今回のテーマはマラソンをマラソンたらしめるものということで、マラソンとハーフマラソンやウルトラマラソンとの違いについて解説するとともに、それを踏まえたマラソントレーニングで抑えるべきポイントを説明させて頂きたいと思います。
マラソンの大前提
先ずはマラソンと陸上競技の他の種目との共通点を書いておきたいと思います。大大大前提として、マラソンは42.195kmを一番速く走り切った人が優勝というスポーツです。なるべく長く走る競技でもなければ、余裕を持って42.195kmを走る競技でもなければ、コスプレをしてなるべく速く走る競技でもありません。
ですから、他の全ての距離と同様、最大スピードと持久力の二つが基礎能力となり、それを42.195kmという距離で融合させていくことが重要になります。
そして、これまた他の全ての競技と同様、難しいのは最大スピードの向上の方です。持久力の方は比較的つきやすいと言いますか、時間はかかるのですが、継続すれば徐々に向上していきます。一方で、スピードの方は、意識的に取り組まないとなかなか向上しません。
では、マラソンにおける基礎スピードは何でしょうか?
答えを先に言っておくと、5000mです。これは単純に多くの選手を観察すると、最も相関関係がある短い距離が5000mだからです。1500mや800mは距離が短すぎてマラソンとの関連性はほとんどありません。5000mも5000mに特化した練習だけではマラソンは走れないと思いますが、有効な指標としては、5000mをどれだけ速く走れるかと、5000mにどれだけ近いペースでマラソンを走れるかの二つの要素しかありません。
基本的には、5000mをどれだけ速く走れるかと、5000mにどれだけ近いペースでマラソンを走り切れるかという二つの要素に対して、同時並行的に、あるいは重点を変えながらアプローチしていくことになります。
運動生理学的に言えば、5000mで最も重要となる運動生理学的な指標はvVO2maxです。これは最大酸素摂取量に達する時の速度です。最大酸素摂取量とは違います。最大酸素摂取量はどれだけ酸素を使ってエネルギーを生み出せるかの指標であり、通常は体重1㎏あたり1分間に何ミリリットルの酸素を消費できるかという数字で表します。多くの方が最大酸素摂取量を重要視する、もしくは重要視するように教えられるのですが、長距離走においてより重要なのは、最大酸素摂取量に到達する時の走行速度です。
仮に最大酸素摂取量が63ml/kg/mしかなくても、最大酸素摂取量が73ml/kg/mの選手に4000mのレースで勝つことは十分にあり得ます。何故なら、この両者が最大酸素摂取量に到達する時の走行速度がほぼ同じだからです。これは机上の空論ではありません。
ご存知の方も多いと思いますが、『ダニエルズのランニングフォーミュラ』の著書であるジャック・ダニエルズ博士の現役時代に起こったことです。実は63ml/kg/mというのは、ジャック・ダニエルズ博士が近代5種の選手だった現役時代のある時点での最大酸素摂取量です。ところが、ジャック・ダニエルズ博士は73ml/kg/mの最大酸素摂取量を有するチームメイトにしばしば大会では勝っていたのです。
そして、テストをしてみた結果、実際に両者の最大酸素摂取量に到達した時の走行速度はほぼ同じだったのです。
ですから、マラソンにおける基礎スピードを運動生理学的観点から捉えるなら、まぎれもなく最大酸素摂取量に到達する時の走行速度です。これは最大酸素摂取量とランニングエコノミーの両面から説明されるべきことですが、これ以上深入りするのはやめましょう。
マラソンをマラソンたらしめるもの
10000mにおいてもハーフマラソンにおいても運動生理学的にもっとも大きな要素は最大酸素摂取量とランニングエコノミーです。あとは強いて言えば乳酸性閾値が出てくる走行速度ですが、この乳酸性閾値に到達する走行速度も最大酸素摂取量とランニングエコノミーに大きく左右されます。
ところが、マラソンにおいては、これとは全く違う生理学的な能力が求められます。それは有気的脂肪分解系の代謝の代謝速度です。人間の体は、大きく分けると酸素を使わずにエネルギーを生み出す無気的代謝と酸素を使ってエネルギーを生み出す有気的代謝の二つのエネルギー回路を使っているハイブリッド型生物です。
そして、酸素を使ってエネルギーを生み出す有気的代謝の方は、脂肪酸を使ってエネルギーを生み出す有気的脂肪分解系とグリコーゲンを使ってエネルギーを生み出す有気的解糖系の二つに分かれます。
代謝の速度は有気的解糖系の方が速いので、単に速く走るなら有気的解糖系を中心に使えば良いのですが、問題はグリコーゲンは人間の体には多めに見積もっても600グラムほどしか貯蔵されないということです。600グラムは多めに見積もった数字で、肝臓に100グラム、筋肉に300グラムの合計400グラムしかないという学者が多いです。あとはトレーニングやグリコーゲンローディングで若干増えてどうだろうというところです。
