先日からメルマガやブログなどでお知らせさせて頂いていますが、現在物語形式で長距離走、マラソントレーニングについて学べる『マラソンにおける我が闘争』という小説を執筆しております。
あらすじとしてはアドルフ・ヒトラーが1945年からタイムスリップしてきて、2019年にベルリンで合宿をしていた私に出会い、ユーチューバーだと思い込んだ私がヒトラーと一緒に仕事をすることになり、その一環としてランニング初心者56歳男性のアドルフ・ヒトラーを色々指導し、1年後にサブ3を目指すという話です。
ランニングと社会、経済、歴史、政治、虚構と現実が巧妙に混ざり合う長編小説です。戦争や人種差別を助長するようなものではなく、アドルフ・ヒトラーの登場なしには描けない内容になっているので、そういった設定になっていることを予め申し上げております。
2週間後
2週間というと14日あるから、色々なことが出来るように思えるが、実際には新しい刺激は週に2回程度しか取り入れていないから、新しい刺激がかかるのはそれほど多くない。総統の場合は、週に2回の200m5本と中強度の持久走が週に2回入ったので、14日間で合計8回の新しい刺激が入っていることになる。
多いと言えば、多いが一回一回の刺激の強さはそれほどでもないので、実際には大したことではない。
新しい刺激を体にかける時、その刺激の新しさの度合いが大きければ大きいほど、適応に時間がかかるが、新しい刺激をかける時は常にその度合い小さくし、少しずつ少しずつ導入しているので、2週間もあればだいぶ適応しているはずだ。私は電話を取った。
「もしもし、総統お元気ですか?」
「あー、元気だ」
「最近の練習の消化具合はどうかなと思って、お電話させて頂いたのですが」
「あー、順調にいっているよ。200m5本も中強度走も楽しいな。200m5本は100mが200mになっただけなのに、一気に呼吸があがる。流しは遊びという感じだったが、200m5本はしっかりと中長距離走という感じがして面白いよ。
それから、40分間の中強度走も疲れ切ってしまうというほどでもないが、練習の達成感をしっかりと得られるから、また次もやりたいと思うことが出来て、走るのが楽しみになっているよ」
「それは良かったです!楽しみながらやるのが一番ですからね。まあ、でもキツイときもあるでしょう」
「まあ、きつい時もある。いや、キツイというか飽きる時もあると言った方が良いかもしれん。毎日、毎日走ってばかりだと、時には今日は嫌だなと思うこともある」
「いやいや、週に2日も休んでるじゃないですか」
私はそう言いながら笑った。私にとっては毎日走るのが当たり前になっていた。
「いや、しかし、その二日間がまたキツイ。なんだ、あの小谷祥子とかいう日本人はまるで化け物じゃないか。どうして、あんなに体幹が強いんだ。もしかして、日本にいると聞いていたくのいちなのか?」
「ハハハハッ、くのいちですか。まあ、くのいち並みの身体能力なんでしょうね。もう日本には忍者もくのいちもいませんよ。第二次世界大戦中ももちろん、諜報員というのはいましたけれども」
「日本の諜報員というのはどんな感じなんだ?」
「私もあまり詳しくは知らないです。日本で一番有名なのは、陸軍中野学校というものですが、総統はインド独立の父とも言われているチャンドラ・ボースが日本に渡る時にアドルフ・ヒトラーと会談して直接許可を取っているのをご存知ですか?」
「あー、もちろん覚えているよ。日本が当時イギリスと戦争をしてインドを解放しようとしていたから、ボースの方から一兵卒としてでも良いから、日本と一緒にイギリスと闘いたいと申し出があった。
私はその火の玉のような闘志に感動し、是非とも日本にわたってくれと伝え、ベルリンからフランスのブレスト港へと極秘裏に送り、そこからドイツのUボートに乗せた。だが、その後のことは知らん」
「よくご存知ですね。そこから先は、陸軍中野学校の出身者によって構成された光機関という秘密工作機関によって、日本へと移送されたんです。確か、東京では帝国ホテルに滞在し、東条英機とも会談しているはずです」
「あー、あの禿げ頭に黒縁メガネの漫画に出てくるような日本人か」
「ハッハッハッ、まあステレオタイプの日本人ってそんな感じかもしれませんね。アッツ島で指揮をとった山崎大佐も禿げ頭に黒縁メガネですし。
まあ、それはともかく、主にアジアを中心に、様々な工作活動に従事し、主な任務は日本軍と現地の軍隊との橋渡しをすることと、アジアを植民地支配していた白人国家の妨害工作、敵軍の機密情報の入手であったようです。
