞いたことがありますが、マラソンランナーは皆そのくらい些細なことにも気を使っていると思います。

 特に結婚している人は、一度は解放される時期がないと、配偶者の方もストレスが溜まるでしょう。ちなみに私自身もこのニュージーランドで合宿している間に彼女が他の男のところにいっていましたが、だからと言って誰も彼女を責めることは出来ないでしょう。マラソンに賭けるというのは、本人は自分で選んだ道ですが、周りの人間には耐え難いことです。

 マラソンランナーというのはだいたいそんな感じの生活を送っています。ちなみにこれはあくまでもいろいろな人の話を聞いたイメージなのですが、実業団選手の方が集中とリラックスの落差は少ない感じがします。合宿といってもせいぜい2週間程度ですし、日曜日は休みのチームも多いです。門限があったり、欠食が認められなかったりと厳しい環境にあることは間違いないのですが、大体のチームは一応街にあるので、ちょっと遊びにいくくらいのことはできるチームが多いです。その代わりまとまった休暇を取るという話もあまり聞きません。一応契約上は会社員なので、その辺はあまり融通がきかないのかもしれません。

追伸

 国内外のいろいろな選手や指導者と交流する中で、私が学んだことを全てのランナーに役立つように集中講義にしてまとめています。ここでしか得られない質の高い知識を得たい方は下記のURLから詳細をご覧ください。

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