ここで簡単な計算をしてみましょう。グリコーゲン1グラムに貯蔵されているエネルギーは4キロカロリーです。そして、人間の体は1キロ走るのにおよそ体重1キロ×走行距離カロリー必要です。
つまり、体重60キロの私の場合はマラソンを走るのに42x60=2520キロカロリー必要です。ところが、グリコーゲンは4x400=1600キロカロリーくらいしかないので、これではマラソンを完走できません。当然、この時に脂肪酸を分解しないと走れない訳です。
脂肪は1グラムで9キロカロリーのエネルギーを有しています。この前ジムで測ると本当かどうかは分かりませんが、体脂肪率は5%でした。そうすると、60x0.05x9で27000キロカロリーが私の体には蓄えられていることになります。軽くマラソン10回分のエネルギーはあります。ところが問題は、その代謝速度です。酸素を使って脂肪酸を分解して、エネルギーを生み出す速度を速くしないとより多くのグリコーゲンを前半から使ってしまうことになります。
そして、グリコーゲンを30キロくらいで使い切ってしまうと、あとはノロノロと歩いているのか走っているのか分からない状態でゴールすることになります。福士加代子さんが初マラソンで生まれたての小鹿みたいになっていたのをご記憶の方も多いと思いますが、まさにあんな感じになってしまう訳です。
ですから、マラソンでは定期的にロングランを繰り返して、この有気的脂肪分解系の代謝の速度を上げておかないといけません。これがロングランのメリットです。体が効率よくエネルギーを燃やす方法を学習していくわけです。
ですから、マラソンにおけるロングランの特徴の一つとしては、必ずしも基礎練習として実施する訳ではなく、実戦的なトレーニングとして実施することが多々あるということです。これがハーフマラソンのレースに向けての30キロ走や5000mの為の30キロ走との違いです。
ですから、このことからもゆっくり長く走るのは時代遅れで、短時間高強度トレーニングが正しいというのは間違いだということが分かります。そして、同様にLSDもマラソンにとってはそこまで有効なトレーニングではないこともお分かりいただけると思います。
何故なら、ゆっくりで良いのであれば、100キロでも100マイルでも人間は走ることが出来るからです。マラソンは100キロを走る競技ではなくて、あくまでも42.195kmを速く走る競技です。
そして、さらに面白いのはウルトラマラソンになると明らかに脂肪分解系の代謝が主流になるので、グリコーゲンと脂肪とのハイブリッドという感じではなくなるのですが、マラソンはそこそこ強度も高いので、グリコーゲンもやはり重要になります。
このハイブリッド感が出るのはマラソンだけです。ハーフマラソンも距離が短いので、グリコーゲンの枯渇が問題になることはありません。マラソンをマラソンたらしめている最も大きな要因はこのグリコーゲンと脂肪のハイブリッド感です。如何に脂肪分解系の代謝回路を速く回せるかです。
ただし、この時にやはり重要になるのは、最大酸素摂取量に到達する時の走行速度です。というのも、長距離走における主観的な運動強度を考える時に、やはり最大酸素摂取量に到達する時の走行速度が最大になるからです。人間である以上、5000mと同じペースでマラソンを走り切ることはできません。
私のように5000mで14分を切れない選手は何回やってもマラソンで2時間を切ることは無いでしょう。2時間を切るためにはまずは5000mの走力をあげないとどうしようもありません。私の場合も5000m14分20秒(2:52/km)に対して、マラソンが2時間13分41秒 (3:10/km) なので、ここから先は5000mの走力をあげないと厳しいと思います。
物理的な速度が速ければ速いほど、グリコーゲンを多く使うというよりは(それもそうなのですが)、その人の主観的な運動強度が高ければ高いほど、グリコーゲンを多く使うことになるのです。
ですから、エリュウド・キプチョゲ選手と私が5000m15分ちょうどのペースで走った時に利用されるグリコーゲンの量ははるかに私の方が多いはずです。ここでは物理的な速度が同じであるにもかかわらず、両者の生理学的機能の違いから大きな差が生まれることをおさえておいてください。
マラソンをマラソンたらしめるもの2
マラソンをマラソンたらしめるものの2つ目は、見落とされがちですが、筋持久力です。いわゆる脚作りが大切になります。世の中には効率を求めすぎると効率が悪くなることが多々あるのですが、マラソンにおいてもあまりにも少ない走行距離で結果を出そうとするとかえって効率が悪くなるのは、脚が出来ないからです。