そう言えば、総統もポーランドを侵攻した際にはラジオ局をいち早く占拠して、降伏勧告を出したでしょう?」
「ああ、その通りだ。敵国のラジオ局を支配して、その地域一帯にラジオ放送を呼びかけたのは世界初だった」
「日本もオランダが植民地支配していたインドネシアに侵攻するにあたって、敵のラジオ放送局を乗っ取り偽の情報を流したんです。敵が降伏する前に、敵のラジオ電波をハックし、偽の情報を流し敵軍をかく乱させたのはおそらく日本軍が世界初です。陸軍中野学校の出身者達はそういったことをやっていたのです」
「うーん、それは非常に先鋭的だな。他にはどんなことをやっていたのだ?」
「それが「中野は語らず」という言葉があり、戦中はもちろんのこと、任務を解かれた後も秘密を固く守る人が多いんです。戦争が終わった後も任務や中野学校について語ることはほとんどないみたいです。
また、戦時中も陸軍中野学校は軍の中でも極秘中の極秘で、普段は背広で髪の毛も伸ばしていたみたいなので、同じ中野にあった諜報員の養成部隊ではない方の陸軍中野学校出身者達が自分たちのことだと勘違いしていることも多いみたいです。
ベルリンオリンピックに1500m日本代表として出場した中村清という人も陸軍中野学校の出身だと言っていますが、私は勘違いではないかと思っています。どうも、話が合いませんから」
「どういったところに食い違いがあるんだ?」
「確たる証拠はないのですが、私が本人の勘違いだと考える理由は5つあります。
先ず第一に、諜報員というのは基本的に市井に溶け込んで、軍人らしい振舞いは一切さけて情報収集にあたります。ところが、中村清という人はまさに軍人の鑑のような言動をしていますし、部隊長をして、大勢の一等兵や二等兵を前に訓示をしていたという話もあります。
第二に、陸軍中野学校に入校するにはかなりの学力水準が必要で、インテリ中のインテリじゃないと入校できないのですが、中村清という人が学問を熱心にやったという話は聞かず、陸上競技ばかりやっていたとのことです。
第三に、陸軍中野学校出身者には「中野は語らず」という原則があるのですが、中村清という男は自分は陸軍中野学校にいたということを色々なところに書いています。
第四に、中野学校の出身者は卒業後は工作活動に従事するのが普通なのですが、中村清先生は射撃の名手でそれが彼の命を救い、また中国大陸で人を何人も殺した、たばこ一本ほどの差で隣の戦友が鮮血に染まったなどの話をしています。つまり、最前線で闘っています。
そして最後に、中野学校の通称は東部第三十三部隊、そして表札は陸軍通信研究所です。ところが、中村清先生は著書に「昭和14年に陸軍中野憲兵学校に入校した」と書いておられます。憲兵と工作員では任務が全く異なりますし、「陸軍中野憲兵学校」という名は正式な勅令の方にも一般的な呼称の方にも表札にも使われていないのです。
以上を以てやはり違うのではないかと思うのです」
「なるほど、それなら本人も勘違いしていた可能性が高いという訳か」
「そうですね。赴任地も中村清先生は朝鮮半島や中国大陸ですが、陸軍中野学校の卒業生たちが赴任したのは主にタイ、マレー、インドネシア、ビルマ、インド、フィリピンの辺りです。もちろん、中国や朝鮮半島でも何らかの活動はしていたのでしょう。ですが、陸軍中野学校の赴任地は主に白人が支配する植民地で、白人国家からのアジアの解放を任務としたのです」
「なるほど。そのように考えると白人国家が植民地支配をしていなかった朝鮮半島や中国大陸に赴任したのは不自然という訳か。そもそも、日本軍は中国大陸では連戦連勝で、工作活動もそこまでは必要ではなかったかもしれないな。それで、日本のシュピオーン(スパイ)もやはり、金と地位と女の為に仕事をするのか?」
「ハッハッハッハッ」
私は大笑いした。
「一体何がおかしい?シュピオーン(スパイ)を集める時に、金と地位と女を条件にするのは世界共通じゃないのか?」
「陸軍中野学校は違いますよ。
寧ろ、地位や名誉を求めず、日本の捨て石となることが求められたのです。陸軍中野学校の精神綱領には「秘密戦士の精神とは、尽忠報国の至誠に欲する軍人精神にて、居常積極敢闘、細心剛胆、克く(よく)責任を重んじ、苦難に堪え、環境になじまず、名利を忘れ、只管(ひたすら)天業恢弘の礎石たるに安んじ、もって悠久の大義に生くるに在り」とあります。
つまり、冷静かつ積極的に闘い、繊細さと大胆さを持ち合わせ、責任を持って困難に耐え忍び、自分の名誉を求めずにただひたすら捨て石となることを受け入れ、大義の為に生きなさいとこう教えられる訳です。
当時の陸軍中野学校にとっての大義とはアジアを白人たちの植民地支配から解放し、アジアをアジアの手に取り戻すことです。ですから、「謀略とは誠なり」という言葉もありました。言葉巧みに騙そうとするよりも、真実を語り、共にアジア人同士が手を取り合って白人国家と闘うことを呼びかけた方が話は早いということです。
また、一般の軍人との違いとしては当時の日本では勇ましく戦って死ぬことこそが名誉とされていましたが、陸軍中野学校の出身者は最後の最後まで、拷問を受けても生き残り、情報収集や後方かく乱にあたることが求められたのです」
「言っていることは分かる。つまり、連合国の嘘つき共も武力と経済力によって、他国を侵攻する際に、その本音が金と利権であったとしても、それらしい大儀名分は常に持っていた。私が言っているのは、様々な理念があったとしても、その原動力となったのはやはり金か権力か女かもしくはその組み合わせであったのではないかということだ」
「総統、世界中にそのようなスパイがたくさんいるだろうことは想像に難くありません。しかしながら、金と権力と女で動く人間はやはり金と権力と女で寝返るんですよ。日本は残念ながら、物量に勝る英軍に戦争では負け、敗走しました。
しかしながら、インド独立同盟とインド国民軍との工作が実り、インドはイギリスからの独立を果たしました。その時に、その工作に大活躍した藤原という中野学校出身者がイギリスのマレー探偵局長に詰問されました。イギリス側からすると、素人のくせに乏しい資金や物的支援でインドと日本を取りまとめ、最終的にイギリスの植民地を終わらせたのが理解できなかったのです」
「それでその答えはなんだったんだ?噂に聞いていた忍者のように英軍の重要会議に忍び込んで盗み聴きし、機密情報を全て丸裸にしたのか?それとも私のように優れた演説能力によってインド国民の力を結集させたのか?」
「両方あったと思いますが、藤原少佐の答えは後者に近いです。
藤原少佐が言うにはそれは民族の相違と敵味方を超えた純粋な人間愛と誠意、その実践躬行(きゅうこう)であったそうです。藤原少佐も開戦直前に、実務経験も特殊訓練も現地の人間との特別なコネクションも語学能力も現地での生活経験もないままに無茶ぶりとも言われる任務を受けて途方にくれていたそうです。
ところが、そんな時に一つのことに思い至ったのです。イギリスもオランダも現地のインフラ整備に力を入れてはいるけれども、それは自分達のみが使うもので、現地の人間にはそれを使用させず、寧ろ故意に無知と貧困のまま放置し、寧ろ積極的に搾取の対象とし、民族の自由と独立の悲願に対してはそれを抑制し、骨抜きにする政策をとっており、それが故に現地の人々は愛と自由に飢えていたと。
そして、藤原少佐はその愛と自由を提案したところ、飢えた乳児が母親の乳房に吸い付くように現地の人々はこの提案に乗った。それが成功の秘訣であったと言います。現地の人間と同じものを食べ、同じところに住み、現地の人間と共に白人と闘った、その愛と誠の気持ちが成功の要因であったとそう語っておられます」
「それはあったみたいですね。ソ連に有利な指揮ばかり執る指揮官がいて、そんな無能な指揮官が戦後日本の要職についたというようなケースもあります。後は、シベリア抑留を認める代わりに、戦後日本の要職についたのではないかという疑いがある人もいますし、あとはハニートラップに引っかかった人もいるみたいですね」
「その辺りはやはり日本も同じなんだな」
「そうですね。戦争が終わってからも、西鋭夫という人がCIAからアメリカのスパイにならないかと打診されたみたいですし、その時西さんがCIAから受けた話ではCIAのスパイは日本に何人もいるそうです。
プロ野球を作った鈴木惣太郎もCIAのスパイだったんじゃないかと言われています。そして、プロ野球の父とも言うべき正力松太郎氏がCIAのスパイだったことは仮定の話やそういう噂もあるということではなく、アメリカ側の公文書で確認されています。つまり、日本のプロ野球の発展は単に一民間企業を超えてアメリカからの国家レベルのサポートがあっての発展なのです」
「なんだ、そのバセバール(ベースボールのこと)というのは?」