とにかく、ゆっくりでも良いからトータルの練習量を増やしていけば、ほとんど疲労感を増やさずに脚が出来ていくのですが、そういう地道な努力が出来ないとなかなか脚が出来ないのです。
まあ、本質的には地道な努力というよりは、走るのが好きかどうかというのが最終的には大きな要素にはなります。やっぱり、走るのは好きだから別にどっちにしても毎日走るけど、せっかくやるなら速くなりたいから効率の良い練習をしようかなというスタンスの人が一番伸びます。こういう人は黙ってても脚が出来ていくので、あとは必要な要素を上手いこと組み合わせていけば、結果が出ます。
一方で、頭でっかちと言いますか、知識を仕入れるだけ仕入れて、短時間高強度インターバルさえやっておけば強くなると言い切ってしまう人は、かえって時間がかかります。誰が何と言おうと、マラソンでは筋持久力が必要なんです。また、走っていくと体も絞れてきます。走っても痩せないという人もいるのですが、大抵の場合はやせるところまでいけるだけの脚が出来ていないんです。
やっぱり、やらないよりはやった方が良いとは思いますが、一日4キロとかのランニングでは体型はなかなか変わらないと思います。とにかく継続的に練習できる量が増えていけば、体は自然と引き締まっていきますが、太っている人ほど脚に負担がかかるので、そこまでいくための脚作りには時間がかかります。それを理解して、継続してほしいと思います。
あとは根本的な話に戻りますが、やせるための苦行だと思って走っている人が多いので、続かないし、脚も出来ないし、脚が出来ないから練習量も増えないし、練習量が増えないからやせないという悪循環です。高強度トレーニングも有効ですが、そもそもゆっくり動き続けられないと、高強度な練習なんか出来る訳がありません。だから、先ずは脚作りが第一です。
マラソンは特に42.195km走り続けるので、筋持久力が先ずはなんといっても重要です。市民ランナーの方を観ていても呼吸は荒れていないんだけれど、苦しそうにしている方が多いです。これは典型的に脚がきつくなってるパターンです。
具体的には脚だけではなく、体幹全体がきつくて、もう今すぐにでも辞めたい状況でしょう。筋持久力がきつくなってるので、ペースを落としてもどうしようもなくきついんです。これを克服するには、脚作りから地道に始めるしかありません。
どんなに知識がついてもどうしようもないことはあるということです。アメリカのことわざに「利口者よりも粘り強い馬鹿になれ」ということわざがあります。私が大学に入って、マラソンを志した時に、まずなろうとしたのは「粘り強い馬鹿」でした。実際、当時は、というか今でも本当に多くの人から「あいつはアホや」「あいつは頭がおかしい」と言われました。後輩からも言われたくらいです。
ですが、そういう人の中にマラソン2時間13分41秒、30km1時間31分53秒を上回る結果を残した人はいません。結局のところ、やってみないと分からないし、やっているうちに脚が出来てくるので、そこそこ走れるようになってくるんです。
とは言え、私の学生時代のように月間1000km走れとは言わないので、ご安心ください。重要なのは、月間走行距離よりも頻度です。頻繁に走ることで、脚は出来ていきます。ゆっくりでも良いので、とにかく外に出て走るという習慣を作ることで様々なメリットがありますし、走ることがどんどん楽しくなっていきます。とにかく理屈よりも実践ということで、半信半疑の方は是非ご自身で試してみて下さい。走れば走るほど、走ることが好きになっていきますから。
そんな訳で、マラソントレーニングに必要な要素をまとめると次のような要素になります
・最大酸素摂取量に到達する瞬間の走行速度の向上
・ランニングエコノミーの向上
・有気的脂肪分解系の代謝速度の向上→継続的な距離走
・脚作り→総走行距離および走る頻度
最後にマラソンについてもっと勉強したい!という方にお知らせです。
現在大阪マラソン日本人トップ(マラソン2時間13分41秒、ハーフマラソン63分09秒)の実績を持ち、現在は市民ランナーを年間数百人指導、多くのサブ3ランナー、サブエガランナーを多数育て上げている池上秀志の著書『マラソンサブ3からサブ2.5の為のトレーニング』という書籍がウェルビーイング株式会社より出版されています。
『マラソンサブ3からサブ2.5の為のトレーニング』はマラソンを運動生理学、一流選手のマラソントレーニングシステムの過去110年間の発展の流れ、市民ランナーの為のトレーニングシステムの3つの観点から、約10万字にわたって図も入れながら解説している本でたった3000円です。
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それではあなたの成功を祈っております。
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