「あー、ドイツでは全く人気がないですね。球を投げて、それを棒で打って走ってというゲームですよ。アメリカや日本では大人気で、それが職業になっています。ベーブ・ルースとかルー・ゲーリッグとか聞いたことないですか?」
「あー、名前くらいは聞いたことがあるぞ。私の物まねをして大人気になったチャップリンの名前と一緒にな。まあしかし、どいつもこいつも祖国を裏切る不届きものばかりだな」
「まあ、祖国が自分を大切にしてくれる保証もないですしね」
「しかし、祖国は祖国だろう。命に代えてでも守るべきものだ」
「私は必ずしもそう思いません。私もドイツが私のスポンサーを申し出るならば、国籍をドイツに変えることにやぶさかではありません。少なくとも、現在ドイツ国籍で走っているある女子ランナーよりはドイツ語が流暢に話せるし、ドイツの歴史も詳しいでしょう。残念ながら、アーリア人のように背が高いとは言えませんがね。ハッハッハッハッ」
「私が総統に返り咲いた暁にはぜひとも考えておこう。それで陸軍中野学校ではどんなことを教えていたんだ?」
「それはもうわずかに記録に残る部分しかありませんが、やはり一番重視されたのは観察力と記憶力だったみたいです。普通に生活しているだけでも、よく周囲の状況を観察し、それを全て記憶するということが求められたようです。
例えば、急に半日の休暇が与えられて、町に遊びに行って、帰ってきたら、町で見たものを全て細かく報告させられたりしたそうです。いちいちメモを取ったりしていると怪しまれるので、記憶力は非常に求められたようです。
それから、時にはものを盗まないといけないので、刑務所からスリの達人を連れてきて、講義をさせたり、敵の話を盗み聴きするために、忍術を教えたり、針金で南京錠を開錠する方法を教えたり、そういうことをしていたようです」
「そうか、そうか、そういうことか。つまり、小谷祥子はやはり女スパイなのか」
「ハッハッハッ!まあ、小谷さんほどの美人ならマタ・ハリのような女スパイになれたかもしれませんね。さしずめ私のような男前は西側のロメオ達と言ったところでしょうか?ハッハッハッ!」
「なんだ、その西側のロメオというのは?」
「ご存知ないんですか?西ドイツと東ドイツに分裂していたときに、イケメンたちが色気を使って、東側の重要な情報を持っている女性に近づいて色々と情報を収集していたんですよ。」
「同じドイツ人同士で腹の探り合いをしていたのか?」
「まあ、そういうことになりますね。それはそうと、なんでこんな話になったんでしたっけ?」
「小谷祥子の体幹トレーニングからこうなった」
「ああ、そうでしたね。まあまあ、体幹トレーニングは体幹トレーニングで続けていくと良いでしょう。私も一年半続けていますが、今だにきついので、それは仕方がないです」
「そうか、やはりそういうものか。しかし、とりあえず、腹筋は割れてきてシックスパックに戻ってきたぞ」
「それは良かったじゃないですか。これからは裸のショットも撮れるかもしれませんね」
ヒトラーは眼鏡をかけている姿や自分の肌を露出した写真を撮られることを極度に嫌がった。一説には、自分の神秘性を保つためであったと言われている。
「私にそういう趣味はない。それはそうと、今日は電話してきたということは、また次の練習内容を教えてくれるのだろう?」
ここでヒトラーはまるで散歩を待つ犬のような声になった。昔私の家で飼っていたキャルという名の犬に散歩ひもを見せた時にそっくりな反応であった。
「ええ、そうです。そろそろ次のステップに進めるのかなと思いまして」
「ああ、もちろんだ。いよいよインターバルか?」
「いや、まだ早いですね。とりあえず、しばらくは200m5本をやっといてください。次に変更したいのは二点です。先ず、第一に週に二回やっている中強度走のうちの一回を高強度走に変えましょう」
「高強度走というのは一体どんな練習だ?」
「高強度走はドイツ語では、テンポダウアーラウフ(Tempodauerlauf)とも言います。テンポ(Tempo)は速度や速さ、速いという意味であり、ダウアー(Dauer)は持続、ラウフ(Lauf)は走るという意味です。つまり、速いペースでの持続走、ある程度速いペースで休憩を挟まずに走る練習のことです」
「おいおい、ちょっと待て!そもそも私たちはドイツ語で話しているという設定だっただろう?設定がブレているぞ!」
「あっ、すみません。ついついうっかりしていました。えーっと、だから高強度走というのは、ある程度ペースが速い持続走のことです」
「だから、どの程度のペースをどの程度維持すれば良いのかと聞いているんだ」
「それはトレーニングの原理原則に照らし合わせるとすぐに分かる答えです。先ず、トレーニングの原則として、走力を向上させるためには新しい刺激を体にかける必要がある訳ですが、その際に非常に段階的に緩やかに新しい刺激を体にかけるのが望ましいです。
そして、新しい刺激を体にかける際には、質と量を同時に増やすべきではなく、質か量のどちらか片方だけを増やすのが望ましいのです。
このように考えた時に、今総統の練習の中で最も速いペースの練習は中強度の持久走です。時間は30分から40分です。
ですから、総統の場合は、先ずは30分から40分の高強度走から始めるべきです。そして、ペースは中強度走よりも速ければそれで良いのです」
「しかし、どのくらい速ければ良いのだ?」
「1キロあたり10秒でも速ければそれで充分に新しい刺激になります。ですから、中強度の持久走よりも1キロあたり10秒ほど速いペースから走り始めて、自分の体の感覚に従って後半にかけて徐々にペースを上げて行って下さい」
「分かった。それで、次の日に疲労感が残らない最も速いペースで走れば良いんだな?」
「いえ、高強度走は中強度走とは違い、次の日に疲労が残っても構いません。寧ろ、次の日にしっかりと疲労が残る強度で走ってください」
「ということは全力で走れば良いのか?」
「最後の2,3キロくらいは全力になっても構いません。ただし、スタートから全力で行くのはやめて下さい。毎回、毎回レースみたいになってしまうと、なかなか練習と練習を線でつなぐことが出来なくなってしまいます。
そして、現段階ではあくまでも新しい刺激が体にかかれば充分であることも忘れないで下さい。トレーニングの負荷は常に必要最小限であるべきです。必要に達していないと効率が悪いですが、不必要な分量になってしまうとやはり効率が悪いです。
ところで、総統は今は中強度の持久走はどのくらいでされていますか?」
「そうだな、1キロ5分15秒くらいから走り始めて、最後の方は1キロ4分45秒くらいまで上げて、平均で1キロ5分ちょうどくらいかな」
「えっ、もうそんなに速く走れるようになったんですか?」
「そういうが、流しやゆっくり走り始めて後半は中強度で走るという練習を開始してからもう1か月経っているぞ?
流しが週に2回、ゆっくり走り始めて後半ペースを上げるというのが週に2回、合計4回でそれを2週間続ければ合計8回だろ?
それから、40分の中強度走が週に2回、200m5本を週に2回で合計週4回で、それを2週間続けたら、合計8回になる。そもそもの話をすると、それ以前ももっと速く走ろうと思えば速く走れたが、あなたがとにかく距離をこなすことだけを考えれば良いというから、距離だけ考えてゆっくり走っていたんだ。もっと速く走ろうと思えば、速く走れたぞ!」
「そっか、そうやって考えてみると、そうですね。そう考えると、我々もう結構一緒にやってますね。なんか最近時間感覚がおかしくて、ほんのこの前走り始めたような気がしています。あー、でももう4カ月半くらいですか。初夏に初めてお会いして、もうすぐ12月ですもんね」
私の脳裏には、夏のベルリンの街にひときわ異様に目立っていた薄汚れた制服をきた総統の姿が浮かんでいた。まさに、綺麗な制服を着た浮浪者といったいで立ちであった。表現がなんとも難しいが、例えるなら物凄く汚いシャネルのバックといった感じであった。
着ている服そのものは最高の生地であつらえた服であった。制帽も制服も靴も。腰にぶら下げたワルサーPKKは純金で出来ていた。
しかし、泥や油で薄汚れていた。されど、その目は浮浪者に独特の世の中を捨てたような、この世界の全てを諦めたような諦観した目ではなく、鋭く突きさすようなその眼差しは、一たびまなじりを動かせば、六十余州を動かさんといったものが感じられた。
「4か月半の訓練を積めば、誰でもこのくらいは出来るようになるものじゃないのかね?」
「お言葉を返すようですが、なかなかそう上手くはいかないですよ。一般の市民ランナーの方が適切な練習のやり方を見つけるのに、どれだけ苦労していると思ってるんですか。初めから、全部1から10まで私の指導を受けられるなんて、どれだけ幸運だと思ってるんですか」
「ふんっ、二流のくせに口だけは達者だな」
「ハハハッ、このへらず口が直ったら、その時は死ぬ時ですよ」
私はそう言いながら、声を出して笑った。
「それはそうと、もう一個変えたいところがあるんですよ」
「おー、それは楽しみだな。聞かせてもらおうか」
「今、週に1回90分走られてますよね?」
「あー、そうだ。あなたがそう言ったんだろう?」
「えー、その通りなんですけどね。今90分で何キロくらいで走られていますか?」
「初めの方は、90分で14キロくらいだったが、今は勝手にペースが上がってきて、でも速く走ろうとは思っていないから、中強度の持久走よりもはるかに遅くて、16キロちょっとかな。16.5キロとかそんなもんだ」
「ということは、1キロ5分半ペースとかそんなもんですよね?」
「そうだな、まさにそんなもんだな。とりあえず、1キロ6分くらいから走り始めるものの、体が温まると勝手にペースが上がっていって、60分すぎる頃には退屈になってくるから、ちょっとペースを上げるというそういう感じだな」
「それを20キロまでとりあえず、距離を伸ばしてほしいんです。今までは時間でやっていたのを距離にして、20キロから21キロに伸ばしてほしいんです」
「何故、今まで時間にしていたのをいきなり、距離に変えるんだ?」
「明確な理由はないのですが、初めは総統がどのくらいのペースで走れるのか全く分からない状態でした。ですから、とりあえず時間で設定したんです。距離で設定してしまうと、どうしてもそれを速く終わらせようとして、速く走りがちになるので、とりあえず初めはペースのことは考えずに、走り続けることに集中して頂きたかったんです」
「では、何故それを今更距離に変えるんだ?」
「ハーフマラソンを見据えた練習です。マラソンでサブ3をするためには、先ずはハーフマラソンで85,86分をマークする必要があります。距離的にも、とりあえず20キロとか21キロくらい走れるようになっておくと、スピード練習がやりやすくなります。
そして、ハーフマラソンというのは速い人も遅い人も21.0975キロ走るんです。中には60分ちょっとで走る人もいます。中には2時間かけて走る人もいます。でも、いずれにしても、走る距離は21.0975キロです。
ですから、遅い人も速い人も21.0975キロです。決して、時間ではなく、距離なんです。だから、そろそろ20キロくらい週に1回走れるようにしていきたいんです」
「なるほど、私には小さな変化に思えるがな」
「まあ、そうですね。正直小さな変化です。どっちでも良いと言えば、どっちでも良い話です。ですが、初めの段階で20キロ走って下さいというと2時間以上かかった訳でしょう?」
「別に、2時間でも3時間でも走り続けられるぞ。私は4時間直立不動で右手を上げ続けたこともある。意志の力があればなんでも出来る」
「まあ、そう言われたらその通りですね。直立不動で右手を45度上方に上げ続けるよりも2時間走り続ける方が簡単でしょう。ただ、私が言いたかったのは、90分間で14キロしか走れなかった状態からよりも、自然と90分で16.5キロくらい走れるようになってから、あと3.5キロ伸ばす方がやりやすいということです」
「それなら、14キロ、16キロ、18キロ、20キロと段階を踏んでも同じことではないか」
「まさに、おっしゃる通りですね。だから、いずれにしても、小さな違いでしかないです。とりあえず、精神的にもハーフマラソンに向けて準備してほしかったということですよ」
「私は初めからマラソンで3時間を切るために練習しているんだ。そんなことは言われなくても分かっている」
私はそれ以上どういって良いか分からなかった。ここは特に重要なポイントではないので、拘泥しても仕方のないことであった。
「それは素晴らしいです。まあ、そんな訳でとりあえず、週に1回は20キロ走を入れてみましょう。ですから、まとめると週に1回の30分から40分の高強度走の導入と週に1回の20キロ走の導入が今回の新しい刺激です。
20キロ走は今まで通り、ペースは特に考えなくて良いです。繰り返しになりますが、質と量を同時にあげるのは絶対に避けるべきです。30分から40分の中強度走の強度を上げて高強度にする。それから、同じ感覚のまま90分走を20キロ走に変更する。それが今回の変更点です」
「了解した。とりあえず、それでやってみよう」
「とりあえず、それでやってみて下さい」
つづく
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